婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです 作:品☆美
あぁ。
またこの光景か。
あの出来事を幾度となく夢に見てきた。
心と体に遺る傷痕がその者の歩んできた時を示す道標と言うのならば、この光景も分かち難い私の人生の一部なのだろう。
正直に言えば、私はもうこの夢に飽き飽きしている。
どれだけ夢と分かっていても自分の人生で最も傷付いた光景を繰り返し見るほど私は被虐的な願望を持っている筈は無い。
婚約者に捨てられた絶望、私を見て嗤う者達への憤怒、何より目の前の者達に対する憎悪。
そのどれもが忘れがたい記憶だ。
私が気に入らないのならそれで構わない。
正当な理由による婚約破棄の手続きを行うというのなら応じるつもりさえあった。
私は弁明の機会さえ与えられず一方的に悪女と断じられる状況を決して認められないだけだ。
この世に生まれて落ち十五年、物心ついたその時から『レッドグレイブ公爵令嬢』『王子の婚約者』『次期王妃』という肩書を背負って生きてきた。
私自身が望んでなった訳ではない。
公爵家の娘として生まれ、政治的な理由から婚約しただけだ。
それでも周囲の期待に報いようと必死に努力し続けてきた。
努力した者の全員が報われるとは限らない、この世の無情はよく分かっているつもりだった。
だが王妃となる以外の道を私は与えられていなかった。
泣き言を許されず良き王妃と為るべく誠心誠意励んできた仕打ちがコレか?
私の怒りは正当な物だ。
損害賠償を請求して当然あり、ホルファート王家に対し弓引いてもおかしくはない理由だ。
だから手袋を投げつけた。
こんな無法が罷り通れば権力のある者の庇護を受ければあらゆる非道が肯定される。
そんな世が赦されて良い筈があるまい、何より私の尊厳を踏みにじった者達を細切れにしてやりたい。
怒りが次から次へと腹の底から湧いてくる。
だが、私に賛同する者は存在しない。
王家の威光に委縮して殿下の非道を見過ごす、或いは他人の不幸を嘲笑う者ばかり。
これが王国貴族の現状だとは、こんな奴らしか私の周りには居ないのか。
腐りきったこの国の貴族を統べる為に寝る間も惜しんで努力してきた己が道化と言う他ない。
それなら最期まで足掻いてやる、例え公爵家から見限られても私は私の道を突き進んでやる。
『はい、は~い! 俺が決闘の代理人に立候補しま~す!』
どこか間の抜けた声が周囲に響く、その声の主を私はよく知っていた。
何故?
どうして彼が此処に居る?
振り返るとよく見知った男が佇んでいた。
おかしい、全てがおかしい。
リオン・フォウ・バルトファルト、本人なのは間違いない筈なのに。
だが違うのだ、
私が知っているリオン・フォウ・バルトファルトは決して明朗な男ではない。
鬱々とした暗い表情で世を睥睨しているような部分がある男だ。
少なくても私が出会った時の彼はそんな人物だった。
戦争で負った心と体の痛みに苛まれ、生きる事すら半ば放棄していた世捨て人。
だが、彼は義理人情に厚く愚痴を零しながらも世の不条理に憤る優しい男でもあった。
目の前の
口が上手く殿下と他の四人を口先で丸め込む姿は私の知る彼とは似て非なる者だ。
そこまで気付いて漸くこの場所の違和感に気付く。
確かに場所こそ私と殿下が争ったあのパーティー会場だ。
だが中心人物が異なる。
五人に囲まれる女性は私の記憶にある女ではなかった。
オリヴィアより体躯の小さな少女と私は面識がある。
