虹夏のドラムになるだけのお話 作:愛と孤独
僕が吐しゃ物をぶちまけたことで、ライブハウスは騒然となった。でも僕はそれどころではない。胃の中が熱い。燃えるようだ。
その時だ。
「あの、大丈夫ですか?」
声をかけてきたのはPAさんだった。瞬時に僕の脳裏に、あの奇妙な夢がよみがえる。この女が、天井に押しつぶされ、骨ごとぐちゃぐちゃになっていった様子がよみがえる。醜い肉の塊としてプレスされていった様子がよみがえる。
「ふぎぇ」
僕はおかしな声を上げ、女の顔に吐しゃした。だが、女は、平然とした顔をしている。その顔は美しい。まるで能面のようだ。
「ちょっと、どうしたの? 」
可愛らしい声が聞こえた。ライブハウスの奥から、伊地知さんが顔を出した。
「って、ううぇあぁぁぁ、なにこれ! え!? え!? 藤沢君!?」
こんな状況だというのに、伊地知さんが僕の名字を認識してくれていることに感動した。っていうか、伊地知さん、このライブハウスにいたのか!?
「ど、どういうことなの?」
伊地知さんがわたわたする。
「あ、あの、PAさん?」
僕に吐しゃ物をぶちまけられても平然としているPAさんに伊地知さんが近づこうとした。僕は、慌てて制止した。
「だ、ダメだ、伊地知さん、近寄っちゃいけない!」
「へ? え?」
「その女は変なんだ!」
「へ、変?」
「だって、その、僕のゲロをぶっかけられても表情一つ変えないで」
「え、これって君が吐いたの!?」
「そ、それに昨日の夢で、その人はぐちゃぐちゃにつぶされて!」
「え!」
僕がその言葉を言った瞬間、伊地知さんの顔色が変わった。
「つぶされた?」
「う、うん」
「PAさんが、何につぶされたの?」
「え、その、天井に」
「藤沢君、ちょっとこっちへ来て」
「え、で、でも」
「いいから、早く!」
「あ、あの、僕のゲロは!?」
「PAさんなら、気にしないよ。っていうか、もう気にすることもできない」
「ど、どういうこと?」
「それを説明するから!」
ぎゅっ。伊地知さんの小さくて暖かい手が、僕の手を握った。僕はドキドキした。手をひかれ、立ち上がる。ライブハウスの通路の奥へ。途中で、金髪の女性とすれ違った。チケットを売っていた人だ。
「お姉ちゃん、酔って吐いた人がいるみたい! 入口」
「へ、マジか。ったく」
伊地知さんのお姉さんだったのか。どおりで美人なわけだ。妙な関心をする僕。伊地知さんは、僕を、ライブハウスのドリンクカウンターへと連れ出した。
「あたし、今日、バイトだから。ここで話そ?」
「う、うん」
「何か飲む? ジュースでいい?」
手慣れた感じに、伊地知さんがコーラをコップに入れてくれる。
「あ、ありがとう」
まだゲロが残っていた口をゆすぎたかったけど、仕方がない。僕はコーラで流し込んだ。
「それで、君はいったいどんな夢を見たの?」
伊地知さんが、真剣な顔で問いかけてきた。