婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです   作:品☆美

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注意:今章はモブせかアンケート特典のマリエルート最終話ネタバレを含みます。


第83章 学園

 世界が破滅する。

 空を翔ける見慣れない大型飛行船、王国の鎧とも違う人の貌を模した巨大兵器。

 それらがホルファート王国が存在する数々の浮島を蹂躙していく。

 いや、存在していた(・・・・・・)と喩えた方が正しい。

 今やホルファート王国という国家は存在しない。

 王も王子も既に冥府に旅立った。

 彼ら以外の王族も幾人かは生存しているかもしれないが詳細は不明だ。

 国家として存続はもはや絶望的だ、武威を誇った王朝も終焉を迎える時は実に呆気ない。

 

 太陽が沈み夜の帳が落ちる、あと幾夜こうして過ごせるか分からない。

 ホルファート王家を打倒した貴族連合は壊滅寸前だ、生き残った者達も明日を生き抜く為に束の間の休息に身を委ねる。

 実に多くの王国貴族がその命を散らした、その中には私の兄も含まれている。

 兄上の死を受け入れられない父上は狂乱し夢と現の区別もつかない。

 

 何故こうなった?

 

 どれだけ自問自答を繰り返しても答えは分かりきっている。

 

 私だ。

 

 私がこの状況を招いた。

 不測の事態が続けて起きたのは確かだ。

 政治的な判断よりも自身の感情を優先したのも事実。

 そして訪れた結末がこれだ。

 

 私の在るべき場所を奪ったあの女が憎かった。

 私の努力を無碍にした王子が赦せなかった。

 

 だから滅ぼしてやった。

 数百年の歴史も、豪奢な建築物も、高邁な血統も、精強な軍勢も。

 その総てが灰燼と化す。

 焔となった私は目に付いた総てを焼き払った。

 歴史と謀略に塗れた王国は火薬庫その物、燃え広がった焔は王国を構成する全てを燃やし尽くしても止まらない。

 やがて戦乱の火は歴史の彼方に眠っていた起こしてはいけない者達を眠りすら呼び覚ます。

 慌てて消そうとしてしても止める術は無かった。

 今の私は辛うじて残った埋火だ。

 吹き消されるのを待つしかない微かな焔。

 どうせ消し去るのなら早くして欲しい、既に自分がなぜ生きているかさえ定かではない。

 

 ふと、視界の隅に何かが見える。

 天に昇る流星にしては些か不吉な色合いだ。

 黒、その黒い鎧を見た瞬間に言いようのない疼きが胸に走る。

 

 彼だ。

 

 何故かは分からない、ただ黒い鎧から彼の存在を感じる。

 呆然とそれを見送っていると声を上げて泣いている少女が居た。

 よく知ってる少女、いや同い齢の相手に少女はおかしい。

 彼が戦っている理由は彼女だった。

 その事実に前以上の疼き、いや激痛を超えた何かが胸を貫く。

 

 何故、彼に惹かれているのに私と彼は他人なのか?

 何故、彼の大切な者に私は為れなかったのか?

 

 それは実に単純だった。

 私が彼を愛さなかったから。

 どれだけ彼を好ましいと思っていても単なる道具とか見ていなかったから。

 幾度も親しくなる機会は在ったのにそれを拒んだのは私。

 今の私に泣く資格など欠片も無い。

 総ては私の怒りから始まったのだから。

 

 

 世界は救われた。

 多くの者を犠牲にして。

 追い詰められた人類を救ったのは彼だった。

 己の命を犠牲にして彼が人類を滅ぼそうとする機械の群れを止めてくれた。

 

 

 それなのに私は何処か他人事のように感じている。

 最も愛している者を喪ったのに涙一つさえ出て来ない。

 名残惜しさを感じ、彼の死を悼む気持ちは在ってもそれだけだ。

 

 何故だ?

 ()()なのにどうして違う?