少なくとも彼女は私に対して好意とは言えないまでも最低限の敬意を持ってくれた。
殿下達の陰に隠れて私を嘲るような視線で見つめる女ではなかった。
視線を
私と出会った頃のリオンより雰囲気が幼く、最低限度の貴族らしさを感じる立ち振る舞いを熟している。
リオンは実家の事情で学園に通っていない。
私が殿下と決闘を行った頃のリオンは王国軍に入隊し軍務に勤しんでいた筈だ。
何より特徴の一つである顔の傷痕が無い、否応なしに見る者を目を惹いてしまうリオンの外見的特徴の一つが
学生服を着て傷痕の無い
それは分かっている、分かっている筈なのに、
『アンジェリカさん、ほら、はやく認めないと』
『え、あ……』
『ほら、認める。それだけ言えば万事解決ですって』
『み、認め……る』
役者を変えた劇を鑑賞しているような猛烈な違和感。
話の大まかな筋書きは同じなのに何かが違う。
夢だと分かっているのに見る事を止められない、映像が延々と一方的に流れ続ける。
『決闘しようぜ王子様、せいぜい大事な恋人との別れを済ませておくんだな』
殿下にそう告げる声はやはり私の知る彼と同じだった。
冠を戴く
他国の侵略を退け功績を上げ続けた彼は英雄と讃えられる。
ファンオース公国を退け、アルゼル共和国の内乱を鎮め、ラーシェル神聖王国を平らげ、ついにはヴォルデノワ神聖魔法帝国すら傘下に収めた。
戦神の化身とさえ讃えられる若き英雄王。
それが
レッドグレイブ公爵家という後ろ盾を得た
遂に王妃と為った私もまた彼の栄光の一部だった。
今の私はとても幸せだ、この
そう思いながらも、
確かに
球体のロストアイテムの助力があるとはいえ
万人に質問すればほぼ全員が
だが私は違う。
私の夫は王ではない。
彼は成り上がり者で、辺境の領主貴族で、覇道よりも農作業が似合う男。
それが私の知るリオン・フォウ・バルトファルトだ。
私の夫はそんな男なのだ、断じて若き英雄王ではない。
何より不快なのは
聖樹の巫女、元王妃、ファンオース公国の公女、宮廷貴族と領主貴族の伯爵令嬢、アルゼル共和国の公爵令嬢。
それが不満だった。
私の夫と同じ顔をした
それでも
そんな事情もあって今日も
夜も遅くなって
これがこの夢で最も癇に障る箇所だ。
どうして
オリヴィアが
しかもやたら
私は殿下との婚約破棄の原因になったオリヴィアに対して謝罪は受け入れたが積極的に仲良くしたいとは思っていない!
そもそも私は両性愛者じゃない!
互いの体を愛撫する
妙に気持ち良いのが逆に怖い、このまま変な性的嗜好に目覚めそうだ。
『止めろぉォォッ!!?』
私の悲鳴は誰にも聞かれる事は無かった。
「ご起床の時間でございます、バルトファルト子爵夫人」
「……分かりました」
ドアをノックする音と起床を促す声が聞こえ漸く悪夢から解放された。
体を起こして室内を見渡すと白い壁が目に入ってきた。
白磁の陶器を思わせる幾度も見た筈の壁、この部屋の建材と調度品だけでバルトファルト家の屋敷が賄える程の豪華さだ。
此処はホルファート王国宮殿の最奥、後宮の隅に存在する来客用の一室。
嘗てはこの後宮が私の終の棲家になると考え足繫く通ったものだ。
あの頃の私は王国の威光の象徴である宮殿は何者にも侵されない絶対不可侵の領域と思っていた。
それが今、宮殿の壁がくすんだ白色に見えてしまうのはバルトファルト領の環境に慣れ親しんだだけでない。
嘗て私が後宮に通い詰めていた頃よりも明らかに後宮で働いている人員が減っていた。
