【完結】生意気な義妹がいじめで引きこもりになったので優しくしたら激甘ブラコン化した話   作:崖の上のジェントルメン

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34.霧のような将来への不安(後編)

 

私はそれから、お風呂や夕飯などを美結たちからいただいた。パジャマも美結のを借りて、私の制服は彼女のクローゼットにかけてもらった。

 

「ごめんね美結、いきなり押し掛けて」

 

美結の部屋のベッドで、私と美結は並んで寝ている。電気が消された暗がりの中、隣から聞こえる「ううん、大丈夫だよ」という美結の声だけが、静かな部屋の中に響いた。

 

私は自分の部屋とは違う天井を見上げながら、美結と少し話をした。

 

「美結は……緊張してない?受験のこと……」

 

「私?私は……もちろん緊張してるけど、そこまで不安じゃないかな」

 

「そっか……自信満々だね」

 

「自信……というよりは、うーんなんだろう……?どっちでもいいって思ってるからかも」

 

「どっちでもいい?」

 

「受かっても受からなくても、どっちでもいい。とりあえず、お兄ちゃんのそばにいられたらいいの」

 

「……………………」

 

「ごめんね。メグの持ってる緊張感を……あまり共感してあげられなくて」

 

「ううん、いいの。たぶん、私が考えすぎなだけだと思うから」

 

「そうかな……」

 

「そうだよ、きっと」

 

私は自分に言い聞かせるように、そう話していた。自分の緊張は取るに足らないもので……大した問題じゃないんだって、そう思いたくて。

 

「……………………」

 

だけど、そんな私の考えを切り裂くように浮かんでくるのは、私のテストの点数。

 

数学……また点が落ちてた。先週の過去問では72点だったけど、昨日の過去問は65点……。

 

数学は特に苦手意識があるから、どんどん不安になる。今から眠ろうとしているのに、一向に眠れない。心臓がざわざわして落ち着かない。

 

(こんなところで呑気にしてていいのかな……。やっぱり明日ちゃんと学校へ行って……勉強するべきなんじゃないかな)

 

ドンドンと胸から弾けそうなほどに動く心臓を手で抑えて、私はゆっくりと深呼吸した。自分の心臓に殺されそうになるこの緊張感……もう、嫌で嫌で仕方ない。

 

(ダメだ、もう寝ないと。美結と明さんを信じて、明日は出かけるって決めたんだ。今はリラックス、リラックス……)

 

だけど、リラックスしようリラックスしようと思う度に、頭にちらつくのは勉強のこと。どうして人間って、思った通りに動けないんだろう。

 

「……美結」

 

「ん?どうしたの?」

 

私は天井から眼をそらし、隣に寝ている美結へと視線を変えた。彼女もこちらの方へと顔を向けていて、きょとんとした眼で私を見ている。

 

そんな彼女の前に、私は自分の手を差し出した。

 

「美結……あの、良かったら……手を握ってくれない?」

 

「手を?」

 

「安心……できる気がして」

 

「そっか、うんうん。いいよ」

 

美結は布団から手を出して、私の手を握ってくれた。暖かくて柔らかい彼女の手が、私の心まで包んでくれたような気がした。

 

「どう?メグ」

 

「うん……嬉しい。ありがとう」

 

「えへへ、良かった」

 

美結の微笑みが、暗がりの中でぼんやりと見える。私はそれに安心して……ようやく、呼吸が整えられた。

 

「……美結、眠るまで少し……こうしてても、いい?」

 

「うん、もちろん」

 

「ごめんね、変なところで甘えちゃって……」

 

「気にしないで。メグに甘えてもらえるのは、私も嬉しいよ」

 

「……………………」

 

私は、美結の言葉に安らいで……少しずつ、眠くなってきた。ここ最近、こんなに安らげたことがあっただろうか……なんてことを微かに思いながら、私は眼を閉じた。

 

美結の手が、きゅっと私の手を握ってくれている。ああ……美結と友達でいられて本当に良かったと、心の中でそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

……翌朝。

 

私は、うつらうつらと眼を開けた瞬間、部屋が異様に明るいことに気がついた。

 

「……あれ!?寝坊した!?」

 

そう言って飛び起きた私は、部屋にかけられてる壁掛け時計に眼をやった。午前8時45分!完全に遅刻だ!