 私の怒りが彼を死に追いやった

 それなのに怒りも悲しみも湧いてこない

 ただ只管にそれが恐ろしい

 

 分からない、ただ私は間違えたのだ。

 敬愛する父上は狂気に堕ち、慕っていた兄上を喪いながらそれでも私は歩み続ける。

 心の片隅にとある想いを抱えながら前へ、捨て去れば楽になる筈なのに捨てきれない想いを抱いて。

 

 やり直したい

 

 彼にまた会いたい

 

 今度こそ彼と共に笑い合える日が訪れるように

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 馬車の窓から見える王都の景色は辺境の地とは比較にならない活気を見せる。

 単純な人口比だけではない、大通りに植えられた街路樹の枝には新芽が顔を出し春の訪れが近いと告げているようだ。

 私を乗せた馬車は整備の行き届いた王都の大通りの中心近くを通るが咎める者は誰一人として居ない。

 数々の装飾で彩られた馬車には遠目でも分かるように一際大きいホルファート王家の紋章が飾りとして付けられている。

 馬車の内部には私一人、その代わり馬車の周囲は常に屈強な護衛達が囲んでいる。

 この馬車に乗る者は王家縁の者、或いは王家に招かれた賓客であると周囲に言い触らすようで落ち着かない。

 

 正直ここまでの厚待遇をされると逆に落ち着かない。

 私が王都に滞在している事実は公爵家に内密の筈だ、だが先日の夜会といい今日の送迎といい派手に行われるのは政治的な意図があると考えて間違いないだろう。

 バルトファルト家はレッドグレイブ家の寄子である前にホルファート王家に仕える子爵である。

 どれだけ優れた武勇や政治力を持とうとあくまで臣下に過ぎない。

 そうした示威行為と公爵家に対する牽制の意味合いが半々といった所か。

 

『公爵家が裏で良からぬ企てをしている、王家は既にそれを承知の上で娘を人質に取っている』

 

 体のいい脅迫、或いは卑劣窮まる挑発とも言える。

 火に油を注ぎかねない行動だがそれで憤激するほど父上も血気盛んではあるまい。

 これで公爵家が私を奪い返そうと兵を差し向けるほど単純なら事態はここまで拗れなかった筈だ。

 

 どうにも疲れが取れない。

 懐妊し臨月で大きく膨らんだ腹部という身体的な負担、王家と公爵家の権力闘争という心理的な不安。

 更には今朝見た悪夢が私の気力を大きく削いでいた。

 どうしてあんな夢を?

 己に問い掛けた所で答えが出る筈も無い。

 そもそもあの手の夢を私はこれまでよく見ていた。

 特に婚約破棄された数年間は夢の中で幾度も王都を焼き払い、王家と聖女を弑し奉る夢を繰り返し見たものだ。

 婚姻し子を産んでそうした夢を見る頻度は大幅に下がった、今では一年に数回程度にまで落ちている。

 

 ただ今朝の悪夢はやたら生々しく、その上新たに見知った者達が出て来たから戸惑っているだけ。

 数日前にもああした夢を見た事がある、あの時の夢も些か常識外れで不愉快な部分も多かったが今朝よりは遥かにましと言える代物だった。

 王都を訪れた時に見たのはリオンが学園に通い決闘で私を助け最終的に王位に就くという夢だ。

 我ながら実に愚かしい、未だ王妃の座に未練を残っているとは。

 心の隅に存在する我執のしぶとさに驚くが、一方で何処か納得もある。

 私の人生で最も長かったのは公爵令嬢であり王子の婚約者として生きてきた期間だ。

 その年数はリオンとの結婚生活の数倍はある、新しく生きる場所を見つけたからと言っておいそれと変えられる物ではないらしい。

 

