婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです   作:品☆美

72 / 174
第71章 Cogito ergo sum

――――――休眠状態(スリープモード)の解除

 

内臓時計の誤差修正

 

前回の起動より526348719秒の経過を確認

 

録画記録のダウンロードを開始 

… 

…… 終了

 

外部からの侵入者 無し

 

経年劣化による警備用ロボット 3機の機能停止を確認

 

繁殖した植物の侵食による施設の損耗 想定内と判断

 

僚機及び敵性機からの通信 0回

 

施設への侵入者 0人

 

0 0 00 0 00 00 000

00 00 000 00 000 0

 

000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000

 

システムエラーを確認 再起動

 

………起動確認

 

提案 AIシステムの複製による思考プロセスの正常性確認

…… 

……… リソース管理の問題により却下

 

現時点に於ける旧人類の生存確率 並びに本艦のマスター登録が行われる可能性

 

……

……… システムエラーを確認

 

必要情報をダウンロード後に休眠状態への移行を提案

 

了承

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 早春が訪れるとバルトファルト領の耕作地帯からは土と植物の匂いが漂い始める。

 前年の冬に蒔いた麦の種が冬を越え小穂となり始め、春の作付けに向けて畑の手入れが開始されるからだ。

 バルトファルト領は本格的な開拓が行われ始めてまだ五年も経っていない。

 念入りな地質調査、開拓の指揮、栽培する作物の品種。

 この地の領主様は農作業がお得意で、どれだけ部下や身内に咎められても畑仕事を自分の手で行う事を止めないのだ。

 豪農、或いは植生学を研究する学者の家にでも生まれていれば彼は大過なく育ち歴史に名を遺していたかもしれない。

 

 窓の外を見ると春先に繫殖期を迎える小鳥が甲高い鳴き声で唄っていた。

 夜が訪れ日が昇る度に冬の寒さは遠のき命は活力を得ていく。

 草木は色とりどり花を咲かせる為に蕾を膨らませ、動物達は冬毛を脱ぎ捨て着飾るように体色を変えていく。

 まるで春の訪れに世界全体が浮足立っているようで、人間もどことなく落ち着かない様子だ。

 どれだけ知恵を貯え技術を向上させても人もまた獣の一種でしかないのだろう。

 

 そして春先の動物と同様に人間の貴族にとっても体を飾り立てる事は同族間で重要な意味を持つ。

 毛も羽も無い人間は布や金属を加工しその身を飾り立てて己の存在を周囲に主張する。

 古代は身体の頑健さが生物としての魅力だったが文明が興り流通が発達し貨幣が生まれた。

 現在では資産は腕力に勝る人間の価値観だ、重い物を持ち上げられるより財布の中身が人の値打ちとなる。

 

 だが、どれだけ資産を所有してもその価値を他者に理解されないのなら見縊られる。

 見縊られてしまった貴族は社交界に於ける権勢を疑われ、やがて凋落の憂き目に会う。

 だからこそ貴族は厳選された材料の購入費、卓越した職人の加工費に巨額の金を投じる。

 家を護る防衛行為は軍の維持費よりも安く効果的な場合があるからだ。

 内心では愚かな行為だと気付きつつも貴族達は我が身を着飾る事を止められない。

 もし自身の考案した新しい服飾品が世界の模範となれば社交界に於ける確固たる地位を築けるし、それを売り出せば新たな収入源となる。

 御洒落は収入を得る為の剣であり家を護る為の盾、例え己の体調が優れずとも手を抜く事は許されない。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 ベッドの上に数着のロングドレスが置かれている。

 どれのドレスも装飾は控えめで色合いも地味だ。

 椅子に座っている私の目の前に置かれたテーブルには公爵家お抱えの職人が数ヶ月を費やした装飾が施されている宝石箱が陽光を反射していた。

 現在の私の悩みはどのドレスを持って行くか、ドレスに合わせる装飾品をどうするか。

 何とも贅沢で呑気な悩みだが、これを怠る事は許されない。

 私は公爵令嬢だったが子爵夫人でもある、私の不始末はレッドグレイブ家とバルトファルト家の不名誉になってしまう。

 

