婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです 作:品☆美
クラリス・フィア・アトリーの人生は祝福されていた。
アトリー家当主でありホルファート王国大臣を務めるバーナード・フィア・アトリーの娘として生を受け、ホルファート王国の建国時から名家と名高いマーモリア家の男子を婚約が成立。
地位と資産を兼ね備えた血筋、類稀な美貌と将来有望な婚約者。
貴族の女性が羨む物を若くして手にしていた彼女は何をせずとも生まれながらにして勝者と言えた筈だった。
そんな彼女の人生に陰りが見えたのは婚約者のジルク・フィア・マーモリアが王立学園に入学した頃、ある女子生徒が特待生として見出された事が原因だった。
女子生徒の名はオリヴィア、後に二度に渡ってファンオース公国の侵攻を食い止め救国の聖女と讃えられる少女である。
人生に於いて叶えられぬ願いなど無い。
そう思っていた貴族令嬢にとって平民出身の少女に婚約者を奪われるなど屈辱以外の何物でもなかった。
クラリスが、いや王国の貴族令嬢にとって他者に何かを奪われる。
同じ貴族ならまだ良い、だが相手は平民だ。
平民など地を這う虫、道端に生い茂る雑草に存在を脅かされるなどあってはならない。
自然にオリヴィアに対する周囲の軋轢は大きな物と化す。
そうした扱いを受けて尚、オリヴィアは挫けなかった。
寧ろ子供じみた嫌がらせと受け取っていたのかもしれない。
ただ只管に勉学と修練に励むオリヴィアの姿にいつしか嫌がらせの数は少なくなっていく。
彼女の理解者となった貴族令息達の庇護を受けた事も大きいが、何よりも多くの令嬢はオリヴィアが入学して半年も経たない間に己がオリヴィアに筆記でも実技でも遠く及ばない存在だと気付いた。
貴族の令嬢達が他愛無い貴族の戯れに耽溺している間に平民の少女は寝食を惜しみ己を磨き続けたのだ。
どれだけ幼少期から平民より多くの機会を与えられても多くの令息令嬢は凡庸である。
当初こそは後れを取っても類稀な才能の持ち主が努力を積み重ねれば立場は逆転するもの。
更にファンオース公国の侵攻をの際に腐敗貴族の行動は良識派の貴族のみならず、平民からの批難を浴びホルファート王国に於ける貴族の存在価値を著しく損なわせた。
平民のオリヴィアがその功績により聖女の任命を受け、公国の侵攻を食い止めている間に貴族は何をしていた?
領民を見捨て、領地を放棄し、あまつさえ敵と内通し命を乞うた。
貴族とは何か?
治める地と従える民を護るからこそ君臨を許される存在である。
我が身可愛さに戦いから逃げ出す者など貴族に非ず。
ましてファンオース公国を退けたのは十代の平民の娘だ。
逃げ惑う令息令嬢とは覚悟も実力も違う。
此処に至り漸くクラリスは己の敗北を悟った。
「そんな訳で今の私は良い嫁ぎ先を探してる真っ最中なのよねぇ」
「あまり悲壮感を感じない語りですね、クラリス先輩。以前の貴女なら婚約破棄に今も憤っていると思っていましたが」
「先輩は止めて欲しいわね、学園の序列はここじゃ無意味だし」
「……分かりました。」
パーティー会場での騒動の後、すぐに別室にへ案内された。
ミレーヌ様がそれとなくクラリスに耳打ちして私をこの部屋に移動させたのはわき目で確認した。
こうなるように人の感情を察し場の流れを支配する手練手管は私には無い。
それが出来るからこそあの方は十代の若さで他国に嫁ぎ二十年以上経った今もこの国の実質的な支配者に君臨している。
いかん、集中しなくては。
これから私が対峙するのはミレーヌ様ではなくバーナード大臣だ。
他の事に気を取られていては成功する筈の物も失敗してしまう。
「オリヴィアに対し怒りも憎しみもないと仰るのですか?」
「ジルクに婚約破棄された時はかなり荒れたと聞いていましたが」
