CyberPunk EDGERUNNERS Ver1.6.3   作:甘井モナカ

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06話 フィクサーズ・プロット

 

 

 

 1

 

 

 土煙が宙を舞う。

 くすんだ灰色をひっくり返したような景色の中で、おもむろに立ち上がる人影が2つ。

 いずれも全身に土と泥をかぶり、掠れた呼吸音を断続的に漏らす。

 周囲に霧散していく焦げ落ちた肉の匂いを吐き捨てるように、デイビッドは顔を持ち上げて声を張り上げた。

 

「どういう、ことだよ!……ルーシー!?」

 

 喉奥から出た叫び声に全身が鈍い痛みを返す中、少年は懸命に前方へと目を凝らした。

 遠方で燃え広がる炎の光が、霧のように広がる土煙の輪郭を少しずつ解いていく。

 その奥で佇んでいるのは、一人の女。

 

「それはこっちが聞きたいことよ!なんで、あんたが……」

 

 言葉尻が僅かに震えた、ルーシーの悲痛な叫び声が虚空へと溶け落ちる。

 声を発した後、彼女は力が抜けたかのように膝から崩れ落ちた。

 ルーシーが羽織っていた外套は大半が破れかけ、隙間から伸びる手足には包帯が垣間見える。

 満身創痍の彼女を見て少年は言葉を失った。

 

(噂、通りだったんだ。こんな戦いを彼女はずっと、本当に一人きりで……)

(馬鹿か俺は!そんなの今どうでもいいだろ!早く行かなきゃ。ルーシーの所へ!)

 

 肺に溜まった空気を一斉に吐き出すと、デイビッドおもむろに立ち上がった。

 一歩踏み出すごとに走り抜ける全身の激痛を堪えながら、彼女の元へと歩み寄る。

 近づく度に、彼女の姿が鮮明になっていく。

 あれほど綺麗だった銀髪は土と泥にまみれ、手足に巻かれていた包帯も所々が赤黒い血痕で滲んでいた。

 デイビッドは無意識の内に唇の端を噛みしめていた。いつもは隣にいたはずの彼女がこれほどまでに遠く感じる。物理的に広がる二人の距離は、最近二人がどこかで抱いていた心の距離を連想させた。

 

 夜になると、僅かに陰りを見せる横顔。

 知らない内に減る、家に常備していた応急キッドの中身。

 一時期控えて、見なくなったはずの煙草の空き箱。

 いつしか素肌すら見せなくなった、彼女の背中。

 少年の脳裏で点々と浮かんでいた情景が徐々に線で結びついていく。

 

(何が『守る』だ。何もできてない、分かってなかったじゃねーかよ……!)

 

 デイビッドは心の奥底で己の無知を呪った。

 少年の知らないところで彼女は人知れず戦い続けていたのだ。その孤独と苦しさを一端でも想像すると酷く悲しく、そして僅かに腹が立った。

 その孤独感をどうして教えてくれなかったのか。今の俺では君の隣は釣り合わないのか。

 己の中で歪に混ざり合う感情を抱えながら、デイビッドは彼女の前で立ち止まる。

 少年の足音に気づいたのか、ルーシーの肩が僅かに震えた。

 傷だらけの身体を抱き、上体を小さく縮める様子はまるで、怒られるのを怖がる子供を彷彿とさせる。呆気にとられた少年は、己の心の奥で逆巻いていた感情が薄らいでいくのを知覚した。

 デイビッドは軽く息を吐くと、ゆっくりと彼女の名前を呼んだ。

 

「ルーシー、ごめん。さっきも、今までも。俺何も分かってなかった」

「……違う、あんたは悪くない」

「でも、俺馬鹿だからさ、言ってくれないと分からないんだ」

「……違うわ、馬鹿なのはわたしのほうよ。あんたに隠して、一人で、勝手に……」

 

