CyberPunk EDGERUNNERS Ver1.6.3 作:甘井モナカ
1
繁華街を離れた場所に位置する、茜色に染まる大規模な工場地帯。
人々の喧騒は途絶え、重々しい機械の駆動音が周囲の空気を揺らしていく。その隅に流れている用水路の縁で、一人の男が肩を上下させていた。
男は深く息を吸い込むと止めていた足を前へと進め、再び歩き始めた。
裾が破れ、赤黒い色がこびり付くコートの内側からは白い包帯が見え隠れする。頬を伝う汗を拭うと同時に、苦悶の吐息が零れ落ちる。
「……あの、ヤブ医者……麻酔、ケチりやがったな……」
処置を施された全身の至る所から生じる、ナイフで刺され続けるような鈍い痛み。
足を動かす度、呼吸する度に訪れる激痛を堪えながら男は歩み続けた。
彼をそこまでさせる動機はただ1つ。
発狂する程の痛みに変えてでも、受け入れがたかった事実から目を背けるため。自身の歩みの根底を打ち砕く現実から逃れるためだった。
(あの場に居続ける事は……出来ない。あいつの目が覚める前に、あの目を見る前に離れなければ……俺、は)
心の奥底で浮き上がる不安の渦が明確な形を成す前に、身体を走る激痛で男の思考が途切れる。
先程から繰り返し続けている思慮の中断と停滞に舌打ちしながら、男はふと顔を持ち上げた。
「……なんだ?」
人一人存在しない、工場地帯の一角。
肌に張り付くような不快な振動音と、濁った灰色の蒸気が包む空間の中で、微かに響き始める1つの音。それは徐々に大きさを上げ、音を出す自身の存在を強調していく。
男は息を吐き出すと、背後に格納していた太刀をおもむろに取り出した。
想定する中で可能性が高いのは、始末し損なった自分に対するさらなる刺客。傭兵崩れの仕事をしている結果で男自身に心当たりは幾つかあった。しかし、こうも直球で襲われ続けるのは、あのフィクサーと関わってからか。
息を殺して周囲を警戒しつつ思考を廻す彼とは裏腹に、発生し続ける音はすでに聞き分けられる程にまで大きくなっていた。
小刻みに続く息切れるような重低音。恐らく車の駆動音あたりだろうか。
そして、それは彼の前に現れた。
駆動音を撒き散らしていた、灰色の装甲車は滑る様に回り込むと男の前で動きを止めた。エンジン音が鳴り止み、男の周囲を包む不快な音が消え失せる。
太刀を握る手に僅かな力が籠る。
横付けされた車のドアがゆっくりと開かれる。
降り注ぐ斜陽で影になった車内から現れたのは、一人の少年。太刀を掴んでいた彼と同年代の。
男は呼吸を忘れ、静かに目を見開いていた。
地面に足を付けた少年が羽織る黄色のジャケットが風に揺れる。彼は手にした白色の仮面を眼前の男へ向けて、ゆっくりと掲げた。
「忘れ物だぜ……カツオ」
「……デイ、ビッド」
燃え上がる炎を挟んで対峙したあの時と同じように、彼は穏やかな赤色が滲む空間で向き合っていた。
デイビッドが差し出す、傷の入った仮面に埋め込まれた赤いレンズが、その場で立ち尽くすカツオの姿を鮮明に映し出していた。
2
排出され続ける工業用水が茜色に輝きながら、用水路を流れていく。
その縁に佇むデイビッドは眼前に立つ一人の男に目をやった。
自身と同等か、それ以上の負傷をしながらここまで歩いてきた無謀な人物に彼は一周回って軽く呆れていた。
デイビッドと決して浅くない因縁を持った男、カツオ。
彼は無言で奪い取ったマスクに視線を落としてまま、沈黙と貫いていた。
二人の間に僅かに漂う、静寂。
何度か流れたそよ風がデイビッドの頬を撫でた、その時。
彼の眼前で沈黙と保っていたカツオがおもむろに口を開いた。
「……用は、もう済んだだろ。……早く失せろよ。デイビッド・マルティネス」
「それが恩人に対しての態度かよ。……っていうか勝手に治療費ツケにしたって聞いてるんだけど」
「……助けてくれと頼んだ覚えは無い」
「ああ、わかったわかった。……俺は話をしに来たんだ。お前もサイバーパンクやってたとはな。いつからだ?」
「僕がお前に話す事は無い」
デイビッドの言動の尽くを撃ち落とすかのように、言葉を放つカツオ。
取り付く島も無いとはまさにこの事だった。アカデミー時代に学習した日本の古い風刺、『コトワザ』を思い浮かべたデイビッドは静かに息を吐いた。
(……落ち着け。これじゃ今までと変わらない。……今回は違う。踏み込むんだろ?)
