婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです 作:品☆美
チーズを口に入れて噛みしめる。
独特の臭みと酸味が訪れた後にコクがある乳の旨味と甘味が口中に広がる。
ワインが注がれたグラスを軽くスワリングしてまず香りを楽しみ、次いで一気に飲み干す。
チーズの味がまだ残る口中へ新たに注がれたワインの味が加わって混然とした味を作り出す。
その土地で作られた酒に最も合う料理はその土地で採れた食物なのは間違いない。
だが、ある土地で作られた酒と遠く離れた土地の料理が絶妙に合う事が稀に存在する。
値段や等級も当てにならない、最高級の料理に最も合うのが平民が集う酒場で飲まれる安酒という場合も往々にしてあるのだ。
人と人との出会いもまた似たような物。
家柄が良い者同士、能力が高い者同士を組ませても最良の結果を齎すとは限らない。
そうした人間関係のままならぬ相性もまた神の気まぐれだろう。
自分が傍観者ならそれも美味い酒の肴になる。
当事者だった場合は憤懣やる方ないが。
コンッ コンッ
部屋の扉が数回ノックされた。
思わず出かかった舌打ちを止め、口元を拭い身繕いを済ませる。
せっかく独りでささやかな晩酌を愉しむ為に屋敷の者に人払いを命じたのにこれでは意味が無い。
かと言って公爵邸の主である私の部屋を許可も無く訪れる者は限られてる。
妻か、息子か、或いは娘か。
妻は王都から遠く離れた公爵領に常在し、娘も辺境の地へ嫁いだ。
残る者は唯一人、面白くもない答えだ。
「父上、失礼します」
此方の返答を待たずに入室したギルバートの顔を見た瞬間に眉間に皺が寄った。
手で揉む仕草で隠しつつ椅子の背もたれに体を預ける。
大抵の者は私の横柄な態度を見れば委縮する。
それでもギルバートが一切怯まないのは度胸がある訳ではない、長年連れ添った家族だからだ。
「またお飲みになっているのですか?控えた方がよろしいと思いますよ」
「夜会での飲食は控えている、時と場所を弁えず擦り寄る者が多ければ屋敷で飲むしかあるまい」
ホルファート王家の分家であり領主貴族筆頭のレッドグレイブ家当主ともなれば付き合いは否応無しに増えていく。
招かれた宴を無碍に断れば不仲を疑われ、やがて噂を呼び宮廷内の力関係に影響が出る。
かと言って仕方なく出席しようものなら陳情する貴族が後を絶たず、これまた落ち着いて飲食する暇すら無い。
自宅で好きな時に好きな酒を飲める。
そんな平民が当たり前のように享受しているささやかな幸せを王国貴族の頂点である公爵がやっとの思いで捻出しているなど笑い話以外の何物でもない。
「不測の事態でも起きたか?そうでないなら私を独りにさせろ。最近は不愉快な事ばかり起きる」
「日頃の行いが悪いのでは」
「……逆心を抱こうとも国を想えばこその行動だ。なればこそ神の与えたもうた一杯の酒と束の間の平穏を心ゆくまで味わっても罪はあるまい」
ホルファート王家とレッドグレイブ公爵家の力は逆転しつつある。
度重なる失政と戦乱によって疲弊した貴族と民にとって力ある新しい強者が求められるのは必定だ。
貴族とってはレッドグレイブ家、平民にとっては聖女オリヴィア。
この二つがあるからこそ王国の安寧が辛うじて保たれている。
尤もそうなるようにレッドグレイブ家が裏から手を回し続けたのだが。
「まずは貴族からの陳情です。領主貴族から融資の相談、宮廷貴族から今回の論功行賞についてです」
「論功行賞については私の一存ではない、宰相や大臣の承認もある。無役になるのは役職に足る能が無い己が理由だと突っぱねろ。王国は人材難だが才有る者は引き立てる、無能が居座る席を用意する余裕は今の王国に無い」
非情な言い回しだが王国の実情を鑑みれば当然の処置だ。
ファンオース公国との二度に渡った戦争がホルファート王国に遺した爪痕は大きい。
だが同時に今まで身分や出生を理由に低い地位に甘んじていた才能が数多く見つかっている。
