虹夏のドラムになるだけのお話 作:愛と孤独
クラスメイトの伊地知さんが好きだ。
なんとなく、そう思った。
人を好きになるのに理由はいらない。
そりゃもちろん、可愛いからとか、仕草がいいからとか、髪形が、とかいろいろある。
でも、ひっくるめて、なんとなく。
気が付いたら好きになっていたんだ。
虹夏さんは、クラスでも目立つほうだ。
根アカで、フレンドリーで、バンドやっていて。
そう、バンド。
バンドかぁ。
僕は、教室の机に突っ伏して、独り言ちた。
なんかあれだよな、ちょっと怖い世界ってイメージがある。
地下とかのくらいライブハウスで、酒とか煙草の煙とか。
やばそうなお兄さんたちが集まって騒いでそうだ。
伊地知さんも、そういう一面が?
僕は首を振った。
そ、そんなこと、ないよね。
そんなこと、ないはずだ。
※
その日の夜、帰宅してから、伊地知さんのことを考えながら自慰をした。
圧倒的な気持ち良さ。
手が止まらなかった。
満足感と疲労感が襲ってきて、僕はいつの間にか眠ってしまった。
※
目覚めると、いつもの部屋とは違う場所にいた。
というか、何も見えなかった。
僕には目がなかった。
耳もない。
手も足も。
脳さえもない。
脈打つ心臓もない。
ただ、僕はここにいるという思考が、空気の中に漂っている。
僕は、どうなっちゃったんだ?
戸惑いを感じた瞬間。
バンッ!!
激しく、ひっぱたかれた。
え!?
なんだ!!?
不良か何かにやられたのか!?
いや、違う。
僕を殴ったのは、木の棒だった。
ドラムスティック。
ズドッ。
ダタタタタタタタタタタタタタ!
リズムだ。
それはリズムだった。
僕の体を、誰かが、ドラムスティックでたたいている。
この時、僕は気が付いた。
僕は、ドラムになっていた。
僕は、ライブハウスにいた。
下北沢の小さなライブハウス。
そして、僕をたたいているのは、伊地知さんだった。
僕にはもう眼はなかったけれど、そのことは漠然と分かった。
僕は無機質でありながら、世界の空気のようなものとつながっていた。
ズドン!!
猛烈な痛みが走る。
キメの一発を、伊地知さんがたたいたんだ。
僕には神経はないけれど。
彼女のたたく力は、僕の心を刺した。
僕はまるで、パンチドランカー状態のボクサーだった。
逃げるすべも、避けるすべもない。
ただそこにいて、スティックで無残にたたかれ続ける。
ハイハット、スネア、バス。
チキショウ、とんでもない痛みだ。
気が狂っちまう。
伊地知さんは、優しくなかった。
彼女の細い腕は、無慈悲に残酷に、僕に木の棒を振り下ろす。
猛烈なスピードで連続して、たたきつける。
時にハードに、時にジャジーに。
時にブルースフィーリングをのせて。
僕のソウルをノックするんだ。
そんな、伊地知さん。
教室ではあんなに優しくて柔らかいのに。
でも僕は、なぜか嬉しかった。
伊地知さんのビートが正確であればあるほど、僕はまるで、自分が失った心臓を取り戻したかのようだ。
どくん、どくん、どくん。
跳ねる、刻む。
僕は今、伊地知さんに生かされている。
彼女の冷徹に振り下ろす鞭が、僕を跳ねさせる。
僕は鼓動。
僕はスリル。
僕はビートだ!
※
夢、だったのだろうか。
飛び上がって目覚めると、朝になっていた。
僕は、生きていた。
一人の人間として。
いつもの、僕自身として。
つまらない狭い部屋の、一人の住人として。
心臓が、ドキドキしていた。
僕は、前よりももっと伊地知さんのことが好きになった。
学校に行かなくちゃならない。
制服に着替えるために、服を脱いだ。
肋骨のあたりに、しもぶくれのような跡があった。
まさかね。
寝ている間にぶつけたんだろう。
※
通学をして、朝のホームルーム。
伊地知さんは、いつも通りだ。
僕になんて目もくれない。
友達ってわけじゃないし当たり前だよね。
いつもの可愛い笑顔で、こっそりと前の席の友達とおしゃべりなんてしちゃっている。
でも。
僕はふと思い出した。
昨日の夜の夢。
教室の優しい雰囲気と違う、伊地知さんの真剣な表情。
熱くて、重いビート。
それから……ドラムセットの椅子に乗っかっていた、小さくて柔らかなお尻の感触、とか。
思い出して、僕は少し赤くなった。
は、はは。
何考えてるんだろ。
あんなの、妄想のはず……だよね?
また今夜も、見れるだろうか?
不思議な夢を。
そんなことを考えていると、ふと伊地知さんと、目が合ったような気がした。
一瞬、僕に微笑んだような?
気のせいだよね?
そんなことを考えていると、鐘が鳴った。
退屈なホームルームが終わる。
授業が始まる。
僕は、なんだか気恥ずかしくなって、教科書を探すふりをした。
つづく