【完結】生意気な義妹がいじめで引きこもりになったので優しくしたら激甘ブラコン化した話   作:崖の上のジェントルメン

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78.VS湯水(lastpart)

 

 

 

 

「…………美結」

 

メグに肩を叩かれた私は、「どうしたの?」と彼女に返した。

 

「あれ…………」

 

メグの視線の先にいるのは、湯水だった。彼女は手錠をかけられ、警察二人に挟まれた状態で、ぼーっと私たちを……というよりは、お兄ちゃんのことを見つめていた。

 

柊さんや藤田さんたちと話しているお兄ちゃんの背中から……一瞬たりとも眼を外さない。

 

彼女の顔には、覇気もなく、生気もない。すっかり何もかもを無くしたような……虚ろな眼をしていた。私のことをいじめていた時のような、威圧感やオーラはない。ただひたすらに、絶望だけが心を覆ってる顔。

 

……前は湯水が近くにいるだけで動悸がするほど怖かったのに、今は……全然そんな気持ちはない。むしろ、少し不憫にというか、憐れにすら感じていた。今までにされたことを考えたら、そんなこと思う必要なんて、全くないのに……。

 

(…………なんだか、変な感じ……)

 

湯水のことを見たら、もっと……怒りが沸いてくるものだと思ってた。私たちに酷いことをした彼女へ、憤りが沸き上がってくるものだと……。

 

 

……………ザザザザ……

 

 

彼女の背後に広がる黒い森が、湿度の高い風に吹かれ、音を立ててざわめいている。どこか遠くの方で、数羽の鳥が羽ばたいていった。

 

(……湯水は本当に、お兄ちゃんが好きだったんだ)

 

今まで私は、どことなく半信半疑な部分があった。お兄ちゃんたちから話を聞いたり、実際に湯水とお兄ちゃんのデートの盗聴記録を聞いたりしたこともある。だけど……それでもやっぱり、あの湯水が誰かに対して本気になるなんてことが、本当にあるんだろうか?って……心のどこかでそう想っていた。

 

でも、あの眼を見ていると、それがまさしく、疑いようのない真実だったことを……実感させられる。

 

「……………………」

 

湯水と私って……実はとてもよく似ている。

 

私も彼女も、生意気で自分が一番って思ってて……他人のことを省みない性格で、その上で……同じ人を好きになった。

 

私はそれから、生意気であることを辞められたけど……湯水は逆に、その性格のキツさを増していった。

 

でも元の性質は、たぶん同じところにある。だからきっと、お互いに嫌いだったんだ。自分の嫌なところを、醜い姿の写る鏡を見せられているようで……。

 

「……………………」

 

湯水は、私とメグから見られていることに気がついて、お兄ちゃんからこちらへと視線を変えた。私は湯水と目があい、しばらく見つめあった。

 

「……久しぶりね、渡辺 美結」

 

湯水は薄く笑うと、弱々しい声でそう言った。

 

「アキラを奪い返せて……満足かしら?」

 

「……………………」

 

「そうよねえ、あなたはそういう人間だったものねえ……。いつだって勝ち誇ったように笑っていて……。今だって内心、私のことを嗤っていたんでしょ?蔑んでいたんでしょ?いつも自分が一番じゃなきゃ気が済まなくて……他人のことを踏みにじってでも愛されようとして……」

 

「……………………」

 

「ふふふ、そうよ……所詮あなたもそんな人間。アキラに愛されるほどの価値なんてない、矮小な人間……。私と同じ…………」

 

「……………………」

 

……湯水の言葉を受けて、私は……かつて自分がそういう人間だったことを思い出す。

 

 

 

『なんか、冴えない感じー。私、この人がお兄ちゃんなの嫌だ』

 

『髪もなんか特徴ないしー、顔もフツーだしー、なーんか全体的に60点って感じ』

 

 

 

私の中の湯水像が止まっているように、湯水の中の渡辺 美結像が止まっている。

 

「美結、気にしないでいいよ」

 

隣にいるメグが、私にそう告げる。

 

「美結は湯水なんかとは違う。だって……私に謝ってくれたし、友達でいてくれた」

 

「メグ…………」

 

「私は美結のいいところ、いっぱい知ってる。絶対に湯水なんかと同じじゃない」

 

メグの話を聞いていた湯水は、「くくく……」と肩を震わせて嘲笑う。

 

「平田…………今日はやけに強気じゃない。この前私と対面した時は、生まれたての小鹿のような震える足腰だったくせに……」

 

「……脅迫まがいのことをしてきたのは、あなたの方でしょ」

 