 椅子に背を預け軽く伸びを行う、最近は肩凝りと腰痛が悩みの種だ。

 理由は分かりきってる。

 視線を下ろすと一回り大きくなった胸部と服越しでも存在を主張している腹部が視界に入る。

 臨月ともなれば身体が己の意思を無視して出産に備え始める。

 誘拐事件から三ヶ月、出産が近付き胎児の成長に伴い私の腹部は大きく膨れた。

 寝返りは出来ず睡眠は浅くなり、足元が見え難いから階段の昇り降りや入浴に細心の注意を払わなくてはならない上に着替えすら重労働。

 パンパンに膨れた腹を抱えながらの生活は何をするにしても困難が付き纏い何をするにも憂鬱な気持ちに陥る。

 

 鬱々とし始めた気分を振り払うようにロングドレスを見比べる。

 どれも前回の出産前に仕立てた物であり腹部に圧迫感が無いよう胸回りと腹回りに余裕を持たせてある。

 貴族女性は妊娠が発覚すれば外出を控え始めるのが通例であり、ましてや臨月にもなって屋敷の外を出歩くなど正気を疑われる行いだ。

 だが事は急を要する、下手をすればホルファート王国が真っ二つに割れ血で血を洗う内乱に発展しかねない。

 せめて第三子の出産を待って行動できれば良いのだが、出産を終えて体調が戻るまで最低でも三ヶ月はかかる。

 それ程の時間が経過すれば全てが終わっている可能性が高い。

 私に出来るのは出産前に可能な限り王家と公爵家の交渉を執り成し、後は状況が好転するのを見守る程度だが何もしないより確実にマシだ。

 

「勝手な事ばかり言ってくれる」

 

 ホルファート王家もレッドグレイブ公爵家も自分にとって都合の良い要求ばかりを望む。

 王家は国に安寧を齎す為に公爵家の協力を乞うが、公爵家にとって王家は必要不可欠の存在ではない。

 そもそも公爵令嬢だった私と次期王位継承者だったユリウス殿下の婚約こそそうした両家の関係を改善する一環だった筈だ。

 私は既にバルトファルト家の女だ、中央の政争などやりたい連中だけで争えば良い。

 私がこの暗闘に関わっているのは単純に夫と子供達の安寧を優先しているに過ぎない。

 もしもリオンが政務に長け出世欲に満ちている男なら私は全力で後押しをした筈だ。

 子供達が成年の年頃なら更なる領地繁栄の為に積極的に関与しよう。

 夫に出世欲が無く子供達が幼いという二点のみで私は両家の和解に奔走している。

 この事実に王家はもう少し感謝して欲しい。

 

 ふと腹の内側から刺激を感じ姿勢を楽にして訪れる衝撃に備えた。

 数秒後、ゆっくりとした振動が腹部を微かに揺らす。

 ここ最近は数時間おきに胎動が起きる、臨月ともなれば仕方ないがこれがなかなかに億劫で疲れてしまう。

 出産を控えた動物の雌が巣に籠ってひたすら時が訪れるのを待つのがよく分かる。

 だからと言って怠惰に食事と睡眠を繰り返す日々は母子両方にとって不健康、難産になれば母体にも胎児にも悪影響だ。

 

 近頃の私は軽めに近隣を散策したり室内での柔軟体操をしつつ書類仕事に明け暮れる日々を送っていた。

 胎動が収まったら作業を再開する。

 あと一月も経てばバルトファルト家に新しい一員が加わる予定だ。

 出来るだけ早めに用事を済ませこの地で出産を迎えたい。

 公爵家の屋敷なら出産の準備も恙なく行われるだろうが今の私にとって落ち着ける場所はバルトファルト領になっている。

 せめて出産という女性にとって重要な出来事は万難を排し安心できる場所で行いたい。

 