 俯きながら、思いつめたように言葉を零す彼女を前に、少年はゆっくりと膝を落とした。

 もう一度、彼女の名前を呼ぶ。

 

「ルーシー」

「……っ」

 

 震えながらも、恐る恐る顔を上げた彼女と少年の視線が交じり合う。

 

「帰ろうぜ、俺たちのホームに。これまでの経緯とかは一休みしてからでいいからさ」

「……デイビッド、わたし、は」

 

 デイビッドはルーシーの前でいつものように仰々しく口角を持ち上げると、彼女の眼前へおもむろに手を差し出した。

 張りつめていた空気が次第に解けていく。

 銀髪の前髪の奥で、僅かに細められた双眸に雫が宿る。

 地面を張り付いていた手がゆっくりと動き出す。

 傷だらけの手は同じように傷にまみれた手へと伸ばされ――。

 

「最高の再会だったじゃあないか、二人とも。涙が出たよ。……私の掌の上で踊る様が滑稽すぎて、だがね」

 

 突如として、二人の間に投じられた低い声。

 デイビッドとルーシーの双眸が声の聞こえた方角へ向けられる。

 彼らの視線の先、コンテナから燃え広がる炎を背に一人の男が立っていた。

 爆炎と同じ、しかしどこか悪辣な印象を与える赤色のジャケット。顔の右側に位置する義眼を含めた4つの眼が、ほくそ笑むかのように細められる。

 

「ファラ……デー?」

「そう、あんたが……!」

 

 唖然とする少年と表情を険しくする女を前に、男は白煙を吐き出す。

 音もなく暗闇へ溶けていく煙草の煙の奥で、ファラデーは静かに笑みを浮かべた。

 

 

 2

 

 

「おや?どうした?続けないのかな?」

 

 ファラデーは再び煙草の煙を吐き出すと、仰々しく肩をすくめた。

 突如現れた雇い主の登場に、困惑を隠せなかった少年は隣で僅かに肩を震わせるルーシーに気づく。

 前方に立つ白髪の男に対して、敵意を滲ませる彼女を一瞥したデイビッドは、ゆっくりと二人の間に身体を割り込ませるように立ち上がった。

 

「なんのつもりだ、ファラデー。俺の受けた依頼はあんた達の『取引』の護衛だ。済んだなら連絡しろよ」

「不要な気遣いに感謝する。【取引】ならこれから行うさ。……ようやく商品が2つ、手元に現れたのだからな」

「あ?」

 

 少年の質問へ、気怠そうに返答したファラデーは煙草を足元に放り捨てる。まだ残り火の灯る煙草の殻を靴裏で覆い隠すと、それの息吹を止めるかのようにゆっくりと磨り潰した。

 言外に何かを含ませるような答えに、少年は眉をひそめた。

 意図が読めない。

 そう判断してもう一度口を開こうとしたデイビッドは、不意に自身のジャケットの裾が後ろから掴まれていることに気づいた。

 

「デイビッド。逃げて」

 

 囁くような、しかし、何かを恐れているような声が響く。

 彼が背後に目をやると、ルーシーが普段と異なる雰囲気を纏いながら表情を強張らせていた。彼女の双眸は茜色に輝いたまま、一点を見据え続けている。

 女の網膜スクリーンの端々に投影されるのは男の内部ストレージ情報。

 少年が立ち上がった瞬間から、≪クイックハック≫を仕掛けて優に十数秒が経過した。彼女の中である種の違和感が膨れ上がる。

 

「どうしたんだよ、ルーシー。あいつは俺達の依頼主で……」

 

 困惑の返事を返す少年を横目にルーシーは背筋に冷たい何かが零れ落ちるのを感じた。

 眼前の男の≪ICE≫が崩せない。正確に表現するなら、対象には入り込めるのに僅か数秒でアクセス経路自体が遮断されていく。まるで侵入するルートを全て先読みされているような感覚を覚えた彼女はもう1つの違和感に目を向けた。