冷や汗をかきながらも、メグは負けじと湯水を睨む。

 

「湯水って本当に、悪魔みたいな奴だね。美結と全然違うよ」

 

「……ううん、メグ。湯水の言ってることは、本当だと思う」

 

「え?」

 

「私は確かに、意地悪な子だった。今でも時々、昔の自分を思い出して……自己嫌悪になることがある」

 

「美結……」

 

……そう、お兄ちゃんの方から歩みよってくれなかったら、本当に……私は生意気でいかすけない奴のままだったと思う。それは自分でも分かってる。

 

(たぶん……私のいないママみたいになってたはず)

 

私は胸にかけているお守りを、優しく握りしめた。

 

誰からも愛されず、誰も愛せず、独り寂しく朽ちていく……。そんな未来が、眼を閉じればすぐに浮かんでくる。

 

「……美結」

 

ふと、背後からお兄ちゃんの声がした。振り返ってみると、彼は心配そうに私のことを見つめていた。

 

「なんだか難しい顔をしてたけど……どうかしたのかい?」

 

「ううん、ちょっと……」

 

「湯水が美結に嫌なこと言ってくるんです。明さん、早く湯水を連れて行きましょう。これ以上、美結の近くにいさせたくない」

 

「……そうか、湯水が…………」

 

お兄ちゃんは私の隣に立ち、そっと肩を抱いてくれた。そして、私と同じように、湯水の方向を真っ直ぐ見つめた。

 

「「……………………」」

 

気がつくと、辺りはしんとしていた。私とお兄ちゃん、メグに藤田さん、葵さんに城谷さん、そして柊さんと圭さん……。それぞれみんな、湯水の方に眼を向けていた。

 

湯水は警察官の間に立ち、私たちを睨んでいる。

 

「……どうして」

 

唇を噛み締めて、湯水がお兄ちゃんに問いかける。

 

「どうしてそんな女を愛してるの?アキラ」

 

「……………………」

 

「その女は……生意気で傍若無人で、私と大差ない人間よ。なんで愛せるのよ。なんで……」

 

「けっ、バカ野郎が。鏡見てからモノ言えや」

 

圭さんが歯にもの着せぬ、ストレートな言い方で湯水に告げる。だが、湯水の言葉は止まらない。

 

「私は…………私は、これからどうしたらいいの?アキラ、あなたが手に入らない絶望を永遠に抱えて……生きていけっていうの?」

 

「……湯水」

 

「そんな想いをしたまま生きるなんて、私……イヤよ。死んだ方がマシよ」

 

「……!」

 

「ねえ、お願いだから殺してよ。私のこと殺してよ。どうせこの先、あなたより好きになれる人間なんて、いないんだから……」

 

「……そうか、だからお前……ずっと俺に……」

 

お兄ちゃんは、心底悲しそうに湯水を見つめた。そして「あの時の言葉はやっぱり……」と、はっきりとした口調でそう呟いた。

 

「湯水……お前は、本当に自分が嫌いなんだな」

 

「…………!」

 

湯水の顔が強張った。

 

「家庭環境が悪かったのか、あるいは別の要因か……。何なのかはよく分からないが、とにかくお前は……自分を愛せなくなってしまった。あの時お前が『自分が嫌いだ』と言っていたのは……間違いなく、数少ないお前の本音だったんだ」

 

「……………………」

 

「自分のことを愛せない。でもその反面、強烈なまでに愛を求めている。私を愛せ!と言わんばかりの傍若無人さも、その表れ」

 

「……………………」

 

「その分裂した気持ちが、お前をいつも苦しめていたんだろうな。どれだけ好意を抱かれても、自分を愛せない人間にはそれが届かない。汲んでも汲んでも水の貯まらない、底に穴の空いたバケツみたいなものだ。だからお前は、いつまで経っても満足できない。大勢からちやほやされても、心の穴を塞げない。『愛されたい、でも愛されるのはおかしい』という……泥沼のようなスパイラル」

 

「……………………」

 

「そんなスパイラルの中にいたら、孤独感は凄まじく大きいはず。誰と一緒にいても安心できないし、心を委ねられない。そういうムカつきを解消するために、いじめをしていた。いや……するしかなかった。お前は他人を蔑んで攻撃するしか、不安の解消方法を知らなかった」

 

「……………………」

 

……お兄ちゃんの言葉を、あの湯水が大人しく、黙って聞いている。それがなんだか……不思議な光景だった。

 

まるでその光景は……兄に叱られる、悪さをした妹のようで……。

 

「……………………」

 

