一つの景色が見えていた。
少年は教会の椅子に腰掛け、自分の膝小僧を見つめていた。一定の視界と、何を言っているかわからない長ったらしい話を続ける神父の声。周りの大人達は皆真っ黒い服を着て、大して流す涙など無いようにただじっと神父の方を見ている。
少年の父は中央政府の高官で、指揮官でもあった。彼が幼い頃、父は地上任務で命を落とした。当時、最強と名高かった部隊のニケに囲まれていながら、あっさり死んだ。
裕福な暮らしをしていた少年の生活は一変し、貧しいものになった。一時期は親戚の邸宅に部屋を借りたりもしたが、肩身が狭くなり、ロイヤルロードの中でも安いマンションの一室に身を寄せた。
母は朝から晩まで働きに出て、ロイヤルロードに住まうことにしがみつき始めていた。10を越えたばかりの少年でも父の死を切っ掛けに母がおかしくなり始めていることに勘づいていた。
それからというもの、少年はひたすら強い人間になることを求めて生きた。強くなれば、誰も文句の言いようがないくらい強くなれば、父のようにはならないと。こんな惨めな暮らしをしなくて良いと。
場面は変わって少年がもう少し大きくなった時の景色が広がっていた。2年生の教室が隣にあり、学校の廊下がずっと奥の方へ続いている。彼の通っているミドルスクールだ。
「今度の高官育成過程の推薦、先公たちはお前を推してるみたいだが、そうはさせねぇ。お前、辞退しろ」
「嫌だね、俺だって指揮官になりたいんだ。それに、将来馬鹿な犬共と一緒にお前の部下になるのはもっと嫌だ」
文句を言ってきたのは少年と上位成績を争う嫌な性格をした奴だった。争うと言っても学業だけで見れば、成績トップの少年と彼は競り合っているわけではなく、1位と2位の間には明確な差があった。それが妬み、僻みを買うのだろう。
「ふん、じゃあどっちが指揮官に相応しいか度胸比べだ。俺はこの間、アウターリムに行ってヤクザを叩きのめしてきた。証拠の動画もある。お前は何をしてくれるんだ?」
彼の見せるタブレット端末には確かに彼の手によって痛めつけられている大男の姿が写っていた。正直、見事な喧嘩ぶりだった。
「じゃあ……俺は地上へ行ってやる。アウターリムなんてゴミ溜めのホームレス一人ボコったくらいで調子に乗っているお前に、本当の度胸ってやつを見せてやるよ」
プライドのための出任せに何てことを言ってしまったんだと後悔したが、ここまで言った以上やるしかないと腹を括った少年は、早速その日の夜に地上エレベーター付近で乗り込めるタイミングを待っていた。
ロイヤルロードの住民なら誰もが寝静まる頃、時は来た。3人組の量産型ニケが地上エレベーターに乗り込もうとしていたのだ。それも大きな荷物を背負って。きっと物資に違いない。これなら生きて帰れる確率が高そうだ。
少年は警備のいないエレベーターまでの道をすり抜け、扉の閉まる直前、見事忍び込むことに成功した。
「ん? なんだこの子は」
エレベーターに乗っていたニケのうち、長い髪を後ろで束ねている1機が彼を見つけた。
「ねえ、もうエレベーターが上がり始めたわよ。その年ならここがどこだか分かるでしょ。一度地上に出たなら、そう簡単にアークへは帰れないからね?」
「どうしましょうか……」
少年の目の前には3機の量産型ニケがいた。ロイヤルロードにいても施設の展示などで見たことがあるタイプのものだ。エリシオンのロゴがボディアーマーの肩に刻印されている。確か、ソルジャーO.W.とソルジャーF.A.、そしてソルジャーE.G.の3機だったと思う。
どう言い訳しようかと考えていると、彼女達の方から話しかけてきた。
「君、何歳なの? ハイスクールって感じじゃないし、ミドルスクールの子? その制服どこかで見たことあるんだよね」
まずい、このままでは学校名がバレて通報される。そうしたら指揮官学校への推薦も取り消しになってしまう。早く適当な誤魔化しを……。いや、ここは変に嘘を吐くよりも真実味を帯びた話をした方がいい。何時間も一緒にいることになる相手だ。すぐにバレる嘘は良くない。