「荒れたのは確かよ、自暴自棄になってガラの悪い連中とつるんでたのは本当だし。貴女は婚約破棄騒動の後に学園を去ったからその頃の私は知らないでしょうけど」
クラリスは哀愁と愉悦を併存させた笑みを私に向ける。
子供じみた笑いではなく淑女として完成された微笑みだった。
ユリウス殿下と私の婚約破棄の決闘が終わった後、学園は更なる騒動が引き起こされた。
寧ろ私が決闘騒ぎなど序章に過ぎなかったと言って良い。
殿下以外の四人も当時婚約者だった令嬢に対して婚約の解消を迫り、学園は元より貴族社会に激震が走った。
貴族の婚姻は当人同士で決められない家同士の誓約であり、その家の進退に関わる政治その物だ。
たとえ後の聖女であろうとそう簡単に覆せはしない。
正々堂々と決闘を挑んだ私はまた常識の範囲内で行動していたと言える。
ブラッドの婚約者だったステファニー・フォウ・オフリー伯爵令嬢は裏で空賊と手を組みオリヴィアの排除を画策。
返り討ちにされた後にその行動を咎められオフリー伯爵家は取り潰し、当主と嫡子は処刑されステファニーは淑女の森が壊滅するまで消息不明の状態だった。
こうしたオリヴィアにまつわる一連の騒動は王国の貴族に禍根を遺した。
『そもそも婚約者が居ながら平民の女に現を抜かす王子や令息達は素行不良ではないのか?』
『実家や婚約者側の家を無視し、正規の手続きを踏まないまま婚約破棄を迫るのは信義に悖る行動である』
『オリヴィアを排除するよう空賊に依頼したオフリー伯爵令嬢は確かに法を犯した。だが、そもそもの原因は一方的な婚約破棄を求めたブラッド・フォウ・フィールド。そしてブラッドを誑かしたオリヴィアにこそ問題がある』
そうした風潮が王宮に満ちていた。
レッドグレイブ公爵家を退けたフランプトン侯爵派の庇護とファンオース公国の侵攻がなければオリヴィアの命は無かっただろう。
ホルファート王国の上層部が有効な対策を講じられない間にオリヴィアとその仲間達はファンオース公国を撃退し、救国の聖女オリヴィアの存在は瞬く間に王国全土を駆け巡った。
だが、それは決して貴族全員がオリヴィアの存在を認めた訳でも禍根が解消された訳では無い。
戦争の槍働きと政治の功績は別問題である。
一方的に婚約破棄された貴族令嬢達が国の英雄となった元婚約者と聖女を怨むなと諭した所で納得できる物ではない。
特にクラリスはジルクに惚れこんでいた。
周囲の者が呆れるほど婚約者を献身的に支えた末にこの仕打ちである。
怨まない方が無理と言えるだろう。
私はユリウス殿下に婚約破棄されてから貴族の催しや夜会に出る事も無く、王都やレッドグレイブ領の屋敷に引き籠る領地経営の勉学に明け暮れた。
その頃の努力がバルトファルト領の運営に役立つのだから皮肉な物だ。
一方で去った後の学園がどうなったかについては父上や兄上から聞いた程度に過ぎない。
忘れえぬ屈辱の場所など思い出したくなかったし、婚約破棄の決闘から半年も経たない間にファンオース公国との戦争によって休校を余儀なくされた学園に興味など全く持てなかった。
クラリスがどうなったかについても朧気な情報しか掴んでいない。
素行の悪い生徒と行動を共にしていた、世を儚んで自殺未遂を繰り返した等の噂は耳にしてもこうしてクラリスと顔を見合わせるのは五年ぶりになるだろうか。
「もうジルクに未練は無いと?」
「逆に聞くわ、今でもユリウス殿下と復縁したい?」
「まさか」
「私もよ、どうしてあんな浮気野郎に夢中だったのかしら?自分の見る目の無さに腹が立って仕方ないわよ」
ジルクをそれほど怨んでいないのは本当だろう。
だからと言って許す気は無いらしい。
その点に関しては私も同じだ。
夫と子供達に囲まれた今が幸せだからと言って、ユリウス殿下を完全に許せるほど私は聖人ではない。
単に怨念に注ぐ精神力をバルトファルト領の開拓と子供達の教育に注いだ方が遥かに有意義だと気付いただけだ。
私をそんな風に変えたのはリオンだ、リオンが夫だからこそ私は変わる事が出来た。