戦闘によって命を失う者が多い領主貴族に比べ王都で政務に携わっていた宮廷貴族に死者はほぼ存在しない。
アークライト家のような武闘派を除けば公国と内通し外患誘致罪に問われた売国奴が処刑されただけ。
役職の威を借りて賄賂を要求する不正官僚、家門や血統を理由に縁故採用された無能達が飢えた所で政に何ら影響が無い。
地位と能力に応じた生き方を選べば最低限の給金は国庫から支払われている。
但し今回の論功行賞では実務を担当する下級官僚の人事にある程度の口添えは行った。
そうした才ある下級官僚が実績を上げ出世すれば五年後、十年後にはレッドグレイブ家にとって大きな助けとなってくれるだろう。
「領主貴族の融資については如何様に?」
「まず融資する資金の使い道を吐かせろ。無駄な浪費の為に金を貸すほど私はお人好しではない。融資に値し返済の目途が立つ程度の領地経営計画の提出すら出来ない者は追い返せ」
「分かりました」
「私に断られたからとお前を頼る者が多過ぎる。ギルバート、優しさは武器になるが加減を間違えれば己を滅ぼす毒と為りえるのを心掛けよ」
「……胸に刻みます」
戦功を挙げた騎士や非嫡出子が新たに爵位や領地を与えられ貴族に取り立てられた。
しかし、そうした者の多くは領地経営や政務に関わる金勘定に疎い。
才覚が在ったとしても必要な資金が足りず、領地の発展に繋げられない新興貴族に対する助成を王国は行っていた。
しかし新興貴族への支援で国庫を破綻させては本末転倒である。
そうした資金難の新興貴族に快く融資する事で近年のレッドグレイブ家は勢力を伸ばした。
公爵家を疎んじて権勢を我が物にしようとしたフランプトン侯爵派が公国と内通し自滅同然に粛清されたのが功を奏した。
あの醜い面の売国奴は死んで漸く国に貢献してくれた、そう思えばその無様な首級に多少の哀悼を捧げてやってもいい。
だが日に日にレッドグレイブ家を頼る貴族が増えるのも問題だ。
如何に公爵家が抱える資産が小国規模とはいえ無限ではない。
考え無しに融資を続けては王家より先に公爵家が枯渇してしまう。
王家が払える物を全て失った後に公爵家が救いの手を差し伸べ、弱りきったホルファート王家にレッドグレイブ家が終止符を打つ。
公爵家の負担を減らす為にもまだ王家には存在してくれなくては困る。
「相性が良過ぎたのが原因か……」
「何か仰いましたか?」
「他愛ない言葉だ、聞き流せ」
今一つ納得しないギルバートを余所に此処に居ない娘の顔を思い出す。
元々はバルドファルト家をレッドグレイブ家の傘下として取り込む為の策の一環でしかなかった。
バルドファルト、正統なる国王の系譜、ホルファート家が最も恐れている建国の闇。
如何に戦功を挙げようとも公爵家の娘と成り上がり者の子爵では身分差があり過ぎる。
要は公爵家はバルドファルトを欲している、それこそ娘を差し出しても良いと向こうに認めさせる事が重要だったのだ。
上手くいく筈が無い縁談だった、いずれ寄子か派閥の貴族の娘と婚姻させれば良いと高を括っていた。
まさかアンジェがリオン・フォウ・バルトファルトを夫に選ぶとは。
しかも婚姻後は領地開拓、新事業の設立、更には直ぐに嫡子を出産し貴族の妻としてこれ以上ない働きをしている。
その事実が噂を呼び『レッドグレイブ公爵は新興貴族に偏見を持たず融資させしてくれる』と思われ、現在では陳情が絶えない。
半ば自棄に為りつつ再びチーズを口に含みワインを呷った。
意外な物が意外な物と相性が良い、世の中は複雑怪奇に満ちている。
「次に神殿からの喜捨の催促です」
「またか、忌々しい神官どもが」
神と聖女の利用して現世の欲を貪る背教者め。
公爵家が内密に聖女オリヴィアの輿入れを進めているのを良い事にやりたい放題だ。
これまで幾度となく喜捨や貧民救済を名目で金を強請る神官達の姿を見ればまだ無能な貴族の方が可愛げがある。
神殿は王家が正統性を確立する為に手を組んだ宗教組織が母体だ。
