CyberPunk EDGERUNNERS Ver1.6.3   作:甘井モナカ

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07話 ブラフ

 

 

 

 1

 

 

 

 時は少し遡る。

 

 二日酔いを悪化させたような頭痛が、脳の奥を鈍く叩いていた。込み上げる吐き気を押し殺しながら、レベッカはゆっくりと身を起こす。

 

 震える指先。霞む視界。ハックの後遺症がまだ身体に残っている。

 ぼやけた視界の先に転がっていたのは、おびただしい数の遺骸だった。そしてその奥では、紫紺の閃光が夜を裂いている。

 

 鮮烈な光が視界を塗り潰した瞬間、脳裏に別の光景がよぎった。

 電脳攻撃の急襲を受け、崩れ落ちた自分。

 仲間を逃がすため囮を引き受け、闇へ消えていった黄色のジャケット。

 

 ――そして今。

 

 同じ色のジャケットが、暴力じみた輝きに飲み込まれていた。

 

 赤い飛沫が宙に散る。

 吹き飛ばされた少年の向こう側、地に伏せた人影の銀髪が見えた。見間違えるはずがない。

 

 その瞬間、震えていた指先が止まる。

 彼女は足元に転がっていた銃へ手を伸ばした。

 

「レベッカー? その銃、離しなさい」

「……嬢ちゃん、今はまずい。俺達ゃまだ本調子じゃねーんだぞ」

「何言ってんだよ、年寄りども。あいつがやられてんだぞ……このまま黙って見てろってのか?」

 

 運転席から飛んでくる制止の声では、もう止められなかった。

 痺れの残る手足に舌打ちしながら、レベッカは重たい銃を握り締める。いつもなら身体の一部みたいに扱えるそれが、今は妙に重かった。

 

 装甲車のハッチへ手を掛ける。

 重々しく車内へ伝播する開錠音と共に響いた深いため息に、彼女は最後まで気がつかなかった。

 

「レベッカ、止まりな」

 

 車内に、乾いた沈黙が落ちる。

 

 その沈黙を裂いたのは、怒声でも、威圧でもない。

 ひどく静かな、女の声だった。

 

「あたしに――引き金を引かせないで」

 

 その言葉は、レベッカの首筋から熱を絡め取っていく。

 

「……ババア、なんの真似だ」

「おいおいおい。笑えねえジョークだぜ、レディ」

 

 車内の空気が凍りつく。

 三人分の呼吸音だけが、やけに鮮明に耳へ刺さった。

 

 首筋を、見えないコードでも巻き付くような悪寒が這う。

 レベッカはゆっくりと視線だけを動かした。

 車内ミラーの向こう。

 そこには、運転席へ向けられた銃口と、その先に立つ女の姿があった。

 

 鈍く光る灰色のマスク。

 その奥で、茜色の瞳が妖しく輝いている。

 

 キーウィは気怠げに煙を吐き、視線を車外へ向けた。

 遥か先。

 激戦の中にいる、黄色いジャケットの背中へ。

 

「おい、まさか。キーウィ、やめろ!」

「黙ってな」

 

 跳ねるように振り返った瞬間、レベッカの身体から力が抜ける。

 膝から崩れ落ちた。

 

 決死の反撃を読んでいたキーウィの《クイックハック》が、彼女の神経の一部を焼き切る。

 ゴトリ、と。

 手から滑り落ちた銃が車の床を打つ。

 

 キーウィは咥えていた煙草を車外へ放り捨てると、そのままゆっくりと歩き出した。

 開いたハッチから、冷えた夜風が車内へ吹き込んでくる。

 全身が麻痺していく中、レベッカは必死に顔を上げた。

 発砲音は聞こえなかった。

 

 その代わり。

 視線の先で、少年の身体が不自然に揺れる。

 背後から撃ち込まれたハックに貫かれ、彼は地面へ崩れ落ちた。

 あれほど激しく翻っていた黄色のジャケットが、今は力なく地面に張り付いている。

 動かない。

 