他の貴族に嫁いでもこうした信教の変化は訪れないという確信があった。
「まぁ、そんな風に思えるまでに結構な時間を費やしたんだけどね」
「私もそうでした。おそらく今の夫に出会わなければ今も殿下を怨んでいた事でしょう」
「素敵な出会いね、羨ましい。こっちはよりにもよって婚約破棄の原因になった聖女様が来たのよ」
「オリヴィア様が?」
「面会の約束なんてしてないのにいきなり屋敷を訪ねて謝りたいと言い出したわ」
随分と大胆な真似をしたものだ。
あの聖女様の行動力は他者の追随を許さない、格式や煩雑な手続きを無視して迅速な行動に移る。
戦時中はそれが上手い具合に採用したのだろう。
ファンオース公国軍から見れば強力無比な部隊が戦場を掻き乱し姿を消すのだ。
次々と指揮官を討たれ連携が取れなくなり、連携の為に膠着している間にホルファート王国軍は準備を整え攻勢に出た。
作戦は成功しオリヴィアと五人は英雄として人々から崇敬を得た。
だが、勝ったからいいものの軍事行動とは本来独断専行が許される物ではない。
煩雑な手続きは兵士や糧秣の損耗を抑える為に必要な根回しだ。
戦争に勝っても国土が焼け野原と化し、国を立て直す最低限の人員さえ居なければ国家としての体裁を維持するのは不可能。
貴族の面会に約束が必要なのも手掛ける仕事の緊急性など考慮し双方の合意を得て行う為の段取りだ。
ましてや高位貴族になればなるほど身に迫る危険は増える。
オリヴィア自身に悪気は無くとも貴族から良い目で見られないのも仕方ない所業だった。
「最初は『何しに来たんだ』と面会すらしなかったわ。門外に一日中放置したし、冷水を浴びせた事だってある。普通なら諦めるのに聖女様ときたら絶対に諦めないの」
「聖女様の諦めの悪さは類を見ない、悪意や打算無く行うから却って質が悪いかと」
「辺境に嫁いだって聞いたけど、まさか貴女の所まで訪ねて来たの?」
「えぇ、国政について助力を求められました。正直断りたい気持ちも多かったのですが、妃殿下からも要請されたので仕方なく」
「本当に勘弁して欲しいわ、あれやられるとまるで許さない私が悪女みたいに思われるのよ」
救国の聖女を邪険に扱えば周囲から批判の目に晒される。
だからと言って婚約破棄の原因になったオリヴィアを許す事は難しい。
人として当然の心理だ。
オリヴィアの善意から出た行動によって悪人扱いされて業腹だろう。
「ただ私が自暴自棄にならなかったのもあの子のお陰と言うか、あの子のせいと言うか。婚約破棄されてすぐに戦争になって休校だから家柄だけのチンピラと付き合わなくて済んだ。ジルクは謝罪しなかったけど聖女様は暇を見つけては私に会おうと屋敷を訪ねて来たわ。全部自分のせいだ、怨まれて当然って土下座されたらどうしろって言うのよ。流石にステファニーみたいな真似をするほど私は馬鹿じゃないわ」
肩を竦めながらオリヴィアの行動を揶揄する言葉から恨み辛みを感じられない。
婚約破棄されたクラリスに対して行われた誠心誠意の謝罪は多少なり効果があったようだ。
「何より人として女としてオリヴィアに敗北したと私の心が認めちゃったのよ。どれだけ私がジルクに尽くしたと言ってもそれは実家の力ありき。王都に迫って来たファンオース公国軍に婚約者と一緒に戦って勝てと言われても私はどうしようもない。オリヴィアみたいに命懸けで戦うなんて出来ないわ」
「そのように言われたら王国の令嬢は誰も聖女様に敵わないでしょう」
「だから言ったでしょ。勝てないって」
公国の侵攻に際し私は屋敷に引き籠り対岸の火事を眺める気持ちでいた。
再侵攻の時でさえリオンの無事を祈ってバルトファルト領の統治を引き受け領民の安全を確保するに留まった。
オリヴィア達の奮戦が無ければ私達は今こうして呑気に茶飲み話に興じる事さえ出来ない。
自身の無力さに時折歯噛みしてしまう。
どれだけ足掻こうとも私に出来るのは死地へ赴くリオンの背を眺めるだけ。