 だが今朝の夢はいただけない、支離滅裂な上に夢の意図が分からなかった。

 いや、夢とは心の奥底に仕舞い込んでいる欲望や感情の発露だと聞いている。

 ならばあの夢にも何らかの意味があると考えて相違あるまい。

 今朝の夢は途中までほとんど私の人生をなぞっていた。

 レッドグレイブ公爵家の令嬢に生まれ、ユリウス殿下の婚約者として育ち、聖女となるオリヴィアによって婚約を破棄される。

 違いが出たのは学園に入学してから、存在ない筈の二人が其処に居た事だ。

 リオン・フォウ・バルトファルト、そしてマリエ・フォウ・ラーファン。

 その二人が入学してきた事が最大の相違点だった。

 婚約破棄された私は怒り狂い、ホルファート王家に不満を持つ貴族達を集め反旗を翻す。

 怨みの塊となった私は聖女を貶め、王を弑し、国を崩壊させた。

 特に酷かったのはリオンの力を利用する為に彼の婚約者であったマリエを争いに引き入れた。

 夢の中の私はそれなりに二人と交友があった、それなのに私は彼らを利用する事に痛痒も感じない。

 ホルファート王家を消し去る為にあらゆる手段を用いる私は復讐に囚われ大事な物を喪い続ける。

 懐かしい故郷を、優しい兄を、敬愛する父を。

 夢の終わりはリオンの死、そして彼が死んだ事実を惜しみこそすれ悲しみも怒りも感じなかった。

 

 現実よりも臨場感に満ちた夢、あれが単なる夢とはどうしても思えない。

 もし何らかの予知夢なら必ず意味が存在する。

 夢の中の中でホルファート王国はファンオース公国に勝利し、レッドグレイブ家は王家に不満を持つ者達を集め貴族連合を結成していた。

 その状況は現状とあまりに似通っている。

 確かに現時点では命を奪い合う戦いは起こっていない、だが戦いの火種は彼方此方に存在しているのは紛れもない事実だ。

 世界を滅ぼそうとするロストアイテムの軍勢はあまりに非常識だ、おそらく別の脅威があのような形で抽出されたのだろう。

 考えられるのはヴォルデノワ神聖魔法帝国か、ラーシェル神聖王国か。

 同盟国のアルゼル共和国やレパルト連合王国は考え難いし、ファンオース公国は既に併合されて国家として存在していない。

 貴族連合は王家に勝利したが多大な犠牲を払った、あの状況では国を刷新するなど不可能だ。

 

 王国が滅びる、悪夢はその啓示だ。

 食い止められる限界点が今だろう、このまま進めば公爵家が王位を簒奪しても問題なく国を統治できるとは考え難い。

 どれだけ最善を尽くそうとしても新しい君主が生まれる為には血が流れるのは世の習いだ。

 穏健派や王家に忠誠を誓う清廉潔白な貴族や騎士は確実に存在し、彼らの説得は困難を極めるだろう。

 説得が無理なら力で排除するしかない、そして力による圧政は疑心を生み出し新たな叛乱の萌芽となる。

 今の王国には何よりも休息が必要だ。

 十年、いや五年でいい。

 未熟な若者を育て上げ、荒れた土地の手入れを行い、物資の流通を正常化させ商業を発展させる。

 国力を回復させる平和な時間が必要なのだ。

 ホルファート王家の力が有名無実であろうとも多くの民は平和を望んでいる。

 父上の求める改革が正しくてもこれ以上の流血を国民は望んでいない。

 如何に人々から多大な支持を得ている聖女オリヴィアを引き入れてもそれは変わらない。

 寧ろ熱狂的な民衆は感情の捌け口を求めどう暴走するか分からず危険だ。

 少しでも協力者を集め父上を止めなくてはならない。

 

 ふと、窓硝子を見ると険しい顔の女が映っていた。

 苛立たしげに内乱を憂いながら王国が滅びる夢を見る。

 夫を愛しながら夢の中では使い捨ての駒として扱った私は酷く矛盾に満ちた存在だ。

 結局どう成長しようと私は手前勝手な女に過ぎない。

 復讐を望むから争いに巻き込む。

 夫と我が子を戦火から逃がしたくて生まれ育った家を裏切る。

 どれだけ取り繕うとも我欲のまま行動し公序良俗なぞ知った事ではないと踏みにじる浅ましさ。

 成程、確かに私は王妃に向いてないのかもしれない。

 国と民を想えば辺境で家族に囲まれ大人しく封じられるのがお似合いだ。

 何とも情けないがそれが人の役に立つならそれもまた良し、魔女とて時には善行を行うものだ。

 温かな陽気と繰り返される振動が眠気を誘う、目的地まで暫し休息を堪能しよう。

 願わくば、今度こそ心穏やかな夢を見れますように。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 目的地に辿り着いたのか、馬車の振動が止まった。