「じ、実は学校の実習で地上エレベーターに関するレポートを書いていて、そのフィールドワークに来たんですよ。ほら、地上エレベーターって無数にあって行き先も沢山あるじゃないですか、あはは……」
3機はそういうものなのかと考え込んでいる様子だ。よし、スクール関連の任務を受けたことのないニケ達だ。学校の文化にあまり明るくないぞ。少年は彼女達をこのまま欺き続けるストーリーを必死に考えていた。が、次の瞬間、それも水泡に期した。
「私わかったかも! 坊や、指揮官学校に推薦出しまくってるエリート校の子でしょ!?」
ソルジャーE.G.がクイズに正解でもしたかのように嬉しそうな声で叫ぶ。ああ、バレてしまった……。この際、自棄になっても構わない。通報されることだけは避けなければ。
「すみません! 実は度胸試しで地上に行こうとしていたんです! お願いですからスクールへの通報だけは! この通りです、俺を地上に連れていってくださいッ!」
不恰好で醜い土下座を見たからか、その破天荒さを気に入ったからか。ニケ達は意外にも学校への通報はしないと承諾してくれた。年端もいかない小僧がそんな理由で地上へ赴くのかと思ったことだろう。任務である以上、オペレーターへの報告だけは避けられないらしいが。
しかし、中央政府の判断はあっさりとしていた。ロイヤルの人間であることを伏せれば、子供一人くらいどうでもいいのだろう。エレベーターを降りて数キロメートルの地点にビーコンを設置するだけの指揮官要らずな任務。本当に大して問題にはならないのだろう。
これは命の心配をせずに武勇伝が作れそうだと慢心していた。これが恐ろしい体験の始まりだとはこの時の少年は微塵も思ってなかった。
「ライトニング! 何ボーッとしてるんだ、もうすぐリペアセンターに着くぞ!」
今朝見た夢のことを思い出していると、ベッドで喧しく叫ばれていた声が再び響く。エルヴィス・エドワーズの焦る顔を見るのは初めてだった。二日にも満たない付き合いだが、科学者然とした愛想の無さと、研究の話になると興奮する顔以外、あの日の前哨基地では見られなかった。
彼が朝一番に飛んできたのには理由がある。叩き起こされた後も、コーヒーを飲んでいる場合じゃないと罵られながら事情を説明された。流石に話を聞いてからは大急ぎで支度をしたが、この一晩で思いも依らぬことが起こっていた。
彼が言うには先日の任務で救出したホワイト・ダフネ隊のアイビーが記憶処理を行われたのだとか。最初に聞いた時は耳を疑った。
ニケが記憶の消去を受けるのは珍しい話ではないが、それは余程酷い破損の仕方をした時に思考転換を防ぐためであったり、高機密の任務に駆り出されたニケに口止めとしてその作戦の記憶のみを消したりするものだった。
今回の任務で彼女はそんな目には遭っていないし、植生調査に機密も何もない。
「任務遂行に失敗した“ただのニケ”が記憶の全消去だなんて、絶対任務中にとんでもないことをやらかしたんだろう!? 次シュエンに会ったら何て言い逃れするんだ!」
「全消去? それは聞いてないぞ!?」
「今初めて言ったからな! どっかの誰かが優雅にコーヒーなんて飲んでなけりゃ、もっと早く教えたさ!」
記憶を全て消去? 今回の任務だけでなく、アイビーがニケになってからの記憶全てを消去するのか? それじゃあ新品としてロールアウトするのと何も変わらない。一体、中央政府は何を考えているのか?
エルヴィスがここまで焦っているのも、科学者としてこの対応は辻褄が合わないと分かっているからだろう。特にニケに思い入れがあるわけではない。だが、不当な処理は筋が通らない。彼はそういうのを嫌っているのだ。
それにしても、アイビーはあの任務で何をしてしまったのか、いや、何を見てしまったのか。彼女の彼女たり得るものを失わせてまで守る必要のあるそれは、何なのか?
