CyberPunk EDGERUNNERS Ver1.6.3 作:甘井モナカ
1
気が付くと、彼は立っていた。
茜色の空の下、広大な土の上に立つ彼は吹き抜けるそよ風に瞼を閉じた。
耳元で風がすり抜けた後、瞼を開いた彼の視線の先にあったのは巨大な白い建造物。
要塞の様に構えつつもどこか柔らかい《アカデミー》にも印象を持たせるそれは、構造部の中心部から宙まで届きそうな塔を内包していた。
『おいおい!……一時の動揺で手前ェの《服》に着られちまうとぁ、随分とヤワなんじゃないのかい?』
「!」
自身の背後から、突如響いた声に虚を突かれた彼は弾かれるように振り返った。
建物の反対側。
沈みゆく陽を背に1つの人影が歩み寄ってくる。
黒髪の長髪の一部を彩る、赤いメッシュ。小柄な体を包み込むのは、黒地に赤線が混ざるセーラー服。
口角を吊り上げた少女は、茫然と佇む彼の前で立ち止まった。
「あんた、は……」
『そんな熱い視線を送るなよ、照れるじゃねぇか。それとも、この瑞々しい女子高生の姿に見惚れちまったのかい?』
「ジョシコーセー。……昔アカデミーで習ったぞ。確か、ニッポンの古い文化で未成年前の子供の事をひとくくりに呼称……」
『おーい、本題行っていいかぁ?』
顎に手を当てて、自身の世界に入りかける彼を見た少女は口を尖らせた。
意識外からの言葉に、彼は顎から手を放すとゆっくりと眼前に佇む少女を見つめた。
二人の視線が正面から交じり合う。
そして。
先に動いたのは、セーラー服の少女だった。
『なーに、不思議そうな目向けてんだよ?……あんたが心の奥でウジウジ悩んでっから来てやったんだろうが』
「……」
彼は息を飲んだ。いつか感じた乾いた冷気が身体の奥をすり抜ける。
自身の中で滲み出す既視感を飲み込みながら、彼は僅かに震える唇で言葉を紡いでいた。
「……あんたには、関係ないだろ」
そうだ。
これは俺の問題だ。俺自身で乗り越えなきゃいけない。
他人にとやかく言われる筋合いは、無い。
歯切れの悪い態度の彼の前で。
セーラー服の少女は、首を傾けてため息をついた。
『確かにそーかもな。……でも、いつまでも辛気臭い面見せつけられるこっちの身にもなれって』
「……」
『……話してみろよ。無関係の第三者なら、体裁なんて気にしないで済むだろ?』
眉を僅かに吊り下げた少女の瞳が彼の瞳を捉える。
先程とは異なる、温かな雰囲気が漂う視線に彼は喉を鳴らした。
自身の中で次第に蠢き始める、黒いうねり。吐き気にも似た不快感が喉の奥を刺激する。
瞼をきつく閉じ、息を深く吸い込む。
夕焼けの広場を静けさが包み込んだ。
二人の間をそよ風が何度か駆け抜ける。
雲が幾度となくその容を変えては、彼方へと消える。
夕日が建物の裏に隠れ、辺りは薄暗い影に包まれる。
ほどなくして、彼はゆっくりと固く閉ざしていた瞼と口を押し開いた。
「……嫌な奴だったんだ、あいつ。アカデミーの時、何度殴られたか分からない」
『……』
「……なのに、あの部屋の、カツオの表情が、母さんとメインのあれと重なって……」
黒髪を風になびかせながら、少女は黙って彼の話に耳を傾けていた。
彼は震える指先を握りしめる。縮こまった肩が歪に震え出す。
まるで、今から溢れ出す何かを最後まで堪えるかのように。
「無意識の内に、死んでほしくないって思ってたんだ。……なんでそう思ったのか分からなくて、そう思った事が気持ち悪くて……気づいたら景色がグチャグチャになってた」