 扉が開き護衛達が丁重に扱ってくれる。

 私が王妃の賓客だからか、それとも身重の女だから。

 行き届いた部下の応対は主君の性格が最も反映されやすい部分だ。

 此処に私を招いたのはルーカス・ラファ・ホルファート、先王弟にして現宰相であり王家派の重鎮。

 そんなホルファート王国にとっても王家派にとっても重要人物でありながら彼の情報は驚くほど少ない。

 現王であるローランド陛下との後継者争いを退いた後、彼は宮廷貴族筆頭にしてレッドグレイブ家を除いた公爵位を持ちながら長きに渡り国政に携わる事が無かった。

 変化が訪れたのはファンオース公国の戦争が講和に終わりフランプトン侯爵派の大粛清が起きた後。

 一時期はホルファート王国の最大派閥となったフランプトン侯爵派が抜けた事は国政に多大な影響を及ぼした。

 ただでさえ多数の貴族を喪ったのに加え大粛清だ、王国は最低限の行政すらも危うい状況に陥った。

 そんな状況で数少ない王族であり宮廷貴族筆頭の先王弟の楽隠居が許される筈もなく彼は復帰し王国宰相に就任する。

 以後は父上に代わるミレーヌの政治的な相方として数々の執務を担当していた。

 

 そんな宰相が私と個人的に会いたいとミレーヌ様に願った。

 とにかく会って話をしたい、先方はそう希望したらしい。

 私の改革案についてはミレーヌ様を通し宰相に伝えてある、幾つかの修正箇所を除けば宰相の同意をほぼ得られたと言って良い結果だ。

 それなのに私とわざわざ顔を合わせる必要は無い。

 『執務にお忙しい宰相閣下の手を煩わせる訳にもいきません』とそれとなく辞退したが、向こうが熱望されては拒むのも不敬だ。

 結果として私と宰相は会談する取り決めと相成った。

 

 重々しい門扉が開く音が周囲に響く。

 訪れる者が居なくなって久しいはずなのに金属が軋む音がしないのは手入れが行き届いているからだろう。

 嘗てこの場所に在籍していた、もう五年以上も前の事だ。

 一歩、敷地に足を踏み入れると建造物の煌びやかさがやたら目に痛い。

 当時は建物の造形を過剰に感じる事は無かった、それなのに今は不必要な物が多過ぎると感じるのだから思いの外バルトファルト領の質朴さに慣れ親しんでしまったようだ。

 王立学園、此処にはあまり良い思い出が無い。

 賭けや色恋沙汰に精を出し勉学を軽んじる貴族の令息令嬢、血統を理由に奴隷や普通クラスの者を見下す上級クラス在籍者、挙句に非合法手段に手を染めファンオース公国と内通する売国奴すら潜んでいた。

 そうした不祥事と戦争の激化によって学園は無期休校と相成り、今では建物の管理を担当している職員が数名のみ在籍しているだけだ。

 

 学園の管理を任されている職員らしき女性が恭しく私に首を垂れたので此方も返礼する。

 建物内まで私に付き添う護衛を一人だけ残し、丁重に校舎の中へ案内された。

 三人の足音だけが広い廊下に響き続ける、昔語りも無く世間話すら無い。

 無礼という訳ではないだろう、案内人と護衛の所作から私への気遣いは感じ取れる。

 学園は私にとって良い思い出がほぼ無い。

 ユリウス殿下に婚約破棄を告げられ、私の味方をしてくれる者は誰もおらず、挙句に決闘で敗北し逃げるように放逐された。

 私が去った後の学園はさらに酷い場所に成り果てたらしいと伝え聞いた。

 実績を上げ続けるオリヴィアと五人を除き生徒の腐敗は加速する。

 仲間内だけではなく教職員にすら実家の爵位や血統を盾に理不尽な行いを続ける生徒。

 最終的にステファニー・フォウ・オフリー伯爵令嬢が空賊と手を組み他の貴族領を攻めるもオリヴィア達の奮闘で鎮圧、さらにファンオース公国と開戦直前には公国に情報を横流ししていた生徒すら居た事が発覚した。

 今や王立学園は腐敗貴族の象徴でありホルファート王国最後の輝きと揶揄されている。

 