 

「ヤバいヤバい!早く準備しなきゃ……!」

 

制服に着替えようとして、ぱっと自分の姿を見た。それは美結のパジャマだった。

 

「……?」

 

一瞬混乱したが、ようやく私は、昨日美結の家に泊めてもらったことを思い出した。

 

「よ、良かった……。危うく遅刻したかと……」

 

厳密には、遅刻というより完全にサボりなので、遅刻よりも質が悪いのだが、とにかく今日は急遽出来たお休みの日。ほっと一息ついて、私は辺りを見渡した。

 

「美結がいない……。下にいるのかな?」

 

私はのそのそとベッドから這い出し、美結の部屋を出て一階へと降りた。

 

食卓の方から、味噌汁とご飯の匂いが香ってきた。それに釣られていくと、美結と明さんが先に朝ご飯を食べていた。

 

美結と明さんが対面して座っていて、明さんの方がこちらに背を向けている。美結は私が来たことに気づくと、「あ、メグ!」と言って笑った。すると明さんも美結の反応を見て、こちらへ振り向き、にこっと笑った。

 

「メグ!おはよう!」

 

「やあメグちゃん。朝ご飯、お先してるよ」

 

二人に挨拶されて、私は眼をしぱしぱさせながら、「おはようございます……」と、朝の乾いた喉から出る、掠れた挨拶を二人に返した。

 

「メグ、ここどうぞ」

 

美結は自分の隣の席に、私の分の朝ご飯も準備してくれていた。

 

「ありがとう」と一言告げて、彼女の隣に座る。真っ白なご飯と湯気の立つ味噌汁を見ながら、小さく「いただきます」と言って手を合わせた。

 

 

……私たちは穏やかな朝食を、談笑しながら食べた。友達の家で食べるご飯って、不思議な特別感がある。家族ともまた違う暖かみを感じながら、私は朝食を終えた。

 

歯磨きや洗顔など、もろもろを終えた私は、美結から私服を借りて出かける準備を完了させた。

 

「さて、行こうかみんな」

 

明さんの言葉に、私と美結が頷いた。家を出たのは、ちょうど午前10時ぴったりだった。

 

空はどこまでも、青く澄んでいていた。

 

「今日はどこに行くんですか?」

 

私が明さんにそう尋ねると、彼は顎に手を当てて「そーだな~」と一言呟いた後、「とりあえず駅に行こうか」と言って、私に向かって微笑んだ。

 

「今日、電車に乗ったり外食したりすると思うけど、メグちゃんはお金出さなくていいからね」

 

「え……でも……」

 

「言い出しっぺは俺だからさ、今日は俺が払うよ」

 

「……いいんですか?本当に」

 

「ああ!気兼ねなく羽を伸ばしてくれたらいいさ」

 

「……………………」

 

明さんに気を使っていただいて、嬉しいなと思う反面、申し訳ないなという罪悪感もあった。私が勉強をちゃんと頑張れていれば、美結にも明さんにも、迷惑をかけることなかったのに……。

 

(……いやいや!私ってばネガティブなことを……!今は止めよ、そんなこと考えるのは)

 

自分自身にそういう決まりごとをつけて、私は明さんにお礼を言った。

 

そうこうしている内に、私たちは駅についた。駅で350円分の切符を買って改札口を通ると、明さんが私に尋ねた。

 

「メグちゃんはさー、1~9の中で好きな数字ってある?」

 

「好きな数字?えーと……3ですかね」

 

「よし、じゃあ3番ホームに行こう!350円の切符で行けるギリギリまでの駅に向かう!」

 

「ほ、本当に行き先、何も決めて

ないんですね……」

 

「ふふふ、それが楽しいんじゃないか!」

 

明さんはぐっ!と親指を立てて笑った。美結がそんな彼を見てクスクスと微笑んでいる。

 

「……………………」

 

私の入る隙間は、本当にないんだなと改めて実感した。

 

ホームへやって来た電車に乗り込んだ私たちは、座席に一列に並んで座った。私が一番左で、その隣に美結、そしてその右隣に明さんという形だった。

 

平日のお昼前、当然電車に乗っている人は少ない。静かに縮こまって座るおばあさんが一人と、40代前後の奥様方が二人、ぺちゃくちゃと井戸端会議をしているくらいだ。

 

……今日は確か、今くらいの時間だと英語の授業だったはず。みんな今頃、普通に授業を受けているはずなのに……私だけ電車に乗って、どこへ行くのかも分からない小さな旅をしている。

 

私だけこんなことしていいのかな?という疎外感と、私だけ二人と楽しく遊べるんだという優越感と、いろいろな想いが混ざりあっていた。

 

「ねーねーメグ」

 

美結が顔を覗かせて、私に話しかけてきた。

 

「メグってさ、血液型なんだっけ?」

 

「血液型?私はAだけど……」

 