彼の悲しみを癒せても共に戦う力も術も持たない手弱女だ。
精々が誘拐犯の船に火を放つ程度で人を殺せるだけの技量も覚悟も持ち合わせていない。
「最近になってやっとジルクが頭を下げに来たわ。どうやら聖女様の部下にこっぴどく叱られたみたい。自分で気付かない辺り駄目なのは相変わらずよ」
「ジルクを許したのですか?」
「謝罪の言葉は聞いてあげたわ。顔も見たくないって言ったら大人しく退散したけど。ちょくちょくお詫びの品を贈って来るけど手を付けてないし」
「どうして貴族の男は自分が捨てた令嬢が今も未練を残していると思いがちなのでしょうか?」
「本当に馬鹿よね。あ~、思い出したら腹が立ってきた。やっぱり殴っときゃよかった」
天井に向けてクラリスが拳を突き出す、彼女の目にはあの辺りにジルクの整った顔が浮かんでいるのだろう。
ミレーヌ様との密談で鉢合わせしたユリウス殿下を打擲した事を思い出す。
やり過ぎたかと思ったのは一瞬、正直言って爽快だった。
出来るならばまた思いきり叩きたいが命を救われた借りがあるので控えよう。
「今の貴女は幸せそうね」
「そう見えますか?」
「貴女が殿下に婚約破棄された後に成り上がり者のバルトファルトに嫁いだって聞いた時は自棄になったと王都の皆が思ったわよ」
「自棄になった訳ではありません、私を笑った連中を見返してやろうと思っていたのも事実です。ただ、夫は私に惚れこんで幸せなのでわざわざ復讐する気が起きないだけかと」
「今は夫婦揃って仲良く空賊狩り?」
「……王都では私達にそんな噂になっているのですか?」
「暇を持て余してる宮廷雀の連中だけよ。ずっと縁談を断り続けたドロテアがバルトファルト家に嫁ぐって本当?」
「事実ですよ。既に婚約は成立して、数ヶ月も経てば義兄とドロテアは夫婦となります」
「……バルトファルト家って王都でやらかした令嬢を惹きつける魅力でも持ってるの?」
「さぁ?ただ私もドロテアも相手以外と夫婦になろうとは思っていませんが」
「はいはい、ごちそうさま。私もそろそろ何処かに嫁がないとなぁ……」
コンッ コンッ コンッ
扉が数回ノックされ恰幅の良い中年男性が入室した。
バーナード・フィア・アトリー伯爵。
大臣を務める伯爵の権力は父上の説得に対し大きな助けとなるだろう。
逆に失敗すればホルファート王家とレッドグレイブ公爵家の対立は避けられない。
緊張によって鼓動が速まるのを否が応に感じてしまう。
「お久しぶりですなアンジェリカ嬢。いやバルトファルト子爵夫人とお呼びするべきかな?」
「アトリー伯爵もご機嫌麗しゅう。ろくに挨拶も無いまま徒に時を重ねてしまったのは私の手落ちです」
「なに、子爵と夫人の活躍は王都にも届いております。本日は体調を押してまで参加いただき誠にありがとうございます」
朗らかな笑みを浮かべる伯爵の言動は如何にも好々爺であり見る者の心を和ませる。
これが市井の平民なら皆が気を緩め己の心情を吐露するに違いない。
だが、この姿は伯爵の擬態だ。
単なるお人好しが権謀術策がひしめく宮廷で十年以上も大臣の座を保てる訳が無い。
私を気遣っているのは確かに本心からだろう。
そして私から得られる情報を精査し権力を行使する判断材料として冷静に分析する。
彼の笑顔に安心して心に秘めた情報を漏らし、数日後に処罰された貴族は一人や二人ではない。
権力闘争が貴族の戦闘と言うのなら、長年に渡り大臣の地位を守り抜いているアトリー伯爵も百戦錬磨の古強者だった。
「クラリス、後は私に任せて下がりない。パーティーはまだ終わってないからね」
「はい、お父様も早くお戻りくださいね」
「分かってる、皆によろしく頼むよ」
クラリスが廊下に出た瞬間、言いようのない沈黙が部屋に満ちた。
柔和な曲線を描いていた双眸は水平となり、眼光は私の心の裏まで射貫くように鋭い。
大抵の貴族令嬢ならばあまりの豹変ぶりに戸惑い泣く者すら居る筈だ。