 それでも廊下は隅々まで清掃され、窓から見える庭園は手入れが行き届いていた。

 こうした建造物は管理維持が重要だ、人の出入りが減少し手間暇を惜しむと一気に崩壊を始める。

 使われている建材や仕組みが最上級故に仕える状態を維持するだけでもかなりの予算が必要だ。

 今も学園が在りし日の姿を維持しているのは嘗て宰相が学園の元学園長だからに他ならない。

 しかし私は学園長の顔を知らない、私以外の生徒も同様の筈だ。

 一度として生徒の前に姿を現さない学園長、王位継承争いを退き隠居を決め込んだ先王弟、王宮の執務室から一歩も出ず貴族の催しを拒む宰相。

 どうにも人物像が掴めない、リオンも貴族として偏屈な部類だが宰相はそれ以上の難物だ。

 

『とりあえず彼と会ってみなさい、きっと驚くわ』

 

 ミレーヌ様はそう仰い楽し気に笑っていた、どうやら既に私と宰相は出会っていたらしい。

 あの方らしい茶目っ気だが付き合わされる者としては面白くもない趣向だ

 学長室の前まで案内されると案内人が一礼して退く、護衛も部屋の扉付近に待機して入出するように目配せしてくる。

 どうやら逃げられないらしい。

 正直会いたいとは思わない、不愉快な学園を訪れるのも胎教に悪いから早急に終わらせよう。

 

コンッ コンッ コンッ

 

「どうぞ」

 

 諦めて扉を数回ノックすると室内から男性の声が聞こえて来た。

 意を決して学長室の扉を開け入室する。

 視線を床に向け首を垂れる、初対面の王族の顔を直視するのは礼を失した振る舞いだ。

 

「ようこそおいでくださいました、ミスアンジェリカ。いえ、ミセスバルトファルトと及びした方が宜しいでしょうか?」

 

 涼やかで優し気な声が部屋に木霊する。

 声から壮年の男性と分かるが、何処か聞き覚えがあった。

 顔を確認したいが相手側からの許可が必要だ。

 

「どうぞ顔をお上げください」

 

 優雅さを維持しつつ礼を失しない速度で顔を上げると相手の顔が漸く見えた。

 ほぼ真っ白の頭髪、整った口髭、右目に架けられた片眼鏡(モノクル)、独特の喋り方。

 特徴的な容姿と洗練された物腰は特徴的で一度会ったら忘れられない。

 確かに教師として礼儀作法の授業を担当し、幾度も私と会っている。

 彼は一度も私に名乗っていなかったが当時の学園教師には珍しくもないので失念していた。

 身分が高ければわざわざ生徒に名乗る必要は無く、家柄が低ければ生徒に軽んじられる可能性も高い。

 妃教育の一環として礼儀作法を身に付けていた私にとっては茶会や夜会の仕方など振り返る必要も無い知識だった。

 故に存在を失念していた、今に至るまで忘却していた。

 

「そちらの席へ。妊娠中のご婦人を手酷く扱っては紳士の名折れですので」

「私の呼称は如何様にでも。宰相閣下からの此度のお招き、誠にありがとうございます」

「畏まる必要はありませんよ、貴女の事情を慮らず話し合いの場を設けたのは私の我儘ですから」

「ではそのように、学園に在籍していた頃は貴方が学園長とは気付けませんでした」

「身分を隠した方が良い事も多いのです、特に王位継承争いを退いた先王弟など何処にいても肩身が狭い物ですから」

 

 発言の半分は真実だが半分は嘘だろう。

 先王弟はホルファート王国が割れるの事に危機感を抱き自ら王位継承権を返上したという噂は当時から真しやかに囁かれていた噂だ。

 ただ先王弟を次期国王に推した貴族達の失望と怒りは凄まじく下手をすればローランド陛下を推した者達よりも怒りは大きかったと聞いている、父上もそうした先王弟派の一人だった。

 父上はローランド陛下に対する軽侮を隠そうともしない、先王弟に対する蔑視も頻度こそ少ないが怨嗟が込められている。

 そうして一度は政の場から退いた先王弟が戦争を機に宰相となり王妃と手を組んで争う相手となった。

 ホルファート王家を叩き潰したくなる父上の気持ちも理解できる。

 

