婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです 作:品☆美
誰かが私の体をまさぐる感触で朦朧とした意識が徐々に起き始める。
私に対しこんな事をする輩は一人しかいない。
私が滅多に拒まないと分かってこうした行為を繰り返す。
しょうがない奴め、などと思いながら夢と現の境界線を楽しむ。
普段なら朝になれば他者の手を煩わせず起床できるのだが今日に限って微睡みがひどく心地良い。
どうして体がこれほど惰眠を貪るのか。
ぼんやりと思い返していると昨日の記憶が徐々に思い出される。
そうだ、私は空賊に捕まり、リオン達の懸命な働きによって無事に救出された。
屋敷に戻った後は寝室から出る事なく体を休めていた筈だ。
肉体的な疲労のみではなく精神的消耗も加わりベッドから出る事なく一日を終えた。
ただでさえ命の危機に瀕していた上に私は身重だ。
回復に努めようとして深い眠りに陥るのは仕方あるまい。
そう思っていた所である事実に気付いた。
確か昨夜は同じベッドに夫婦二人だけでなく親子四人で寝ていなかったか?
流石に朝から子供達の目の前で夫婦の仲睦まじい姿を見せるのは情操教育に悪い。
リオンは良い父親ではあるが夫婦の営みについて些か求め過ぎるきらいがある。
私が拒まないのを理由に更なる接触を求めてくるのだ。
妻として夫に求められるのは悪い気はしないが朝から盛るのは勘弁願いたい。
そもそも先程から触ってくる箇所がどうにもおかしい。
普段は唇やら首筋を練ってくるが今日に限って鼻やら耳に触れてくる。
それも撫でるのではなく引っ張ったり抓ったりと優しさも愛情も感じない触り方だ。
湧き上がる苛立たしさを抑え込み瞼を開くと紅い瞳が私を真正面から見つめ返す。
「…………」
「…………」
「……何をしているお前達?」
金髪紅眼の子供が二人、私の顔をベタベタと触っている。
ライオネル・フォウ・バルトファルト。
アリエル・フォウ・バルトファルト。
言わずと知れた私とリオンの子供達だった。
母である私の顔を玩具にして弄る双子は中々に命知らずな双子だ。
普段なら私の目の前でこうした悪戯は控えているのだが今日に限って我慢が効かなかったらしい。
普段は私達夫婦の寝室と子供達部屋を分けている上に、一昨日と昨日はこの子達も事件に巻き込まれ危うく母子の別れになる所だったのだ。
多少の甘えを許すのが母としての器量という物だ、私の顔を弄ぶのはいただけないが。
「ライオネル、アリエル。遊び相手は父上の方にしなさい。私はもう少し眠ります」
「え〜」
「や〜」
私の拒絶を認めず前にも増して双子が絡んで来る。
些か疲れるが悪い気はしない。
こうした煩わしさも生きているからこそ味わえる物だ。
視線をベッドの上に移すと寝室に居るのは私達三人だけでリオンの姿が見当たらない。
「父上は?」
「しらない」
「いなかった」
舌足らずな口調でリオンの不在を告げられた。
普段は私より後に起きるくせに、私が求める時に限って行方が知れなくなるのが我が夫の悪い部分だ。
ふと、女心に聡く出生が万全で傷痕が無いリオンが存在した場合に私を妻にしたくなる男かと省みる。
あまり好意を抱けそうにない。
結局は不器用な男に惚れた女の弱さだ。
少し頼りない夫を妻が支える程度の力関係が私達にはお似合いなのだろう。
ゆっくりと体を伸ばし凝りを解しつつ髪を結い室内着を羽織った。
時計を見れば既に朝食の時間だ、早く食堂に向かわなくては。
ちょうど子供達をベッドから下ろそうとしたその時、ノックもせずにリオンが寝室に入ってきた。
「起きた?」
「あぁ、どうして起こしてくれなかった」
「ぐっすり寝てる奥様を無理やり起こすほど俺は無神経じゃないぞ」
「私が居ないと皆が心配するだろうが、ただでさえ誘拐事件の影響で仕事が滞っているのに」
「嫁と子供達を労わる俺の愛だよ」
「私が起きた時にお前が居ない方が問題だ、何かあったかと不安になる」