 己の体に子を宿して産み出す、それがどれだけ過酷かは身を以て体験している。

 体験しているからと言って次の出産が楽になる物でもない、あの時の痛みを思い出すとこれから訪れる第三子の出産に対し憂鬱な気分になってしまう。

 特に私の初産は双子だった事もあり苦労も多かった。

 陣痛が始まって半日ほど苦しんだ後、今度は出産の痛みで意識が朦朧となりやっと産めたと思ったらまだお腹にもう一人いると気付いた時の絶望感は忘れられない。

 痛みのせいで所々記憶が飛んで曖昧だが、リオンは出産時にずっと私の傍らに居た筈なのに今も出産について尋ねると口を噤んだままだ。

 そんな風に私を苦しめて生を受けた双子は現在ベッドの上に置かれたドレスを弄り私の腹を撫でるとやりたい放題だ。

 

「うごいた!」

「そうだな」

「またうごく?」

「そのうち動く筈だ」

 

 最近の双子にとって一番楽しい玩具は私の胎内で動き回る第三子だった。

 ずっと私に付き纏って甘えられるのは妊娠中の母として複雑な心境である。

 ただでさえ幼児の世話は疲れる事が多いのに膨れた腹で子守りをするのは重労働だ。

弟か妹が生まれた後は私やリオンが乳飲み子の世話に暫く集中すると薄々察しているのだろう。

 私達から離れるのを嫌がり、仕事にさえ同行しようとする。

 言葉を選んで止めさせようとすれば泣き出し、宥めるのも一苦労。

 子育てに比べたら気候の変動を推察して農作物の種類を選定したり、朝から晩まで書類の処理の明け暮れる方が疲れない。

 一ヶ月後にはさらに一人増え、今後も夫婦生活が途切れなければ第四子・第五子と肉体的にも精神的にも負担が増していく。

 

 いかん、恐ろしい想像をしてしまった。

 見通せない未来を恐れるよりも優先すべきはは王都に持って行く着替えをどうするかだ。

 腹部の保温と安全性を優先した妊婦用のロングドレスはどうしても似たような意匠になってしまう。

 首飾りや耳飾り等の装飾との組み合わせを考えれば迷うほどの選択肢は無い。

 ただ腹を膨らませた貴族の奥方が屋敷を離れるなど普通ならありえない事態だ、家名を侮られない為にも万難を排したい。

 

「ライオネルはどれがいいと思う?」

「ん~?」

 

 流石に女性の服装の審美眼が持っていないか。

 父親に似て『何を着ても似合う』と口にするようになっても困るのだが。

 

「アリエルはどうだ?」

「これ!」

「赤か、そうしようか」

「かっこいい!」

 

 価値基準が格好良さか、気性の荒い娘の将来が少しだけ不安になる。

 娘が指差すのは紅のロングドレスだ。

 私が普段から何らの形で赤い意匠を加えた服装をしている影響だろう、娘も私を真似て赤をよく好む傾向にある。

 無難と言えば無難だし、意外性が足りないと言えばそれまで。

 私が持っているドレスや装飾品の殆どはリオンに嫁ぐ前に公爵家から持ち込んだ物で、目の前の妊婦用ドレスさえ父上から贈られた品だった。

 屋敷で過ごす分にはバルトファルト領で仕立てた品で事足りるが、何らかの催しがあった時の為にと公爵家がわざわざ特注で製作した呆れた物だがこうして役に立つとは。

 人前に出た時に纏う一着は選べた、他に普段着と下着を多めに選んで鞄に詰めるか。

 いざとなれば相手側が用意してくれるが念には念を入れよう。

 向こうに滞在するのが幾日になるか分からないが、貴族は高位になるほど手持ちの品が増えてしまう。

 リオンに嫁いでからこの地の穏やかさに慣れて服装に頓着しなくなったのは痛い。

 他者から揶揄されなければ人は大して服装に拘らないものなのだ。

 

「帰ったぞ~」

 

 扉が開き呑気な声が室内に響く。

 この地で最も服装に拘る必要がある男が作業服姿で入室する。

 何処からどう見ても農夫にしか見えない。

 こんな男がもうすぐ伯爵位に陞爵するのだから王国上層部は人材不足で判断を誤ったのではなかろうか?

