CyberPunk EDGERUNNERS Ver1.6.3 作:甘井モナカ
01話 シアターデート
1
『無駄な足掻きだ。なぜそれが分からない……』
『あなたこそ、無駄です。私を、いくら抑え込んだところで、今の彼らには勝てないでしょう……!』
薄暗い闇の中で、鎖のように伸びる幾つもの影が一人の人間を締め上げる。
苦悶の吐息を滲ませながらも、眼前を睨みつける白髪の女。
彼女の視線の先で闇の奥から影を伸ばす男は、呆れたように息を吐き出した。
『勝てない、だと?……配置された壁を乗り越えられず、この場所にたどり着くこともできない奴らに?』
『あっ……!』
巻き付いた鎖が白い肌に食い込み、女の口から悲痛な声が零れ落ちる。
自身の繰り出す力の前で無様にもその四肢を縛り上げられている女と、助けに向かいどこかで土に埋もれたその仲間達。
勝敗は既に決している、はずなのに。
まとわりつく鎖の奥で、静かに見開かれた女の瞳は輝きを失っていなかった。
鬱陶しいその輝きが、男の神経をじわじわと逆撫でていく。
相対する二人の間に訪れる、僅かな静寂。
男はゆっくりと口角を吊り上げた。
現実が理解できなくなるだけの気高い誇りなど不要。理解できないのなら力づくで理解させるまで。
己の中で生じる黒い炎に導かれる様に男は伸ばした右腕に力を籠める。
女へと伸びる鎖がさらなる苦痛を生み出そうとした瞬間。
彼女の指先が、明滅した。
正確には、指先ではなく彼女の左薬指に着けられた小さな指輪。
指輪にはめ込まれた翠色の宝石が、その輝きをより一層強くするかのように光を灯す。
『……?』
目の前で起こる不可思議な現象に、男は首を傾げる。
『……っ!』
自身の指先で生じる光を見つめた女は、静かにその瞳を見開いていた。
『……んんんっ!』
やがて、鎖で縛られた手足を力任せに突き動かし、左腕を前へと掲げた。先程と変わらない相対する女の無意味な抵抗。
しかし、先刻と異なるのは輝きの中で僅かに潤んだ瞳。
まるで、光から生じる温かさの正体を知ったかのようにその双眸は揺れ動いていた。
男が息を飲みこむのと同時にそれは起こった。
指先から生じる翠色の光が輝きを増す。
その中心で露わになる、燃え盛る炎のような赤色。苦難を乗り越えた叛骨の意地が姿を現す。その中から、マントを靡かせる一人の男が飛び出した。
巻き付いた鎖を引きちぎり瞬く間に、傷ついた女を抱きかかえる。
青みがかった前髪に掛けられた無骨なゴーグル。
無骨ながらも、確かな温かなを伝えてくる逞しい腕。
『助けにきたよ……!ニア!約束どおりにな!』
自身が今、最も会いたかった男が彼女の目の前に立っていた。
『うん……!』
見開かれていた女の瞳に涙が浮かぶ。
心の内から溢れ出す想いを堪える様に、彼女は深く頷き返した。
『馬鹿な!知的生命体が、あの多元宇宙迷宮を脱出できる訳が……』
『なめんじゃねぇ!』
眼前で起こる理解が追い付かない状況に、呟やいた男の言葉が魂の叫びにかき消された。
胸元に女を抱き込みながら、マントを背負う男は続ける。
『時間だろうが、空間だろうが、多元宇宙だろうが、そんなこと知ったことじゃねぇ。てめぇの決めた道をてめぇのやり方で貫き通す!……それが俺たち、大グレン団だ!』
『良く言ったあ!旦那ぁ!今のは火消し魂も燃える、良い見栄だったぜー!』
『そうだぜ、真っ黒さんよぉ。人にはなぁ守るべき物が3つあんだよ。約束と、愛と……』
『いいねー、こういう熱いの。ま、あたしも売られた喧嘩は買うのが信条だからさ。かかって来なよ、能面野郎!』
『……ッ!』
自身の眼前に広がる闇へと挑む男の背後から現れる、幾つかの人影。
それは、鶏冠のような青髪をした半裸の男。
それは、黄色の包帯を全身に巻き付けた紫髪の青年。
それは、黒いセーラー服を纏い、赤い鋏のような太刀を携えた少女。
並び立つ人の意思に、僅かに気圧された男は自身が纏っていた闇を増大させる。
『だが!ちっぽけな人間が、揃ったところで強大な力には敵わない……!自分の貧弱さを呪うが良い!!』
周囲の空間から異音が生じる。空気がうねりをあげて場をかき乱す。
男を飲み込んだ漆黒は姿を膨れ上がらせ、莫大な質量を持った人型へと変化していく。
その足元で、蠢く闇を見上げた男は、マントを靡かせながら口角を吊り上げた。
『……皆、アレをやるぞ』
『『『『……アレ?』』』』