神を奉じてこそいるが実際は聖女を崇め、王国内で出世の見込みが無い下級貴族や訳あり令息令嬢の拠り所でしかなかった。
そう、単なるはみ出し者の
情勢が覆ったのはオリヴィアの出現から。
平民出身でありながら二度に渡り国を護った救国の聖女。
それまで形骸化していた組織が俄かに活気づき王国内に於いて強い発言力を持ちだしたのは王家派にとっても公爵家派にとっても頭痛の種だった。
聖女オリヴィアは間違いなく善人であり真っ当な人格者だ。
だが平民出身者故に政治に疎く理想主義者でもある。
救貧院の設立、半ば崩壊したアルゼル共和国への支援、戦争によって乱れた人心の慰撫等々。
その行動は正しい、
如何に聖女が純真無垢であろうと全てを執り仕切る訳ではない、足りない部分は神官や神殿騎士が請け負う事となる。
民衆に支持される聖女の御為と喜捨を求め、その内の何割が神官共の懐に入ったのやら。
太々しい大神官の顔を思い出すと体に酔いと別の熱が籠る。
浅ましく奢侈に耽る大神官と清貧に生きる聖女、どちらが主か分かった物ではない。
いずれ神殿も抜本的な改革が必要だ、幸いにして聖女にはその御意思がある。
ふとグラスを見ると口元が歪んでいた、どうやら苦笑していたようだ。
聖女の意思を掲げて神殿改革や王位簒奪を企む自分もまた悪党に違いあるまい。
いずれ斬首されたフランプトン侯爵の首級が曝された刑場の首台に大神官が乗るだろう。
この企てが失敗すれば私自身も刑場の露となる。
だからこそ万難を排し事を進めなくてはならない、いずれ敵となる者でも今は味方だ。
聖女の動向を把握する為の経費と思い込めば怒りも多少は和らぐ。
「……払ってやれ、但し希望した額の半分から交渉しろ。仕方なく譲歩したと思わせて自尊心を煽り恩に着せろ」
「分かりました。次にご報告したい事が」
「まだあるのか、いい加減に終わらせんとせっかくの晩酌が不味くなるだろうが」
ただでさえ息子の報告は不快な事ばかりだ。
せめてもの慰みに美味い酒を味わっていたのに、こうも不快な報告ばかり聞かされ続けたら天上の美酒すら不味くなる。
もしや私に対する嫌がらせをつもりか?
誠実さが取り柄だと思っていた息子の存在が疎ましくなってきた。
「これが最後ですよ。アトリー伯爵が主催する夜会が昨夜行われました」
「今回の論功行賞で役職や恩賞を賜る者達が内輪で集まった宴だろう。アトリー伯爵に招かれた者は身分が低い者ばかりだ、招待されていない場に出向くほど私も図々しくはない」
「その夜会に妃殿下が招かれていたご様子。若々しい御姿で皆を圧倒していたとか」
「相変わらずの行動力だな。妃殿下も味方を募る為に必死なのだろう。表立って伯爵や妃殿下を咎める訳にもいかん」
「では夜会にアンジェが居た事を父上はご存知でしょうか?」
「……知らん、何故その場にアンジェが居る?」
「公爵派の者が私の下に報告に来ました。何方から接触したか不明ですが、現在アンジェは王宮で妃殿下のお世話になっている様子。夜会が終わった後に妃殿下に連れ添う姿が確認されました」
「女狐め、私との交渉が困難と見て娘を抱き込もうという魂胆か」
「王宮に探りを入れますか?」
「……止めておけ。王宮はともかく後宮は妃殿下の縄張りだ、下手に動いては此方が手痛く噛みつかれる」
「御随意に」
「アンジェだけか、バルトファルト卿はどうしている?」
「その場には居なかったようです」
「身重の妻を放置して何をしているんだ彼奴は」
「不明です。しかし、近頃のバルトファルト卿は何やら積極的に動いている様子。モットレイ伯爵といった領主貴族を中心に人脈を広げていると報告が来ています」
「公爵派だけか?」
「中立派、王家派の垣根を越えています、契機となったのは二ヶ月程前から。その場にアンジェも居たそうです」
「あの男は一体何を考えている」
この場にバルトファルト卿が居たら声を荒げて怒鳴っていた。
同時に何かしらの行動をしているのに私へ報告しないアンジェへの憤りも湧き上がる。