「ほらお兄ちゃん!やっばりAだって!」

 

「おーそっかー!なんとなくAB型かなとか思ってた!」

 

二人の談笑しているところに、私も混じってみた。

 

「美結は確か、O型だったよね?」

 

「そうそう!よく覚えてるね!」

 

「うん、なんか前に話してたのを聞いた気がする」

 

「なあなあメグちゃん、俺は何型と思う?」

 

「ええ?うーん……B型ですか?」

 

「あー!惜しい!俺、クワ“ガタ”なんよな~」

 

「ちょっ、なんですかそのお約束みたいな返し!」

 

明さんがいきなりかましてきた冗談に、思わず笑みが溢れてしまった。

 

「ははは!ごめんごめん!本当は俺、A型なんだ!だからメグちゃんと同じだぜ?」

 

「えー!?そうなんですか!?」

 

「まあ、A型にしてはマイペースな方かもな。俺の母さんがBだったんよ。だからそれで似てるのかも」

 

「なるほど……。私、B型の知り合いってあまりいないので、ちょっとB型の人と友達になってみたい気持ちがあったりするんですよね」

 

「ほう!B型の知り合いか……」

 

「ねえお兄ちゃん、柊さんは確実にB型だと思う」

 

「ははは!それはマジでそう!」

 

「柊さんって?」

 

「メグ、覚えてるかな?私たちが児童相談所から出る時に居た……ほら、スーツ姿で髪の長い……」

 

「あ!うんうんわかる!結構インパクトある人だよね!そっか、柊さんっていう人だったっけね」

 

「あの人はすごいマイペースな人なの。バナナがすっごく好きで、皮ごと食べてたりするし」

 

「えー!?皮ごと!?」

 

「びっくりするよね!でも、そんなびっくりしてる私たちを見ても本人はケロッとしてて、『皮を捨てるゴミが減らせて合理的』みたいなこと言ってて。あのマイペースさが、私とっても好きなの。血液型は間違いなくBだと思うな~」

 

「へ~!でも確かに、聞いた限りだとそんな感じするね!」

 

「だな!柊さんは絶対Bだな!」

 

そんな他愛もないことで談笑していると、少し受験のことを忘れられた気がした。

 

 

……しばらくしてから、私たちは見知らぬ駅で降りた。どこにでもあるような普通の駅だけど、見知らぬ場所っていうだけで、なんだか新鮮な気持ちになれた。

 

「近くに商店街があるみたいだよ」

 

美結が駅の廊下に貼られている地図を見て言った。私たちはひとまず、その商店街へと足を運んだ。

 

その商店街は、決して活気づいているというわけではなかったが、それなりに人通りも多く、子連れの家族なんかが見て回っている風景を目にした。

 

立ち並ぶ店は、八百屋だったり小さなクレープ屋だったり、アジアン雑貨のお店だったり、多種多様にあった。

 

「あっ」

 

私は、ふと見えた路地裏に足を止めた。小さな、なんの変哲もない路地裏。そこには黒猫がいた。その猫がこちらをちらりと見て、ぷいと顔を横に切ると、路地裏の奥へとすたすた歩いていった。

 

「……………………」

 

その光景がなんだか面白くって、私は思わず写真を撮った。

 

そうだ、私はこんな時いつも……楽しくて仕方なかった。自分のお気に入りの景色があったら、いつもこうして写真を撮って……絵に描いたりして遊んでいた。

 

(もう何日も、絵を……描いてないな)

 

スマホ内のアルバムを見ると、前に撮ったのはもう10ヶ月も前だった。この10ヶ月間、私は写真を撮ることすらしないまま、ひたすらに勉強し続けていた。

 

(……受験が終わったら、絵をたくさん描きたいな……)

 

そんな想いを秘めながら、私は明さんたちと歩いていった。

 

商店街の中をうろうろと廻り、時々肉まんやクレープなんかを買って、それを頬張りながら三人で談笑した。

 

「お!焼き芋あるな!食べよう食べよう!」

 

明さんは焼き芋屋さんにふらふら~と吸い寄せられっていった。そして私たちの方を観て、「二人は焼き芋いるか?」と訊いてきた。

 

「私は大丈夫!お腹いっぱいだから」

 

「えーと、じゃあ……私は貰ってもいいですか?」

 

「おっけ、じゃあメグちゃんの分だけ買っとくな。おじさん!焼き芋ひとつ下さいな!」

 

「はいよ!まいどあり!」

 

店主のおじさんへお金を渡したり、焼き芋を受け取っている明さんの背中を眺めていると……なんだか不思議な気持ちになる。これは……なんだろう?つまり……

 

(よくよく考えたら、これはデートなのでは?)