物怖じせずに伯爵の視線を受け止められるのはこの五年で私なりに成長を遂げたから。
何時までも公爵令嬢の生まれを振り翳して他者を威圧する小娘ではない。
「先程の騒ぎ、あれは妃殿下と伯爵が仕掛けた物かと疑いました」
「流石に其処まで私達は悪辣じゃないよ、そんな事が出来るなら宮廷での会議はもっと簡単に解決できるだろうね」
茶目っ気を出し気安い口調で私に話しかける伯爵は幼少期に会った頃そのままだ。
その態度に思わず気を許しまいそうになるのを懸命に堪えた。
良い罠は頭で分かっていても嵌りたくなる物だとリオンに聞いた事がある。
態度の緩急こそアトリー伯爵の基本戦術、迂闊に気を許せば呑み込まれるのは私の方だ。
「あの娘達の実家や嫁ぎ先は今回の論功行賞で何も授与されない。先の戦争で手柄を立てられず、免職こそされなかったが以後は閑職に回され追い詰められたのだろう。少しでも実家の為に何かしようとした結果がアレだ」
「私は厳罰を望んでいません」
「分かっている、だが妃殿下からすれば王家の健在を知らしめるには絶好の機会だ。彼女達の実家は空賊退治の任が課された。例え拒否しても『マーモリア家やアークライト家は宮廷貴族ながら子息が武功を上げた。宮廷貴族だから、若輩だからは拒む理由にならない』と妃殿下に仰られては臣下は逆らえないさ」
「予想外の出来事をそこまで利用し尽くしますか」
「そうでなければ故郷を離れ国を纏め上げるなんて無理さ。妃殿下の元気を分けて欲しいぐらいだよ」
改めてアトリー伯爵の顔を見る、五年前に比べ髪や髭に白い物が混じり皺が増えた。
恰幅の良かった体も若干痩せたように見えるのは気のせいではあるまい。
こうして二人きりの場で見る彼の姿は疲れを隠しきれていない。
此処まで伯爵を追い詰めている原因は何か、分かりきっている事だ。
「君の改革案を見た。公爵へはまだ報告していないようだね」
「はい、反対されるのは目に見えているので」
「正直に言おう、私も同じ考えだ。あの案を妃殿下から提案された時は正気を疑った。他の者に『実は妃殿下はレパルト連合王国から送り込まれた間諜だった』、『激務に堪えかねてついに狂った』と言われたら信じただろう」
「それ程ですか」
「発想が狂っている、君は自分が何を提案しているか自覚しているのか?」
「ホルファート王国に貴族という存在は無くなる、アトリー伯爵にはそう捉えていただけたかと」
「そうだ、あの改革案を受け入れればやがて貴族階級は消滅する。更に進めば王という存在すら必要としなくなる」
「流石です伯爵。私も同じ結論に至りました」
「では何故だ!?」
伯爵が声を荒げて私に訊ねた。
正気を保ち論理的な思考が出来る方だからこそ私の改革案の危険性を熟知している。
あまり時間をかけても周囲に怪しまれるし、何より伯爵はホルファート王国の大臣だ。
この国の窮状を正しく理解している数少ない貴族の一人。
だからこそ私の本心を打ち明けられる。
「ではお訊ねします、現状のままホルファート王国の立て直しは可能でしょうか?」
「……他国の介入を受けず、貴族が不満を抱かないという条件からならば」
「そのような希望的推測を前提にした復興案が実現可能と伯爵が本心から思っていらっしゃるとは到底思えません」
「買い被ってくれるものだ」
皮肉気な笑みを浮かべたままアトリー伯爵が体を揺らす。
辺境で穏やかな生活を送ってきた私とは比べ物にならない切実さを感じる。
もう何年も前から伯爵はホルファート王国の窮状について悩んできたのだろう。
良識派と呼ばれる伯爵だからこそ目に見えた破滅を回避しようと必死だったはずだ。
おそらくファンオース公国の再侵攻さえなければそれも可能だった。
しかし状況は戦前と戦後であまりに変わり過ぎて前提条件が覆ってしまう。
以前の復興案のままでは王国に訪れるのは緩慢な滅亡。
いや、既に他国から内乱の誘発が行われているから下手をすれば時を待たず攻め滅ぼされる。