 夜気は冷えていくのに、胸の奥だけが焼けるように熱かった。

 困惑。

 驚愕。

 そして、煮え滾るような憤怒。

 

 感情がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、喉の奥へ込み上げてくる。

 それが言葉になって噴き出すまで、時間はかからなかった。

 

「キーウィィィ……!!!」

 

 

 

 2

 

 

 

「それでー? この襲撃の被害はどーするつもりよ?」

「依頼先は商品さえ手に入れば、損害は補填すると言っていた。……替えはいくらでも利く。問題は無い」

 

 ファラデーは肩をすくめると、手にした煙草へ火を点けた。

 吐き出された白煙が夜気へ滲んでいく。

 海沿いの冷たい風に攫われながら、その煙は隣に立つキーウィの横顔をゆっくりと覆い隠した。

 

「ふーん……」

 

 気の抜けた返事だった。

 その声に、ファラデーは僅かに口角を持ち上げる。

 夕暮れの高架下。

 まだ互いに路地裏を這い回っていた頃、隣で煙を吐いていた女の姿が脳裏を掠める。

 

 鼻を鳴らし、ファラデーは煙草の箱を当時の面影を残す女へ差し出す。

 

 キーウィは僅かに目を丸くした後、おもむろに一本引き抜いた。

 彼女はしゃがみ込み、火を点ける。

 

 闇夜へ二筋の白煙が立ち昇る。

 

 二人の間に会話は無かった。

 埠頭に積み上がるコンテナ群。波の音。遠くで唸る貨物船の駆動音。

 ナイトシティの喧騒から切り離されたような静寂が、その場を包んでいた。

 

 やがて、しゃがみ込んだまま女が口を開く。

 

「ねぇー。思ったんだけどさ。色々根回しして、ここまで回りくどいやり方とる必要あったのー?」

「無いな。私のただの趣味だ」

 

 男は煙を吐く。

 

「面白かっただろう?」

「私、演劇には疎いんだけどー。……変わんないねー、あんたも。成り上がったあの頃から」

「……お前も変わらないな。その不躾な態度も、随分久しい気がするぞ」

 

 他愛のない会話を交わしながらも、ファラデーの思考は別の場所にあった。

 

 数時間後に控えた『商品の取引』。

 依頼主であるコーポの選択肢は2つ。こちらの要求を呑むか、切り捨てるか。

 

 前者なら結構。

 笑顔で握手のひとつでもしてやればいい。だが十中八九、選ばれるのは後者だろう。

 

 男は冷静に戦力差を計算する。

 

 数では敵わない。

 街の支配者たるコーポと正面からぶつかって勝てる道理など無い。

 

 だが――質ならどうだ。圧倒的な数を覆す個の力。

 

 男は静かに右手を握り締めた。

 もはや自分を止められる者など存在しない。

 埠頭を吹き抜ける夜風さえ、今の彼には追い風に思えた。

 

「さて、そろそろ撤収の時間だ。お前はどうする? 合流前に後片付けを済ませておくか?」

「片付け? ああ、装甲車に縛り付けたあいつらのことねー」

 

 女が僅かに顔を上げる。

 

 その視線の先では、動力を停止した装甲車が、巨大な鉄の棺の様に沈黙していた。

 中に残された連中など、もはや脅威ですらない。

 この場に、自分を阻む障害は存在しない。

 街を覆う欲望も、裏切りも、しがらみも。

 それら全てを踏み越え、ここまで辿り着いた。

 

 ファラデーの口元が自然と歪む。

 

「ふふふ……ゴミ処理は任せる。そんなことより――今夜、私はコーポの中枢へ入り込む」

 

 男の口に含んだ煙草の火が赤く灯る。

 

「どうだ? 望むなら、お前にも有利な待遇を交渉してやってもいい」

「へぇー? ずいぶん太っ腹じゃーん。こりゃ明日は槍でも降るかなー?」

 