 男の右手付近から計測される正体不明の熱源。

 次第に大きくなるそれにつれて、≪クイックハック≫の効力が次第に低下していく。

 網膜スクリーンの片隅で投影される『アクセスエラー』の明滅の速度が彼女の早鐘を打つ心音とリンクする。

 心の奥から湧き上がる違和感が臨界点を突破する中、焦燥感に背を押されたルーシーは吐き出すように声を上げていた。

 

「いいから!≪サンデヴィスタン≫を使ってでもここから、早く」

「……逃がすとでも?」

「っ!?」

 

 悲鳴にも似た叫び声を受け、再び前方へと振り向いた少年の眼前に白髪の男が立っていた。

 驚愕を口元で噛み殺したデイビッドは瞬時に体勢を押し下げ、背筋の≪クローム≫へ火をつける。

 雷鳴にも似た電気信号が全身を走り抜ける音と共に、視界の全てが停止する。

 土煙すら固まる中、少年の眼前に男が所持しているであろう武器の確認しようと駆け出した。

 会話の間で瞬時に距離を詰めてくるところから見て、恐らく近距離で機能する何かを持っているはず。そう推測したデイビッドの思考はそこで途切れる事となる。

 

(こいつ、何も持ってねぇ!?)

 

 少年が男の周りを駆けまわる中で、武器または、それらしい≪クローム≫は認識できなかった。おまけに、丸腰に加え片手はズボンのポケットに突っ込む始末。

 先ほど感じた敵意が嘘のように思えてくるところで、デイビッドは足を止めた。

 

(傭兵舐めてんのか?……それとも飼い犬には手を噛まれないと高をくくってるとか)

(いや、そんなことよりルーシーの怯え方がおかしい……)

(こんな奴軽く吹き飛ばして、いったん皆の所に合流しねぇと!)

 

 脳裏を過る様々な思案を押しのけて、目の前の障害を対処する事にした彼は左腕の≪アームランチャー≫を稼働させた。

 砲塔へと可変した左腕を相手の足元に照準を合わせる。

 

(腐っても雇い主だ。命までは取らねぇ……)

 

 心の内側で言い訳するように呟くと、少年は自身の≪加速≫を解いた。

 停止していた情報が濁流のように彼の五感を刺激する中、デイビッドは静かに引き金を引いた。

 燐光が滲み出す砲口から、必殺の一撃が発射される。それは、男の足元へと着弾し、彼の上体を遥か彼方へと吹き飛ばす。

 はずだった。

 

「……!」

 

 突如、紫紺の輝きが周囲を満たしていく。

 デイビッドは凝視した。紫紺に輝く閃光が男の周囲でうねりを上げるのを。

 ルーシーは睥睨した。それが意思を持つかのように重なり合い、膨大な鎖のようなものになるのを。

 静かに佇む男の周囲で生まれ出た紫紺の鎖が、少年の放った一撃をいとも容易く呑み込んだ。

 溶けるように消えた砲弾にデイビッドは目を見開いた。

 そして、立ち竦む少年の鼓膜にその声が響く。

 

「年上には敬意を払えよ。アカデミーで教わらなかったか?」

「デイビッド!逃げ……」

 

 男の呟きに被さるように発せられた悲痛な叫びを少年が最後まで聞くことは無かった。

 その声へ反応を返すよりも先に彼の身体は真横へと吹き飛んだ。遅れて発生するのは、肉塊が地面へ衝突する衝撃音。それは膨大な熱量と閃光が少年の元へと襲い掛かった結果だった。

 

「がっ!?」

「デイビッドッ!」

 

 視界が反転を繰り返す。鼓膜の奥で全身の骨が軋む。

 幾度も地面を跳ねた後、彼の身体はコンテナの壁面へとぶつかり、その動きを止めた。

 喉からせり上がった血を吐き出しながら、デイビッドは喘ぐように呼吸音を漏らした。

 

(なんだ、よ。今のは)

(俺の、攻撃を……飲み込んだ?)