この状況を変える為には抜本的な制度改革が必要だ。
「伯爵はオリヴィアに対してどのような印象を持っていますか?」
「急にどうしたんだい」
「正直にお答えください。いえ、伯爵なら既に答えをお持ちかもしれませんが」
「……それはどの立場からの印象かね?」
「全てです」
「国政を担う大臣として聖女の力は大いに助かる。貴族として我々の地位を脅かす存在として危険視してるが」
「私も同じ考えです」
「あと、父親としては娘が婚約破棄される原因となった彼女を好きになれないな。例えオリヴィア殿がどれだけ善良でもね」
最後に付け加えた言葉が緊張を和ませてくれる。
やはり伯爵は恐ろしいが頼りにもなる御方だ。
「聖女オリヴィアの存在を理由に広く人材を求める、この方針で推し進めるしかないと私は考えているのですが」
「それは王国上層部ならほぼ全員が考えている。問題なのは彼女を取り込むのが誰か?それが今の王宮が抱える問題なんだよ」
「政略結婚でオリヴィアを王家、或いは公爵家のどちらが迎えるか。結果によってはこの国の王族が丸ごと変わりますね」
「それだけなら分かりやすくて良い。だが物事はそう単純じゃない」
伯爵はテーブルに置かれた砂糖瓶から角砂糖を数個取り出しテーブルの上に並べた。
中央に一つ、その周囲に三つの角砂糖が置かれている。
「この国の命運を握っているのは聖女、それは間違いない。彼女を引き入れる為に王家と公爵家が争っている。其処に宮廷貴族と領主貴族、歴史の長い名家と成り上がりの新参者の争いもあるが事態はそれほどややこしくなかった。問題は新たに第三の派閥が現れた事だ」
「それは一体?」
「宰相殿だよ。先王弟でありローランド陛下以上に宮廷貴族達からの信頼が篤いルーカス殿が政権の一部を担ってから事態が複雑化した。元々ミレーヌ妃殿下はレパルト連合王国から嫁いで来た御方で王国内の権力基盤が脆弱だ。由緒正しきルーカス殿を新たな宮廷貴族の主導者にしようとする動きがあり、実際に妃殿下の力はかなり衰えてる。尤も宰相殿はあくまで王家と宮廷貴族の主導者は妃殿下と言って譲らないが」
「それならば然程問題とならないのでは?」
「ところが宰相殿は幾つかの案件で妃殿下と反目している。聖女殿の扱いはその最たる例だ」
「宰相殿はオリヴィアを嫌っているのでしょうか?」
尊い己の血脈に平民の血が混じるのを極端に嫌う血統主義の貴族は多い。
往々にして歴史の長い貴族は家の歴史を己の功績と受け取り易い、私にも身に覚えがある。
嘗て王に為りかけた先王弟ならそんな考えを持っていても自然な感性と言えよう。
だが伯爵は首を左右に振った。
「宰相殿は聖女殿を丁重に扱っている。寧ろ己の方が臣下と言わんばかりだ」
「それならば王家と聖女が昵懇になるのは寧ろ喜ばしいと思うのが普通だと思います」
「まったくだ。普段は公爵と反目しているのに聖女に関する事に対しては寧ろ公爵の後押しをしている。あれでは妃殿下が苦慮するのも仕方あるまい」
「父上と宰相殿は仲が悪いのですか?」
「知らなかったのかい?まぁ君が生まれる前だから致し方あるまい。ルーカス殿とローランド陛下が王位を巡って争った際に先王弟派の領主貴族代表がヴィンス殿だった。なのにルーカス殿は王位を甥に譲り、公爵位でありながら半隠居を決め込んだ。ヴィンス殿にとっては裏切られた気分だろう」
なるほど、そんな事情があったのか。
そんな事情を経て他国から嫁いで来たミレーヌ様が産んだユリウス殿下と公爵令嬢の私の婚約が決定したのに破棄され、隠居していた筈の先王弟が宰相として介入すれば面白くもなかろう。
ミレーヌ様との会話でも宰相は謎めいた発言を繰り返した。
果たしてどんな人物なのか、俄然興味が湧いてくる。
「おかげで今の私は休み無しだよ。この数年で随分と痩せてしまった。もう隠居を考える歳なのにクラリスの縁談はなかなか纏まらなくて困る。早く孫の顔を見せて欲しいものだ」
