CyberPunk EDGERUNNERS Ver1.6.3 作:甘井モナカ
1
「……一時撤退だ。みんな、一度この場を離れて体制を立て直そう」
デイビッドは閉じていた瞼を開き、自身の選択を告げた。
身体にまとわりつく姿の見えない不安を振り払い、仲間へ視線を向ける。
呆気にとられた空気が一瞬流れ――。
次の瞬間、彼らは吐息とともに笑みを浮かべた。
「いいのー? この状況下で抜け出したら報酬はゼロ。ただ働きになるかもよー?」
「……今後、あのフィクサーからの依頼は来なくなるかもなぁ?」
年長者の“最終確認”。
確かに正しい。
この街で稼ぎ口を捨てるのは、生存戦略に反する。
だが――デイビッドは迷わず息を吐いた。
口角を、ほんの少しだけ上げて。
「……大丈夫。俺たちなら、また何とかなるって」
胸の奥に残る、あの“奇妙な実感”。
夜風が撫でる屋上での対話――自分の立ち位置を知ることで得た答え。
背負いすぎていた。
焦りすぎていた。
過去から逃げるように走っていた。
その凝り固まった思考を溶かしたのは、ほんの少しの“心の余裕”だった。
だから、もう迷わない。
デイビッドの決意を聞いた二人は沈黙し――。
やがて満面の笑みを浮かべた。
「了解だ。嬢ちゃん連れてとっととずらかろーぜ。キーウィ、もうちょいで行けるか?」
「あと5分でなんとかするわ。……ただ、ちょっと別の問題が出てきそうねー」
キーウィの語気が弱くなる。
理由はすぐに共有された。
彼女の双眸が茜色に輝き、三人の網膜スクリーンにマップが展開される。
「私たちの居場所が緑色マーカー。脱出するには反対側の2番ゲートを通る必要があるんだけど……」
そのゲートには、赤いマーカーが密集していた。
しかも――動かない。
まるで“待ち伏せ”のように。
そして赤点は、刻々と増え続けていた。
遠くから衝撃音と怒号が遅れて響く。
「おいおい、まじかよ。この短期間でこれほどの損耗がでてんのか」
「赤マーカーの生成具合からすると……ちょうどこっちの進行ルートと被る感じか」
「ええ。このままだと襲撃者と鉢合わせねー。残ってる兵士達もどんどん集まってくし……ここの殲滅が目的かもねー」
キーウィの指先が虚空を叩き続ける。
マップには残存兵の予想活動時間が表示される。
――2分45秒。
ファルコの治療が終わり、レベッカを連れて移動開始できるのは――5分後。
(くそ。2分ちょい足りないっ……!)
デイビッドは下唇を噛み、思考を加速させる。
現在地。
ゴールまでのルート。
障害の条件。
可能性の組み合わせ。
再現性の高い作戦案。
(どうする……? 迎撃か?)
(いや、レベッカがいる。ファルコも本調子じゃない。装甲車もここから出ないと辿り着けない……)
(考えろ……今、俺とキーウィで何が出来る? ここから皆で抜け出すには――!)
そして――。
巡り巡った思考の中で、たった一つだけ浮かび上がった答えを掴んだ。
デイビッドはレベッカをそっと地面へ寝かせ、立ち上がる。
黄色のジャケットが風に靡き、項の≪サンデヴィスタン≫が黒い外装を覗かせる。
(大丈夫だ。俺の立ち位置は……分かってる)
仲間のため。
居場所のため。
必要な武器を揃えるため、彼はキーウィに声をかけた。
「キーウィ。≪リンケージ≫の準備だ。この≪ICE≫を俺のストレージにインストールしてくれ」
「はー? ちょっと待ちなよ。ファルコはまだ動けない。それにレベッカだって……って、まさか」
「ああ。俺が囮になって、みんなの脱出ルートを確保する」
キーウィの表情が固まる。
だが、デイビッドは続けた。
襲撃者が離れないなら――。
こちらから動いて、誘導するしかない。
必要なのは、ハックに耐える防御壁。
本来は個別調整が必要だが、時間はない。
だから――。
≪リンケージ≫。
ストレージを直結し、処理速度と演算領域を“合算”する危険な裏技。
互いの思考速度、判断の癖、処理の優先順位。
どれか一つでも噛み合わなければ、双方の脳へ“二人分の情報量”が逆流し、半年の廃人が確定する。
正気の沙汰ではない。
だが――。
デイビッドの瞳は、成功を疑っていなかった。
その“信頼”に射抜かれ、キーウィは心の奥で舌打ちした。
そして――。
根負けしたように、大きく息を吐く。
「わかったわー。……ただし、負荷を考えて≪ICE≫は一部オミットするから」
「ああ。数秒持ちこたえればいい」
「そんじゃ……いくわよー」
「ああ!」
二人は光学ケーブルを引き出し、接続する。
警告文が網膜に浮かぶが、デイビッドは弾き飛ばす。
≪ICE≫が流れ込む。
脳が重くなる。
痛みが走る。
インストール完了までの時間が表示される。
同時に――。
≪サンデヴィスタン≫が起動した。
視界が引き延ばされ、色彩が抜け落ちる。
音が消え、心音だけが世界を叩く。
停滞した世界の中で――。
少年の思考と文字通り一体化したキーウィが、無音のまま書き込みを続けた。
二つのストレージが重なり。
二つの思考が同期し。
二つの“脳”が一つの目的へ向かって走る。
デイビッドは自分の思考の中に、キーウィの冷静な演算の“気配”を感じた。
そして――。
二人の処理領域を束ねたまま、彼女は彼のストレージへ≪ICE≫を書き込む手を止めなかった。
やがて――。
静かに≪加速≫を解く。
世界が動き出す。
情報の濁流が身体に襲いかかる。
デイビッドの身体から滲み出たのは、キーウィと同じ色“微かな脈動”。
≪クローム≫の反動に震える手足を纏うそれは、周囲の闇夜は僅かに照らし出していた。
「なんとか、成功したみたいね……」
「ああ。これならいける。……そっちは任せる」
鼻血を拭いながら、デイビッドは前を見据える。
衝撃音も怒号も、いつしか遠くなっていた。
――残存兵の損耗が早いのか。
――襲撃者の幕切れか。
考えるまでもない。
「2分だけ引き付けて。それ以上たったら途中で引きあがること。OKー?」
「わかってる。レベッカを頼む」
「……気をつけろよ。無理だと思ったら隠れろ。……≪ICE≫がある分、相手の視界に入んなきゃ微有利だからな?」
「ああ。ファルコも、早く治ってくれよ」
金色の防御壁を抜け、デイビッドは闇へ走り出す。
その背中を――。
地面に倒れた小さな指先が、追い求めるように動いた。