婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです 作:品☆美
凄まじい衝撃音と共に土煙が上がった数秒後、吹き上がった風が貴賓室にまで届く。
何が起きたのか分からない。
私の目にはリオンが駆る黒い鎧がユリウス殿下の操縦する白い鎧に猛烈な勢いで突進したように見えたが詳細は分からない。
「やられたな」
振り返るとクリスが苦々しい表情で賞賛とも嘆きとも受け取れる言葉を吐いている。
いや、クリスだけはない。
ジルク、グレッグ、ブラッドもまた顔を顰めるか口を噤んでいる。
常人には届かぬ遥か高みに座している英雄にはこの勝負の趨勢が見えていたのだろう。
「あんな無茶を考えるのは考え無しの大馬鹿野郎か、実行できると思っている狂人だけだぞ」
「どこまでが彼の計算なんだ?最初から最後までずっとバルトファルトがユリウスを翻弄していた」
「決闘の結果がどうなったかの判断は後にしましょう。先に殿下の安否を確認しなくては」
誰もがリオンとユリウスの闘いから目を離さず魅了されていたが、四人の言葉に漸く皆が我に返る。
先程から大地に倒れ伏した二機の鎧は完全に活動を停止している。
鎧の外装が歪み操縦席から出られない場合は急いで対処しなくてはいけない。
もしも操縦席の二人が怪我をしていたら医療行為に遅れが生じてしまう。
只でさえ王族が模擬戦をやるという事態が異例なのだ。
王子が負傷したとなればバルトファルト家の責任問題となってしまう。
ここから鎧までは歩いて数百秒、走れば数十秒もかからない。
義父上と義兄上とコリンが慌てて走り出して鎧に駆け寄って行く。
私もライオネルとアリエルを義母上に預け鎧に向かった。
観客席からもバルトファルト領と王家直属の者達が恐る恐る近付いている。
「リオンは最後に何をした?」
不安を誤魔化す為に私の横で歩いていた四人に問い掛ける。
王都で鎧同士の決闘を鑑賞したり、この地で兵の訓練で試合を行う鎧は見たがこれ程の闘いは記憶に無かった。
「バルトファルトの鎧がユリウスの鎧のロッドを奪い取ろうとしたんだろう。だが突進の勢いを止められずそのままぶつかったように見えたな」
「いや、あれは格闘術にある柄取り技法だろう。剣術にもああして相手の武器を奪う技がある」
「そんな技を鎧で再現しようと?いくら何でも常識の埒外過ぎますね」
「常識で彼を判断するのは危険だ、今回の闘いでそれはよく分かったじゃないか」
「どっちの勝ちになるか判断が難しい、ほぼ相討ちに見えたからな」
「バルトファルトは殿下の武器を奪おうとしたんですよ。反則と判断しても異議は出ないでしょう」
「決闘の条件に『相手のロッドを奪って気球を割るのは禁止』は無い。『自分の気球を自分で割るのは禁止』もだ」
「それはそんな真似をする者が居るとは考えられないからです!」
「だがバルトファルトは実行してみせた、それが全てだ」
「……彼と事を構える時は考えられる全ての状況を想定する必要がありますね」
リオンがあんな曲芸じみた技を使えるとは私自身も気付かなかった。
訓練を共にするこの地の兵は無論だが、バルトファルト家の者すらこの事実を知らなかった筈だ。
凡人を装いながら常に知略を張り巡らし技を磨き続ける。
彼はどれだけの月日を費やしてあれ程の技を体得したのだろうか?
これまでの謙虚ではなく卑屈とさえ言っても遜色ないリオンの態度が全て偽装だったとしたら。
私の知っているリオンは本当の姿ではないのかもしれない。
何時だって私は物事を自分に都合よく解釈してしまう。
リオンが隠し事をするような人物ではないと疑ってさえいなかった。
その事実が恐ろしい。
漸く辿り着いた鎧は金属製の彫像のように動く気配を見せない。
操縦席の二人は気絶しているのか。
それとも動けないほどに消耗しているのかさえ不明だ。
軽く見た限りでは煙や火花の痕跡は見られない。
鎧の事故で恐ろしいのは内部機構の損傷によって出火が起き、機械油等が引火して誘爆する事故だ。
そうした事態は無さそうだが油断は禁物である。
先に辿り着いたバルトファルト家の男衆が必死に操縦席付近を叩いたり声をかけている。
せめて二人の状況を把握したい。
最悪の事態が頭を過ぎった瞬間、示し合わせたように二機の胸部が開き操縦席が露わになった。
白い鎧からはユリウス殿下、黒い鎧からはリオンが這い出すように現れる。
「勝っッたぞォぉぉぉッ!!!」
甲高いリオンの叫びが空に吸い込まれていく。
突然の奇行を見たこの場の全員が唖然とした表情を浮かべる。
まさか突進の際に手酷く頭をぶつけたか?