ベッドに腰掛けたリオンに近づき抱きしめて頬に軽く唇を当てる、同じ行為をリオンも私にしてくれた。
「唇にはキスしないの?」
「流石に子供達の前では控える。家族でも節度は必要だ」
「ちぇっ」
舌打ちするリオンの髪を撫でながら今この瞬間を心の底から堪能する。
誘拐された時、もう二度とこんな幸せを再び味わえるとは思っていなかった。
私は領主の妻だ、一個人の感情よりも領地の利益や領民の生活を優先しなくてはならない。
そうでなくては貴族として人々を統括する資格を持てない。
貴族の子として生まれた時から私に選択の自由など無かった。
レッドグレイブ公爵家の、ホルファート王家の、ホルファート王国の歯車に為る事を生を得た瞬間から強いられてきた。
だが、道から外れた先に思わぬ幸せが存在している。
今日まで私はその幸せが変わらず続いていく物だと思っていた。
しかし、現実はそれほど優しくはない。
二度にわたるファンオース公国との戦争、そして今回の誘拐事件。
辺境領地だと思っていても油断は出来ない。
世界には多くの国が存在し、それに伴って国家間争いもまた生じている。
私の幸福を護るにはホルファート王国が抱えている問題を解決しなければならない。
これ以上の争いを起こさない為に私が出来る事を熟さなくては。
為すべき務めを果たす、それが世界の厳しさに対する私なりの抵抗だ。
だから、せめてこの時だけは幸せを噛み締めさせてくれ。
愛する夫と子供達に囲まれながら切なる望みを神に祈った。
リオンにバルトファルト領の仕事を任せた後、私は執務室で資料を纏め始めた。
まだ休んだ方が良いとリオンは止めようとしたがこの好機を逃したくはない。
寧ろ誘拐事件で感じた恐怖を振り払うには寝室で寝て過ごすよりも手と頭を動かした方が気が紛れる。
幾度かミレーヌ様と手紙でのやり取りを繰り返し、ある程度の下準備は以前からに済ませていて苦にならなかった。
昼食からしばらく経った頃、屋敷に五名の男が来訪した。
筆頭に第一王子ユリウス・ラファ・ホルファート。
ジルク・フィア・マーモリア。
クリス・フィア・アークライト。
グレッグ・フォウ・セバーグ。
ブラッド・フォウ・フィールド。
所謂ホルファート王国の五英雄その人だ。
ジェナやフィンリーをはじめ屋敷の若い連中は一目見ようと玄関に押し掛けたが敢えて止めなかった。
面倒な仕事を増やしたくはないし、何より人前で彼らに会ってどう対応したら良いか分からない。
あの五人とオリヴィアによって私の人生は大きく変わった。
それこそ悪い事も良い事も含めたら切が無い。
冷静に振る舞おうとしてもしても何処かで破綻してしまうのが怖い。
そんな私の心を理解してくれたのか、五人の歓待はリオンが受け持ってくれた。
リオンが対応している間に必要書類や資料を机の上に纏めて待ち続ける。
ノック音が数回響くと扉が開かれ、順番に彼らが執務室へ入って来たので丁寧に礼を行う。
「息災かアンジェリカ」
「はい、私達の救出に尽力していただき感謝の念に堪えません」
「異常があれば遠慮なく言ってくれ、我々の船に専属の医師が居る。御典医を務めた事もある名医だ」
「ご心配をおかけして申し訳ありません」
五人を代表してユリウス殿下が声をかけてきた。
殿下の口調は柔らかく、本心から私の心配をしていると感じられる。
それに応じる私も誠意を以って殿下に応対する。
社交辞令とは言え和やかな空気のまま各々が着席する。
執務室には私とリオン、そして殿下達五人が居てやや手狭に感じられる。
この会談の場所を指定したのは私の提案だった。
殿下達の飛行船の乗務員は王家に忠誠を誓っている名家の出身が多く情報が洩れる可能性がある。
逆に公爵家に手の者が居ないとは言い切れない為、敢えてバルトファルト邸を選んだ。
密談とは隠そうとすればするほど外部の関心を集めてしまう。
単なる歓待として会う方が怪しまれないのだ。
リオンが紅茶を淹れて各人に配った後に自らの分を飲み干す。
人の介入をなるべく減らした為に領主自ら給仕と毒見役を兼ねている。