 

 震える両手を地面へと押し付け立ち上がろうとするも、力が入らない。片側の網膜スクリーンが割れて視界の一部が鮮血に染まる。

 朦朧とする意識の中、遠くから笑い声と共に神経を逆なでるような声が少年の元へ響く。

 

「どうだね?自身が信じていた≪力≫を砕かれた感想は?」

「知る、かよ……クソ野郎」

 

 デイビッドの全身にクロームを過積載したかのような重圧が這い寄る。

 吐き捨てるように呟いた反抗の意思とは裏腹に、彼の身体はいまだに立ち上がることができなかった。

 歪に口角を持ち上げたファラデーは、再び掌を紫色へと輝かせる。掌の上の虚空から生成される紫紺のうねりがデイビッドへ近づこうとしていたルーシーへ殺到する。

 弾かれたように顔を持ち上げた彼女の身体を覆いつくすほどの物量が迸った。

 

「あっ……!」

「ルーシー!」

 

 回避する間も無く手足を縛り付けられたルーシーの口から苦悶の声が零れる。

 少年の叫び声から引き離されるように、彼女は白髪の男の前へと引き釣り出された。

 白髪の下で輝く4つの眼がゆっくりと細められる。

 

「さっきからずいぶんと強引な≪ノック≫をしてくるじゃないか?まるで開けられない金庫を目の前にしたコソ泥のような……」

「なら、さっさとこの気色悪い紐を解いてくれる?加齢臭が匂ってしかたないんだけど」

「……口の減らない女だな」

 

 ルーシーは、頭上に立つファラデーへ唾を吐き捨てた。笑みを浮かべていた白髪の男の表情が消える。

 その裏でルーシーは拘束された両腕に静かに力を籠める。手足を縛る紫色の輝きは彼女の身動きを許さない強固さを見せていた。しかし、拘束している範囲は彼女の全身の半分ほど。両腕に関しては手首より先は自由な状況だった。

 手首のアタッチメントを開放するスペースを確保したルーシーは間髪入れずに≪モノワイヤ≫を起動させる。

 体に残った僅かな力を振り絞り、地べたを転がるように身体を反転させた彼女は、手首から伸びる必殺の閃光を男の首元へと弾き飛ばした。ファラデーの首に光線状の糸が音もなく絡みつく。

 

 「ん?」

 「とった!さぁ、これであんたの命は私が握ってるも同然。死にたくなかったら早くこれを……」

 

 形勢逆転。

 突如絡みついた糸に間の抜けたように眉を顰めた男に対して、ルーシーは≪モノワイヤ≫を軽く引きながら要求を口にして、直後、言葉を失った。

 ファラデーの身体を紫紺のうねりが包み込み、首元の光線状の糸を飲み込んだ。

 そして、まるで落雷が電線を伝うかのように、膨れ上がった輝きが≪モノワイヤ≫を通じて彼女の身体へと叩き落とされる。

 

「……ぁ!?」

 

 ルーシーは不意に全身の感覚が途切れていること知覚した。

 鼓膜が周囲の音を拾わない。

 自身の身体がどこにあって、どのような容をしていたかわからなくなる。

 視界が激しく明滅する。

 そして、直後に激痛が彼女の全身へと襲い掛かった。

 

 身体が熱い。

 脳が、頭の奥が沸騰する。

 肺に溜まった空気が全身の穴という穴から噴出する。

 果てしなく続く全身の痙攣が、身体中の筋繊維を千切っていく。

 

「ぁぁぁぁぁっ!!」

「何かほざいていたような気がしたが、気のせいだったか。それにしても良い声で鳴くなぁ?」

「……ルーシー!?ルーシー!やめろっ!ファラデー!!」

 