後宮は王とその妻子のみが在住する場所だ、故に雑事を熟す使用人にさえ確かな身元保証人が必要となる。
後宮に勤める侍女の多くは貴族の血筋であり、王のお手付きとなり側室の座を狙う者が溢れていた。
私がユリウス殿下の婚約者の頃から不埒な考えを持つ不埒な女が其処彼処に居たのだ。
そんな宮廷雀が今は見る影も無い、今の後宮に努めている者は謹厳実直に仕事に努めている。
おそらくフランプトン侯爵の裏切りとファンオース公国との戦争に勝った後で行われた粛清に加え戦費の捻出に大量の人員削減が行われた影響だろう。
何せ王の側室とてフランプトン侯爵との繋がりが確認された瞬間に情け容赦なく処断されたのだ。
フランプトン侯爵の派閥と少しでも関わりがあった側室は極刑こそ免れたが実家に出戻り、産まれた王子の地位は引き下げられたか臣籍降下の処置が取られた。
嘗ては権謀術数が蠢く女の園と言われた後宮も今は閑散としていた、そのお陰で私の来訪が誤魔化せるのは何とも皮肉な話だった。
侍女の手助けを借りて着替えを済ませ、後宮で最も権威ある御方が住まう部屋に案内される。
幾度も通った部屋なので案内は必要ないのだがこれも形式だ。
煩雑な手続きや形式を面倒臭いと考える自分がどうにもおかしい。
王都に住まい公爵令嬢として暮らしていた頃にはそんな窮屈さを感じた事など無かったのに。
今の私は公爵令嬢でも王子の婚約者でもなくバルトファルト子爵夫人となってしまったのだとある種の感慨さえ湧いてくる。
廊下の角を数回曲がり目的の部屋の前に辿り着く、侍女が面会の手続きを済ませると扉が開いた。
あの御方は寛ぎながら紅茶を堪能していた。
「ミレーヌ妃殿下に於きましてはご機嫌麗しゅう存じます」
「おはようバルトファルト子爵夫人、よく眠れた?」
挨拶を済ませるとミレーヌ様の正面の椅子を引かれたのでゆっくりと座る。
最高級品の椅子は座り心地も素晴らしいのだが落ち着かない、何しろ対面する相手が相手だ。
ふと、夢の中の
下手をすれば正妻の私よりも熱心にミレーヌ様を口説いていた。
不敬にも程があり過ぎる言動であるが故に強烈に脳に焼き付いて離れない。
そもそも私の知るリオンはミレーヌ様を常に警戒し関わりを持ちたくないと断言している。
やはり夢は夢でしかない、無理やり結論付けて正面を見据えた。
「快眠とはいきません。環境が変わると寝付きも悪くなりますから」
「ならせめて食事はちゃんと取らなきゃ。今用意させるわ」
差し出された紅茶を飲んでいる間に軽食が用意される。
テーブルの上にスープ、パン、前菜、主菜、サラダ、デザートが一度に並べられた。
軽食と言うには量も質もしっかりし過ぎている。
これでは成人男性の一食分ほどもある。
あまり食欲が湧かないとはいえ、今の私にとって食事は必要不可欠だ。
何しろ出産を控え太らない程度に二人分の栄養を摂取せねばならない。
とりあえず目に付いた料理から順番に片付けていく。
嘗て口にしていた王族用の料理が天に昇る美味さに感じるのは私の舌が貧しくなった証だろうか?
空になった食器が食器が片付けられ食後の紅茶を飲むと漸く栄養が体に行き渡り落ち着きを取り戻す。
「よく食べたわね。もうすぐ子供が産まれる影響かしら」
「予定日は来月です。その前に面倒事を片付けたいものですから」
「ごめんなさい、どうしても貴女の力が必要なの」
ミレーヌ様の顔色は優れない。
辺境で穏やかに暮らす、王都で王妃として君臨する。
地位の高さは人生が幸福である事と同類項ではない。
夢の中で王妃になった