ライトニングは“ラプチャーの深奥”という前ハンドレッド指揮官のメモを思い出していた。砂漠で遭遇したタイラント級も、先日のムーン・ゲイザーも手強い個体だったが、機密になるほどの存在ではなかった。
アイビーは何か真実のうちの一つを垣間見てしまったのかもしれない。そして、それはいずれハンドレッド部隊に掛かる火の粉となる予感がしていた。どうにかしてアイビーの見てしまったものを探れないものか。
エルヴィスの運転するトラックがリペアセンターの前で止まる。二人でドアから飛び降りると一目散に中へ駆ける。
「ハンドレッド部隊指揮官、ライトニング・サンダース。階級は大尉だ。ホワイト・ダフネ隊のアイビーがメンテナンスを受けているはずだ。面会を求む」
受付の女性は目を見開いて何と言ったらいいか迷っているようだった。そもそも外部の人間がそれを知っていることに驚いていた。
「し、しかし関係者以外は面会謝絶となっているニケですので……」
自分が関係者であると言うことをいろいろと話してみたが信じてもらえないのもそのはずで、ミシリスから口頭で受けた依頼で証明できる書類がなかったのだ。そうやって受付で立ち往生していると、見覚えのあるニケが近づいてきた。アイビーと同じホワイト・ダフネ隊のヴァインだった。
「先日振りです大尉。先の任務では大尉の御力で命拾いしました。アイビーの分も併せて私から御礼申し上げます」
「その……アイビーのことは残念だったな。せっかく助かったのに記憶の全消去だなんて。よほど重罪のニケでもなきゃそうはならないはずなのに」
「いいえ、いいんです。中央政府から説明もありましたし、アイビーの承諾あっての記憶処理です。少し……いえ、かなり寂しいですが、私と彼女との思い出はこれからまた作り直せばいいのです。今は二人の命があることを喜ぶことにしました」
ヴァインは前に垂れた長髪を直すふりをしながら顔を手の甲で覆う。震える体をもう片方の手で抱きしめ、それでもまだ足りないくらい、彼女は声にならない悲しみを溢れさせていた。ずっと一緒にやってきた仲間とこれからはじめましての挨拶をするのだから。
「すみません、強がりなんです。まだ心の準備ができていなくて。とりあえず大尉のことは私から説明しますから、少しお待ちください」
ヴァインが受付の女性にいくつか話をし、了解を得たのかこちらへ戻ってくる。
「とりあえず、リペアセンター内の出入りは許可してもらいました。今日はどういったご用件でしたか?」
「なあヴァイン。こんな時に不躾を許してくれ。君に尋ねたいことがある」
「おいライトニング何を言って……!」
この研究者にそんな良識があったとは、とライトニングは感心していた。それでも聞かねばならないことがある。探究心のみではない。そこに真実があるかもしれないのだから。
「君の覚えている範囲でいい。あの日、君たちホワイト・ダフネが見たものを全て教えて欲しい」
「それは本気で言っていますか? ただの野次馬根性でしたら恩人とはいえ、容赦致しません」
「本気だ。我々は真実を知らなければならない。ハンドレッド部隊はもしかしたら、アイビーの見たものに踏み込まなければならない」
逡巡した後、ヴァインは顔を縦に振ると着いてくるよう促した。彼女の案内した先には防音設備の施された会議室があった。白を基調とした壁と床、LED電球の真っ白い光、簡素な机と椅子が並んだだけのシンプルな部屋で、本当にヒアリング以外にすることのないような場所だった。
「本来は記憶処理を受けるニケや重要な任務に就いていたニケのヒアリング室として使う部屋です。今日はアイビーのために割り当てられていたので時間を気にせずお話しできます」
ヴァインはライトニングとエルヴィスに座るよう促し、自身も腰掛ける。空気が張り詰めるのを感じた。ヴァインはきょろきょろとあたりを見回し、まるで監視カメラや盗聴器の類を探しているようだ。そう言ったものが無いのを確認できたのか、ヴァインの眉が引き締まる。
「それでは、お話しします。アイビーが見たものを。音声記録に残っていなかった、否、消去された真実を」
「会話記録:記憶処理に向けたヒアリング」ーホワイト・ダフネ隊 アイビーの記録ー
心理士:アイビー。これから君の記憶処理に入る。いくつか説明事項があるので聞いてください。
アイビー:はい。
心理士:まず、君の記憶処理は一部ではなく全てになる。ニケとしてロールアウトされてから今までの全て。これに関して異論はないね?
アイビー:はい。
心理士:次に、今回の任務で君が見たものは重要機密であることを理解してほしい。PTSDの一種で急に記憶が呼び起こされては困るレベルの。そのための全消去だが、もし仮に処理後、記憶消去が完璧でなかった場合、君は廃棄処分になるが、了承するかい?
アイビー:はい。
心理士:最後に、君は記憶処理後もホワイト・ダフネ隊として配属される。相棒のヴァインは辛い思いをするだろうが、構わないね?
アイビー:……はい。