 女は笑いながら、倒れ込んだ銀髪の女へ視線を落とした。

 そっと頬へ触れる。

 二度、三度。

 撫でる指先に合わせるように、彼女の瞳がゆっくりと茜色へ染まっていく。

 

 その変化に男は気づかない。

 

「今の私は気分が良いからな。また私の手足として扱ってやるぞ?」

「うーん。そーねぇ」

 

 煙草を地面へ落とし、靴底で踏み潰しながら、ファラデーはようやく女へ視線を向けた。

 路地裏を這い回っていた頃と同じように。

 女が今でも、自分の後ろを歩くものだと疑いもしないまま。

 

 だから気づけなかった。

 彼女が一度も視線を合わせなかったことに。

 灯した煙草を、一度も口へ運ばなかったことに。

 

 キーウィはゆっくりと顔を上げた。

 

「……死んでも御免だわ」

 

 吐き捨てられた言葉と同時に、茜色の双眸がファラデーを射抜く。

 

 次の瞬間。

 焼けつくようなノイズが、男の神経回路へ強引に割り込んだ。

 

「――ッ!」

「『ナイトシティでは人を信じるな』……昔、あんたがよく言ってた言葉でしょー?」

 

 ファラデーの身体が崩れ落ちる。

 膝を打ち、片手を地面へつきながら、男の視界では警告ウィンドウが赤く明滅を繰り返していた。

 

 焼き切れた神経接続。

 途切れていく内部リンク。

 ノイズ混じりの警告音。

 

 キーウィはそんな男を一瞥すると、指先に挟んでいた煙草へゆっくりと目を落とした。

 

 結局、一度も口をつけなかった煙草。

 

 彼女は短く息を吐き、それを静かに地面へ放り捨てる。

 赤い火種が、濡れたコンクリートの上で小さく弾けた。

 

 

 

 3

 

 

 

 足元では、2つに割れたライターから燃料が滲み出し、地面の割れ目へ流れ落ちていた。

 その傍らで、ライターの持ち主は屍みたいに地面へ伏している。

 もう指先1つ動かない。

 

 キーウィはそれを一瞥すると、ゆっくりと立ち上がった。

 夜風が灰色のマスクを撫でる。

 

 彼女はおもむろに通信ウインドウを開いた。

 装甲車の中で息を潜めている仲間達へ向けて。

 

「ほらー。こっからは、あんた達の出番よー。とっとと二人を回収して撤収ー」

『よっしゃ、一働きといきますか。……しかしよ、さっきの芝居にゃ震えたぜ? 女優とか目指せんじゃねーのか?』

『は?……ちょっ、どういうことだよ。おい! 髭! あいつ裏切ったんじゃねーのかよ!』

 

 年長者二人の間延びしたやり取りへ噛みつくように、レベッカが声を張り上げる。

 その最中、停止していた装甲車のエンジンが唸りを上げた。

 重たい駆動音を響かせながら、車体がゆっくりと前進を始める。

 

『サブプランって奴さ。あの男と馴染みだったキーウィにしかできねぇ、初見殺しのカウンターパンチだ』

 

 ファルコが愉快そうに笑う。

 

『……嬢ちゃんは良くも悪くも顔に出るからな。だから、仕方なく一芝居打ったって訳だ』

「そーいうこと。まさか私が、あんなモラハラ男に靡くとでも思ったー?」

 

 キーウィは肩を竦める。

 

「ないわよねー。ティーンの女じゃあるまいし。……あら、お子ちゃまにはその辺わかんなかった感じかしらー?」

『はぁ!? お子ちゃまじゃねーし! もう立派なレディだし! つーか二人とも笑い堪えてんじゃねぇよ! ぶっ飛ばすぞコノヤロー!!』

 