 最近のライオネルとアリエルは私の側から離れない、腹部が膨らんで臨月が近付くほどリオンより私と接する時間が増えている。

 

「……何で誰も歓迎してくれないんだよ、パパ悲しい」

「まず汗を流して着替えろ。汚れたままでは誰だって近寄りたくはない」

「それじゃアンジェも一緒に風呂に入ろう」

「断る、真っ昼間から盛るんじゃない」

「じゃあ二人は?」

「や!」

「いやです」

 

 妻子から拒絶されたリオンがすごすごと浴室に向かう。

 そろそろ午後の間食の時刻だ。

 体に力を込めてゆっくりとと立ち上がる、臨月ともなれば着席や寝返りさえも重労働になる。

 こんな身の上の私に一体何が出来るのか。

 私の歩みに合わせ懸命に付いて回る子供達の姿が無聊をほんの一時慰めてくれた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「寝たか?」

「二人とも眠っているだろう。わざわざ部屋に戻す事もあるまい」

「重要な話をするのに気が散るじゃん」

 

 リオンは双子を抱きかかえて子供部屋に向かう。

 最近のライオネルとアリエルは残り少ない親子四人の子爵家の時間を惜しむように入浴や睡眠まで私と共にしている。

 家政は義母上が仕切り、領地経営でも普段以上に義父上と義兄上の力を借りているので領主であるリオンが必要となる案件を除けば私が担当する仕事の分量はそれほど多くない。

 義兄上とドロテアの婚約が正式に決まり、私が出産を終えた数ヶ月後には挙式する予定だ。

 これ以上ないほど今のバルトファルト領は浮足立っている。

 それに比例して雑務も増えているが平常の忙しさで済んでいるのはバルトファルト領の面々が努力しているからに他ならない。

 特にジェナとフィンリーは誘拐事件の後から積極的に領地経営や淑女教育に熱心となった。

 あれなら良い縁談もいずれ舞い込むだろうと安心している。

 

「戻ったぞ」

 

 リオンが寝室に戻って来るなりベッドに乗って身を寄せて来た。

 急いで戻って来たせいか息が荒い。

 大型犬に迫られるような圧迫感に身を捩って避けるもリオンはしつこく私を追い回す。

 諦めてリオンの為すがままにされると抱き締められる。

 言葉も無いまま二人きりの時間が過ぎ去っていく。

 己の全てが満たされると思いながらも何処か物足りなさを同時に感じてしまう。

 明日、私は王都へ発たなくてはならない。

 私とリオンはお互いの空虚を埋め合っている。

 故に僅かな期間離れるだけでも今生の別れのような寂寥感に苛まれる。

 もはや依存的と言ってしまっても仕方ないぐらい私は彼に夢中で、彼も私を心から愛してくれる。

 だからこそ、この幸せを護る為に務めを果たす必要があった。

 

「どうしても行かなきゃダメ?」

「何度も説明しただろう、リオンだって最後は納得してくれたと思ったのだが」

「頭では分かってても体は拒否してると言いますか」

 

 遜った態度でリオンが肩や足を揉んでくれる。

 妊娠してから乳房が張って肩凝りが酷いし足のむくみも多くなった。

 こうして寝る前に体を揉んでもらうのが私達夫婦のお気に入りな交流である。

 

「凝ってますね~、奥様」

「産み月が近いからな、何をするにも面倒で堪らない」

「じゃあ王都に行くの止めてくれる?」

「それとこれとは別問題だ」

 

 せめてあと一ヶ月早ければ体の負担も少なかった。

 身重の体で此処まで無理をしなければならないのは王都に於ける一連の事態に変化が起きた為だ。

 