 

デート。その三文字が頭に浮かんだ瞬間、顔が沸騰したくらいに熱くなった。

 

(い、いやいや!美結も一緒じゃん!デートじゃないから!だいたい、明さんは美結のことが一番……)

 

「はい、メグちゃん」

 

私の目の前に、焼き芋が差し出された。

 

その焼き芋を掴む手から腕、次に肩……顔へと目線が移る。そして、目があった時に、明さんはニコッと笑った。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

その笑顔にきゅんときてしまった私は、すぐに明さんから目線を外し、焼き芋を受け取った。その時、少しだけ明さんと指先が触れ合った……。

 

(ああ……触れた場所がほんのり暖かい気がする……)

 

そんなバカみたいなことを考えていた時だった。

 

「なあなあ、この近くに博物館があるぞ。寄ってみないか?」

 

明さんは焼き芋を食べながら、遠くに見える博物館の看板を指差した。私も美結もそれに賛同して、三人でその博物館へと出向いた。

 

その博物館は、決して大きなものではなかったが、プラネタリウムを売りにしているらしく、博物館の入り口にはプラネタリウムの宣伝がたくさん貼られていた。

 

「プラネタリウムか……」

 

私がそう呟くと、美結が「私、プラネタリウムって見たことないかも」と答えた。

 

「美結、見たことないの?」

 

「うん。メグはある?」

 

「んー、小学校の時に修学旅行か何かで観た記憶が……。その時、確か私寝ちゃってて、内容をあまり覚えてないんだよね」

 

「なるほど」

 

「でも、美結が観たことないなら、せっかくだし観てみる?」

 

「うん、ちょっと気になるかも。お兄ちゃん、プラネタリウム観てもいい?」

 

「おお、いいなプラネタリウム!中々ロマンチックじゃないか」

 

ロマンチック大好きだぜ!と言って、明さんははしゃいでいた。

 

 

 

「はーい、じゃあプラネタリウム三名様ご案内~」

 

受付をして、私たちはプラネタリウムの上映館内へ入った。映画館と違って、プラネタリウムは上を見上げるため、椅子が結構深くまで倒れる。私たち三人とも、人が全然いないプラネタリウムの中で、悠々と席を後ろに倒した。

 

座席についてから数分後、プラネタリウムの上映が始まった。最初に映されたのは、注意事項だった。

 

『館内でのご飲食は禁止となっております。ご注意ください』

 

映画の時もそうだけど、こういう時の注意事項って、不思議なワクワクさがある。『これから始まるんだな』っていう期待が膨らむからかも知れない。

 

「なあ二人とも、あれ見えるか?」

 

明さんが真っ直ぐに上へ伸ばして、真っ暗な画面に向かって「あれがオリオン座なんだぜ」と突然言ってきた。そんな明さんのボケに、美結が「もう!」と言って突っ込んだ。

 

「まだ何も映ってないでしょ!お兄ちゃん!」

 

「あっれー?おかしいなあ……」

 

「もう、お兄ちゃんてば変な遊びしてる!」

 

「ふふふ」

 

二人のやり取りが微笑ましくて、私も肩をすくめて笑った。

 

……注意事項が終わり、ついに本上映が始まった。

 

黒い画面に、ぼんやりと白い点々が浮かび始めた。それは次第に光を強めていき、どんどんと大きくなっていった。

 

(…………わあ……)

 

その光は、小さな星たちだった。真っ暗な闇の中に映る宇宙の光景が……私たちを包み込んだ。

 

神聖な音楽が流れ出して、よりこの場の空気が浄化されていく。

 

宇宙のあまりの大きさに、私は浮遊感すら覚えていた。身体がふわりと浮かんで、宇宙を飛んでいるような錯覚を感じた。

 

星から星へと身体が動き、この遥か彼方を駆け巡る。

 

どこまでも続く、途方もない空間。プラネタリウムに映された映像でしかないはずなのに、その奥は果てしない宇宙を想わせてくれた。

 

(凄い……胸が、震える。どうしてこんな凄いものを観て……前は眠ってしまったのだろう……)

 

身体中に鳥肌が立つ。ぞくぞくと皮膚を揺らし、息をするのも忘れて、この凄まじい絶景を眺める。

 

昔観た時よりも、ずっと素晴らしく感じるのは、私が少し成長したからなのだろうか。

 

「………………あ」

 

そして、遠くに地球が映された。点のように小さな……青い星。

 

「……………………」

 

それを観た瞬間、私の脳内が一気に弾けた気がした。

 