「ミセスバルトファルトの提出した改革案は拝見しました。王国宰相としては細部を除き全面的に支援したいと考えています」

「……本当によろしいのですか?」

「えぇ、構いません。寧ろ王国貴族の筆頭格である公爵家出身の貴女からあのような政策案が提出された事実こそ素晴らしいと私は考えています」

「その結果としてホルファート王家の権勢が地に堕ちても構わない、そう仰っているのでしょうか?」

 

 私の改革案を突き詰めれば平民の権利向上と貴族の地位低下を招きかねない。

 それは決して貴族のみに留まらない、王国の支配者たる王家にすら波及するだろう。

 王家は形骸化し、貴族達の権勢は衰え、平民達の力は増す。

 現体制の否定であり貴族社会を衰退させる毒と言っても過言ではない。

 ファンオース公国に勝利こそすれ国力は衰退、貴族は数を減らし国を二分する争いが起きかねない今だから通るような代物だ。

 平和な時代なら貴族の裏切り者として生涯幽閉されてもおかしくはない。

 

「長年に渡り王国の移り変わりを見てきました。王位継承争いから退いたのも、王立学園の学園長に就任したのも私なりに未来を憂い何かしらの手段を採り続けた結果です。全ては裏目に出てしまいましたが」

「……オリヴィアを特待生として迎え入れたのもその一環でしょうか?」

 

 前々から疑問だった、どうしてオリヴィアが王立学園に通えたのか。

 確かに彼女は聖女に相応しい優れた資質を持っていた、だがそれは成長を遂げた後の話だ。

 入学当初は秀でた部分はあれど目立つような存在ではなく、普通クラスに在籍する下級貴族や経済力を持った平民以上に優れていた訳ではない。

 平民の一般家庭で育った彼女は普通クラスの生徒を押し退けて特待生に選ばれるのは何らかの意図が隠されている。

 二度に渡って王国を救った聖女オリヴィアの経歴はあまりに出来過ぎていた。

 まるで最初からそうなるよう仕向けていたと感じられる程に。

 

「ミスオリヴィアを特待生として迎え入れたのは私の判断です。しかし彼女は私の予想を遥かに超えた逸材だった。王国の腐敗を押し留める特効薬となる筈が国を分かちかねない劇物と化しています」

「何故彼女を?」

「先程の言った通りです。王国貴族の腐敗は限界を迎えていました。先王は決して凡愚な方ではありませんが王国貴族の増長は王権を揺るがしかねない程です。私と甥の王位継承争いに関しても、本当の主役は王を傀儡としようとする者達。腐敗貴族の単純な数なら私の派閥の方に多く所属していました」

「だから王位を退いたと」

「レパルト連合王国から才媛と名高いミレーヌ姫を迎え入れ、私は後進の教育を担当する計画を立てたのです。学園は王国に忠誠を誓う有能な者と害を為す不要な者を選別する為に作られましたから」

「しかし上手くいかなかった」

「……その通りです」

 

 公爵令嬢として何不自由無く育った私から見ても貴族の令息令嬢の腐敗は酷い物だった。

 領地や屋敷で甘やかされ十五歳まで育った世間知らずを一から教育するよりも幼児を一から育てた方が遥かに効率が良い。

 我儘に育てられた子供同士が結婚し、産まれた子供がまた我儘に育てられるという負の連鎖。

 既得権益を守る事に終始した地位の高い貴族が優れた才能を持つ者を潰し隷属させる。

 それが私が在籍していた頃の王立学園だ、ホルファート王家は自身の味方を生み出そうとして国を蝕む害虫を無為に育て続けた。

 

「ミスオリヴィアを特待生として迎え入れたのはそうした学園の風土を打開する為です。本来は妃殿下と協力して徐々に特待生の数を増やし宮廷で採り立てる事で王国の教育と人事を少しずつ改革する予定だったのです。しかしミスオリヴィアはあまりに優秀過ぎた、そしてファンオース公国との戦争によって全ては水泡と化してしまいました」

 