いや、搭乗服とヘルメットを着用して脳に影響を及ぼす負傷をしたとは考え難い。
「見てたよな!!俺の素っっ晴らしい操縦!!どう見ても俺の勝ちは決まってるだろ!?」
「いい加減にしろバルトファルト!この闘いは相討ちが正しい!」
高らかに勝利宣言をするリオンとそれを咎めるユリウス殿下。
こっちの心配を余所に彼らは口論を続けていく。
何だこれは?
安心と同時に苛立ちが腹の中を駆け回る。
「どう見ても俺が殿下の気球を先に割りました!だから俺の勝ちです!」
「頭部はお前が割ったが胴体は違うだろう!お前が突進したせいで双方が同時のはず!引き分けだ!」
「何で素直に敗北を認めないんですか!?間違いを認める潔さは王族に必要な資質でしょう!」
「俺は負けてない!正しい裁定を求めてるだけだ!」
「わかりました!おい、コリン!どっちの攻撃が先だった!?」
「えぇッ!?…………た、たぶん兄さんの方が速かったように見えた気がしたように感じたかも……」
「よし!!俺の勝ち!!」
「認められるかァ!!だいたい司会はお前の弟だ!!どう考えてもお前に有利な判定になるのは分かりきってる!!」
「はッ!負けたくせに見苦しいですよ!」
「分かった!ならば拳で決着をつけてやる!」
「上等だオラァ!!神聖な決闘に身分の上下は関係ないからな馬鹿王子!!」
「貴様こそ覚悟しろ!!王家の力など借りなくてもお前程度は返り討ちだ田舎者!!」
先程まで鎧を高等技術で操縦していた者達の聞くに堪えない罵り合い。
その場に居る全員が唖然としてる中、闘志に満ちた二人が大地に降り立つと互いに向けて走り出す。
ゴォッッ!!
耳を塞ぎたくなる鈍い音が平地に響き渡る。
ユリウス殿下の拳はリオンの頬を、リオンの拳はユリウス殿下の腹にめり込んでいた。
相手に殴られた体勢のまま二人はもう片方の腕を動かす。
バギッッッ! ドォォッ!
リオンはユリウス殿下の顎を、ユリウス殿下はリオンの胸へ追撃を放つ。
そうしてさらに一撃を加え、それを受けるとまた一撃。
順番に互いを殴り合っていたかと思えば、リオンがユリウス殿下の拳を掴みそのまま地に倒れた。
決着がついたかと思いきや二人は絡み合ったまま大地を転がり頭突きや関節技の応酬を続けている。
あまりに馬鹿馬鹿しい展開に兵達が呆れる状況で正気を取り戻したバルトファルト家の面々と四人がリオンと殿下を無理やり引き離す。
「離せお前ら!あの馬鹿王子にどっちが上か分からせてやる!」
「止めろリオン!」
「誰と喧嘩してるか分かってんのか!?」
「最初に売って来たのはあっちだ!だからお釣り込みで買っただけだ!」
「買わないでってば!」
「止めるな貴様ら!これは俺とあいつの闘いだ!」
「いや、止めなきゃダメだろこの場合」
「落ち着いて周囲を見てください、今の殿下は王族に相応しい振る舞いとは言えません」
「俺は一人の男として全力を尽くしているだけだぞ!」
「それでも限度ってものがあるよ」
「やり過ぎて怪我を負わせたら意味が無い」
当初の目的を忘れて殴り合う夫と王子を眺めていると無性に腹が立って来た。
何だ貴様ら?