臨月の重い腹を抱えた私よりもミレーヌ様の方が休息が必要に感じられる。
ホルファート王家の存亡が王妃の心労を深めている。
これが公爵家の復讐だとしたら大した嫌がらせだ。
「人心地ついた所で話を進めましょう。貴方にやって欲しいのは三人の説得よ」
「父上と宰相閣下、他の一人は誰でしょうか?」
「バーナード・フィア・アトリー伯爵よ。大臣を務めている彼をこちら側に引き込みたいの」
バーナード・フィア・アトリー伯爵はアトリー家の現当主であり、長年に渡ってホルファート王国の大臣を務めあげて来たやり手の貴族だ。
宮廷貴族でありながら領主貴族や辺境出身者を差別する事無く、実力を備えた者なら平民の成り上がりにすら目をかける類稀な貴族だった。
公爵位の父上でさえ伯爵に敬意を以て応対していた。
高慢で欲深い宮廷貴族の最期の良心とまで言われ大臣を務めているアトリー伯爵に陰りが差したのは皮肉にも私と同じ理由だった。
娘であるクラリスの婚約者だったジルクがオリヴィアに懸想し、あろう事か一方的に婚約破棄を持ちかけられたのだ。
何しろ王子と公爵令嬢の婚約破棄に続き、名家の子息と大臣の娘の婚約が破談になった異常事態である。
この事件を機に大臣と王家の関係は急速に悪化、伯爵は公爵家と同じように王家に対し不信感を募らせていた父上と積極的に接触を図った。
王家派である宮廷貴族の主要人物が公爵派に寝返ったのだ。
私やクラリスの婚約破棄を嘲笑っていた学園の生徒すら王国の崩壊に繋がりかねないと後になって焦ったほどである。
伯爵は婚約破棄騒動の後も大臣を務めあげつつ王家が主催する祭礼に参加する回数は極端に減っていた筈だ。
「アトリー伯爵は公爵派に転じ聖女を快く思わない反神殿派では?今更王家に味方してくれる可能性は低いかと」
「向うも向こうで事情があるのよ、別に私達が何かを仕掛けた訳じゃないわ。寧ろ仕出かしたのはヴィンス公の方ね」
「父上が?」
「まず公爵家が裏で神殿と繋がり聖女オリヴィアを公爵家に嫁がせようと企てた、娘の婚約が破談となった原因を味方として見れる貴族が多いと思う?」
それは人として当然の感情だろう。
オリヴィアは確かに善人だが政に疎い。
それを体よくフランプトン侯爵に利用されかけ、今度は公爵家が人心を纏める象徴して利用する。
使える物を使うと言えば聞こえは良いが節操が無いとも受け取られる所業だ。
公正な大臣あるアトリー伯爵が同意出来ないのも無理からぬ話だ。
「同時に最近の公爵家は強硬的な姿勢が目立つようになっているの。露骨に自分の派閥を強めようとするヴィンス公に戸惑う貴族も増えて、大臣も公爵派から一定の距離を保ちつつあるわ」
「中立派になりかけてる伯爵を王家派に引きずり込めと?」
「別に王家に与しなくてもかまわないわ。大臣は伯爵家の権勢と同時に国益を考えられる、貴女の提案に関しても軽く説明したら大臣が興味を持ったから話し合いの場に付いてくれたの」
「説得するのが私でよろしいのでしょうか?父上が派閥に引き込もうと私を遣わしていると思われかねません」
「大臣は王国の現状を憂いているわ。極端な話、この国を立て直せるなら主君が王家と公爵家のどちらでも良いと考えてると報告が来てるの」
アトリー伯爵は良識人だが生粋の貴族である。
穏やかな善人が魔窟である宮廷で長年要職を務めあげられる訳がない。
中立派は機を見るに敏でなければ両方の派閥から突き上げを喰らう。
ただの節操無しには到底務まらない。
そんな有能で狡猾な大臣を説得しろと?
