虹夏のドラムになるだけのお話 作:愛と孤独
ずどっ、ずどどどどっ!
まるでマシンガンみたいに、伊地知さんの腕が僕にドラムスティックを振り下ろす。
僕は痛くて泣いていたが、伊地知さんにはそのことがわからないみたいだ。
僕には口がないから、だれにも何も伝えることはできない。
まるでブルースの歌詞みたいだ。
そう感じた時だ。
僕の反応が少し変わった。
伊地知さんがたたくドラミングのリズムに対して、ほんのわずかだけど、悲しみの感情みたいなものを反映させることができたんだ。
そう、まるで僕が鳴り響く音は、ミシシッピデルタの湿った泥の音みたいだ。
ナショナルギターみたいに輝いているだって?
誰がそんなことを言った!?
忘れちまった!
「見てください、少し、動きが弱くなっている!」
赤い髪の女の子が叫ぶ。
「ほんとだ、あたし、今日は調子がいいかも!!」
伊地知さんも叫ぶ。
目の前のスクリーンの中では、天井がどんどん降りてきていた。
その速度が、音楽に反応して、少しだけ鈍くなっている。
しかし、体をひしゃげさせるみたいに押しつぶされ、PAさんと呼ばれた女性は、苦しそうにあえいでいる。
彼女はもう、気が狂いそうになっていた。
そりゃそうだろう。
もし僕が同じ状況なら、きっと気が狂って失禁している。
「す、すこしでも、食い止めたいっ!!」
伊地知さんが力いっぱい、僕を叩いた!
その瞬間だ。
バキィッ!と派手な音が鳴った。
「あっ……」
ドラムスティックが、折れたんだ!
伊地知さんがどれぐらいの力を入れたのか、わからない。
そもそも、これは夢だから、現実の力学なんて関係ないかもしれない。
ともかく、それは折れてしまった。
音楽は止まった。
赤い髪の女の子が弾くリズムギターだけが、むなしい空っ風のように鳴り響いている。
「あ、あ、あぁぁぁぁ」
伊地知さんは、狼狽していた。
強くたたかれて、僕はもう朦朧としていたけれど、彼女がひどくうろたえているのは分かったんだ。
そしてスクリーンの中では。
天井がずんずんと降りてきていた。
女性は――。
もう、人としての原形をとどめてはいなかった。
人であったものが、プレスされた肉の塊となり、様々な部位がはみ出ていた。
血だまりができていた。
あぁ、ミシシッピのデルタ(中州)。
そこにたまった水のようだ。
僕は、目をそらすことができなかった。
僕の、涙で泣きはらした目は、その女性が潰れてもなお、床に擦り込むかのように降下運動を続けている天井にミンチにされていく様子をじっと見つめていた。
奇妙な光景だった。
やがて。
スクリーンの中の床が、湿り気のあるスポンジのようなものに変化した。
女性だった肉塊は、そのスポンジに、吸い取られていった。
やがて、すべて吸収されつくし。
スクリーンの中の部屋は、小奇麗な白い部屋へと戻った。
清潔で無菌な、ミニマリズムの極致ともいうべき部屋。
ぐぉぉぉぉぉん、という音を立てて、天井は上昇していき、やがて、正方形の部屋の形に戻った。
そこには、もう何もない。
つぶされた女性の存在など初めからなかったかのようだ。
「伊地知、先輩……」
赤い髪の少女が、青ざめた表情で、伊地知さんを呼んだ
伊地知さんは歯を食いしばって言った。
「助けられなかった」
彼女は、唇を切っていた。
血が少し出ていた。
「PAさんが……下北沢の奈落に、堕ちちゃった!!」
「せ、先輩っ!!」
赤い髪の女の子が抱き着いて、暴れようとする伊地知さんを止めようとする。
奈落?
なんだ、それは?
あれは、どこかこのライブハウスの別の部屋が中継されていたわけではないのか?
「くそっ、くそっ、くそっ!!」
伊地知さんが叫ぶ。
「助けられなかった! 助けられなかった!」
泣き叫ぶ。
「これのせい、これのせいだ!」
ドラムスティックを、乱暴に振り上げて。
それを僕に向かって、投げつけた。
痛い!!
鋭い痛み!
きっと、折れたドラムスティックの尖った裂け目が、僕の表面を裂いたのだろう。
僕は、また、気絶しそうになる。
朦朧としてきた意識の向こう側で、伊地知さん声がぼんやりと聞こえる。
「え、血……!?」
血?
「ど、ドラムから、血が出てるっ!!!!?」
かなぎり声にも近い、その声を聴きながら、僕の意識は途切れた。
つづく