くだらない矜持に拘って馬鹿馬鹿しい争いを続けるのがそんなに楽しいか?
この国の未来を憂い有効な方策の為に手を取り合うのが私達がすべきな事だろうが。
それを忘れて暴力によって醜態を晒して無駄な時間と労力を費やすつもりか。
気が付いた瞬間には抑えつけられた二人の間に立っていた。
馬鹿が二人争っているのだ、私も馬鹿をやって何が悪いのか。
左手の指を揃え軽く曲げ、勢いは付けずに手首の返しのみで押し込むように捻るのがコツだ。
パァァァン
軽快な打擲音が発せられユリウス殿下の頬に私の手形が刻み込まれる。
あまりの事態に馬鹿五人は口を開けて呆けていた。
続いて右手の小指、薬指、中指、人差し指の順に曲げ親指で拳を固める。
そっと腕を上げ、角度はやや上から速度を付け、肩から思いっきり振り下ろすように拳を捩じり込む。
ドゴォッ!!
重く鈍い打撃音の後にリオンの首がだらしなく垂れ下がった。
私が放った全身全霊の拳突きが正確にリオンの顎を打ち抜き意識を飛ばした証明である。
「馬鹿騒ぎはこれで終わりだ」
反論する者は誰も居ない。
斯くして第一王子と地方領主の模擬戦という態の決闘は幕を下ろす。
まったく、本当に馬鹿げた男の矜持と無駄遣いが多い催しだった。
格納庫の窓から降り注ぐ太陽の光が暖かくて眠気を誘う。
このまま眠れたら幸せなんだろうけど俺が一応の責任者だからきちんと見届ける義務がある。
アンジェにぶん殴られて意識を失った後、気が付いたら格納庫に運ばれていた。
どうやら気絶してる間にアンジェがその場を収めてくれたらしい。
仕事が出来る嫁さんです、つくづく俺の嫁になってるのがもったいないぐらいだな。
本当なら合同訓練の閉会式を俺の主導でやる予定なのに父さんと兄さんが代行してくれた。
意識が戻ったら全部終わってた、後に残ったのはボロボロになった俺とあちこち故障した鎧が一機。
あれだけ激しく闘ったけど殿下の鎧は簡単な整備だけで修復が可能、俺のアロガンツは徹底的な修理が必要なぐらいにひどい状況だった。
ごめんよ、アロガンツ。
他の量産型の鎧に乗っても結果は同じだっただろう。
むしろ殿下と最後まで戦えたのが奇跡だ。
格納庫に収容されてる鎧全部、そして忙しく修理してる整備士が俺を咎めてるように見える。
どうせなら兵舎の方で寝せてくれたら良かったのに。
兵舎は立て込んでて人が多いからこっちの格納庫に運ばれたと看病してた兵に聞かされた。
その報告を聞いてからは誰も俺に話しかけてくれない。
虚しい、寂しい。
俺が領主としてダメな方だとは自覚してるけど今回の件は流石に心が疲れ果てた。
王都の連中を納得させてこっちに有利な状況に持ち込む、そのついでに家族に良い所を見せようとして大失敗だ。
手を尽くしたけど喧嘩に負けて、高価な備品をぶっ壊し、部下達からは腫物扱い、おまけに仕事は俺が居なくても大丈夫。
俺がここに居る意味は何処にもない、むしろ居る方が迷惑だろう。
逃げるようにこそこそと格納庫から出た。
何歩か歩いた所で目眩を感じた、吐き気は無いけど体に力が入らない。
動こうとすればするほど体が重たく感じる、廊下の壁に背を預けてゆっくりと座る。
壁と床の冷たさが火照った体に気持ち良い。
搭乗服を脱いで寝転べばもっと快適だろうけど誰かに見られたら面目が立たない。
つくづく貴族って身分は自由からはほど遠い身分だ。