お兄ちゃんは、一歩前へ踏み出した。その時、一旦私の方へ顔を向けると、「ちょっと待っててな」と一言だけ告げて、もう一度正面へと視線を戻し、湯水の元まで歩いていった。

 

「…………?」

 

自分のもとにやってくるお兄ちゃんを、怪訝な顔で見やる湯水。お兄ちゃんは彼女の前で止まり、何度か深呼吸をした。

 

 

 

そして、彼女のことを……そっと抱き締めた。

 

 

 

「え…………?」

 

湯水の声が漏れた。本当に……心底驚いているといった、思わず出てしまったというような声だった。

 

周りにいるメグや柊さんたちも、お兄ちゃんの行動にどよめいている。

 

「勘違いするなよ湯水、俺は……お前のことなんて大嫌いだし、心底会いたくないと思ってる。お前を愛してなんかいないし、恋なんてもっての他だ。お前に対してそんな感情は、一切持ち合わせていない」

 

「……………………」

 

「だけど…………俺は……………」

 

……お兄ちゃんは、その後の言葉を告げなかった。湯水はされるがままに、ただ静かに沈黙していた。

 

「……………………」

 

不思議と私は、やきもちを焼くことはなかった。それよりも、『ああ、やっぱりそうだよね』という……妙に納得する気持ちがあった。

 

「…………ママ」

 

私は眼を閉じて、お守りの中にあるママからの言葉を思い出していた。

 

 

『ごめんね。ありがとお、みゆ』

 

 

「……………………」

 

……私は、足を前に踏み出した。

 

「美結?」

 

メグが私に声をかけた。私は背中越しに「ちょっと行ってくる」と、そう答えた。

 

「……お兄ちゃん」

 

私がそう声をかけると、お兄ちゃんはこちらへ振り返った。

 

「……………………」

 

しばらく私たちは見つめあった後、お兄ちゃんが私の気持ちを察して、黙って頷いた。そして、湯水からゆっくりと離れた。

 

「……渡辺、美結…………」

 

湯水は、さっきよりさらに驚愕した顔で、私のことを見つめていた。

 

そんな彼女へ手を伸ばすと……湯水は「止めて!」と声を荒げた。

 

「止めて!止めて!来たら噛みつくわよ!」

 

「……いいよ、噛みつきなよ」

 

そう言い放ってから……私は、彼女を抱き締めた。

 

冷たい…………。なんて凍えた身体だろう。

 

「……湯水。あなたのことを、一体何人が……誰が抱き締めてくれたの?」

 

「……………………」

 

「そう……誰もあなたを抱き締めてくれなかったのね。あなたがずっと拒絶して、人を信じられなくて、愛を受け取れずにいたから……」

 

「……何よ、アキラも、あなたも。おかしいわよ」

 

「……………………」

 

「私はね、アキラを犯したのよ!ゴムもせずに、八回も!」

 

「……!」

 

「どう!?渡辺 美結!私のことなんて嫌いでしょう!?私を恨みたいでしょう!?あなたの大事な男を、散々寝取ってやったんだから!!」

 

「……………………」

 

私はそれでも、湯水を抱き締めた。さっきよりぎゅっと……自分に抱き寄せて。

 

ああ、こうして触れてみると、彼女は私よりも少し背が低いんだ。

 

「湯水……それでお兄ちゃんの心は、手に入ったの?」

 

「!?」

 

「もう、止めなよ。そんなつまらないこと……」

 

「止めて!止めて止めて止めて!!あなたおかしいわよ!狂ってるわよ!私にいじめられた癖に!!あなたの愛する人たちに酷いことをしたのに!!なんで私を抱き締めるのよ!」

 

「…………別に、私もお兄ちゃんと一緒で……あなたのことなんて、大嫌いだよ。ここにいる人たちみんなを傷つけて、最低だって思ってるし、許すつもりなんて少しもないけど…………」

 

……病院で見た、ママの顔を思い出す。

 

目の下がくぼみ、頬はこけてやせ衰え、髪もボサボサに痛んだ……別人のようにやつれて、独りぼっちになってしまったママの顔。

 

その顔が、湯水とシンクロする。

 

「……湯水、あなたが今までの人生で……一度もちゃんと……抱き締められていなかったのなら、私とお兄ちゃんが、抱き締めてあげる」

 

「……………!」

 

「私は別に、それで失うものはないから。それくらいなら構わない」

 

「い、いい、いい加減にしてよ!!私の気持ちなんて、知りもしない癖に!知った風な口聴かないでよ!!」

 

「知りたくもないよ、あなたのことなんて」

 