周囲から投げかけられた、短い疑問詞。
男は不敵な笑みを浮かべながら答えた。
彼が持ち得た、唯一の答えを。
『決まってるだろぉ?……合体だぁぁぁぁぁ!!』
巻き起こる爆発の輝きに包まれた視点は、漆黒の闇を超え、静けさに包まれた荒野を超え、成層圏を超えた。
やがて映るのは、蒼く輝く惑星。地球。
次の瞬間。
やけにビートを刻むロックなリズムが鳴り出し、画面は暗転した。
古びた狭い室内で淡々と流れるエンドロールを見つめるのは、二人。
軽く欠伸をしながら、手元のトウモロコシを炒めた菓子《ポップコーン》を口へと運ぶ、銀髪の女性。
そして、その隣で呆けたように口を開けて、画面を見つめ続ける黄色のジャケットを羽織った黒髪の少年。
暫く沈黙していた二人は、揃って口を開いた。
「あら?……終わったみたいね?」
「……爆発オチなんて、サイテーだよ」
2
昼下がりの陽気が差し込む中、賑わいを見せる街並み。通路に出ている売店からは、香ばしい匂いが漂ってくる。
通路を練り歩く人々に混ざりながら少年は歩いていた。
黄色のジャケットを揺らしながら、唸るように思い浮かべるのは先程見た《映画》について。
先日、彼女がダイブ中に見つけたという情報を頼りに、街の隅で細々とやってる映画館へ突撃。昔上映していたとされるフィルムを見つけ、それを二人で鑑賞していたのだが……。
どうしても納得のいかない結末に、瞼を閉じて口を結んでいると、彼の隣から小さな声が響いた。
「どう?デイビッド。《映画》、面白かった?」
「まぁまぁ。っていうか、最後あれで終わり?あんだけ引っ張っておいてラスボス戦は次作かよぉ。うーん、……ルーシーは?」
耳に吐息感じる程至近距離で呟かれた言葉に反応したデイビッドは、思わずかぶりを振って隣を見る。
彼の視線の先で歩く、独特の着崩し方をする女、ルーシーは、静かに笑みを浮かべた。
「そーねぇ。わたしも同じ感想かしら。……それにしても、ずいぶんと熱中してたみたいじゃない?」
「へへっ。昔の娯楽文化ってのには、前から興味あったしさ。それに、ニッポンの風景が映像で見られたのがデカいって!アカデミーでも白黒の静止画しか無かったんだぜ?……《フジサン》がまさか青くて白いとは驚いたよぉ。《ゴジュウノトウ》とかもあんなに重なっていて下、崩れないんだぜ?いやぁ、あの辺を見られたのはマジでヤバいって……!」
彼女の前で目を輝かせて感想を語る姿は、年相応の少年そのものだった。
最近は見てなかった、彼と出会った当初の雰囲気を垣間見たルーシーは再び頬を緩める事になった。
まったく。こうも無防備な姿を見せられると、少し意地悪したくなるのが乙女心の厄介な所だ。
彼女は、心の中で嘆息しながらもノリに乗って少年へ煽りをいれた。
「ふふふ。楽しんで頂けたようで何よりだわ。最近逞しくなってるみたいだけど、まだまだ子供なのねぇ?」
「……!子供って。……ルーシーだって、映画観る前に買ってたトウモロコシのお菓子に夢中だったろ!?……あれ。っていうか最後の方、俺の分も食べてなかった?」
「知らないわぁ。手の止まってた方が悪いんでしょ?」
「観てから食べようとしてたの!」
「はい、はい」
頬が少し赤いデイビッドのムキになった反攻を躱しながら、彼女は踊る様に歩いていく。
肌に触れる周囲の喧騒が少し心地よく感じる。
前方から吹き込んだ、暖かなそよ風が前髪を流していく。
口を尖らせたり、耐えきれずに吹き出したり。
他愛のない会話を続けながら、肩を並べて歩く二人。
まるで、映画の主人公達が演じていた休日の場面を切り出したかのような雰囲気に包まれる。
しかし、ここは《ナイトシティ》。
優雅な雰囲気とは真逆の要素が重なり合い、夢と欲望の渦巻く街。
仮初の平穏が長く続く事はない。
たとえ、それがデート中であっても、事件は平等に起こりうる。
そして、本日の事件の引き金はあっさりと引かれる事になる。
彼らの前に現れた一人の少女によって。
「はわわわ……!」
「むぎゅあ!」
「え……?」
長く続いた通路の曲がり角で、デイビッドが突然ひっくり返った。
隣を歩くルーシーが唖然とする中、彼女は1つの違和感を覚えた。
倒れ込んだ彼の顔。
その上に覆いかぶさるように、倒れ込んでいる小柄な体。
「んー?」
「……うーん」
「!」
彼女が顎に手を当てて注意深く観察していると、下敷きとなった少年が呻き声を上げた。