 

 

(私は……なんて小さな世界に生きているんだろう……)

 

 

 

私が今……受験だなんだと騒いでいるのは、あの青い星の……その一角の国の、さらにその小さな組織の中での出来事……。

 

(私の受験の悩みなんて、宇宙からしたら、どうでもいいようなことなんだろうな……)

 

星が消えるくらいでないと……いや、星がひとつ消えたとしても、宇宙は何も驚かないだろう。

 

「……………………」

 

私は、すっと眼を閉じた。音楽に乗せて、私の身体は宇宙とひとつになったような気がした。

 

激しいまでの高揚感と、静かなる安心感が……私の身体に、同時に訪れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……タタンタタン……

タタンタタン……

 

私たちは、帰りの電車に乗っている。私が一番右側で、真ん中に明さん。そして一番左には美結がいる。

 

美結は今日、たくさん遊び回って疲れたらしく、すーすーと寝息を立てて、明さんの肩にもたれていた。

 

そんな彼女のことを、暖かく微笑ましい眼で見つめていた明さんは、私の方へと顔を向けて、「今日は楽しめたかい?」と言ってきた。

 

「……ええ、とても。とても楽しかったです」

 

「そうかそうか!それは良かったよ」

 

「……………………」

 

私は一呼吸置き、自分の考えをまとめてから、明さんに話してみた。

 

「私、自分が小さなことで悩んでいたんだなって、はっきりと分かりました」

 

「小さなこと?」

 

「ええ、自分の小さな世界で……小さく生きようとしてたんだなって。霧のような……将来への不安でいっぱいだったけど、そもそもそんな霧自体が、小さな世界のものでしかなかった」

 

「……………………」

 

「私は、『あの学校に受からなきゃいけないんだ!』って、勝手に自分の人生を縛ってました。受かろうが受からまいが、そんなの……宇宙にとっては些細なこと」

 

「宇宙にとっては?」

 

「……ふふふ、私はあくまで『絵を楽しく描きたい』だけ。そのためなら、別にあの学校へ通えなくてもいい。今日みたいにどこかふらっと出掛けて、スケッチをしたりするのだって、本質的には一緒なんです。私のやりたいことなんです」

 

「……………………」

 

「だから、どっちでもいいって思えるようになりました。受かっても受からなくても、どっちでもいい。本当に私のやりたいことさえ満たせられたら、受験に受かっただの落ちただのっていう、そんな多少の誤差は全部、些細なこと」

 

「…………ふふふ、さすがメグちゃんだ」

 

明さんはニコニコと笑って、「ほらね?言葉はいらなかったろう?」と言った。

 

「言葉……?」

 

「メグちゃんは俺に、『背中を押してくれる言葉がほしい』って言ってたじゃない?」

 

「はい、確かに」

 

「でも、必要なかったろう?なんとなく俺は、君には何も言わない方がいい気がした」

 

「それは……なぜですか?」

 

「答えはもう、君自身が知ってるからだ」

 

「…………!」

 

「何のために志望校を受験するのか?何のために勉強するのか?その本当の意図……目的は、君が本来心の中に持っているものだ。それさえ思い出せたら、受験がきっと怖くなくなる。受験はただの手段であって、目的ではないからね。だから何も言わずに、君自身が悟るのに委ねたんだ」

 

「……………………」

 

「と、まあなんか上から目線みたいなこと言っちゃってごめんね。でも、たとえ君にその悟りが降りて来なくても、少しでも気晴らしになれればなと思って、今日誘ったんだ」

 

「悟れなくても……ですか?」

 

「みんなが学校で勉強している間も、こうして別の場所に来てみると……普通に別の世界があって、別の暮らしをしている。世の中は自分が思っているよりずっと広いんだって、そう思えるきっかけになるかな?って」

 

「……………………」

 

私は自分の頭を、明さんの肩に傾けた。

 

「え!?メ、メグちゃん!?」

 

「……これは、恋人としてじゃなくて、もう一人の妹とか……学校の生徒みたいな気持ちで接してください」

 

「が、学校の生徒……?」

 

「明さんって、学校の先生……向いてますよ」

 

「え?そうかな?」

 

「はい……。明さんの授業だったら……私、ずっと聞いていたいです」

 

明さんは照れ臭そうにして、鼻の頭を掻いていた。「カウンセラーじゃなくて、学校の先生か……。むーん……」と言いながら、腕組をして眉を潜めている。

 

そんな彼を見て、私は眼を閉じ……「大好きです」と、聞こえるか聞こえないかくらいの、小さな声で呟いた。

 

 

 

 

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