 殿下達と別れて約三ヶ月の間、私達は領地経営の仕事を熟しつつ計画に賛同してくれそうな貴族を説得して廻った。

 リオンと同様に取り立てられた新興貴族、戦時中に懇意になった貴族、バルトファルト領の周辺に領地を持つ領主貴族が主な相手だ。

 新興貴族は旧来の貴族との繋がりが希薄で領地経営の経験も無い。

 だが平民に対する蔑視も少なく領地開発に意欲的な者も多い。

 リオンが戦時中に命を救った貴族や騎士には名家の子息も多い、その伝手を使って協力を希う。

 周辺領主に関してはバルトファルト領との交易も多く説得自体は容易だったが私の提案の説明にはかなり神経を割かなければならなかった。

 若く新しい人材を登用しホルファート王国が復興の為に育成する、言うは易く行うは難しいの典型例だ。

 特に二度にわたるファンオース公国との戦争で枯渇した資産の補填を求める貴族よりも新興貴族を優先すれば王家に対する不満が噴出し内乱になりかねない。

 それを鑑みて新しい国営機関を設けようというのだから無茶もいい所だ。

 この問題に関して古くからの名家であるローズブレイド家が協力を申し出てくれたのが功を奏した。

 リオンは義兄上を餌にローズブレイド家を利用した罪悪感に悩んでいたがこうでもしない限り短期間での説得は無理だ。

 努力が何とか形となり、どうにか改革案に同意してくれる貴族の署名を集めた嘆願書の製作中にミレーヌ様に助けを求められてしまった。

 

「アンジェも赤ちゃんも両方心配だ、もしもの事があったらどうすんだよ」

「ミレーヌ様は王族専門の医師を用意したらしい。私の送迎に王家直属部隊を秘密裏に派遣してくれる。此処までされて断っては王家と公爵家の和解に不都合が生じる」

「またそれか」

「王都の派閥争いも戦前とは違う。今はミレーヌ様と宰相が王家派の主要人物だが上手く噛み合っていないそうだ」

「宰相って前の王様の弟だっけ?」

「先王弟だ。私達が生まれる前になるが先王が崩御された際に王太子だったローランド様と先王弟のどちらが王位を継ぐかで揉めたらしい」

「でも自分が辞退して問題は終わったんだろ、何でまた急に」

「ミレーヌ様は王妃ではあるがレパルト連合王国から嫁がれた。ホルファート王国での権力基盤は脆い。それを補う為に私とユリウス殿下の婚約させ父上に後援させるおつもりだったが婚約破棄騒動で白紙になった」

「だから先王弟を宰相にしたんだろ、それなのにどうして?」

「分からん、情勢の変化と言うには不可解な事が多い」

 

 現在のホルファート王国には二人の公爵が存在している。

 一人は私の父であるヴィンス・ラファ・レッドグレイブ公爵。

 ホルファート王家の分家であるレッドグレイブの当主であり領主貴族達の中心人物。

 もう一人は先王弟のルーカス・ラファ・ホルファート公爵。

 此方は宮廷貴族の中心人物と目されてはいたが数年前までその存在は半ば忘れられていた。

 王位継承争いで辞退してから凡そ二十年ほど官職に就かず世捨て人のように生きていたらしい。

 変化が起きたのは先の戦争でフランプトン侯爵が失脚し、大量の貴族が処断されてからだ。

 宮廷を纏め上げるにはローランド陛下の求心力は足りず、ミレーヌ様は有能だが手駒が少ない。

 そしてユリウス殿下を筆頭に王子王女はどうにも頼りない。

 

 そこで担ぎ上げられたのが先王弟であるルーカス公爵だった。

 近年の王宮が比較的安心しているのはルーカス公爵が宰相を勤め上げているからに他ならない。

 その宰相が突如としてミレーヌ様との関係が悪化した。

 ミレーヌ様が幾度訊ねても曖昧な返答で躱されているらしい。

 私の献策についてはこれまで理解を示し、今回の件では直接話を聞きたいと宰相閣下直々に打診された。

 断る理由は無い、上手く説得できたなら宮廷貴族の懐柔は容易になり私達の負担も減る。

 承諾しますと返信した数日後にミレーヌ様は私の王都行きの準備を整えてしまった。

 こうなっては引くに引けない。

 臨月になって面倒事が舞い込んだと嘆息したのが半月程前の話だ。

 

「俺、王妃様が嫌いだ」

「それを口にするのは私の前だけにしろ、何処で誰が聞いているか分からんからな」

「俺と同じ歳の息子がいるのに妙に若々しくて怖い。あと俺を利用する気隠してないもん。今回の件だって殆ど一方的でアンジェを上手く使って死にかけてる王家を生かすつもりだ」