彼は敵意が無い事を示す様に、両手を軽く持ち上げると掌をカツオの方へと向けた。
訝しむような目を向けるカツオを前に、デイビッドはおもむろに口を開いた。
「そっか。……でも、俺はお前に言わなきゃいけない事があるんだ」
「……」
鋭い目線を向け続けるカツオを前に、デイビッドは瞼を閉じた。
妙に乾く喉を唾を飲み込み、湿らせる。
心音が自身の鼓膜をうっとおしいほどに叩いていく。
力の抜けた指先が僅かに震える。
全身に現れる悪影響はまるで、これから彼自身が紡ごうとする言葉に対する拒否反応のようだった。
きっと、この言葉を口にした後、二人の関係性は確実に変化するだろう。それが、吉と出るか、凶と出るかはデイビッド自身、直前になっても判断がつかなかった。
しかし、自身の抱えている問題は『この方法』でしか解決しない事も彼は理解していた。
だから。少年は進む事を選択する。
いつか言われた助言の通り、眼前に立つ男と『裸で話合う』ために。
茜色の中で誰かの微笑が脳裏を過る。
デイビッドは覚悟を決めて瞼を押し開くと、その言葉を紡いだ。
「お前の父親を殺したのは、俺だ」
周囲の空気が固まったかのような感覚が広がる。
2人を包む空間に静寂が舞い降りる。
眼前で目を見開くカツオを見据えて、デイビッドは続けた。心の隅で残り続けた己の罪の告白を。
「取り返しなんて、もうつかない。こんな事ただの自己満だって分かってる」
「……」
「でも、あの時のメインのやり方はきっと間違えてた。……あの時、俺が止めるべきだったんだ」
「……やめろ」
「親父さんの事は、本当にすまないと思ってる」
「……ふざけるなよ」
「カツオ、ごめん」
頭を下げるデイビッドの口から溢れ出る贖罪の言葉の数々。
相対するカツオは、肩を小刻みに震わせ続けていた。
突きつけられた情報で混乱しそうになる彼を現実に繋ぎとめていたのはある種の怒りだった。
唐突に投げつけられた半年程前に起こった父親の死の真相。
その実行犯は昔自身が下に見ていた、路上の石ころだと思っていた男。
舐め腐っていた自身を拳一振りで打ち倒し、彼自身も歯向かう事ができなかった父親を殺害し、この街で名声を溜めつつある彼が今、頭を下げている。
街の底辺で傭兵紛いの仕事で食いつないでいる、正真正銘の路上の石ころへと成り下がった自分に。
「……っ」
突如、カツオの脳裏に過去の情景が過る。
入学資金すら満足に用意できない底辺出身の生徒、デイビッドとのファーストコンタクト。
今まで見たことが無いタイプの人間だった彼は、幼かったカツオにある種の衝撃を与えていた。
それは彼が誰にも打ち明ける事が出来なかった、心の奥底で封じ込め続けていたもの。
自身と異なる生き様への嫉妬と羨望。そして僅かに漂っていた劣等感。
歪に体を震わせていたカツオをその場に繋ぎ留めていた、最後の理性の鎖が音を立てて崩れ落ちた。
「とっとと頭を上げろ!デイビッド!!」
無意識の内に叫んでいたカツオは、心の奥で湧き上がる衝動に押されデイビッドへ詰め寄った。
茫然とする彼の襟首を強引に掴み上げる。
「なんだよ!なんなんだよ!お前は!」
「……」
二人の瞳が交錯する。
青髪の奥で、目元の隈が滲む曇り切った瞳。
つり下がった眉の下で、透明な輝きを宿す瞳。
自身の胸で逆巻いていた劣等感が鮮明になっていくの知覚したカツオは、気が付くと吐き出すように声を張り上げていた。
「ずっと、気にいらなかったんだ!……全て見抜いてますって言うようなその目が!名誉も、地位も無い癖に、常に正しい選択をできるその感性が!」
「……」
掴み上げている腕の逆手に力が籠められる。口から零れる怒気が彼の体温を一段階繰り上げる。
そして、彼は目を見開いた。
目の前で敵意が膨れ上がっているというのに、尚も変わらず淀みない双眸が静かにこちらを見据えていた。
カツオの口から吐き出した衝動は、身体の奥の理性と共に残っていたブレーキを壊し彼自身の背中を無造作に押した。
振り上げられた拳が、空気を切り裂き、デイビッドの右頬を捉えた。