全員がカップに口をつけた所で話を切り出す。
「改めて礼を言う、私達の救出に尽力してくれてありがとう。再び生きて子供達を抱きしめられて感謝しかない」
「俺からも礼を言う。家族やアンジェを救い出せたのはお前達のおかげだ」
深々と頭を下げて礼を述べた。
例え因縁の相手でも私達の為に尽力してくれたのは事実だ。
過去を無かった事には出来ないが、現状を改善する為に手段は選ばない。
嘗ての敵と手を取り合うなど歴史書を紐解けば幾らでも例がある。
「気にするな、こちらも仕事で対応した部分が大きい」
「まさか淑女の森の残党があのバルトファルトと所縁がある奴らだったとは思わなかったぞ」
「それだけ組織が王国にとって根深い宿痾という事です」
「地道に潰すしか手は無いよね」
「そっちの話はそこまでだ、今日の話はそちらが主ではないからな」
夫々が感想を述べていたがユリウス殿下はやや無理やりに話を変えさせる。
時間は有限だ、無駄に消費しては解決できる問題も達成困難になってしまう。
机に置いてある私直筆の企画書を五人に渡す。
印刷を使えば楽に終わっただろう、だが読み返し書き記す事でしか間違いに気付かない事も案外多いのだ。
只でさえこの案に携わっている者は少ない、間違いを残したまま突き進んでは取り返しが効かなくなってしまうだろう。
「この案はあくまで草案に過ぎない。情報提供はミレーヌ様やオリヴィアが関与している。方針の転換や数値の修正も行われる筈だ」
「ユリウスには王妃様が主導で王国の改革を推し進めるとだけは聞いてる。具体的には何をするんだ?」
「王国が抱える問題点はそれこそ長きに渡る政策の不備や前例の偏重によるものだ。それらを一朝一夕で変えるなど不可能だ」
「じゃあ、一体どうするんだよ?」
「まず今の状況で一番まずい事態は何だ?」
リオンと五人が首を捻って考え込む。
嘗ては五人まとまって行動していた彼らだが現在では別の役職を宛がわれている。
まず各々が考えている問題を出して意見を統一する。
「国内の治安悪化だな、かつて程じゃないけど空賊による被害が増えてる。腐敗貴族と癒着した奴らこそ減ったけど小規模の空賊による突発的な犯行は増えている」
「とにかく人手が足りてない。王家が占有してるダンジョンに不法侵入して荒稼ぎする奴すらいるぞ」
「国境付近の空気もきな臭くなって来ている。アルゼル共和国の内紛に関わってファンオース公国を占領したからね」
「人手だけではなく予算も足りません。戦争の保障に加え復興や補充にも資金は必要です」
「宮廷の動きもあやしい。王家と公爵家の争いが表面化しつつあり何かを決めるのに別派閥から反対意見が出る」
「辺境だって似たようなもんです。王家を裏切って公爵家に付こうとするのはマシな方ですよ。下手すりゃフランプトン侯爵みたいに他国へ内通しかねない奴すらいます」
出された意見は王国の窮状を的確に伝えてくる。
それら全てを同時に解決するのは不可能だ。
だからと言ってそれらが全く関わり合いが無い問題とは言えない。
全ての問題は深い部分で繋がっており、問題点を一つずつ地道に解決すれば良いのだ。
「治安の改善、人員の不足、外交の不振、資金の欠如、派閥の争い、中央と地方の確執。凡そこんな所か」
「どうするんだよコレ、何処から手を付けたら良いか分かんねえぞ」
「そうでもない、問題は複雑に見えて案外単純な物だ」
「どう単純なんだ?」
「現状の問題点を無理やり纏めるならホルファート王国、いや王家の力が衰えてるのが問題だ」
「ファンオース公国を取り込みアルゼル共和国を属国として扱うならホルファート王国自体の国土面積や保有する資産は寧ろ増えている。問題なのは急激に広がった国土に対し人材が足りないのが問題だ。前の戦争で公国に内通した貴族、反旗を翻した貴族を過剰に粛正したのが拙かった」
「あれは必要な事だっただろう。そうでもしなければ反逆者をみすみす逃していた。裏切り者を放置してはそれこそ王家の統治能力が疑われかねない」
王族のユリウス殿下としては忸怩たる想いだろう。