 ルーシーの喉から迸る悲鳴が、いまだ地面に倒れこむデイビッドの鼓膜を叩く。

 下卑た笑みを浮かべる男の呟きをかき消すように絶え間なく発せられる苦悶の声は、遥か先に居る少年へ助けを求めるように響き渡り続けた。

 懸命に首を持ち上げる少年には、赤く滲む視界の奥で激痛にもがき苦しむ彼女の姿を捉え続けることしか許されない。

 彼の血と共に吐き出された静止を求める声は、無情にも虚空に溶けて消えていくだけだった。

 

 

 3

 

 

 汚水と油の混じった匂いと共に、夜風の吹き抜ける音が少年の鼓膜を撫でた。

 焼けるように痛む喉から、しゃがれた声しか出なくなってからどれくらい時間がたったのだろうか。

 あれほど響き渡っていた悲痛な叫び声も今では聞こえなくなり、代わりに聞こえてくるのは神経を逆なでする笑い声のみとなっていた。

 

「ふふ……ははははっ、もう終わりか。独りよがりの売女にしては耐えたほうだったか?」

「……」

 

 ファラデーは首元に絡まった≪モノワイヤ≫の残骸を無造作に振り払うと、おもむろに煙草へ火をつける。

 口から吐き出された煙が緩やかな風にのって地面へと流れていく。

 その男の足元で倒れこむ女は手足を力無く伸ばし、その表情を銀色の前髪で覆い隠していた。

 

 「この辺りでフィナーレといったところかな。……どうだね、デイビッド。私も中々面白い脚本を書くだろう?」

 「何、言って、んだ……?」

 「そうか。君の配役は『またしてもなにも知らない愚かな傭兵A』だったな。いいだろう、迎えのヘリが到着するまで『おさらい』といこうか」

 

 少年の呟きに男は煙草の吸殻を放り捨てながら、両手を仰々しく持ち上げた。

 月明りが広場でただ一人立ち続ける男の背中を照らし続ける。まるで、舞台に立つ主役を際立たせるスポットライトのように。

 

 男は語った。孤独に耐えながら一人で戦い続けてきた彼女の歩みを。それは底辺の屑のみ選べる無謀にも等しい茨の道だと。

 男は語った。彼女が戦ってきたのはコーポと自身が用意した駒だったと。次第に追い詰めらていく様は感動するほど滑稽だったと。

 男は語った。彼女の戦う理由が、少年自身だったことを。当の本人はそれに気づかず、間の抜けた日常を送っていたことを。

 

 デイビッドはおもむろに視線を落とした。

 眼前に広がるのは、自身の血痕が滲む冷ややかな地面。

 あの時振り払ったはずの感情が再び少年のそばへと這い寄る。心の奥を抉る後悔と、その後ろから滲む微かな怒り。

 そして、彼はそれを吐き出した荒い息吹と共に口の中で噛み殺した。

 

(ってことは、だ。こんな状況になったのは、ルーシーが苦しまなきゃいけなくなったのは……)

 

 彼の奥深くで、どす黒い何かが首をもたげた。

 

「かくして、君たちはすれ違い、この月明りの下で感動的な再会を果たしたわけだ。どうだね?泣けてくるだろう?」

「……、……!」

「そして、これから訪れるのは巨大な権力に押しつぶされる悲劇的な結末だ。心の準備は出来たか?」

 

 獣のように息を荒げる少年の前で、ファラデーは再び口角を持ち上げた。靴底をゆっくりと持ち上げ、足元の女の頭に押し付ける。

 まるで煙草の吸殻を揉み消すように、革靴の底で銀色の髪を必要に撫でる男を前にデイビッドの最後の理性がはじけ飛んだ。

 

(……ない。……ゆる、さない。……ゆるさない。ゆるさない。ゆるさないゆるさないゆるさねぇゆるさねぇゆru、ku、ろ、すころ、すころすころすころすころす!ぶっっころす!)

