虹夏のドラムになるだけのお話   作:愛と孤独

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第8話

駅近くのビルに入っている本屋で適当に本を見て時間をつぶす。

ネット配信時代になってから、友人は本を買わなくなったと言う。

確かにその通りなのだろう。

だが僕は、時代に適応できていない。

いまだに、書籍は本屋で手に取って見つめなければ、買う気になれないのだ。

前から気になっていた海外ミステリは、あらすじと冒頭を読むと、さほど興味をひかれなくなってしまった。

僕はその文庫を閉じ、書架へと戻す。

本屋のずっと奥のほうに、18禁の暖簾が見えた。

18禁。

高校生の僕には踏み入ることができない世界。

そこには、いったい何が売っているというのだろうか。

エロ本。

エロ本には、いったい何が描かれている?

女の裸?

いいや、もっとハードな、まぐわいの行為か。

僕は、伊地知さんの裸を想像しようとした。

しかし、見たことがないものの想像は上手くできなかった。

伊地知さん。

同級生たちは、初体験は何歳ごろに済ませたのだろうか?

彼・彼女たちは、まだ誰ともセックスをしたことはないのだろうか?

どうなのだろう?

僕は、奥手な性格だ。

女性には興味があるが、話しかけることもろくにできない。

今の僕が、このまま歳をとっていっても、そうそうセックスをする機会なんて来ないように感じる。

となると、性行為というのは、一部の、僕とは性質が異なる男女のための専売特許なのだろうか?

 

伊地知さん。

君は、いつか誰かと性行為をするのだろうか?

その相手は、僕じゃダメなのか?

 

――――どれくらいの時間、僕はそんなことを考えながら、書棚を見つめていたのだろうか。

気が付くと、外がかすかに夕暮れの気配を帯び始めていた。

時計は、16時半になっている。

僕は、本屋を出た。

 

ライブハウスまで歩く道すがら、このところずっと感じている、とめどない性欲について考えた。

フロイトだかラカンだか忘れたが、どこかの心理学者が、夢と性欲の関係性について語っていたような気がする。

はっきりと覚えていないが、もしも、僕がみているあの夢が、僕の抑圧された性欲の変質して抽出された姿だとしたら?

僕が、伊地知さんに対して強い性欲を感じ始めたのは、いつごろからだっけ?

高校2年生になって、クラスが一緒になって。

どんなきっかけだった?

思い出そうとすると、頭の芯が痛んだ。

しかし、あの奇妙な夢が、もしも、僕の性欲の変容に過ぎないとすれば、少し心が軽くなる。

だって、死んだ女性なんて存在しないということになるからだ。

誰も殺されていない。

惨劇など起こっていない。

そのほうが――僕が変態的性癖を深層心理に持っているだけというほうが。

よほどいい。

 

スターリーに到着すると、ちょうどチケットの販売が始まっていた。

勝手がわからないので、適当に階段を下りて、列に並ぶ。

入り口で、もぎりのようなことをやっている子に見覚えがあった。

山田さん。

同じ学校の子だ。

この子、このライブハウスで働いていたのか。

僕の番になった。

 

「ん」

 

山田さんは、顔を上げただけだ。

ど、どうすればいいんだ?

 

「え、えと」

 

僕が戸惑っていると、彼女は言った。

 

「名前は?」

「へ?」

「名前」

 

僕のこと、同級生と認識してないみたいだ。

 

「あ、と、戸川です」

「と、と、と……ないけど」

「へ?」

「どのバンドで何枚とってる? ってか、誰の名前で取ってる人?」

 

システムがよくわかっていない僕は、目がぐるぐるになる。

 

「え、あの? どういう?」

「いや、なんかのバンド見に来たんでしょ? 何て名前で取ってるの?」

「よ、予約的な意味か? あの、別に誰にも頼んでないし、チケットもないんだ。別にバンドの目当てもない」

「はぁ?」

 

山田さんが、けげんな顔をする。

しまった。

ライブハウスって、適当にぱっと入る場所じゃなかったのか?

 

「あ、いや、その。と、飛び込み的な? なんか、こういうところで音楽聞いてみたくて」

「ふぅん」

 

沈黙。

 

「2500円になります」

「え?」

「チケット当日は、500円上がるから」

「あ、そ、そう」

 

なんかよくわからんが、入っていいらしい。

手の甲に、入場許可書的なハンコを押してもらい、ドリンクチケットをもらった。

中は、薄暗かった。

 

「お、お邪魔しますよ~」

 

おっかなびっくり、入っていく。

薄暗く狭いフロアの中に、客がたむろしている。

酒の匂い、がやがやとした雑談の声。

どれが客でどれが演者かもよくわからない。

僕は、その、人ごみの中に。

見つけてしまったんだ。

あの夢の中で死んだ、肉塊になったはずの女性を。

PAさん、と呼ばれていた、黒い髪の女の人を。

 

「うくっ!」

 

胃の中の内容物がせりあがってきた。

激しい酸っぱさが、口の中に広がる。

トイレへ行こうとしたが、間に合わない。

僕はその場に、吐しゃ物をぶちまけてしまった。

 

 

つづく

 

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