あの男はバルトファルトの血を引く、そして娘婿だ。
これまで幾度となく便宜を図り困窮していれば快く融資を繰り返し行って来た。
それもこれも、いずれはバルトファルトの名と類稀な力がレッドグレイブ家にとって有益になると判断したからだ。
だからこそ予想外の動きが気に食わない。
よりにもよって王家派の中心人物の一人である王妃と手を結び何を企んでいる。
再度ワインを呷ろうとするも既にグラスも瓶も空になっていた。
「問い質すべきか」
「素直に応じはするでしょう。しかし彼自身が公爵家へ叛意を抱くとは思えません。それに彼を敵に回すのは得策ではないと思います」
「そんな弱気でどうする、いずれレッドグレイブ家の当主になる男がそのような態度では安心して後を任せられん」
「バルトファルト卿自身の力もそうですが、彼に救われた王国貴族も多く人望もあります。彼を処すれば公爵派が割れかねません。特に若い貴族とっては王子達に並ぶ憧れです」
「厄介な男だ。此方に引き入れたのは私だがこうも扱い難いとは」
容貌は整っているが美男子とは言い難い上に大きな傷痕が顔に在る。
優秀ではあるが今すぐ抜擢して使える程ではない。
地位に拘らず、金銭に頓着もせず、妾を欲する色狂いならいっそ扱いやすかった。
戦功によって叙爵され、大人しい癖に気に食わなければ義父である公爵にすら牙を向ける。
行動の指標がまるで分からない貴族の異端児。
あまりに価値観が普通の貴族と離れすぎて行動が予測できない。
何故アンジェがあの男に惚れたのか未だに理解できない。
ユリウス殿下との婚約が破棄され半ば自棄になったかと思いきやそうではないらしい。
男親とは娘の好みを理解できないと聞いていたが此処までアンジェがバルトファルト卿に理解が及ばないとは。
「……あと十日もしない内に二人が公爵邸を訪れます。問い質すならその時が最良かと」
「そうだな。だが王宮の監視は怠るな。王家の動きは逐一知らせろ」
「バルトファルト卿は如何しましょう?」
「此方に来なければどうしようもない。下手に刺激すれば今後に支障が出かねん」
「分かりました。では私はこれで」
「あとワインをもう一杯持って来させろ」
「飲み過ぎです、今日はこのままお休みください」
「親不孝者め、ささやかな父の愉しみを奪うな」
悪態を吐きながらグラスを指でなぞる、まったく不愉快な事ばかりが続く世情だ。
その原因の一つが他ならぬ実の娘だという事実に運命の皮肉さを感じる。
親の欲目を抜きにしてもアンジェは出来た娘だ。
だがレッドグレイブ家を裏切り遺恨があるホルファート王家に与するとは考え難い。
少なくとも婚約破棄されるまでのアンジェなら迷いつつも実家へ戻るだろう。
些か視野が狭く激情家な娘で幼い頃は手を焼いた、誰よりもよく知っている自慢の娘だった筈だ。
席を立って窓に近付く、遠く離れた場所に薄っすら白亜の建造物が見える。
本当にあの場所に娘が居るのか、何を考えているのか。
分からない事だらけだ。
唯一分かるのは娘を変えたのはあの男だ。
リオン・フォウ・バルトファルト。
彼奴はこの政権交代劇に於いて単なる
それが目の届かぬ所で動き出し不測の事態を巻き起こしている。
気味が悪い、あの男に初めて会った時から抱いた感情だ。
飼い犬は飼い犬に徹していれば良い、主に噛み付く犬は殴殺されるのが世の常。
ふと、王家に抱いている憤懣に支配されている己に気付いた。
一体どれほどこの国に失望して来ただろう、遠い記憶を手繰り寄せながら少しでも心を落ち着かせようと夜空の星を数え始めた。
レッドグレイブ公爵家の嫡子と生を受け、幼き頃より優れた教育によって未来の公爵として期待され続けた。
ホルファート王家より分かれながらも王位継承権を持つレッドグレイブは他の領主貴族と一線を画す。
やがては国政の担う一員となる未来を夢想し、修練に明け暮れる日々が続いた。
十五歳となり国立学園に入学する前夜に父の私室に招かれた。