どうして貴族に憧れる奴らが多いのか俺にはさっぱり分からない。
体が休息を求めてるのが分かる、そもそもいろんな事があり過ぎた。
昨日から訓練場の整備を仕切って、朝から合同訓練の進行やって、おまけに鎧の決闘に殴り合いの喧嘩ときた。
これで疲れない方がおかしいぞ、どんどん体の力が抜けて立ち上がる事さえ出来ない。
少しだけ、ちょっと休めば大丈夫。
自分にそう言い聞かせて瞼を閉じると頬にひんやりとした硬く冷たい感触が伝わって来る。
それが床だと理解する間も無く眠りに落ちた。
どれくらい寝たのか、時間の感覚が曖昧だ。
一時間寝た気がするし、一晩寝過ごした感覚にも近い。
確かな事は体はまだ休息を欲しがってる事だけ。
このまま意識を手放せばまた眠れるのは分かってるのに妙に引っ掛かる。
意識を失う前の体勢と今の体勢が微妙に違う。
横向きに倒れたはずなのに今は仰向け、あと頭と首に柔らかくて温かい感触が伝わって来る。
少し首を動かすと気持ち良い弾力で跳ね返るし、冷えた体にちょうどいい温かさだ。
このまま更にひと眠りといきたいが状況判断が先です。
瞼を上げると白くて大きな丸い物が目に飛び込んで来た。
柔らかくて良い匂いがしそうなその形を俺はよ~~~く知ってる。
貴族になってそれなりに付き合いが増えた影響で見かける機会も増えたけど俺が判別できるのは一人だけ。
紅い瞳が俺の顔を覗き込んでいた。
「……何やってんだよ」
自分の口から洩れた声は露骨に不機嫌だった。
眠いし、痛いし、疲れてるからどうしても対応が杜撰になる。
悪いとは思ってるのに自分でも感情の制御が出来ない。
領地も爵位も王家も公爵家もどうにでもなれ、家族だって知った事か。
俺の思い通りになる事なんてこの世に一つもない。
どれだけ頑張っても生まれた時から家柄が良い奴らや才能に恵まれてる天才達には敵わない。
何やっても上手くいかないし、どう頑張っても徒労に終わる。
そんな人生には飽き飽きしてるんだ、お願いだから一人にさせて欲しい。
「リオンの寝顔を見ていた。こうして眺めているとリオンは随分と幼い顔をしているな。なかなか可愛らしいぞ」
「そうじゃねえよ、こんな所で何してんだって聞いてんの」
「様子を窺いに来たら倒れてるお前を発見した時は焦った、近寄ったら眠りこけてたから安心したが」
「頼むから放っておいてくれ。疲れきってるから汗も血も出ねえぞ」
「ならゆっくり休め、リオンが眠るまで私が傍にいる」
反論したいけどその気力も湧かない。
意識が朦朧として夢と現実の境界線が曖昧だ。
逃げようとしても疲れきった体が睡眠を求めてろくに動かない。
そんな俺をアンジェは楽しそうに眺めてる。
分からねぇ、俺を構っても面白い事なんて一つも無いだろ。
「頼むから放っておいてくれ、俺に構うより仕事した方が良いだろ」
「全て終わらせた。各方面の調整は義父上と義兄上に任せている」
「じゃあ子供達の所に行けよ。二人ともママが居なくて寂しがってるはずだ」
「ライオネルとアリエルは義母上に預けた。手抜かりは無いから大人しくしてろ」
そこまでやるのかよ。
優秀な嫁さんを貰うのも考え物だな、逃げ道を全部潰されて口でも力でも敵わない。
逃げるのは無理だと悟って力を抜くとアンジェに顔を撫でられた。
普段は俺が迫ると一旦は拒むのに今日に限ってやたらベタベタしてくる。
アンジェからしたら俺はいつもこんな感じなのか?