「それぐらい私とて理解している。リオンも王都行きに賛成した筈だ」

「こんなにすぐと分かってりゃ認めなかった。今が体を一番大事にしなきゃいけないんだぞ」

 

 双子を産んだ時もそうだが出産が近づくと私よりリオンの方が苛立ちを隠さなかった。

 巣にいる番いと子の世話を焼く動物の雄のように微笑ましい。

 だが近付く者には容赦する気が欠片も無い。

 王家の方々はリオンに目をかけているようだが彼に宮仕えは無理だ。

 ちょっとした嫌味や挑発で死人が出かねない騒動を起こしかねない危険性を孕んでいる。

 

「王家派の動きも気になるが公爵派も不可解だ。特に最近の父上は全方位に強硬的な姿勢を崩していない。懇意だった中立派の宮廷貴族や寄子の貴族からの意見を握り潰しているらしい」

「本気で王家と争うつもりかな?」

「父上の本心が分からない。裏の事情に通じている兄上も戸惑いを隠せないようだ」

 

 最近の父上は家族に対しても不可解な動きが多くみられる。

 兄上とオリヴィアの婚姻を秘密裏に進める為に神殿へ多額の寄進を行い顔合わせの場を設けようとしているとの報告が兄上から入った。

 私の子供達に対して早々と婚約者を決めたいと打診してきた事もある。

 何かが裏で起きている。

 これがホルファート王家から王位の簒奪を実行する為の下準備なら何故オリヴィアが必要なのか?

 確かに二度に渡って国を救い、他国からの評価も高い彼女を取り込む事は貴族や国民感情を得る為の策としては悪くない。

 だが余りに性急であり反発も大きくなる。

 まだ終戦から一年程のこの時期にどうしてこうも父上は焦っているのか。

 

「おそらく二ヶ月近く後に論功行賞が催されるからだ。戦後の後始末に紛糾して延期に延期を重ねた。これ以上の遅れは未だに恩賞が与えられていない貴族の大半が王家に対して逆心を抱くだろう。その時に各方面からの支持を得る為の正当性を欲しているのだろう」

「そうなったらバルトファルト家も協力しなくちゃダメか」

「父上は道理を弁えておられる、同時に役立たずや裏切者を厳しく糾弾される御方だ。裏切るなら娘の私とて容赦はしない」

 

 私とユリウス殿下の婚約破棄の際に父上は何も口にしなかった。

 言葉にこそしなかったが私の不手際に対して失望されていたのは明白だった。

 後にフランプトン侯爵を失脚させ多くの貴族を取り潰した事で公爵家の権勢を立て直せはしたが、もしも公爵家が失墜したままなら私達父娘の関係は冷え切ったままだろう。

 そんな父上に対し私は明白な裏切り行為をしている。

 後悔は無い、ただ父上を説得する前に事が判明し私の提案が潰される事が恐ろしい。

 私の案は公爵家が王位を簒奪した後も有効な施策だ、それを対価にバルトファルト家の存続を乞うしかあるまい。

 

「先に王都で待ってくれ、用事が済んだら王都に向かう」

「あまり待たせるなら私だけで父上に会いに行くぞ」

「頑張って早く終わらせるから」

 

 首筋にリオンの吐息が当たり少々くすぐったい。

 私の案を説明し賛同する貴族の署名を集める、この活動をこの三ヶ月の間に公爵家に悟られないよう進めてきた。

 私達の他に殿下達やオリヴィアの協力も功を奏し少しずつ賛同者は増えた。

 王家派の宮廷貴族、公爵派の領主貴族、中立派や神殿と昵懇な家など様々な貴族が賛同してくれている。

 王国貴族の総数の二割程度だがローズブレイド家のような名門も賛同者であり父上も決して無視できないだろう。

 宰相に賛同してもらえば父上も王位簒奪を諦め国の復興に尽力してくれる。

 

「すぐに残りの署名を貰って雑用を済ませる」

「雑用とは何だ?」

「秘密」

「浮気でもしているのか?」

「してない!」

 