何処か辛そうに顔を歪めた父から代々の公爵家嫡男のみに伝わる王家の目的を告げられる。
自分が誇ってきた公爵家は王家にとっては捨て石だった。
何時か訪れる未来に於いて多くの貴族が選別され、王家に都合が良い者達だけが残る。
学園はその為の選別機関だった。
まだ若い私は父が告げた真実に驚きつつも誇らしさを胸に抱いた。
稚子じみた忠誠心、主君に尽くし民を護るは貴族の務め。
そう口にした私の頭を父は優しく撫でてくれた。
学園に入学した私の期待が失望に変わるのには三年もかからなかった。
目の前に居たのは勉学や鍛錬に情熱を見出さず、ただ親から受け継いだ血脈のみを誇る愚物の集まり。
自分より強き者貴き者に媚び諂い、弱き者低き者を虐げる事に何の痛痒も感じない下劣窮まる者だった。
この国を変えなくては。
危機感を胸にひたすら己を磨き続け学園を卒業する。
王国の恥部の象徴である学園を二度と通いたいとは思わなかった。
私が帰郷して数年も経つとレッドグレイブ領の統治を任せられ、程なく婚約者と婚姻した後に正式に家督を継いだ。
当時のホルファート王国は王位継承争いの真っ最中であり、私もまた王位継承者の末席として否応無しに政争に巻き込まれる。
当時の王は名君ではない、とは言っても暗君や暴君だった訳でもなかった。
大きな戦乱も無く国内は安定していた、大きな功績は無いが致命的な失政も無い。
貴族の腐敗は相も変わらず、かといって抜本的な改革を行えるだけの才覚を王は持ち合わせていなかった。
有力な後継者は二人。
独りは王の嫡子であるローランド・ラファ・ホルファート。
もう一人は王弟のルーカス・ラファ・ホルファート。
私が推したのは王弟だった。
やる気の無い王子はどう見ても王の器ではない。
貴族達からの信頼も篤い王弟にこそ政を差配して欲しい、正しき王国がこれより始まると期待していた。
だが、王座に就いたのはローランドだ。
ルーカスは職務を退く形式のみの公爵と為った。
王族としての務めも貴族からの信頼も投げ棄て隠居に甘んじたのだ。
王弟なりに国内を二つに割った継承者争いによって国が弱体化する事を恐れたのだろう。
だが、どんな理由があろうとも王族なら期待する者達の想いに応えるべきだ。
戦って敗けるなら未だしも、競う事すら放棄するとは王族の風上にも置けない。
これが最初の失望だった。
王となったローランドは相変わらずだった。
明晰な頭脳と頑健な体と優れた才覚を持ちながらその力を何一つ国政に活かさない。
女の尻を追いかけるか、そうでなければ他愛無い馬鹿騒ぎに興じるか。
己を省みず王として恵まれた才覚と環境をひたすら己の為に使う。
その顔に唾を吐いてやりたくなったのは一回や二回ではない。
二度目の失望は新王が即位した時から今もなお続いている。
そんなローランドにレパルト連合王国から縁談が持ち込まれた。
才媛と名高いミレーヌ姫を輿入れさせようという動きが連合王国で活発化したのだ。
折しもラーシェル神聖王国と関係が危ぶまれていた当時のホルファート王国はこの話に食いついた。
正式にこの国王の正妃となったミレーヌ妃殿下は有能だった。
王国の現状について危機感を持ち、公爵の私に対しても助力を願い出た。
ユリウス殿下とアンジェの婚約は私と妃殿下の利害関係が一致したからに他ならない。
ホルファート王国に権力基盤が無い妃殿下は公爵家の後ろ盾が欲しい、ホルファート王国の改革を願う私には王妃の口添えが欲しい。
実際にこの関係は途中まで上手く行っていた。
アンジェが婚約破棄されたその時までは。
娘が王妃になる事について政治的な思惑が在ったのは事実だ、否定はしない。
だが父として娘に幸せになって欲しいという気持ちも私の中で確かに存在したのだ。
あの子が幼い頃より過酷な王妃教育を受けているのを間近で見て来た。
妻と共に泣いている娘を慰めた事もある。
そうして忠節を尽くして来た公爵家に対する仕打ちがコレか?