 通信越しに響く怒鳴り声。

 だがその奥に滲む安堵を、キーウィは聞き逃さなかった。

 レベッカもまた、人知れず胸を撫で下ろしていた。

 

 装甲車が徐行しながら、倒れ伏した少年の傍で停止する。

 次の瞬間、ハッチが勢いよく開く。

 

『デイビッド!!』

 

 レベッカが転がるように車外へ飛び出していく。

 その小さな背中を横目に、女は足元へ視線を落とした。

 地面へ倒れたまま動かない銀髪の少女。

 キーウィはゆっくりと彼女を抱き上げる。

 

 力なく垂れ下がる手足。

 銀髪に隠れた顔は見えない。

 だが、胸元は微かに上下していた。

 

 生きている。

 その事実を確認した瞬間だけ、キーウィの眼差しから僅かに険が抜ける。

 

「……まったく。世話かけるわねー」

 

 小さく零れた言葉は、夜の海風へ静かに溶けていく。

 腕の中では、銀髪の少女がか細い呼吸を繰り返していた。

 孤独に一人で戦い抜いた少女を前に、キーウィは無意識のうちに眼差しを和らげる。

 

 言いたい事は山ほどあった。

 その中から、この場に相応しい言葉を選びながら、キーウィはゆっくりと口を開く。

 

 ――その瞬間。

 熱い何かが、喉の奥から込み上げた。

 

「……っ」

 

 口端から鮮血が溢れる。

 遅れて、胸の奥を焼くような激痛が走った。

 

「……え?」

『『キーウィ!!』』

 

 震える視線を落とす。

 自分の胸を、紫色の光刃が背後から貫いていた。

 刃は不気味な駆動音を響かせながら、肉と金属を同時に灼いている。

 

 背後で、湿った呼吸音が聞こえた。

 壊れた機械みたいな息遣い。

 やがてそれは、聞き覚えのある笑い声へ変わっていく。

 

「ははは……さっきのアドリブは悪くなかった。だが、詰めが甘い」

 

 低く濁った声。

 そこには先ほどまでの余裕とは異なる、歪んだ狂気が滲んでいた。

 

「事象を捻じ曲げるこの力の前では、無力に等しいな」

「ファ、ラ……ッ!」

 

 キーウィの胸を貫く紫色の刃が、ゆっくりと回転する。

 肉と内部パーツを同時に抉る嫌な駆動音。

 激痛に身体が跳ね、キーウィの口から血塊が溢れ落ちた。

 抱えていた銀髪の少女が腕の中から滑り落ちる。

 

 いまだ意識が戻らない少女の身体が、地面へ倒れこんだ。

 ファラデーはその様子を、まるで作業の確認でもするみたいに一瞥する。

 

 次の瞬間。

 キーウィの身体が片手で掴み上げられた。

 男の腕には、不気味な紫電が脈打っている。

 

「ッ……!」

 

 宙へ持ち上げられたキーウィの瞳が、微かに茜色へ染まった。

 

 だがファラデーは、それを一瞥しただけだった。

 取るに足らない悪足掻きとでも言いたげに、男は無造作に腕へ力を籠める。

 そして、そのまま女の身体を前方へ放り投げた。

 乾いた衝撃音が埠頭へ響く。

 砂埃が舞い、彼女の身体がコンテナ脇の地面を何度も転がった。

 

「キーウィ!?」

 

 レベッカは反射的に叫んでいた。

 怒りと恐怖が入り混じった声。

 気づけば腰のホルスターへ手が伸びている。

 

 小銃を引き抜き、ファラデーへ銃口を向けた。

 狙いを定めるより先に、指が引き金へ掛かっていた。

 

 その瞬間。

 後ろから伸びた大きな手が、レベッカの肩を掴む。

 

「よせ、レベッカ」

 

 ファルコの声は低く鋭かった。

 そこには、いつもの軽薄さが欠片も無い。

 

「離せよ! あいつが……!」

 