今後は控えよう。
「どうしてそんなに楽しそうなんだ?」
「楽しいさ、弱っているリオンは貴重だからな」
「いっつも俺の方からベタベタしてんじゃん」
「そのくせ落ち込むと一人になりたがる、本当に手間のかかる旦那様だ」
「悪かったな」
疲れてるのは本当だし落ち込んでるのも確かだ。
けど、そういう姿を惚れた女の前で見せないのが男の意地だろ。
普段の俺がアンジェに依存してるのは横に置いておく。
アンジェはそんな俺の反応が楽しくて仕方ないみたいだ。
鬱陶しくなって顔を逸らすと顎を掴まれて無理やり戻された。
抵抗せずそのままにしてるとアンジェの顔が近付いて来る。
相変わらず綺麗な顔だな~、って呑気に構えていたらキスされてた。
今日のアンジェは凄く大胆だ。
逆らおうとしても逆らえないぐらい積極的で迫力がある。
「……どうした急に?」
「決闘の前に言った筈だ。リオンが勝ったらキスしてやると」
「勝ってないだろ、むしろ俺の負けだった」
「あの闘いを見ていた者はお前を敗北者だと思っていない」
「殿下は最期の方で俺の鎧の動きを真似してた。殴り合いじゃ俺の倍近くやられた。どう見ても俺の負けだ」
「そうか?上手く反撃してたじゃないか」
「根性で耐えてたんだぞ。一番効いたのはアンジェの拳だったけど」
「……お前が馬鹿を仕出かすのがいけない。事態の収拾に苦労したぞ。ここにお前と鎧を運ぶのだって義兄上と義父上がやってくれたんだ」
「格納庫で鎧の修理してる整備士の奴らは声をかけてこなかった、絶対に嫌われてる」
「畏れ多かったんだろう、誰もがお前の健闘を讃えている」
「でも勝てなかったよ」
「……何故ユリウス殿下と殴り合いを始めた?」
「あの綺麗な顔がムカついたから、俺が勝ってたと言ってくれりゃ上手く誤魔化せたのに」
「そこまでして殿下に勝ちたかったのか?」
「うん」
鎧を操縦するようになってから何年も練習した。
訓練だけじゃなくて実戦でも試して何とか形にした。
真っ向勝負じゃ勝てないから公平な戦いと嘯いて同じ量産型を使うように仕向けた。
地の利を得る為に前日から準備をして奇策を使った。
そこまでやったのにユリウス殿下に勝てなかった。
もし俺が学園時代のアンジェの傍にいたら勝ててたんじゃないか?
そんな妄想みたいな夢は木端微塵に砕かれた。
天才に凡人は勝てない、どれだけ努力しても越えられない高い壁が現実には存在する。
残酷な事実がつらい。
アンジェの顔が歪んでよく見えない。
どうしてだろうと思ってたら目から何かが零れた。
そうか、こんなに負けたのが悔しかったんだ。
涙を流してる自分に俺自身も少し驚いてる。
「泣くな」
「泣いてねぇ」
「そうか」
「そうだよ」
「勝敗など些末な問題だ。リオンは己の総てを尽くして戦った。その事実が重要だと私が思っている」
「負けたら意味ねぇよ。あれだけの大口を叩いておいてみっともないったらありゃしない」
「私はリオンが素晴らしい男だと心の底から思っている。それだけでは不服か?」
「出来れば子供達にもそう思って欲しい」
「贅沢者め」
アンジェの声は優しい。
それが却って惨めな気分にさせる。
どうやら勝利の女神様は徹底的に俺が嫌いらしい。
勝ちはくれないのに負けた俺を慰めて悦に入るとか性格が悪過ぎる。
もう自棄だ、ふて寝してやる。
「疲れた、眠い」
「この数日間はいろいろあり過ぎた。しっかり休め」
アンジェ達が攫われて、夜通し飛び続けて奪い返し、その後で会議して、最後に決闘。
そうだな、よく頑張ったよ俺。
自分で自分を褒めてやっても罰は当たらないだろ。