『……ずいぶんと拗らせてんだなぁ』
「俺達は敵なんだよ!……助ける、なんて世界がひっくり返ってもあり得ないだろ!?……あいつは俺が憎くて……それに、俺は、あいつの父親を……」
彼の脳裏に浮かび上がった断片的な映像。
廃墟。
床に飛び散る氷の欠片。
痣が浮かぶ手足。
腫れあがった顔から覗く、何かを懇願する瞳。
「……っ!?」
不意に、喉奥で鈍い感触が広がった。
喉元まで迫った吐き気を堪える彼の前で少女は短く息をついた。
『なんだよ。吐き出せたじゃねぇか』
「……まだ……吐いてない」
『そっちじゃねーよ、甘ちゃん野郎。あんたが抱えてたモンの事だ。……要は過去に捕らわれっぱなしで一歩も進めてないってことだろ?』
「……」
建物の影から夕陽が顔を出し、彼の全身を再び茜色に照らし始める。
頭上に広がる夕焼けのように、温かく輝いた双眸が僅かに涙が滲む瞳を捉えた。
夕暮れを背にした彼女は、その輪郭を煌めかせながら呟いた。
『そんなあんたに1つ、アドバイスだ。……まずは、そいつと裸で話し合うだな』
「?……服を、脱げって事?」
『バッ!?ちげぇよ!心をさらけ出せって事だよ!……何赤くなってんだよ!?』
顔真っ赤にした少女が声を荒げた。
夕日に当たっている彼よりも顔が赤いのはここだけの話だ。
暫くして、落ち着きを取り戻した彼女はこほん、と咳を立てた。
『……とりあえずだな、一度話してみろよ。違う景色が見えてくるかもしれねぇぞ?』
「あいつ、と……?」
『ああ。少なくとも、あたしの時はそうだったぜ。仇みてえな奴が実は……みたいな?』
「……」
彼は自身の身体の奥で蠢いていた黒い何かが次第に薄れていくのを知覚していた。
目の前に出された、考えもしなかった1つの答え。
今までの自分では絶対に選択しない道筋だからこそ、歪な関係に終止符を打てるかもしれない。そして、その先の景色も。
彼の首元から下げられていた切削機状の《お守り》が陽射しを反射させ、茜色に輝いた。
気が付けば、自身の呼吸は落ち着きを取り戻し、手足にはいつの間にか熱が宿っていた。
彼はおもむろに首元の《それ》に触れると、ふと湧き上がってきた疑問を投げかける。
「……違う景色が見えなかった時はどうするんだ?」
『はっ!そん時は決まってんだろ……』
そよ風に揺れる前髪の奥で、少女は不敵な笑みを浮かべた。
『一発、熱い奴を噛ましてやるんだよ!』
2
おもむろに瞼が開かれる。
ぼやけた視界に映り込む、6つの輝き。
油とアルコールの入り混じったような匂いが漂う中、少年はそれが手術用の無影灯であることに気づいた。
身体の奥底が宙に浮く感覚を飲み込みながら上体を持ち上げると、彼の耳に声が投げかけられる。
「おお、起きたか。……気分はどうだァ?デイビッド」
振り返ると、薄暗い部屋の物陰から青白い光が浮かび上がる。
それは、揺れるようにデイビッドの近くへ近づけると、白い歯を見せた。
ナイトシティに蔓延る《インプラント》は何千種類と存在する。
表面的にはメーカーの既製品の流通が大半だが、中には少年が身に纏う《サンデヴィスタン》のような装着者の命すら脅かす改造品、試作品も紛れていた。
なぜそのような物が紛れ続けるのか。答えは単純。
そんな危険なインプラントを仕入れ、破格の値段で装着させる者達が一定数いるためだ。
そして、寝台に横たわる少年の前に現れた男こそ、そちら側の一人。『リパードク』。俗に言う、闇医者である男はそう呼ばれていた。