 レベッカは振り返る。

 涙と怒りで濡れた双眸。握り締めた小銃が、小刻みに震えていた。

 だがファルコは首を横に振るだけだった。

 その表情には、苦さと悔しさが滲んでいる。

 

 「今行けば、お前も同じだ」

 

 短い言葉だった。

 だが、その現実を否定できる者は誰もいない。

 レベッカは唇を噛み締めながら、ゆっくりと前へ視線を戻した。

 

 その先で。

 ファラデーがゆっくりとこちらへ顔を向ける。

 その視線の先。男とレベッカ達の間には、気を失ったままのルーシーが地面へ倒れ伏していた。

 男が片手を僅かに持ち上げる。

 

 次の瞬間。

 紫色の紫電が空間を奔り、地に伏せる少女の身体へ絡みついた。

 

「ッ――!」

 

 レベッカが息を呑む。

 

 不安定に明滅する力場が、少女の身体を無理矢理引きずっていく。

 手足が地面を擦る嫌な音。力なく揺れる銀髪。

 ファラデーは一歩も動かない。

 まるで落ちていた荷物でも回収するみたいに、ルーシーの身体は男の足元まで引き寄せられていく。

 

 そして。

 紫電が弾けた。

 支えを失った少女の身体が、鈍い音を立てて地面へ転がる。

 

 乾いた衝撃音が、夜の埠頭へ響く。

 

 レベッカの肩がビクリと震えた。

 握り締めた銃へ、さらに力が籠もる。

 ファラデーは砂埃でも払うみたいに手を振ると、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。

 

 4つの義眼が、暗闇の中で鈍く光る。

 そこに感情は見えない。

 怒りも。

 焦りも。

 勝利の高揚すら。

 ただ、自分がこの場の支配者であるという確信だけが、冷たく張り付いていた。

 

「蓋を開けてみれば……つまらん余興だったな」

 

 男は軽く首を回し、肩を鳴らす。

 その仕草には、激戦を終えた者の昂揚ではなく、退屈な仕事を片付けた後みたいな気怠さだけが滲んでいた。

 

「さぁ、次はお前達だ」

 

 ファラデーがゆっくりと口角を持ち上げる。

 

「どう私に歯向かってくる?」

 

 その瞬間。

 男の周囲の空気が、音もなく一変した。

 

「……ッ」

 

 レベッカの喉がひゅっと鳴る。

 握り締めたハンドガンが、小刻みに震え始めていた。

 挑発のはずだった。

 なのに怒りより先に、肌を這うような悪寒が全身を貫いていく。

 

 勝てない。

 本能が、そう理解していた。

 

 ファラデーが指先を軽く払う。

 次の瞬間――。

 紫色の残光が、男の周囲へ花弁みたいに展開した。

 空気が震える。

 地面の砂がふわりと浮き上がり、周囲へ不規則に跳ね始めた。

 

 確かな異変を感じ取ったレベッカが、思わず一歩後ずさる。

 

「……おい」

 

 ファルコの声音が低く沈む。

 その表情から、徐々に余裕が消えていった。

 

 そして――。

 周囲の闇の中で、倒れていた護衛の指先がぴくりと跳ねる。

 ひとり。またひとり。

 沈黙していた傭兵達が、不自然な動きでゆっくりと立ち上がり始めた。

 

 ルーシーのハックで無力化されたはずの護衛達。

 その双眸には、紫色の光が不気味に揺らめいている。

 

「な……なんで……!?」

 

 レベッカの声が裏返る。

 手にしたの銃口は、もはや狙いを定められていなかった。

 次々と立ち上がる傭兵達を前に、彼女は無意識のうちに半歩後ずさる。

 

「おいおい、嘘だろ……悪夢なら覚めてくれよ」

 

 ファルコが乾いた声を漏らした。

 だが、その視線は一瞬たりともファラデーから逸れない。

 数々の修羅場を潜り抜けた経験が、目の前の存在へ警鐘を鳴らしている。

 逃げろ、と。

 