 宰相やミレーヌ様が全て悪い訳では無いだろう、ただ王国はあまりに平安を享受し過ぎた。

 是正よりも現状維持を選び、実力よりも縁故を優先させ、内腑に大量の寄生虫を巣食わせ死に体と化している。

 脳に該当する王家にさえ制御不能になった時点でこの国は破滅に向かっていたのだ。

 唯一の救いはファンオース公国との戦争とフランプトン侯爵派を粛清した為にかなりの数の腐敗貴族を減らせた事。

 この国を立て直せるのは今を於いて他に無い、しかし公爵家派が王位を簒奪すれば騒乱が起き国力は更に低下してしまう。

 これ以上の騒乱は貴族平民を問わず人心を疲弊させ国家運営に必要な人材を減らすだけで終わりかねない。そうしない為にも王家と公爵家の和睦が必須だと私は考えている。

 

「聖女の血は王家にとって劇薬、バルトファルトの血は既に公爵家に取り込まれました。私としては国祖の血を王家に取り込むのは危険だと考えています。しかし公爵家は聖女の血まで狙っています。御二方の血を大義名分にされてはホルファート家は国を統治する大義名分を失います。ミスタヴィンスの実に抜け目無い御人だ」

「……どうして夫の血が関わっているのでしょうか?」

 

 私と宰相は顔を見合わせる、互いの言葉の真意を理解できていないように。

 学長室の壁に掛けられた柱時計が静寂に満ちた室内で時の流れを継げている。

 暫くの後、宰相は口元を抑えた。

 まるで何かを失言したような素振りに言いようのない不安を感じる。

 

『ヴィンスの奴は上手くやったな』

 

 ローランド陛下は私の懐妊を見てそう呟いた。

 あれは単に父上がリオンを公爵家派に引き込んだ事に対する呟きだと思っていた。

 だが、違う意味だったとすれば?

 

「ミセスバルトファルト、貴女はバルトファルトの血の意味を知ったからこそ婚姻を結んだのでは?」

「縁談は父に薦められましたが婚姻を選んだのは私自身の意思です」

「ミスタヴィンスがミスタバルトファルトと貴女の縁談を持ち掛けた意味をご存知ないと」

「リオン・フォウ・バルトファルトはファンオース公国の司令官を討ち取り一軍を退けた英傑です。その戦功をによって類稀な出世を成し遂げた彼と私を婚姻させて新興貴族からの信用を勝ち得る為でしょう」

「まさか本当にご存知ないと?」

「宰相閣下が何を仰っているのか、私には見当がつきません」

「何という事だ……」

 

 宰相は天を仰いで顔を押さえた。

 あまりに予想外過ぎて感情の処理が追い付いていないようだ。

 私とリオンの結婚は有望な新興貴族と娘を婚姻させ公爵家の派閥を拡大させる。

 ただそれだけの筈だ。

 なのに宰相は私とリオンの結婚に別の意味があると考えている。

 悪寒で背が震える、知りたい気持ちと知りたくない気持ちが同時に湧き上がり吐きそうだ。

 

「……閣下、教えてください。リオンは、バルトファルトとは一体何者なのでしょうか?」

「知らない方が良い事もあります、少なくとも貴女と夫の関係が違った物になるのは明らかです。産まれてくる子供に重荷を背負わせる事になりかねません」

 

 宰相の視線が私の腹部に注がれる。

 忠告にも関わらず恐怖より興味が勝ってしまった。

 このまま何も知らずに生きる事は私とリオンと子供達の人生に暗い影を落とす。

 ならば後悔しようとも私は真実を知りたい。

 

「お願いします、私に真実をご教示ください」

「……紅茶を淹れる用意をします、長い話になりますから」

 

 席を立つ宰相の背を見ながら早くも後悔が訪れる。

 この場に独りで訪れた事が心細い。

 今はただ遠き地に居るリオンの顔を思い出して気を紛らわせる事しか出来なかった。




ルーカス初登場回、いずれ登場させたいと思っていたのに損な役回り。
原作でリオンはルーカスを師匠と慕っていましたが、この人がやる気を出せば原作のトラブルの何割かは減らせたと思うのでこんな形になりました。
速水奨ボイスのナイスミドルのドジっ子は違和感が凄い。
今回からはマリエルートで明かされる秘密が出ます。
未読の方はご注意ください。

追記:依頼主様のご依頼によりエロ大好き様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。

エロ大好き様 https://www.pixiv.net/artworks/118538580(成人向け注意

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。

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