安心したのがまた猛烈な眠気が襲って来る。
柔らかいアンジェの体の感触を感じながら瞼を閉じる、意識はそこで途絶えた。
室内は静寂に包まれてる。
ここはローズブレイド家の方々が宿泊してもらっている高級宿の一室。
お忍びで高位貴族や富豪達が会話を出来るようにとアンジェリカさんの要望で作られた談話室だ。
リオンがぶっ倒れたせいでドロテアさんと話し合う時間が遅れに遅れてる。
派手に騒ぎを起こすのに後始末を押し付けられるの子供の頃からいつも俺だ。
不満も溜まるが今のバルトファルト家はリオンのおかげで再興できたのは理解してる。
俺と父さんがリオンの不手際を助けるのも仕方がない事だ。
だからって全て納得できる訳じゃない、俺にも俺の予定があるんだぞ。
この部屋に居る俺以外の人物、ドロテアさんはずっと無言だった。
昨日からドロテアさんは露骨に俺を避けてる。
原因は俺だ、俺がドロテアさんを抱いたせいだ。
その事については言い訳する気は一切無い、全部俺の責任だ。
空賊退治で気が昂っていたとか、酒を呑んで理性が利かなかったと複数の原因はあっても抱いた俺が悪い。
いくら夜這いされたからって全力で拒めば追い返す事は出来たはず。
それをしなかったのは感情を制御できなかったのと同時に俺がドロテアさんを少なからず想っているからだろう。
決して、決して抱いたから情が湧いたとか男として最低な感情じゃないはずだ。
そう自分じゃ思いたいが自信は無い。
ドロテアさんはずっと黙ったままだ。
俺としてもどう声をかけていいか分からない。
ローズブレイド伯爵に頼み込んで話し合う場を作ってもらったがこれじゃ何の解決にもならないな。
どうやらドロテアさんは伯爵には俺との情事を伝えないらしい。
まぁ、名家のお嬢様が婚約者の手籠めにされたとか醜聞もいい所だ。
こうなったら責任を取るのは男の方だ。
悪賢い貴族連中はこっそり睡眠薬や媚薬を盛って無理やり既成事実で脅して結婚させるなんてやり方をしてる奴も多いがドロテアさんはそんなつもりは無いみたいだ。
むしろ俺を避けて婚約を撤回するかもしれないとディアドリーさんから伝えられた。
ようやく俺の中にある好意に気付いたのに婚約解消になるとか悲し過ぎる。
どうにかして説得しないと俺は一生独身だ。
「あの、ドロテアさん」
「…………」
「俺としては貴女に妻になって欲しいと思っています」
「…………」
「今回の件は全面的に俺の過失です。俺の方からローズブレイド領に行けば誘拐されなかったし、迫られても送り返せば良かった。責任を取って結婚するのが一番だと俺は考えています」
「…………」
「ドロテアさん、聞こえてますか?」
さっきからずっとうわの空で返事が無い。
いつもの彼女なら辟易するぐらい積極的に俺と関わろうとしてくれた。
そんなドロテアさんが無言のままずっとカップに注がれた紅茶を眺めている。
彼女の心の傷がどれだけ程か、完全に性被害者の様子だった。
ドロテアさんを追い込んだのが自分だと思うと途轍もない罪悪感が襲って来る。
やっぱ無理か、無理なのか。
一番穏便に解決法だと思ったのが甘かった、保身を謀った自分の姑息さが嫌になる。
なら俺に出来るのは誠心誠意で謝る以外に無い。
ドロテアさんに近寄ると身震いをされた、よほど俺が怖いんだろう。
そのまま跪いて額を床を擦りつける、こうやってひたすら謝る。
「申し訳ありません。ドロテアさんに怨まれても当然です。父から継ぐ男爵位は固辞します。罪人として裁かれる事を望んでいます。慰謝料も生涯を費やして全額お支払いします」
他に何か条件は無いか?