まぁ、そうしたホルファート王家に対する不信を煽っていたのが他ならぬレッドグレイブ公爵家なのだが。
父上としては私と殿下の婚約破棄を認めた王家、権力争いをしていたフランプトン侯爵派が余程腹に据えかねたらしい。
私としても王家に対して不満があるので敢えて止めなかったが。
「先の戦争で削減した人員、戦死した貴族や兵の補充は戦功を上げた者で埋めてきました。それ自体は正しい選択です。問題は叙爵された者達に領地経営や金融の心得が足りなかった事、そして補充した人員の数が足りなかった事です」
「……なんだよ、その目は?」
リオンが咎めるように私を睨む。
実際リオンのように戦功で出世した者や冒険による功績で叙爵された者達が王国貴族の始まり。
ファンオース公国との本格的な戦争の前にはそうして貴族となる者は大幅に減少したとはいえ全く無くなった訳ではない。
問題なのは貴族となった者に開拓や経営や金融の知識が著しく欠けている場合が多かった事実だ。
領地経営は書物を読んだだけで上手く物ではない、ある程度の知識に加え経験を積まなければ単なる机上の空論で終わる。
王家から与えられた領地を経営する煩わしさを逃れる為に実務を代官に任せ、己は王都で贅沢三昧の日々を送る。
現地の代官は領主の目が届かない事に味を占め、過剰な税を民から取り立て私腹を肥やす。
そうして王国は緩やかに衰退の道を歩んでいたのだ。
先の戦争と今回の戦争で戦功を上げた者に対して爵位や領地といった恩賞を与えるだけでは同じ事の繰り返しとなるだろう。
リオンは私と婚約した事で公爵家から支援を受け、彼自身に領主として務めを果たす気概があったから上手くいった。
せっかく出世したのだからきちんとした地盤を築きたい新興貴族も多い筈だ。
私が考える改革案はそうした風潮を上手く使おうと考えている。
「人員が必要だからと無理に捻出しては却って現場に混乱を招きます。人材の育成には時間と資金が必要不可欠です。当面の間は登用の規制を緩めて在野から人材を見つけ出し、同時に金融政策によって経済の活性化を中心とした方針を打ち出します」
「それで上手くいくのかい?」
「正直な所を言えば未知数だ、何せ私の提案は王国の歴史では今まで行われた事が皆無と言っていい。成功するかもしれないし失敗するかもしれない」
「随分と不確かな提案だな」
「確約されていなければ協力したくないと?そう思うのはお前達の勝手だ。だが最善手を創ろうと必死に頭を捻った所で時間は有限だぞ。日に日に公爵家は力を増し王家の力は削がれていく。方針が決まった頃に周りが全て敵対派閥に囲まれていては改革どころか自らの命さえ覚束ない」
「むぅ……」
意地の悪い答えだとは自分でも分かっているが、現状のように王家と公爵家の勢力が拮抗している時間は残り少ない筈だ。
父上はこの国の未来を憂いている。
それは貴族としての危機感や公爵家当主の立場から来る物であり、王位を簒奪し己の要求を満たしたい訳ではない筈だ。
きちんと筋道を立てて説明すれば説得は十分に可能だと私は考えている。
皮肉にもファンオース公国との戦争では多くの貴族が処罰され数を減らした。
公爵の父上はもちろん君主であるローランド陛下やミレーヌ様でさえ貴族の反発を恐れていた。
予め根回しをすれば議会を懐柔して強制執行するのも可能ではある。
無論、それをやった後は国中の貴族から反発されるから王家も公爵家もやらないだろうが。
「順を追って説明しよう。まず王国の現状に於いて一番の急務は人手不足の解消だ。様々な部署で人員が足りず仕事が滞りがちになっている。その解消に人材採用の枠組みの刷新が必要がある」
「前任者や下の者の出世を妬んで邪魔する奴が出て来ないか?」
「放っておけ、と言いたい所だがそうした問題は必ず噴出するだろう。そうした抵抗を緩める為にお前達にはオリヴィアの仕事ぶりをあらゆる場で広めろ。人材登用の拡充を促す風潮を作り出せ」
オリヴィアの名声はホルファート王国の民衆にとって冒険者に代わる価値観になりつつある。