彼は悪趣味な印象を滲ませる光源付きマスクを額側へと持ち上げると、深い隈の出来た瞳をデイビッドへ向けた。
「……ドク……あれ、なんで」
「仕事中にぶっ倒れたって聞いたぜェ?……ここまで運んできたおチビちゃんに感謝するんだなァ」
「あぁ……」
男の言葉が切っ掛けで脳の奥から、僅かな刺激と共に反響する罵詈雑言。
朧気に浮かび上がった、聞き覚えのある幼女の声に少年は脱力するかのように頬を緩めた。
右手に持ったデバイスを操作しながら、リバードクは頭を掻いた。
「で、お前さん。最近その背中の奴を使いまくってるって聞いたが……ペース考えてんのかァ?」
「……」
「ハハッ。だろうな。……ま。俺としては儲かるからいいんだけどよ」
巷で流れる噂から想像はついていたが、知り合った頃から変わる事の無い猪突猛進っぷり。
彼の反応は男の想定通りだった。
眉を顰めて、口をつぐんだ少年の前でリパードクはゆっくりと肩を竦めた。
「こんな短期間で積載してる《クローム》の最大稼働を繰り返しやがって……どっかの『死神』にでもなるつもりかァ?」
「死、神……?」
「ハハハッ。そんだけ名を揚げても、まだまだルーキーだなァ?……あの化け物を知らねェとはな」
眼前でデバイスの身体検査アプリを起動した男の口から出た言葉が、少年の鼓膜を揺らす。聞きなれないどこか迷信めいた単語に首を傾げていると、乾いた笑い声が響き渡った。
彼の疑問を浮かべる表情が可笑しかったのか、似合わなかったのか、リパードクは吹き出すように息を吐くと、低い声音で呟いた。
「お前みたいな『ありきたりな伝説』は、この街には幾らでも存在する。だがこの街の均衡が崩れることは決して無い。……その原因が奴だ。まるで街の番人みてェに障害を排除し続ける……」
「街の……番人……」
「ああ。『死神』『執行者』『伝説食い』数々の異名を持つが、一番知れ渡ってるモンがある。……あの《企業戦争》から第一線に君臨し続ける、ほぼ全身クロームの生ける伝説製造機。『アダムスマッシャー』ってなァ」
デバイスから投影される茜色の光が、少年の手足を包み込む。その光の奥で、深淵のような暗い輝きを放つ青い双眸が彼の瞳を捉えた。
機材の起動音のみが僅かに響く部屋で放たれたその名は、まるで見えない鎌をのばすかのようにデイビッドの首筋に冷ややかな何かを流させた。
直後、二人の間で軽快に鳴りだす電子音。
音源はリパードクの手元。少年の身体スキャンが無事済んだようだ。
デイビッドは音に引き込まれるように、デバイスから投影される情報に目をやった。
自身の身体に組み込んでいる各種《インプラント》のパラメータに異常は見られない。『parsing : error』と表示される、背中の《インプラント》以外は。
青い双眸の持ち主は言葉を続けた。
「噂によれば、今も『伝説』を量産してるらしいぜ?コーポに歯向かう大物を片っ端から墓場送りにしてなァ。……まァ。お前も道半ばでくたばりたくなかったら、ちったァ考えてから動いてみるんだな」
「……」
デイビッドはおもむろに右手を首筋に当てる。指先に伝わるのは《サンデヴィスタン》の無骨な輪郭の感触。
底辺に這いつくばっていた彼自身を、文字通り奮い立たせた軍事用インプラント。彼の根幹とも言える《それ》は指先を通して僅かな冷たさを伝えてくるだけだった。
(暫く寝てたし、部屋の冷気で冷たくなったのか……。冷たい……?)