その声に反応したのか、倒れ込んでいた小柄な体は瞬く間に飛び上がり後方へと転がり込む。
顔に圧し掛かっていた重石が消え、むくりと上体を上げた少年は息を吐きながら後頭部を擦った。
口がバッテンに見える程きつく結ばれている。相当痛かったようだ。
「いててて……」
「ちょっとぉー。大丈夫ー?」
「ああ……。なんとか」
傍らで心配そうに腰を曲げるルーシーに手で合図を送りながら、デイビッドは前を見据えた。
少年の視線の先に居たのは、地べたに座り込む小柄な体の少女。
歳は彼より下だろうか。幼さが残る顔に黒縁の眼鏡をかけていた。
「あ、あの!すすす、すみませんっ!」
二人は揃って目を丸くした。
頬に汗を滲ませて目を泳がせていた少女が、開口一番で土下座をかましたからだ。
「あ。頭を上げてよ。ほら、俺なら大丈夫だからさ」
「い、いいえっ。ほ、ほんとうにっ、失礼しま、したぁ……!」
少年が慌てて声を掛けるも、少女は依然として頭を下げ続けていた。
「……、……!」
「ひどく怯えてるわね。……なぁに?こいつが怖いのぉ?」
「……ルーシーはちょっと黙ってて」
少女の隣に座り込み、茶番を始めるルーシーに釘を刺したデイビッドはおもむろに立ち上がった。
ジャケットのポケットに手を入れながら、ゆっくりと少女の前に腰を下ろす。
彼は間近で少女の衣服が所々汚れている事を気がついた。
汚れ方から見て、工場用重油に鉄錆といったところか。街の中を転がり込まないと、こうは汚れない。
元々、至る所で転がるのが趣味か、あるいは汚れを気にする暇がないほど追い込まれているのか、どちらかだろう。
少女の背中が僅かに震えるのを見て、後者だと確信したデイビッドは小さく息を吐いてポケットから手を抜き出した。
「じゃーん。俺のおやつ、《チョコボール》だ!甘くておいしいんだぜ?ほら、一個やるよ」
「……」
少年が少女へ差し出したのは、最近ハマっているニッポン製のとあるお菓子。小さな箱には、茶色くて丸いチョコに顔の様なイラストが描かれている。
途中、隣でルーシーのニヤニヤした視線を感じたが、デイビッドは心を鋼にして無視する事を決心した。
彼の尋常ならざる覚悟が通じたのか、震えていた少女は僅かに顔を上げると掌のお菓子へ手を伸ばした。
「あ、ありがとう、ございます……」
「おう。もし、君が困ってるなら力になりたいんだけど、どうかな?」
「……そうだよ。このお兄ちゃん、すっごーい傭兵だからさ。なんかあるなら言っちゃいなよぉ?」
「さっきから、その変な裏声何なの……」
普段とは異なるテンションを見せる彼女に呆れながらも、デイビッドは少女を見つめた。
少女は眼前の二人を交互に眺め、やがて唇を震わせた。
小さな掌でぎゅっとお菓子の箱を握りしめて。
「あ、あの!助けて、くださいっ!ここ、怖い人達に、追われてるんです!」
「……わかった。誰か、頼りになる人はいるのかい?」
「わ、わかりません……」
「え?」
デイビッドは咄嗟に首を傾げた。
質問に対する少女の返答が想定とズレていたからだ。『いる』か『いない』ではなく『わからない』。
彼の胸の内に芽生えた、違和感が輪郭を象る前に、隣に立つルーシーが声を掛けた。
「じゃあ。なんで追われてるのか、教えてくれる?」
「わ、わかりません……」
「わからないって、あんたねぇ……」
要領を得ない少女の返答に眉をひそめたルーシーは、自身の瞳を茜色にを光らせた。
周囲の視界が流れるように移り変わり、意識が電子の海へと落ちていく。
彼女の得意技、《クイックハック》。
周囲のネットワークを介して、対象のデバイス内に入り込む。この場合だと、介入先は少女が有しているインプラントチップ内部。
そして、少女の内側に存在する電脳世界へ飛び込んだ彼女の目に映ったのは、驚愕の事実。
「……嘘でしょ。情報記録媒体のデータが全て破損してる」
「え?それってどういう事?」
「つまり……」
自身が無意識の内に呟いていた言葉に、状況が飲み込めていないデイビッドが反応する。
意識を現実に引き戻したルーシーは、妙に乾いた喉に唾を送り込みながら少女を見据えた。
俯いていた少女は、おもむろに顔を持ち上げた。
差し込む陽の光で、眼鏡のレンズを反射させながら眼前に佇む二人を見つめる。
ルーシーが言葉を発するよりも先に、少女は口を開いていた。
「ないんです、私には。……昨日までの記憶が」