「ご謙遜を、伯爵に働いてもらわなければ王国は混乱に陥ります」
政治は常に光の当たらない部分が存在する。
貴族にとって最優先するべきなのは血筋を遺し続ける事であり、時にそれは非情な決断を促す。
子や孫の為に他の誰かの子や孫を陥れる、そうした決断が出来てこその貴族と言える。
私とて夫や子供達を護る為にこうして王家と繋がり生まれ育った公爵家を裏切ろうとしていた。
こんな状況下で家のみならず国の行く末を案じて心身を擦り減らせるアトリー伯爵は公人としても私人としても立派な御方だ。
「あぁ、そうだ。オリヴィア殿ばかり気にしているが君も十分に気を付けた方が良い。バルトファルト子爵は王国貴族として異例の出世を遂げている。戦での功績や領地経営に於いて並々ならぬ功績を上げた分、周囲からの羨望と嫉妬は激しい物になるだろう」
「ご忠告感謝いたします」
「ところでバルトファルト子爵は側室を持つ気は無いのかね?」
「……はぁ?」
「クラリスも縁談が纏まらず焦っている。出世頭のバルトファルト子爵ならクラリスの婿に相応しいと思うのだが。あぁ、勿論君が正妻だ、クラリスは側室で構わない」
何を言い出すんだこの御方は。
さっきまで心の中で崇敬を抱いていたのに感謝の気持ちまで霧散してしまった。
生憎だが私はリオンに側室を持たせる気は皆無だ。
そんな睦言を閨で呟いてリオンを煽る事もあるが他に妻を娶るのは全力で阻止させてもらおう。
「有り難い御言葉ですが我が夫は不調法故にアトリー伯爵のお眼鏡に適うとは思えません。クラリス様に良い縁がある事を心よりお祈り申し上げます」
「そ、そうか。実に残念だ」
伯爵は軽い言葉を呟いて諦める。
決して、私から滲み出た圧力に屈した訳ではない筈だ。
「実は先の戦争でバルトファルト卿が叙爵された時に縁談を持ちかけようとしたんだ」
「クラリス様を?」
「あぁ。だがヴィンス殿がバルトファルト子爵と地位の高い貴族が繋がりを持つ事を極端に嫌っておられてね。私はクラリスと彼の婚約を諦めた。その後、彼に持ち込まれた縁談はひどい物ばかりだったと聞いている」
どういう事だ?
父上がリオンの見合い話を妨害していたとは初耳だ。
私とリオンの婚約についても乗り気でなかったように感じられた。
言いようのない不安が去来する。
リオンとオリヴィア、彼らに一体何があるのか。
新たに増えた謎に困惑しつつ私はアトリー伯爵の説得の為に用意した資料をパーティーバッグから取り出した。
待望のクラリス回。
今作ではアンジェの婚約破棄後の流れは一緒ですがファンオース公国の侵攻と同時に休校となったのでクラリスはそれほど荒んだ生活を送っていません。
惚れた相手が居ないフリーな状況なので落ち着いて見えるだけです。
男がデキたらまた重い女に戻ります。(汗
原作ではリオン王の側妃になりましたが、今作ではあくまで薄い縁があった程度です。
次章からはリオン視点の話に戻ります。
追記:依頼主様のリクエストによりmons様、モノクロマン様、山田おろなり様にイラストを描いていただきました、ありがとうございます。
mons様 https://skeb.jp/@monskagerou/works/19
モノクロマン様 https://skeb.jp/@monokurolove/works/12
山田おとなり様 https://skeb.jp/@otonari_y/works/4
原作完結記念にモブせかのジグソーパズルを複数制作してみました。
100~140ピースなので暇な時に遊んでもらえたら幸いです、
執筆が煮詰まった時にパズルやると気分が落ち着くのでついつい現実逃避してしまう。(汗
https://www.puzzcore.com/pzl/240412BVFA
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