「上からの圧力に折れない、屈しないその反抗的な態度が!誰も止めなければ、そのまま『頂上』まで行ってしまえるその才能が!」
「……っ」
再び振り抜かれた拳が、デイビッドの左頬を撃ち抜く。
彼の唇の端から弾け飛んだ血が、カツオの頬に付着する。
「……お前と僕で何が違うんだよ!アカデミーで同じ勉強をして、退学して、地に堕ちた今!街の底辺で同じ傭兵をやってる!なのに!お前は上で……僕は下だ!」
「……っ」
「こっちは、毎日降りかかる理不尽に擦り切れそうだってのに……なんで、お前の目は変わらないんだよ!」
「……、……」
拳の先にへばり付く、肉を叩く手応え。
遥か昔にいつも感じていた感触が、余計に彼の思考を忌々しい過去へと縛り付ける。
心の奥底で湧き上がる不快感を振り払うように、カツオは無意識の内に両腕を身体の前で掲げた。
瞬間。彼の格納ストレージから、ダウンロードしていた《アプリ》が起動する。溢れ出た感情が先行した大振りだった拳が、相手を抉るような精密な拳へと変化する。
過去に彼が愛用していた《格闘チップ》のカンフーコンボ。
少年へ、殴打の雨が降り注ぐ。
繰り返される衝撃の中、デイビッドは自身の中で生まれる微かな既視感を知覚した。
昔、同じように拳の殴打で叩きのめされた。精々違うのは、繰り出す男自身の表情くらいか。
ぼんやりと思考を巡らせるデイビッドの前で、表情を歪め続けるカツオは拳の速度を上げた。
「……なんで、反撃しないんだよ!僕が憎いんだろ!?あの時の続きだぞ!」
「……」
「どこまで僕を侮辱すれば気が済むんだサイバーパンク!お前も同じだろ!?金が全てなんだろ!?」
「……、……」
「じゃなきゃ、そうじゃなきゃ!……僕がただのクソ野郎になっちまうだろうがよぉ!!」
振り抜かれた拳の衝撃で顔が跳ね上がったデイビッドの視界に、それは写り込んだ。
きつく吊り上げられた双眸から溢れ出した、雫の残滓。
降り注ぐ殴打の雨の中でデイビッドは僅かに目を見開いた。
まるで、古い鏡を見せられているようだった。少年の前で拳を振り続ける彼もまた、自身の過去に捕らわれ続けていたのだ。
デイビッドは、全身の痛みを堪えつつ息を吐き出した。
これ以上の景色は見えそうに無い。ここが到達点。そうなった場合どうするべきかの答えは、既に持っている。
少年は手足に力を籠めて、眼前に飛んできた拳を掴み取った。
伸ばした拳の先で息を飲み込む音が聞こえる。
口の中に溜まった血を景気良く吐き出して、デイビッドは呟いた。
「……分かったよ。それなら、熱い奴を一発だけ、な?」
「……!」
彼の握りしめた拳が加速して、涙の跡が残る茫然とした表情を撃ち抜いた。
二人の間で生じる鈍い衝撃音。
そして、相対した二人の身体は糸が切れた人形のように、地面へと崩れ落ちていった。
3
じんわりとした熱を持つ顔を動かして、少年は夕暮れに染まる空へと目を向けた。
白と茜色を混ぜ合わせたような雲が風に流され、視界の隅から隅へと移動していく。
雲に向かって腕を伸ばそうとしたデイビッドは身体の内側から生じる鈍い痛みに咳き込み、苦笑いを浮かべながらその行動を断念した。
思い出さないようにしていた、廃墟で起こった出来事。
あの時から、ずっと心の隅に存在した不快感が薄らいでいく。端からみれば、他愛もない行為。こんな事をしたところで、現実は変わらない。過去は戻らない。
しかし、その行為が自身の内面に与える影響度合いは別だ。きっと在学中に習った、……『ケジメ』という言葉が当てはまるのだろう。
いつか聞いた助言通り、自身の抱える物を吐き出して憑き物の落ちたような気分に包まれた彼は、腫れあがった口元を吊り上げ笑みを浮かべた。
そして、もう一人の内心を吐露しきった人物が声をあげた。
「……なぁ。……僕の父親が裏BDマニアのミーハー野郎って、本当か?」
「……ああ。……あの時会ったのも、JKの店の中だったよ」
その問いかけは、彼方で同じように地面に転がるカツオから探る様に投げかけられた。