 

 少年の視界、鼓膜にノイズが走り抜ける。

 砂嵐のような明滅が知覚を塗りつぶす中、彼の瞳は歪にぶれ始めた。

 

「ころす!ぶっ殺す!ぶっ殺してやる!」

「おいおい?ついに狂ったか?」

「その足をどけろぁ!下種野郎ぉ!!」

「まだ、取引前なんだ。それ以上悪化されると困るのだがな」

 

 正常な人間の反応とは思えない興奮を通り越した激情が少年を突き動かす。

 迫りくる怒声に呆れたファラデーは、再び拳の中から紫紺の輝き振りかざした。雷光の如く、闇夜を照らす紫色の燐光が大きなうねりを上げて大気を突き進む。

 デイビッドはぶれる眼をより一層見開き気炎を上げた。呼応するように、背筋を覆う黒色の外殻≪サンデヴィスタン≫が起動する。

 

「があああああっ!!!」

 

 喉から迸る絶叫が闇夜を揺らした瞬間、少年の世界がその動きを止める。

 彼は両手を地面へと叩きつけると文字通りその身体を跳ね上げさせた。ゆらりと両足で立った直後、眼前に迫る紫紺の閃光を潜り抜けて遥か前方に佇んでいる男との距離を一瞬で零にする。

 腕部のクロームを変形させるより先に、その拳を相手の顔面へと叩き込む。

 唐突に、世界が動き出した。

 鈍い打撃音が少年の鼓膜に響く。腕に伝わる感触を知覚しながら、デイビッドは反射的にその身体をのけぞらせた。反転する視界の中、紫色の閃光が鼻先を通り抜ける。

 数回、地面を蹴り上げてファラデーとの距離を離した彼は、再び荒い息を零しながらその顔を持ち上げた。

 激しい吐息とは反対に、その顔色は生気を失っていくかのように次第に青くなっていく。

 こぽり、と鼻から赤い鮮血が流れ落ちた。

 相対する男の周囲に散乱していた燐光が薄らいでいく。唇の端に浮いた血を拭いながら、ファラデーはゆっくりと目を細めた。

 

「杞憂だったか。まだまだ楽しませてくれるとはな」

「~~~……!!」

 

 崩れ行く少年を前に、男は再び歪んだ笑みを零した。もはや彼の口から吐き出される声が言葉を成していなかった。

 幾度となく放たれる閃光を潜り抜ける度に彼の脳裏にノイズが走り抜けた。恐怖や焦りと言った本来ある意思が薄れ、敵意や殺意と言った攻撃的な思惟が拡大する。

 戦闘力を跳ね上げていく代償として、失われていく≪人間性コスト≫。

 歪な欲望を告げる甘美な囁きがデイビッドをゆっくりと、着実に『狂人』へと誘う。

 

(……あいつをこわせ、つぶせ、けしとばせ)

(……おれのぜんぶをつかって)

(めにうつるもの、すべてを……)

 

 冷静な判断力をかなぐり捨てた少年は、ただ心の奥から湧き上がる声に突き動かされ、その足を踏みしめた。

 ただ眼前の敵を排除すべく、再びその体勢を低くして襲撃の構えを取る。背筋の≪クローム≫が低い嘶きにも似た駆動音を響かせる。

 そして、少年が地面を蹴り上げた直後。

 彼の視界は白く塗りつぶされた。

 

「!?」

 

 後から訪れる電気的な衝撃がデイビッドの脳天を突き抜ける。湧き上がる激痛に、彼の意識が断続的に途切れる。

 少年は羽を捥がれた鳥のように、地面へと失速した。

 視界が黒く塗りつぶされる前、地べたへ倒れこむ刹那の時間、彼の鼓膜にある声が流れ込む。

 

「遅かったじゃないか。もう少し早く介入してくれれば、こちらの手間が省けたのだがな?……キーウィ」

「うっさいわねー。報連相もできないくせに、人の仕事にケチつけてんじゃないわよー」

 

 

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