流石に無茶が過ぎるのでは。
「明日の夜に伯爵邸で夜会が催されるの。名目は今年の論功行賞に先駆けた祝いの席だけど私も出席する予定よ。貴女には大臣に改革案の説明をお願いするわ」
「上手くいくとは限りません、下手をすれば伯爵の不信感を煽るだけです」
「失敗したならそれでかまわないわ、今の私はどれだけ流血を減らせるかを重要視しているから」
何とも素気ない物言いだった。
ミレーヌ様はホルファート王家の存続にすら固執していないように見える。
まぁ、大分気が楽になったのは事実だ。
失敗を咎められないなら込み入った話を伯爵と出来そうである。
特に父上の近況については不可解な部分が多い。
「宰相については説得では無いわね。どちらかと言えば彼の真意を聞き出したいの」
「ミレーヌ様と宰相閣下は昵懇と聞き及んでいます。何か不仲になる切っ掛けがお有りで?」
「不仲ではないわ、政務についても信頼はしてます。ある一点を除いてね」
「ある一点とは?」
「聖女オリヴィアが公爵家へ嫁ぐ事に関してよ。何故か宰相は王家派の貴族でで唯一賛成しているの」
オリヴィアは終戦直後から日に日に崇敬する人々を増やしていた。
下手をすれば王族より聖女、そして聖女が所属する神殿の権威が凌ぎかねない程だ。
だがオリヴィアは人を助ける事に向いていても統治する事に慣れていない。
必然的にオリヴィアを従えた者が王国の支配者になるだろう。
王家派の主要人物でありながら公爵家に与する考えを持つ宰相の思考が分からなかった。
「幾度か宰相に問い質しても口を噤んでるの」
「この国を執り仕切るミレーヌ様に言えない事情が?」
「ホルファート王家の正統性に関する事だと薄々匂わせているけど詳細は不明。私はレパルト連合王国から嫁いできた女だから、秘密が漏れる可能性を考えると教えられないようね」
「なのに私なら信用できると?」
「貴方を指名したのは宰相。当事者だから知る権利があると言っているわ」
宰相はどうして其処まで私にに拘るのだろう。
確かに私は公爵令嬢だったが今は辺境の子爵夫人に過ぎない。
国家の存亡に関わる秘密を教えられても有難迷惑だ。
どうにも分からない事が多過ぎていた。
真相を知る者は口を紡ぎ己の目的の為に他者を翻弄する。
盤上の駒として自分が指し手に動かされているような錯覚すら覚えた。
王家、公爵家、聖女、神殿。
この国の中枢にどんな真実が隠されているのか分からない。
ただ、この柵はバルトファルト領に持ち帰る事は断固として拒む。
私の夫と子供達をそんな政争に巻き込むつもりは毛頭ない。
密かに決意を固めていると一人の侍女がミレーヌ様に近付き何かを耳打ちした。
同時に他の侍女達も整列し恭しく姿勢を正す、私も席から立ち上がり他の者達に倣う。
扉が開き冠と外套を纏った長髪の男性が足早に近付いて来る。
後宮でこのような態度を取れる者は一人しかいない、王妃のミレーヌ様が後宮の管理人ならば 王こそ後宮の主。
ローランド・ラファ・ホルファート。
ホルファート王国の現国王の御出座しだった。
王妃を除いたこの場に居る全ての者が首を下げるが陛下は目もくれない。
ただ纏う空気からどことなく焦りを感じる。
一方のミレーヌ様は落ち着いた様子で紅茶を淹れている。
本来は侍女の仕事だが王妃が手ずから用意する事で精神的優位に立つお積もりだろう。
「先触れも無しに何用でしょうか陛下、王が気ままに行動されては臣下が迷惑を被るものです」
「ミレーヌ、お前に聞きたい事があって来た。用が済んだらすぐにでも帰ってやる」
「それは残念、せっかくお茶を淹れましたのに」
「あれを何処に隠した?やるとしたらお前しか考えられない」
「あれとは?具体的に仰っていただかなくては何の事だか分かりかねます」
「とぼけるな、隠し部屋を知っているのはお前かユリウスのどちらかだ。こんな真似を仕出かすほどユリウスは愚かではない」
「学園のパーティーで婚約破棄騒動を起こし決闘まで行う考え無しの愚息です。寧ろ疑うべきは其方でしょう」
「あいつも男だ、浪漫と言う物を分かっている」
何なら物騒な会話が続いている。
どちらにせよ早々に離れたいが気を逸した自分を呪う。