「だったら今すぐ離れなさいよ!!あなたなんかに抱き締められたくない!!アキラの愛する女なんかに!!」

 

「……………………」

 

 

 

『この世で優しい人は自分だけ。そう思えると、相手のことを許せるようになる。自分しか優しさがないのなら、相手に分け与えようと思えるようになる』

 

『そして、逆に自分が優しくされた時に……本当の意味で感謝できる。人の優しさに期待しない分、貰った時の喜びは誰よりも大きくなれる。人の優しさに誰よりも気付けるようになる』

 

『いい?“美結”』

 

『自分のことだけを信じなさい。

他人のことを愛するために』

 

 

 

……私は、お兄ちゃんから教わった博美ママの言葉を、自分に向けた言葉として変換していた。

 

「湯水……あなたは本当に、意地悪な人。優しいところを見つける方が難しい人。嘘つきで、傲慢で、素直になれない人」

 

ぎゅっと、抱き締める力を強くする。その時……不意にぶわっと、涙が溢れた。

 

「だから、あげる。私の優しい気持ちを……」

 

……わからない、わからない。悲しくて泣いているわけでも、喜びのあまり感極まって泣いているわけでもない。ただ不思議な……胸の内から溢れる想いが、涙に変わって眼から滑り落ちる。

 

「別に、私の気持ちを……あなたが受け取らなくてもいい。拒絶して、無視して、忘れてしまってもいい。あなたのことなんて、私は信じていない」

 

「……………………」

 

「でも、苦しくて長い人生の中で、誰か一人にでも抱き締められたことがあったっていうことを……もし、あなたが心の片隅に置くことができたら、きっと…………」

 

「……なんで、なんで、なんで私にそんなに構うのよ……。あなたもアキラも、本当におかしい……。私のことなんて、大嫌いな癖に」

 

「うん、大嫌いだよ。でも、それとこれとは別」

 

「……………………」

 

「“あの時、一度でも抱き締めてあげたら良かった”って、そう思いたくないから。だから私は……」

 

「……………………」

 

……私はゆっくりと、湯水の背中に回していた手をほどき、彼女から離れた。

 

「……………………」

 

湯水は、私とお兄ちゃんを見つめていた。彼女の眼は、本当に困惑していた。自分がなぜ抱き締められたのかも、よく分かっていない。

 

でも、それでもいい。分からなくてもいい。分かってほしくて、抱きしめたわけじゃない。

 

ただ、私が抱きしめたかっただけだから。

 

「……………………」

 

……ふと、私は鋭い視線を感じた。それは、悪意の塊のような……ピリッと空気が痛むような、そんな視線だった。

 

思わず私は、その視線の先を探す。私の前方……つまり、湯水の背後に広がる森から伝わってくる、この視線は、一体誰なのだろう?

 

「……………あ」

 

樹の影から、一人の男が現れた。髪もくしゃくしゃで、服も泥まみれで、もう随分と汚れてしまっているけど……それは、湯水の元カレである立花だということは、すぐに気がついた。

 

彼の手には、包丁が握られていた。

 

「渡辺 明の妹を……やつを殺せば、舞は幸せになれる。そうなれば、また舞は俺の元に……」

 

ブツブツと、意味不明な独り言を話している。

 

ああ……彼が狙っているのは、私なんだ。

 

 

 

「きいいいいいああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 

……奇声をあげて、彼が私の方へと走ってきた。手に持った包丁の先端を、こちらに向けて。

 

その声で、お兄ちゃんも湯水も、近くにいる警察官も、他のみんなも、彼の存在に気がついた。みんな彼の方へ眼を向けて、驚きのあまり叫んだ。

 

だけど、もう彼を止めることは間に合わない。その包丁の先は、既に私の腹部へと向かっていて、あと一秒もしない内に到着するところだったから。

 

私も逃げ出せれば良かったんだけど……あまりに突然の出来事に、身体が固まってしまっていた。

 

でもそのくせ、自分に向かってくる刃の先は、スローモーションのようにゆっくりと見える。

 

「美……!!!」

 

お兄ちゃんの悲鳴が聞こえる。警察官がようやく立花の肩に触れる。でも包丁は私へと進む。

 

(お兄ちゃん……ごめんなさい)

 

心の中で、そうお兄ちゃんに告げた。そして、ぎゅっと眼を瞑ったその時。

 

 

ドンッ!!