平民の娘が特待生として学園に通い、神殿から聖女の認定を受け王国の危機を救った。
彼女が有能なのは政務に関わる者なら否応なしに認めざるを得ない状況だ。
異論を唱えるのなら亡国の危機に瀕して自ら先陣を切り敵将を討ち取って証明しなければならない。
嘗て下位貴族や平民を軽視していた高位貴族達は率先して自らの有能さを示さねば瞬く間に免職や降爵といった憂き目に遭うと汲汲している筈だ。
裕福な家に生まれておきながら平民以下の働きしか出来ぬ者に貴族の資格など無いという憤懣が王国にみちているからだ。
下手をすれば暴動になりかねない状況を上手く利用すれば上層部の者達も首を縦に振らざるをえない。
「人材登用は新興貴族の救済を優先させろ。特に領主貴族を重点的にだ」
「待て、中央を優先させるべきじゃないのか?領主貴族を優先した所で王国の利にならないだろう」
「叛乱を抑えるのが一つ、そして同時に産業の活性化を狙う」
「産業の活性化?」
「これまで王国はあまりに地方の領主貴族を蔑ろにし過ぎた。確かに敵国への内通が許される訳ではない。だが、中央を優先し地方へ対する蔑視や現状把握の遅さが王家の求心力を弱める原因となったのは疑いようがない」
「確かに前の戦争が終わった頃から空賊退治も兼ねて辺境を回ったが荒れ果てた所も多かった」
「荒れ果てた領地から得られる税収は低い。民から税を搾り取ろうと苛政を行えば却って衰退を招く。何より人材が枯渇する一番の原因だ」
「そこまでする必要があるのか?」
「オリヴィアは辺境の平民の家に産まれたぞ。あれ程の逸材を見出していなければ戦争の結果は逆になってホルファート王国はファンオース公国の属国になっていた。領主貴族の中には領民に余計な知恵を付けさせたくないからわざと平民に対して低賃金で重労働を課す場合が多い。そうした領地に限って運営が上手くいっていない」
「だから辺境の領主貴族に人材を送れと」
「王家や中央貴族の支配力を強めるのではない、国全体の経済と生活の水準を底上げする。産業が活発化すれば物資や貨幣の流れが生まれ税収も自ずと上がる。民を富ませる事が結果として国家の全体の増強に繋がっていく」
リオンと婚約しバルトファルト領の開拓に携わった経験は私の見識を大きく変えてくれた。
如何に王都で声高に改革を訴えても実際に統治を行うのはその土地の領主であり、彼らは己の領地に対して強い執着を持つ。
そもそもホルファート王国は小領主を大領主が、大領主を王家が軍事力で服従させ統括している体制と言って良い。
ファンオース公国との戦争によりホルファート王家の所有する軍事力は減少し、支配に陰りが見え始めたのも寝返る貴族が相次いだ原因だ。
軍事力ではない新しい力が必要だ、それが経済力だとバルトファルト領の経営で私は感じ始めた。
王妃教育を受け全ての貴族に特権を与える代償に領地を召し上げ王家が統治するなら王家の支配力が増す等と考えていた頃の私とは随分と考え方が変化した物だと自分でも驚いている。
「だが問題があります」
私の案に対してジルクが意見を投げかける、やはりこの男か。
この五人の中でもっとも政に長けているのがジルクだ。
次期王の側近となるべく幼い頃からユリウス殿下の乳兄弟として教育を受けた彼は権謀術策に長けている。
私と殿下の婚約破棄騒動に関してはまんまと乗せられて醜態を晒した。
正直に言えば私はこの男が大嫌いだ。
ただ王家に対する忠誠心やオリヴィアに対する親愛は本物だから看過しているに過ぎない。
あの頃に比べてこの男も成長はしていると聞いた、難癖ではなく諫言として聞き入れる必要がある。
「人材を派遣するにしても国庫にある予算は有限です。私は中央で任された仕事をしていますが、旧公国からの賠償金を加味しても王国の予算の大部分は貴族達に対する恩賞に費やされます。実質目減りした予算で新規事業を行うのは困難かと」
「確かにな、その点は私も考えている」
「でしたら何故?」
「それについては腹案がある」
手元に置いてある幾度も加筆修正した紙束をテーブルの上に置く。