「……私の変身セットと鎧だ。隠し部屋に行ったら他にも紛失している物が多数。一体何処へ移した?」
「あぁ、あのやたら豪奢な服と悪趣味な鎧の事ですか。あれは処分しました」
「…………おい、おいおいおい。今なんて言った?」
「ですから、処分いたしました」
「何て事をしてくれたんじゃお前ぇぇェェェッ!!?」
陛下の悲鳴が室内に轟く、この声量だと後宮の隅々まで届いているかもしれない。
事の真相は分からない、どうやらミレーヌ様が陛下の私物を処分したと辛うじて理解できた。
顔を赤らめ目を白黒させている陛下と対照的にミレーヌ様は落ち着いた面持ちで紅茶を飲んでいる。
「ちょっ、おまッ、全部!?全部か!?特注のカッコいい衣装を!?少しずつ予算をちょろまかして改造を重ね作った私専用の鎧も!?」
「やはり毎年の予算にあった用途不明な出費はあれでしたか。いくら陛下と言えど立派な横領ですよ」
「あれを作るのにどれだけの金と時間を費やしたと思ってる!!」
「今は平時ですが国の立て直しが最優先です、王家が率先して経費の削減を行えば臣下への模範にもなります」
「勝手に処分するな!!まさか破壊したのか!?」
「御用商人達を呼び競売を行って買い取らせています。鎧は流石にそのままでは値が張って買い手が居ないので解体した後に部品単位で売り払いました」
「何て事してくれたんだテメェ!?」
「皆、喜んで買い取りましたよ。どれも質が良くて最上級の品でしたし。その収入は国の予算として補填します」
「そんな勝手が許される訳ないだろ!!」
「此方にはユリウスから取り上げた玉璽がありますから。王の私物に関しては私の権限に於いて管理運用させていただきます」
これが王国を実質統治していると讃えられるミレーヌ様の政治手腕か。
己の権限を最大限に活用し無駄を省いて必要な部署に充てる。
一方的に私物を処理された陛下に関しては気の毒としか言えない。
だが、この状況を作り出したのも陛下の行動が原因だ。
怠けていた者は人生の局面に於いて苦労する事になる、そう故事にも記されている世の真理だ。
「この年増!!だから男の浪漫を理解できない女は嫌なんだ!!」
「文句があるなら自分で管理すればいいじゃない!!大切な玉璽を子供に預けるなんて何を考えているのよ!?」
「公国との戦争じゃ役に立った!!それなのに夫の物を捨てるのか悪妻め!!」
「最前線で戦うより戦争を起こさないように頑張りなさいよ!!何が男の浪漫よ馬鹿馬鹿しい!!悔しかったら仕事しろ馬鹿旦那!!」
「何だと!!?」
「何よ!!?」
聞くに堪えない罵詈雑言の応酬が続いている。
周囲の侍女達も困惑してこの状況に戸惑っている。
これが一国の王と王妃の会話か?
まるで下町の熟年夫婦が行う口喧嘩と大差ない。
この状況が続き誰かに見られたらどんな噂になるか想像しただけで恐ろしさに体が震えた。
「ミレーヌ様、其処までです」
割り込むように御二人の間に入り会話を中断させる。
息を切らせていたミレーヌ様は乱暴に椅子へ座るとすっかり冷めた紅茶を飲み干していく。
一方の陛下も汗を流しながら天を仰いでいる。
それまで周囲の者に興味を示していなかった陛下と目が合う。
どこか敵意、或いは警戒心を秘めた瞳で私の顔を見定めている。
視線から逃れるように恭しく礼を行い何とか誤魔化す。
「アンジェリカか」
「お久しぶりですローランド陛下、ますますご壮健のご様子。臣下としてこれに勝る喜びはありません」
「心にもない世辞は要らん、邪魔者は退散する」
そう言いながら陛下の視線は私の腹部に注がれている。
後宮では王の寵愛を受けた側室が数多くの子を産んでいた。
まさか陛下も孕んだ人妻に手を出すほど倒錯趣味ではあるまい。
「……バルトファルトの子か」
「三人目になります」
「ヴィンスの奴は上手くやったな」
短く呟かれた言葉に拭い難い違和感を感じた。
バルトファルトの子、父の名前、上手くやったという羨望とも侮蔑とも聞き取れるその言葉の意味。
おそらく陛下も何らかの真実を存じている、それが何か知りたい。
「ローランド陛下」
「なんだ」