 ファラデーはそんな二人の反応を楽しむように、ゆっくりと肩越しに振り返る。

 4つの義眼が紫電を反射し、鈍く輝いていた。

 

「言っただろう」

 

 男の口元が、ゆっくりと歪む。

 

「つまらん余興だったと」

 

 護衛達は言葉を発しない。

 ただ紫色の瞳を揺らめかせながら、命令だけを刻み込まれた機械みたいに、一歩、また一歩と二人へ迫ってくる。

 

 ひとりが首を不自然な角度へ傾ける。

 もうひとりは肩を小刻みに震わせながら歩き続けていた。

 別の男は、足元を確かめるみたいに何度も地面を叩いている。

 どの動作にも“人間の癖”とは異なる不気味さが滲んでいた。

 その姿は、半世紀前に実在した糸操り人形を彷彿とさせる。

 

 レベッカは震える手で銃を構え直した。

 隣で、ファルコが静かに息を吸い込む。

 

 風が吹く。夜の空気が、凍てつくみたいな重圧へ変わっていった。

 遠くの街の喧騒すら掻き消しながら、護衛達の行進音だけが埠頭へ響く。

 

 やがて。

 複数の銃口が、ゆっくりと二人へ向けられた。

 

 ――そして。

 

 次の瞬間。

 夜の埠頭へ響いたのは、銃声ではなく鈍い炸裂音だった。

 連続する破裂音が闇を裂く。

 

 白煙。

 幾つものスモーク弾が地面へ転がり、爆ぜるように煙を吐き出した。

 

「なっ――」

 

 レベッカが目を見開く。

 濃密な白煙が一気に広がり、護衛達の姿を飲み込んでいく。

 紫色の残光すら、白く濁って消えていった。

 

 その煙の奥から。足音だけが響く。

 重くもない。軽くもない。

 ただ迷いのない一定のリズムが、白い霧を押し分けるみたいにゆっくりと近づいてくる。

 

 護衛達の動きが止まった。

 レベッカも、ファルコも動けない。

 

 そして。

 足音へ重なるように、白煙の奥から声が落ちてきた。

 

「あぁ、そこの人。3秒以内に伏せてくれ」

 

 一拍置いて、それは淡々と言葉を続ける。

 

「……君らのリーダーみたいに、地べたで永眠したくなければね」

 

 

 

 4

 

 

 

 『……3』

 

 静かに始まるカウントダウンを告げる声がレベッカの鼓膜を揺らす。

 白煙の奥で鳴る足音が徐々に大きくなる。

 意味はまだ理解しきれていない二人の元へ向けて。

 

『……2』

 

 不意にファルコの表情が変わる。

 彼の脳裏に走るのは先日のデイビッドが零していたハイウェイ襲撃犯の手法。

 状況を飲み込んだ彼は、レベッカの肩を掴むと――そのまま地面へ押し倒した。

 

「嬢ちゃん……伏せろ……!」

「な……!?」

 

 レベッカは息を呑み、ファルコに押し倒される形で地面へ身を伏せる。

 

『……1』

 

 足音が――二人の目の前で止まる。

 伏せた姿勢のまま、レベッカはそっと目線だけを上げる。白い煙の向こうに、ひとつの影が立っていた。

 

 その影が、静かに言葉を落とす。

 

『ゴミ掃除の時間だ』

 

 呟きと同時に発生した甲高い金属音と低い電撃音が混ざり合う。白煙の中で顕現するのは雷光の如く輝きを纏った刃。

 閃光を放ちながら降り抜かれた刃が周囲の世界を等しく撫でる。

 

 刹那。空気が裂けた。

 白煙が一陣の烈風に吹き飛ばされ、視界が一気に開ける。

 

 次の瞬間。

 護衛たちの胴体が、ずるりと崩れ落ちた。紫の残光を纏ったまま、彼らは音もなく地面へ倒れ込む。

 