 

 

……鈍い音が、辺りに響いた。私はもうすっかり、自分が刺されたと思っていた。

 

「…………?」

 

でも、いつまで経っても私に痛みが襲いかかることはなかった。恐る恐る眼を明けてみると……目の前には、背中があった。

 

「!?」

 

それは、湯水の背中だった。

 

「ま、舞!?なんで!!なんで邪魔した!?」

 

立花は画面蒼白になって、そう叫ぶ。

 

彼はたちまち警察に取り押さえられ、地面にうつぶせに寝かせられた。包丁も取り上げられて、手錠をかけられている。

 

「はっ……はあ……」

 

湯水は私の方へと倒れかかる。それを受け取めて、「湯水!」と彼女の名を呼ぶ。

 

「あっ……あ、くう……!」

 

激痛に顔をしかめ、汗が噴き出す。

 

「湯水!おい!大丈夫か!?」

 

お兄ちゃんが私とともに、湯水を仰向けに寝かせた。白いシャツがじんわりと、赤く染まっている。

 

「もしもし!緊急です!救急車を一台!」

 

柊さんの声が遠くで聞こえる。

 

「湯水!」

 

「お前!なんで……!」

 

メグや圭さんは感嘆の声をあげて、藤田さんや葵さんは唖然とその場に立ち尽くすばかりだった。

 

「湯水!湯水!」

 

「おい湯水!しっかりしろ!」

 

私とお兄ちゃんが、必死に彼女の名を呼ぶ。彼女は眉をしかめ、眼を細めて私たちを見ていた。

 

「うう、ぐううう!」

 

「バカ!下手に動くな!傷口が……」

 

「パ、パパ……」

 

「え……!?」

 

湯水はお兄ちゃんの方に顔を向けて、はあはあと息を切らしながら、「あ、あのね……?」と言って語る。

 

「私ね……この前の……算数のテストで、100点だったんだよ…………?み、みんなよりたくさん勉強して……寝る間も惜しんで、頑張ったの。はあ……はあ……褒めてくれる……?」

 

「「……………………」」

 

私とお兄ちゃんは、顔を見合わせた。湯水は、痛みのあまり意識が朦朧としているみたいだ。お兄ちゃんのことを、自分のパパだと勘違いしてる。

 

「……………………」

 

お兄ちゃんは、ごくりと唾を飲むと、湯水に向かって、ゆっくりと優しい声色で……こう言った。

 

「……そうか、偉いな“舞”。よく頑張った。でも、身体には気を付けるんだぞ?きちんと眠って……ゆっくりして、自分のことも大事にしなさい。たとえお前が100点を取れなくたって……大事な娘であることに、変わりはないから」

 

「……………………」

 

湯水の眼から、涙が溢れた。それは眼の端を伝って、地面へと落ちた。

 

「……ねえ、ママ」

 

湯水は次に、私の方へ向かって語りだした。思わずドキリと胸が鳴って、自然と背筋が伸びる。

 

「私ね、髪を染めてみたの。本当に本当に、好きな人ができて……その人に観てもらいたくって、髪を切ったり……水色に染めてみたりしたの。似合ってるかな?可愛いかな?」

 

「……………………」

 

私はそっと、彼女の手を握った。

 

「……うん、もちろんだよ“舞”。とっても似合ってる。でも、あなたはそのままでも可愛いよ。いろんな色に染めなくたって……あなたらしい可愛さがあるから。人に合わせなくたっていいの。大丈夫、それを信じて……?」

 

「……………………」

 

湯水は、口をきゅっとつぐんだ。眉間にシワを寄せて……瞳が潤んでいる。その表情は……なにやらすごく、悲しいことを思い出しているように見えた。

 

そして……しばらくの後に、それがふっと解かれた。その時に見せた彼女の笑顔は、忘れもしない。

 

まるで無邪気な子どものような……無垢で純粋な、本当に心から魅せる、眩しい笑顔だった。

 

 

 

「……ありがとう。“アキラ”、“ミユ”」

 

 

 

「「……………………」」

 

……湯水は、しばらくして到着した救急隊員によって、救急車内へと運ばれた。担架に寝かせられ、息をぜーぜーと切らしながら、必死に痛みに耐えていた。

 

「……………………」

 

そうして、私たちが見守る中、救急車は去っていった。

 

「……お兄ちゃん」

 

「ああ、美結」

 

私もお兄ちゃんも、遠くに消えていくその車を見つめながら、言った。

 

「湯水は……湯水はあの時……」

 

「そうだ、湯水は……湯水 舞という女は……」

 

お兄ちゃんの言葉は、ぽつりと小さく……しかし確かに、この場にいるみんなの胸に届いていた。

 

「ようやく……嘘つきを止められたんだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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