「上手くやったとはどのような意味でしょうか?」
「……何も知らんのか貴様は」
「陛下は何かご存知で?」
「……大した意味は無い、面倒事に関わろうとしない事が長生きの秘訣だと言っておく」
「あら、それは私に対する嫌味ですか?そもそも陛下が真面目に仕事を熟せば面倒事は減るんでしょうけど」
「あ~、あ~、あ~。聞こえな~い」
忠告とも嫌味とも取れる言葉を呟いた陛下が慌てて去っていく。
少し以外だった、ミレーヌ様と陛下はもっと冷めた夫婦関係だと記憶していたのだが。
「陛下との距離が縮まったように見えて何よりです」
「奥歯に物が挟まった言い方ね、一応は賞賛と受け取っておくわ」
そう呟いたミレーヌ様は紅茶の他に菓子を所望した。
さまざまな菓子を乱雑に食べる姿はどう見ても苛立ちを甘味で誤魔化しているようにしか見えない。
侍女達の怯える視線を無視して、三皿目に盛られたケーキを平らげ紅茶を飲み下して漸くミレーヌ様は落ち着いた。
「前に貴女達と別れた後に陛下の所に直行して文句を言ったわ。『普段は私を避けてるくせにカッコつけないでください!』と怒鳴って、そうしたら十年ぶりぐらいの夫婦喧嘩よ」
「それは、その……」
「どうしてああ怠惰で臆病に育ったのかしら。本当に情けなくて、情けなさ過ぎて。私が見捨てたらあの人はどうしようもないから面倒事を引き受けるしかないじゃない」
「離婚は決意されなかったのですか?」
「あの人にそんな度胸があるならとっくに離婚してるわよ、陰口を叩くくせに離婚すると面と向かって文句を言えないような男よ」
ミレーヌ様の陛下に対する愚痴は留まる所を知らない。
だが、嘗ての御姿と比べてどことなく充実した面持ちだ。
「だから決めたわ、こうなったら最期まで付き合ってやろうって。離婚なんかしてやらない、死ぬまで隣で嫌味を言い続けてやる」
「それでミレーヌ様は気が晴れますか?」
「さぁ?けど向こうが好きにしてるのだから私だってやりたいようにさせてもらうわ」
これも夫婦の形なのだろう。
何も言えず冷めた関係を続けるよりは真っ当な感覚なのかもしれない。
ふとリオンの顔が思い浮かぶ。
たった一日離れただけなのに郷愁を感じるぐらい私はリオンを求めている。
白磁の王宮よりも土と緑に満ちたバルトファルト領に馴染んでいる事実に困惑する。
王宮で王妃教育を受けていた頃の私は今の私とまるで別人だ。
『リオンに会いたいな』
窓から見える蒼穹が遠い場所に居る彼と繋がって欲しいとミレーヌ様の愚痴を聞き流しながらぼんやり考えていた。
モブせか完結!( ;∀;)
という訳で原作最終巻発売日の投稿と相成りました。
乙女ゲー転生がテーマの女性向け作品は各レーベルで書籍化された物だけで三百作以上読み漁りましたが、男性主人公の男性向け乙女ゲー転生はモブせかが初体験でした。
三嶋与夢先生の作品も幾つかweb連載時から目を通していましたが、本格的に読み始めたのはモブせか以降からになります。
三嶋与夢先生、面白い作品をありがとうございました。
今作は原作完結後も最後まで書ききる予定なので原作を振り返りながら描き続けます。
次章はリオン視点のお話、原作小説1話のオマージュとなります。
原作完結記念にリオンとアンジェの成人向けのお話も同時投稿しました、ご興味のある方はそちらも是非。
https://syosetu.org/novel/312750/20.html
追記:依頼主様のリクエストにより土井那羽様、山田おとなり様、うにたる様、りょうは様にイラストを描いていただきました、ありがとうございます。
土井那羽様 https://skeb.jp/@_Do_it_now_0/works/43
山田おとなり様 https://www.pixiv.net/artworks/117095822
うにたる様 https://www.pixiv.net/artworks/117222249
りょうは様 https://skeb.jp/@ryohakosako/works/15
意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。