これが私の考えているホルファート王国の立て直しで一番重要な箇所だ。
「ここの記されている物が私なりに考えた王国改革の草案だ。良いか悪いかは読んでから判断しろ」
そう告げてティーカップに注がれた紅茶で喉を潤す。
あとは彼らがどう判断するかだ。
この草案自体はミレーヌ様と幾度も連絡のやり取りを繰り返して書き上げた物だ。
例え彼らが賛成しなくてもミレーヌ様は王命として施行する方針を固めている。
但し、多くの貴族が難色を示すのは間違いない。
貴族の説得には救国の英雄が持っている名声や実績が必要となる。
この会談の場がどうなるにせよ既に覚悟を決めている。
彼らが賛成するにしても反対するにしても為すべき事を為すだけだ。
隣に座るリオンが不安げに私を見ていた。
そんな顔をするな、せっかくの紅茶が不味くなる。
五人が結論を出す時間をリオンが淹れる二杯目の紅茶を嗜みながら待ち続けた。
「正直戸惑っている。これをやって解決できるのか?」
「それは分からん、何しろ初の試みだ。仮に実現しても成果が出ない場合も当然考えられる」
「確証は無いのかい」
「各領地にも似たような物は存在している。お前達の親が治める地にもあると調べはついているぞ」
「領地にあるやつを王国が主導でやるって訳だ」
「そうだ。だが、国の予算を費やして新規事業をやるのも同然だ。各方面からの突き上げは来るだろう」
「王国の予算を使う予定ですか?」
「他にも王族に割り当てられる歳費や所有資産を売却して資金を調達するとミレーヌ様はお考えだ」
「やるからには徹底的か」
「お前達には貴族の説得を担当してもらう。領主貴族、宮廷貴族の区別無く説得しろ。お前達に求めるのはそれだけだ」
「待てアンジェリカ。俺達に協力させるなら責任を負う必要があるだろう」
「ミレーヌ様はこの政策を自分が主導者として行うつもりです。失敗した場合に陛下や殿下に累が及ばないようにする為です」
ミレーヌ様はいざとなれば全ての責を背負い私はあくまでも草案を作っただけと押し切る腹積もりだ。
これが国家政策として施行されても上手くいくか、それは考えた私にも分からない。
的外れな案と笑われる可能性は勿論ある、時代を先取りし過ぎて理解されず失敗するかもしれない。
何の成果も上げられず廃止されても理解できる。
ただ旧来の方法のまま王国が盤石な時代は既に終わりを迎えているのは確実だ。
貴族に領地を与え自治権を与える王国の体制その物が限界に来ている。
急激な変革は混乱を招くが少しずつでも変革を促さなければホルファート王国は遠からず滅びるだろう。
そんな博打に夫や我が子を巻き込みたくないミレーヌ様のお気持ちは理解できる。
「……不確定要素が多い。我々が見落としているだけで穴が幾つもあるように感じる」
「だろうな。実際に私を草案を纏めるにあたって幾度もミレーヌ様にご意見を伺い訂正を重ねている。これはあくまでも私が現状で考える改善案だ。実際の数値や情勢の変化については辺境にいるお前達の方が詳しい。代案があるなら構わず言ってくれ」
「…………」
反論できないか。
まぁ、これは妊娠して実務の手が空いた領主貴族の妻が語る国家運営論に過ぎない物だ。
領地経営にのみ携わっている私よりも国の中枢に近い者達の同意が得られないのは仕方あるまい。
彼らの賛同を簡単に得られるとは私自身も思っていない。
「正直な所、俺は母上と共にこの案を聞いた時は半信半疑だった。上手くいくならそれに越したことはないが失敗した場合の損害が致命的になりかねない」
「ご意見はご尤もです。私自身も成功率が低いと考えていますから」
「どの位だ?」
「三割程度でしょうか。他国の干渉や不満を抱えた貴族や民衆の暴発が無いという前提の上で甘く見積もってこの数値です」
「……王族としてではなく、一個人としても諸手を挙げて協力できない。失敗すれば母上は責任を取って政から手を引かされるだろう。そうなればホルファート王家は貴族の傀儡に成り果てる」
それは仕方ない事だ。