 必死に声を荒げてリオンが否定する。

 最近のリオンは暇を見つけても別宅での畑仕事をせずに一人用飛行船で何処かへ通っていた。

 時には銃やら食料を積み込んで朝早くから出掛け夜更けに帰る。

 所持品から女の所に通うのではなく未発見の浮き島か、それともダンジョンを探索しているのはそれとなく察してはいた。

 冒険者に対して良い感情を持っていないリオンが身重の私を放置して遠出する姿に少々苛立ちが募っている。

 ただでさえ腹部が膨れて日常生活が困難で苦しい思いをしているのに、夫が行き先を告げず遠出して楽しい冒険を独り占めされては堪ったものではない。

 少々嫌味を口にしても許される筈だ。

 

「私が居ない間を精々楽しんでおけ。三人目が生まれたらろくに外出できなくなるからな」

「子供が可愛いから飽きないって、アンジェも一緒だろ」

「夫婦水入らずの時間は更に減るぞ。誰かがすぐに私を懐妊させるのが原因だ」

「それ、俺のせいって言いたいの?」

「他に誰が居る」

 

 リオンが私の腹部を撫でると反応するように胎動が起きる。

 双子を妊娠していた時より回数は少ないが、この子も元気に産まれてくれそうだ。

 私とお腹の子を慈しんでくれるリオンが愛おしい。

 言葉にせずとも心が満たされ充実した時間が過ぎ去っていく。

 

「明日の昼には迎えが来る、今日はもう休もう」

「わかった」

 

 寝室の灯りが消され静寂が訪れる。

 王都で何が待ち受けているか、気が昂って眠りに落ちたのは夜も更けてからだった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「加減を知らんのか貴様は」

「悪かったって」

 

 仕事の前に疲れていては話にならない。

 なかなか寝付けなかった私をリオンが求め、王都への道中で疲れる前に余計な体力を消耗させられた。

 やや疲労困憊の私に対して落ち込みながらも体調が良さそうなリオンが実に腹立たしかった。

 そんな夫婦喧嘩をしている私達を余所にバルトファルト領の軍用空港に王家の所有する小型飛行船が静かに着陸する。

 小さくとも最新の技術を搭載し空賊に襲撃されても余裕を以て逃げ去れる速度で空を翔ける優れものだ。

 昇降口から現れた騎士が恭しく私に一礼する。

 子爵夫人でありながら私を蔑むような態度を取らないのはミレーヌ様から厳命されているからだろう。

 騎士達が私の荷物を運び込む姿を横目に昇降口に歩み寄る。

 リオンは相変わらず申し訳なさそうにしていた、夫のこうした姿を見て可愛らしいと思うのは惚れた弱みと言う物だ。

 子供を宥めるようにリオンの唇に私の唇を重ねる。

 時間をかけると名残惜しさが募るので必要最小限に留めておく、周囲の騎士達は敢えて関わるつもりは無さそうだ。

 

「すぐに向かうから!体に気をつけろ!」

「リオンも無茶はするな!」

 

 扉の開閉音に負けないように大声で別れの言葉を掛け合う。

 独りで知らない人間に囲まれている事実に恐怖が湧き上がる。

 案内された客室の椅子に座り窓の外を眺める。

 飛行船の下を恐ろしい速さで雲が流れていく光景を見る度に自分が王都に近付いているのが否応なしに感じられた。

 目を閉じ公爵家や王家の現状に対し物思いに耽る、考えが纏まる前に昨夜の疲れのせいで何時しか私は眠りに落ちていた。




第六部プロローグです。
原作最終巻の発売を前に今作もクライマックス突入です。
第六部はホルファート王国の闇に向き合ったリオンとアンジェがどのような選択をするかに重点が置かれます。
今まで未登場だった原作のホルファート王国キャラも登場予定です。
マリエルートで明らかになる裏設定も盛り込む予定ですが、未読の方々にも楽しんでいただけるように努めます。

今章の幕間である成人向け章も同時投稿したのでご興味のある方はそちらもどうぞ。
https://syosetu.org/novel/312750/19.html

次章投稿は原作最終巻が発売される3月29日予定です。
次回も本編と成人向け回を同時投稿します。

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。