 煙が晴れた中心に――刀を静かに鞘へ戻す青髪の少年が立っていた。

 その姿は、まるで嵐の目のように静かだった。

 

 ファラデーは紫紺の奔流で衝撃波を相殺していたが、その義眼のひとつがわずかに見開かれた。

 

「……元優等生が何のようかな? カツオ」

 

 少年はゆっくりと顔を上げる。その瞳には怒りも焦りもない。ただ、冷たい決意だけが宿っていた。

 

「久しぶりだな、ファラデー。……自分がしたことを忘れたのか?」

 

 ファラデーの脳裏に、口封じの記憶がよぎる。

 

「あの時のことなら申し訳ないと思っているよ。拉致するときの手際の悪さと……確実に君を抹消できなかったことを、な」

 

 カツオは肩をすくめ、軽く首を傾けた。

 

「そのことなんだが……そこで寝てる男を半日貸してくれたら、許してやらないこともない」

 

 ファラデーの義眼がわずかに収束する。紫紺の残光が、彼の足元でゆらりと揺れた。

 

「……なに?」

 

 青髪の少年は片手をポケットに入れたまま、もう片方の手で刀の鞘を軽く叩く。

 その音が、静寂の中で妙に響いた。

 

「あいつ、僕のマスクを壊したっきりでね。その賠償金をせびろうと思ってさ。その後はちゃーんと引き渡すよ、あんたに。コーポに売り渡すなり、使い潰すなり好きにすればいい」

 

 白髪の男は鼻で笑い、紫紺の奔流をわずかに強めた。

 空気が低く唸り、砂が足元で跳ねる。

 

「なるほど。合理的な判断だな。……私を交渉相手にしていなければだがね」

 

 男の周囲の残光が一段階強まる。攻撃体勢。

 カツオは一歩も引かず、ただ視線だけをわずかに鋭くした。

 

「おっと。交渉決裂になるなら、僕もあんたへの復讐を優先させてもらう」

 

 彼はゆっくりと刀の柄へ指を添える。

 抜く気はない。だが“抜ける”という事実だけを提示する。

 

「具体的には、このまま周辺のあんたの護衛をなで斬りにして、この埠頭そのものを沈めて道連れってとこかな」

 

 ファラデーの義眼が細められ、紫紺の光が“獲物を値踏みするように”脈動した。

 カツオは怯まず、その光を正面から受け止めるように目を見開く。

 

「……私がさせると思うのか」

「……僕にできないと思うのか」

 

 空気が軋んだ。

 鉄骨が微かに鳴り、遠くのクレーンが風もないのに揺れる。

 互いの殺気がぶつかり、地面に細かな砂埃が跳ねた。

 

 二人の視線が衝突し、埠頭の温度が一段、確実に下がる。

 風が止まり、煙が固まり、時間だけが細く伸びていく。

 

 そして。

 

「ちっ。お前ひとりに対して護衛壊滅では割に合わん」

 

 ファラデーが舌打ちし、紫紺の奔流が爆ぜるように消えた。

 義眼の光が収束し、張り詰めた空気が一気に解放される。

 

「ここは一度引いてやるさ。ただし今夜0時にコーポと会う約束がある。そこのガキに伝えておけ。『それまでに私のもとへ一人で来い。この女を無事に返してほしければな』と」

「承諾した。あいつが目を覚ましたら教えてといてやるよ。……コーポとの逢瀬、ご安全に」

「……ふん」

 

 カツオはゆっくりと指を柄から離し、肩の力を抜く。

 ファラデーはその様子を睨みつけた後、踵を返した。

 

 その頭上で、低い振動音が近づく。夜空を切り裂くローター音が次第に大きくなり、光源に照らされて露わになったヘリの巨体がゆっくりと降下してくる。

 側面のハッチが開き、金属の軋みとともに梯子が垂れ下ろされた。

 冷たい風が吹き下ろされ、砂埃が渦を巻く。

 