まるで、初対面の人との会話の距離感を恐る恐る図るように。
デイビッド自身もその雰囲気に乗っ取って、ゆっくりとした口調で言葉を発する。
二人の間に僅かな間が生じた。
やがて。
カツオは喉から零れだすような笑い声を上げた。
「ははは。散々抑圧しておいて自分はそれかよ。……クソ野郎だな」
「……」
「実はな、父親の件はもうどうでもいいんだ。……むしろ感謝すらしてるよ」
「え?」
今まで聞いたこと無いような、声音で話すカツオにデイビッドは反応が遅れた。
そして、唐突に飛び出してきた彼の父親への嫌悪感に驚いた少年の口からは、言葉になる前の音が漏れるだけだった。
「お前がやらなかったら、きっと僕がやってた。……複雑な家庭環境って奴さ。よくある話だろ?仕事一筋だったからな、家族なんて蔑ろさ。家にはろくに居ない癖に支配してくる毒親。何度叩き潰されたか覚えてない……」
「……」
「そして、奴は死んでからも僕達を苦しめた。業務上の過失が全部にこっちへ来やがったんだ。機密情報の漏洩、業務成績、態度。どうやら職場でも嫌われてたらしい。……そんで莫大な借金を背負った母親は自殺。……残ったの転がり落ちたちっぽけのガキ一人って訳だ」
「……大変、だったんだな」
次々と明かされるカツオの過去をデイビッドは静かに聞いていた。
自身を足蹴にしていた男の転落する過程の話。自身の経験と酷似する内容に彼は無意識の内に下唇を噛み締めていた。
彼も悩み、苦しんでいた。面と向き合って話すだけで分かる事だった。もっと早くこうしていればさらに違う景色が見えていたかもしれない。
デイビッドは自身の内側で生じたやりきれない想いを吐息と共に飲み込み、一言だけ言葉を返した。
「そうでもないさ。今思えば良い経験にだったかもな。……母親の死を煽るクソ甘野郎達とも縁が切れたし」
「その自虐は、ちょっと笑えないぜ……」
乾いた笑い声と共に、放たれた言葉もまた、デイビッド自身が深く共感出来る内容だった。とても空元気では笑い飛ばせない程に。
暫くして、こほんと咳払いするとカツオはゆっくりと声を出した。
「デイビッド。……今まで、すまなかった」
落ち着いた口調で投げられた謝罪の言葉。
デイビッドの鼓膜を叩いたその言葉は、確かに彼の身体の奥へと溶け込む様に消えていった。
唐突に思い起こされる情景を全て振り払い、少年はおもむろに瞼を閉じた。
「……いいよ。こっちだって、もう過去の事だ」
「……ありがとう」
僅かな捉え方の相違から異なる方向へと進み、敵対し合っていた二人。長い道のりを経て、再び交じり合った二人は今度こそ、眼前の男を認め、許すことが出来た。
そんな彼らの間には、年相応の少年達に相応しい穏やかな雰囲気が漂っていた。
その空気の中で、カツオが続けて口を開いた。
「……でも、やっぱりお前の事は苦手だよ。一緒にいると僕の汚い部分が嫌というほど浮かび上がってくるのを感じるよ」
「……だったら、礼を言った直後にディスるの止めろよ。心配すんな、お前の一言余計なところは俺も気に入らないよ」
「……」
「……」
突如始まった、嫌味節の応酬。
和んでいた場の空気が再び固まる。
そして。
「「……くくっ」」
やがて、吹き出す様に笑う二人。
黄昏に包まれる空の下で、満身創痍の少年達は重なり合う様に笑い声を響かせ続けた。
4
黄昏が終わりを告げ、次第に現れる夜空の狭間で。
立ち上がった彼らの声が響く。
「じゃあな。そろそろ僕は帰るぞ」
「……なぁ、もしよかったら、一緒に仕事しないか?」
「……何の冗談だ?春はまだ先だぞ」
「エイプリルフールじゃねぇよ。……俺は本気だ。チームの中で席も余ってんだよ」
「……なるほど。分かったけど、少し考えさせてくれ」
「ああ。……誕生席作って待ってるからな」
「……なら、ホールケーキも必要だな?」
相対していた彼らは背を向けると、各々の道を歩き出した。
きっと近い未来、肩を並べる日が訪れるだろうという確信にも近い直感を宿して。