必死に考えるが俺に思いつくのはこの程度しかない。
伯爵家がどれだけ吹っ掛けてきてもリオン達が責められないよう俺が全ての責任を取るつもりだ。
「……ニックス様、御顔を上げてください」
やっとドロテアさんが返事をしてくれた。
それだけの事が途轍もなく嬉しい。
ドロテアさんの言葉通りに恐る恐る顔を上げると物憂げな表情のドロテアさんが俺を見ている。
やっぱり穏便な解決は無理か。
「ニックス様を責めるつもりはありません。全ては私の我儘が原因ですから」
「……ありがとうございます」
「その上でお聞きします。ニックス様は罪悪感や義務で私と結婚なさるつもりなのでしょうか?」
難しい答えだ。
貴族の結婚は政治の一部で本人同士の気持ちするもんじゃない。
父さんだってゾラと結婚する羽目になったし、リオンも公爵家からの後援の一環としてアンジェリカさんと結婚した。
俺とドロテアさんの婚約にしても王国貴族のいろんな思惑が絡んでる。
貴族にとって恋愛は夢物語に近い。
それでもドロテアさんが本気で俺に惚れてるらしいのは感じていたし、俺自身もこんな美人に惚れられて悪い気はしてなかった。
それも全て今回の件でご破算になったけど。
「ですから、俺なりに考えた上でドロテアさんの望むようにすると考えている訳で……」
「つまり私が結婚を望むから結婚する訳ですか?実家の爵位が上なら貴方は誰とでも婚姻するおつもりでしょうか?」
そう問われると困る。
基本的に貴族同士の婚約は爵位や位階が同じか上の方から打診されて決まる。
バルトファルト男爵家としてはローズブレイド伯爵家に婚約を求められたら拒めない。
爵位を上げれば不可能じゃないけど、俺にリオン程の才能は無いから出世は無理だ。
「私はニックス様をお慕いしております。貴方以外の男に嫁ぐぐらいなら神殿に入って未婚のまま生を終える覚悟は出来てます」
「いや、そこまでしなくても良いじゃないですか。伯爵も必死に止めると思いますよ」
「ならば私を愛してくださいますか?その御覚悟はお持ちでしょうか」
ドロテアさんが物凄い圧力でぐいぐい迫る。
逃げられない、正直ドロテアさんが怖いと思う。
同時にこの人に惹かれてる自分が居る。
この人を逃がしたらどんな美女に迫られても独身で過ごすという確信があった。
「正妻にしてくださいとは申しません、ニックス様が私を愛してくださるなら妾でも構いません。愛してくださらないのなら妻の座など意味が無いのです。貴方に愛されないまま側に居るなら婚約解消を望みます」
「どうしてそこまで?」
「分かりません、自分でも分からないのです。本気でニックス様を愛しています。ニックス様に愛していただけないなら生に執着すらありません」
ドロテアさんが俺に目線を合わせるように椅子から降りる。
その瞳が涙で潤んでいた。
「年上の女は嫌いですか?しつこく迫るのが無理でしたら遠くから見守る事だけをお許しください。貴方の望む女になります。お願いします、どうか私を愛してください」
必死に頼み込むドロテアさんは憐れさすら感じられる。
このまま放置したら本気で命を絶ちかねない危うさがあった。
どうすれば彼女が安心できるか必死に考える。
考えて考えて考えた結果、そっとドロテアさんの体に腕を這わせた。
ドロテアさんは体を震わせたけど拒まなかった。
そのまま抱き締めて引き寄せると顔を赤く染めて上目遣いでこっちを見る。
二歳年上の色っぽいお姉さんがずっと年下の少女に見えた。
俺への執着に対する恐怖や伯爵家との関係なんてどうでも良い。
ただ彼女の悲しみを癒したくて唇を重ねた。
ドロテアさんの体から力が抜けていく。
どれだけキスをしていただろう。
十秒? 三十秒? もっとかもしれない。
満足して唇を離したがドロテアさんの反応が無い。
「ドロテアさん?」
ドロテアさんはぐったりとして動かなかった。
何度揺すっても反応しない、喉に触れて呼吸を脈を確認。
慌てて扉を開けると金髪を巻いた髪型の女性が扉のすぐ近くに立っていた。
「な、いったい何事ですの!?」
「医者を呼んでください!ドロテアさんが気を失った!」
結局、この日は深夜まで問い詰められて宿に泊まる事になった。
屋敷に戻った翌朝、心配した両親に伝えたのは俺とドロテアさんの結婚が決まったという事実。
屋敷の皆が祝ってくれたけど俺を見る母さんの目は少し冷ややかだった。
リオンvsユリウスの決闘は今章で終了です。
原作小説12巻と違い今作の殴り合いはユリウスと親しくなる為の通過儀礼であり、漸くリオンと五馬鹿が親しくなりました。(タイマン張ったらダチ理論
結果は原作でルクシオンやドーピング抜きで競い合ったらこの程度の差があるのでは?という私なりの推察です。(モブと攻略対象の間にある高い壁
ニックス兄さんとドロテアさんの婚約は癒し
次章は五部エピローグ、夫妻と五馬鹿が中心です。
追記:依頼主様のリクエストで今章の挿絵イラストを阿洛様、アンジェのコスプレイラストをHaerge様に描いていただきました。ありがとうございます。
阿洛様 https://www.pixiv.net/artworks/116056216
Haerge様 https://www.pixiv.net/artworks/116731361
意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。