とりとめのない思考が脳裏を過った直後。
彼の背筋に電撃のような感覚が走り抜けた。
僅かな頭痛と共に引き起こされる、視界の湾曲。
少年の立ち位置が、闇医者の居る部屋から、血と肉の匂いが蔓延する廃墟へと移動する。
薄暗い部屋の中で横たわる彼自身に駆け寄る幼女の奥。
全身の体温を失い、冷たくなっていた男の行方は。
無造作に覆われた蒼色の前髪の奥で瞳がゆっくりと開かれた瞬間、デイビッドの意識は現実へと引き戻された。
「ドク!……俺の他に運び込まれた奴いなかったか?たぶん、俺より重症だったはずの……」
「……1人、居たぜェ」
片目をつぶり、デバイスを操作しながら答える男を横目に、デイビッドは周囲を見渡した。
慌ただしく移り変わる視界に映り込んだのは、部屋の隅にあった『もう1つの寝台』。無造作に払われた掛布団が、先刻までそこに患者が存在していた事を物語っていた。
「各部の骨折と出血箇所への対処。あと肺に穴が空いてたから、それの交換。そうしたら、意識を取り戻すなり金がねぇって吠えてよォ。……だから、まぁ一応、お前のツケって事にしてたんだが……」
「その後、そいつはどこに行ったんだ!?」
「気にするのそっちかよォ?……さぁな。お前の目が覚める前に出ていっちまったよ。震える小鹿みてェにな」
肩を揺らしながら、ケタケタと笑うリパードクを無視して、少年は足を寝台から下ろした。
足裏から伝わる冷たい床の感触と共に、遅れてやってくる各部の痛み。痛めつけられた手足は既に処置済みだが、まだ全快とはいかないらしい。
全身に覆いかぶさる痛みを渾身の決意で払いのけると、デイビッドは部屋の出入り口を見据えた。
(ドクの言ってた傷の具合なら、目覚めた時間に大きな差は無いはず。精々5~10分ってとこだろ?その時間での移動範囲なら……俺の《速さ》で追いつける)
自身の《能力》を起動させるべく息を深く吸い込んだ彼は、意識を背筋の《インプラント》へと集中させる。
鼓膜に僅かに揺らす、微小な振動と駆動音。
従来通りの起動工程を知覚した少年は出入口へ向かって一歩踏み出した。
少年の意識が《加速》する直前。
彼の肩に置かれた手が、デイビッドの意識をその場に繋ぎ止めた。
思わず息を飲む少年の背後から、ため息交じりの言葉が飛んできた。
「おいおいおい。俺の忠告聞いてたかァ?ペース考えろっていったろォ……」
「離せよドク。今ならまだ間に合うんだ。だから……」
「行き先知ってんのかァ?そいつがどこに向かってるとかな。……まさか、《サンデヴィスタン》で片っ端から探す気じゃねェーだろなァ?」
「……」
相変わらずの猪突猛進っぷり。
口を噤んだ彼の反応は、残念ながら額に手を当てた男の予想通りだった。
リパードクは深々とため息をつくと、自身のストレージから1つのデータボックスを取り出した。
通信音と共にデイビッドの網膜モニタに映り込んだのは、この辺りのマップ情報とその中で光るカラービーコン。対象を示す信号は赤く点滅しながら、移動を続けていた。
「……お前の探し人、身元不明だったからなァ……念のためにこっそり付けさせて貰ったぜ?」
「ドク……!」
「やめろォ。目ェ輝かせんなァ。……本来なら追加料金ってとこだが、ボロボロのガキから金を巻き上げても面白くねェ……」
だから交換条件だ、と男は前置きを付けると顎に手を当てながら、逆側の指先で少年を差した。
正確に表現するなら、彼の背中にある黒く無骨な脊髄を。
「今日は《それ》の使用禁止だ。……それ守れんなら、この情報を渡してやる」
「サンキュ、ドク!」
デイビッドは、男から渡されたパスワードを入力して、マップアプリを自身のストレージへダウンロードした。
読み込み作業が済むと同時にアプリを立ち上げ、対象までの距離、追跡ルートを構築する。
(この位置なら……西側の裏路地から最短距離で追いつけるはず)
少年は今度こそ、部屋の出入り口へと駆け出した。
先刻と異なるのは、《力》に頼る事無く自身の足で走っている事。
彼は振り返る事なく、通路の奥へと突き進んでいった。
3
扉の外へと飛び出した少年の後ろ姿を眺めていた男は、ゆっくりと息を吐き出した。
らしくない事をしている自覚はあった。
従来なら面倒事は避け、巻き上げるだけ金を巻き上げて早々に手を引く。
それは、欲望と理不尽が渦巻くこの街で生き抜くための1つの手段だった。
だというのに。
彼の脳裏に過ったのは、屈託のない笑顔。
この街では珍しい光景を見せる少年の道筋に男は興味を持ち始めていた。まるで、胸の内にある種の予感にも似た『瞬き』を抱くように。
男以外、誰もいない室内を静寂が包み込む。
部屋の隅に置いてある機材に向かった彼の背後で、不意に扉の開く音が響いた。
リパードクはおもむろに振り返り、そして苦笑いを浮かべた。
「おい!デイビッドの目が覚めたんだって!?……ってヤブ医者一人じゃねーか。あいつはどこにいんだよ?」
「あァー。悪い、おチビちゃん。連絡してたの忘れてわ。……デイビッドならさっき外に出てったぜ?探し人を捕まえによォ」
「はぁー!?」