 生き残っていた護衛の一人が、腕の中でぐったりとした少女――ルーシーを抱えたまま梯子へ手をかける。

 その腕は震えていたが、ファラデーの視線が背中に刺さるたび、無理やり動きを整えて慎重に昇り始める。

 

 ファラデーはその光景を一瞥し、まるで荷物の積み込みを確認するだけのように何の感慨も見せず、続いて梯子へ足をかけた。

 

 ローターの風が彼のコートを大きくはためかせ、紫紺の残光を完全に失ったその背中を、冷たく照らし出した。

 

 やがてローター音は遠ざかり、海風に混じって輪郭を失う。

 ヘリは高度を上げ、夜空の奥へと溶け込むように飛び去っていった。

 

 

 

 5

 

 

 

 視界の奥で小さくなるヘリを見据えながら、カツオは静かに息を吐いた。

 直後、彼の背中から怒声が響き渡った。

 

「おい、お前いったいなんなんだよ!?急に出てきて勝手に話進めやがって!……それとこれ!!」

 

 怒声とともに、レベッカは地面を蹴り、青髪の少年へ一気に詰め寄った。

 跳ねるような動きで腕を突き出し、手首の端末を叩く。

 

 青白いホログラムが空中に展開される。

 そこには、乱入直前に彼の送った短いメッセージが浮かび上がっていた。

 

【交渉中はお静かに】。

 

「ふざけたメール送りやがってぇ!!」

 

 肩を怒らせ、拳を握りしめ、今にも胸ぐらを掴みにいきそうな勢いで迫る。

 対する青髪の少年は、その迫力を真正面から受けながらも、まるで子犬に吠えられているかのように肩をすくめた。

 

「おいおい。命の恩人にその態度かよ。僕が介入しなかったら、あんたらハチの巣だったぜ?」

「んだとぉ!」

 

 顔面に熱を集中させた幼女がさらに踏み込もうとした瞬間、ファルコが横合いから腕を伸ばし、その肩を鷲づかみにした。

 

「嬢ちゃん、落ち着け」

 

 男はカツオを見る。

 その目に怒りはない。

 あったのは、相手の出方ひとつで生死が分かれる場に立つ者だけが持つ、乾いた眼差しだった。

 

 「俺もそこは少年と同意見なんだが……さっきのファラデーとの『交渉』は本気なのか? もしそうなら、俺達はお前と敵対することになる」

 

 青髪の少年はファルコへ顔を向けた。

 一拍だけ間を置き、口元にかすかな笑みともつかないものを浮かべる。ついで、軽く顎をしゃくった。

 

「そう思うなら、それでもいい。けど、そこの二人はまだ死んじゃいない」

 

 彼は視線だけで倒れた二人を示し、すぐにファルコへ目を戻した。

 

「無駄話してる暇があるなら、一度あんたらのアジトに戻るべきだ。……ランナーの方は重症だから、医者が先だけどね」

「……わかった。車を回す。お前さんも来い」

 

 ファルコは返事と同時に腰へ手をやり、装甲車のキーを引き抜いた。

 わずかに目を丸くした青髪の少年へそれを放ると、受け取る硬い音を背で受けながらキーウィのもとへ走り出していた。

 

「おい!……髭、勝手に進めん――あぁもう!! 本当になんなんだよお前は……!」

 

 すぐさま動き出した髭の男を前に、レベッカは髪をかきむしりながら叫んだ。

 しかし、怒鳴るだけではどうにもならない現実が、かえって苛立ちを煽る。

 歯噛みするように息を吐くと、そのままデイビッドのもとへ駆けていく。

 

 その背中を追いながら、青髪の少年は掌の鍵をくるりと遊ばせた。

 ふっと小さく笑みをこぼし、呟く。

 

「君のリーダーの……元クラスメイトってとこかな」

 

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