ホルファート王家が未だに国家元首としての面目を保っているのはミレーヌ様の御力が大きい。
陛下は政務に関心が薄く、他の王位継承権を持つ王子や外積は関係の深い貴族との関りを優先する。
レパルト連合王国から嫁いで来られたミレーヌ様だからこそ、宮廷内の派閥争いから一歩引いた中立に近い立場で政務を執れたとも言えるだろう。
そして中立という立場は簡単に揺らぐ危うい物だ。
誰からも一定の距離を保つ分、危機に陥っても助けてくれる者はほぼ居ない。
陛下との夫婦仲が良好ならば正妃の立場から押しきれるかもしれないが、御二人の関係は冷えた物で期待できそうにない。
「それに我々にとって貴女達の行動は不可解です。何を望んで公爵家から離反するような真似を?」
「単純に戦乱で荒れた国土を復興させなければ我々として痛手だ。その答えでは不満か?」
「えぇ、これが単なる辺境の領主貴族夫人なら政治を分かっていないと一笑に付す事も出来ます。良案ならば耳を傾けるでしょう。ですが貴女は公爵家の令嬢でありユリウス殿下の元婚約者だ。我々の間にある確執を無視して無邪気に信じられるほど我々はお人好しではない」
「それはよく知っている」
「何より恐ろしいのはこの案が失敗した場合です。王家の権威が失墜した後に台頭するのは誰か?間違いなくレッドグレイブ公爵です。私にはこれが周到な罠に見えて仕方ない」
「わざわざこんな手間暇をかけて罠を用意したと?」
「そもそも何故この案を公爵に献策しないのですか?ホルファート王家が実行した後に出た問題を理由に王家へ退陣を求める。そして改善した案を公爵家が実行し上手くいけば貴族と民は挙って公爵を褒め讃えるでしょうね。それこそ旧政権を打ち倒し新政権を興す絶好の理由になります」
それは邪推だ、とは言い切れない。
実際に最近の父上は多くの貴族と誼を結び、権勢は王家に並ぶのも時間の問題だ。
その時に王家の失策を糾弾すれば多くの貴族は賛同するだろう。
戦争で王家の力は衰えてる、無理に抵抗すればそれこそ国を割る内乱が訪れ国は荒廃の一途を辿る。
「私たちは内乱も他国の干渉も御免だ。人々が求めているのは平和であり、それを実現するには派閥を超えて協力すべきだ」
「公爵家の寄子である貴女達を信用しろと?」
「我々は穏便に事を収めたいだけだ。父上が王座に就いて平和な治世が訪れるなら止める必要もない。ただ現状では間違いなく国内は混乱し他国が介入してくる。せっかく訪れた平和を乱したくはない」
やはり無理か。
彼らと私ではあまりに立場が違い過ぎる。
言葉を尽くしても感情で相手の信用を得られなければ協力し合える事は無い。
英雄達の口添えが無ければこの案の成功率は半分以下に落ちるだろう。
その後に起きるのは最悪の結末。
これも私の人徳の無さ故だ、誰が悪いという話でもない。
取りあえず書類の束を渡し、後は彼らに任せよう。
私には従えずともミレーヌ様の御命令なら素直に従ってくれる筈だ。
精神的な疲れにやや自棄になりかけた瞬間、黒い影が私の視界を覆う。
リオンだった。
何のつもりだと問う前に彼はある言葉を口にした。
「決闘しましょう、殿下」
政治ターンの始まりです。
アンジェの考えは封建制の問題点や産業改革等の視点から国の体制の改善を試みる物です。
アンジェの腹案についてはまだ内緒です。
フランス革命~ナポレオン執政時代のフランス、産業革命時のイギリス、独立戦争前のアメリカなどの政治的推移を参考にしているので世界史を先行されている方なら答えが分かるかもしれません。
追記:依頼主様のリクエストでFendai様とKAササギ様にイラストを描いていただきました。
ありがとうございます。
Fendai様 https://www.pixiv.net/artworks/116208503
KAササギ様 https://www.pixiv.net/artworks/116224395
意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。