やはり暗君の息子も暗君だった。
この時が三度目の失望であり、ホルファート王家に対する忠誠心も同時にほぼ尽きた。
フランプトン侯爵の派閥による公爵家への誹謗中傷と妨害工作に追い詰められたのも大きい。
ファンオース公国軍が侵略した時はレッドグレイブ領を護るのみに執心した。
もうホルファート王家が滅びようと知った事ではなかった。
そして婚約破棄の原因になった平民オリヴィア。
学園に所属していた頃から特待生として優れていた。
勉学に秀で、冒険で功績を挙げ、ついには神殿に認められ聖女と為り国を護った。
アンジェが負けたのも納得できる。
だが彼女は異常だ、異常過ぎた。
そして金で抱き込んだ神官からの報告で衝撃の事実を知る。
オリヴィアは消息不明だった初代聖女アンの血脈の可能性が高い、ほぼ直系と考えて間違いないだろう。
そうなれば何もかもが腑に落ちる。
なぜ大貴族の令嬢令息ばかりの上級クラスに特待生として認められたのか。
聖女となったオリヴィアが王家に輿入れするという噂が出たのか。
学園の校長は先王弟ルーカス、アンジェとの婚約を破棄をしたのは王子ユリウス、王家と聖女の婚姻には王と王妃の承認が必要だ。
つまり、ホルファート王家はレッドグレイブ公爵家を切り捨てた。
レッドグレイブ公爵家が必要なくなったから王子と公爵令嬢の婚約を破棄した。
滅ぼす予定だからフランプトン侯爵の奸計を見逃した。
全ては我々を滅ぼす為の下準備。
こんな奴らに長年に渡り尽くしてきたのか。
こんな奴らの思惑で滅ぼされてなるものか。
だが思いも寄らぬ所から事態は好転する。
王都に迫るファンオース公国軍とは別の場所で侵攻を食い止めた若者が居た。
リオン・フォウ・バルトファルト。
男爵家の出身でありながら部隊を率いて敵司令官を討つという快挙を成し遂げた俊英。
ホルファート王国建国時に起きた諍いは断片的ながら公爵家へも伝わっている。
建国に尽力しながらも国祖達によって歴史の闇に追いやられた血脈。
辺境で細々と繋いで来た血が国の危機に現れる、それも真の王と初代聖女の子孫だ。
運命の巡り合わせとは恐ろしい、神の見えざる意図を感じてしまう。
ならば私はその神意のまま行動しよう。
まずギルバートと聖女オリヴィアを婚姻させ初代聖女の血を取り込む。
次いでバルトファルト卿とアンジェの子をギルバートの子と結婚させ、バルトファルトの血をレッドグレイブの血が交わればレッドグレイブ家が王位を簒奪する正当性を補強する。
無論、苦しい言い訳なのは自覚している。
どう言い繕うとも主殺しは大罪だ、犯した者は冥界で永遠に罪に苛まれ続ける。
神よ
全ては愚かしい私の罪です
子の為、孫の為、国の為
あらゆる艱難辛苦を道連れに私は冥界に堕ちましょう
だから せめて
せめて我が子々孫々が正しき世に生きられる事をお赦しください
幕間的なヴィンス公爵視点です。
ルーカス、ローランド、ミレーヌ、ユリウスと各々の目論見があって今の状況になっていますがヴィンスはホルファート王家全体がレッドグレイブ家を滅ぼそうと考えています。
疑心暗鬼な上に説得も意固地や偏見が邪魔して正しく捉えられません。
ヴィンスの過去については完全に私の妄想、アンジェの母については原作未登場なので存命して領地に引っ込んでると解釈してます。
次回からアンジェ視点のお話となります。
追記:依頼主様のご依頼によりちょろス様、vierzeck様、兔耳浓汤様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。
ちょろス様 https://www.pixiv.net/artworks/118365142
vierzeck様 https://www.pixiv.net/artworks/118403770
兔耳浓汤様 https://www.pixiv.net/artworks/118417149
意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。