CyberPunk EDGERUNNERS Ver1.6.3 作:甘井モナカ
01話 トップ・オブ・ナイトシティ
1
ハイウェイ上空を飛行するコーポAVの機内で、ファラデーは悠々と脚を組んでいた。
窓の外には、ナイトシティの夜景が眼下に広がっている。
ネオンの河。高層ビル群の光の塔。
そのすべてを見下ろす位置に、自分がいるという事実。
男はグラスを軽く揺らしながら、隣へ視線も向けずに呟いた。
「ナイトシティを優雅に飛べるとは……私も出世したものだと思わないか? デイビッド」
両腕と両脚を拘束された、黄色いジャケットを羽織る少年は返事をしない。
視線すらファラデーには向けず、ただ窓の外をじっと見ていた。
その横には、意識の無い銀髪の少女が鎖で繋がれ、同じように沈黙している。
ファラデーはそれを気にする様子もなく、グラスを傾ける。
「上を目指さなければ、この街にいる意味はない。コーポの連中だろうが、結局は踏み台だ」
ワインを一口含み、再び窓へ目を向けたその瞬間だった。
ストレージに微細な異常ログが走る。警備区画の1つ――倉庫拠点の通信が途絶。
そこには本来、≪次世代軍用兵器≫と、それに付随する適合者データが保管されている。
そして同時に、それは“餌”でもあった。データ改竄者をおびき出すための。
だが現状、その2つ――データ改竄者と適合者はすでにこちらの手中にある。
ならば残る可能性は1つ。
「……なるほど。残党の悪あがきか」
ファラデーは小さく鼻で笑った。
だがその程度、問題にもならない。
件の≪兵器≫は適合者以外では起動すらできない代物。戦力差を覆すどころか、接触すら不可能なはずだ。
その先はコーポ警備部隊が処理するだけの話。
そう結論づけ、思考を切り捨てる。
再び視線を窓へ戻した、そのとき。
「……今日は月が見えないのか」
誰にともなく、呟く。
夜空には本来あるはずの月光がない。代わりに、上空の一角が不自然に黒く“濁って”いた。
その正体に気づくまで、時間はかからなかった。
タワー周辺の空を埋め尽くす無数のAV群。
それはまるで、半世紀前に記録された“イナゴの大群”のように、光を喰い潰しながら蠢いている。
ファラデーはゆっくりとグラスを傾けた。
その口元に、歪んだ笑みが浮かぶ。
「数を揃えれば、こちらが怯むとでも思ったか?」
空を覆う影を見上げながら、静かに言葉を続ける。
「小賢しい真似をするものだな……だが無意味だ」
グラスを空にし、指先で軽く弾く。
琥珀色の残滓が光を反射しながら揺れた。
「さぁ、その薄っぺらい余裕ごと剥いでやろうじゃないか。……アラサカ」
2
アラサカ社・上層執務フロア。
係長が通信デバイスの接続を切ると、短い電子音が室内に吸い込まれるように消えた。
その音を合図に、執務机の向こうで控えていた部長がゆっくりと顔を上げる。
「予定通りだな。保安部隊は指定座標へ展開済み。取引先の兵たちもこちらで提示した区域内に留まっている」
色濃い夜景が映り込む巨大な窓に背を向け、彼女は状況確認を続ける。
淡々と紡がれるその声には、確信と冷徹さが滲んでいた。
係長は軽く頷き、端末を胸元へ戻す。
「ええ。この状況下であればフィクサー側の武力がいかなるものであろうと、包囲・封殺は可能かと」
部長は机上で指を組み、視線だけを宙へ落としたまま沈黙した。
室内の空気がわずかに重くなる。
「上層部が揃って慰安旅行中なのは、実に幸運だな」
わずかに口元が歪む。
それは笑みというより、計画が邪魔されないことへの安堵に近い。
「これで、余計な干渉を受けずに“処理”ができる」
その言葉に、係長は一歩下がりながら端末を操作する。
彼の動作は迅速で、訓練された兵士のように無駄がない。
「では、フィクサーの出迎え準備に入ります。部長の護衛部隊も先行配置しておきますので」
「頼む」
短い返答。
だがその一言に、命令の重さと絶対性が宿っていた。
係長は深く頭を下げ、足早に部屋を出ていく。扉の閉まる音が、妙に重く響いた。
室内に残ったのは部長ただ一人。
しばしの静寂。
空調の微かな唸りだけが、広いフロアに漂う。
彼女はゆっくりと視線を上げ、執務机ではなく――部屋の奥へ向けた。
「それと……」
薄暗い照明の奥、そこには一脚のソファが置かれていた。
そしてその上に――人影。
「死神。出番が来るかもしれない。準備しておいてくれ」
沈黙。
やがて、ソファの影がゆっくりと動く。
赤黒い光を宿した双眸が、闇の中で静かに開いた。
『……フィクサーごときに、俺の出番があるのか?』
低く掠れた声。
だがその奥には、獣の呼吸のような静かな殺気が潜んでいる。
部長はわずかに肩をすくめた。
「可能性は低い。だが――事前に収集した情報では妙な能力を扱うらしい」
『妙な能力、か』
影がわずかに身を乗り出す。
その動きは音もなく、しかし空気が一段重く沈む。
嗤う。
楽しむでも、侮るでもない。
それはただ“退屈を測る者”の反応だった。
『傭兵ではなくフィクサーとやり合うのは久しぶりだな』
ゆっくりと立ち上がる気配。
その動きは獣のように静かで、しかし圧倒的な殺気を周囲に滲ませる。
一対の赤黒い輝きが浮かぶ闇の中で、空気がさらに沈みこんだ。
『暇つぶし程度には、なりそうだ』
3
アラサカタワー最上階。
発着ポートは夜風に晒され、金属の床が冷たく光を返していた。
巨大なガラス越しに広がるナイトシティの光が、薄い霧のように漂う空気を照らしている。その光は非人工的で、どこか冷たく、この場所が“人間の領域”ではないことを静かに告げていた。
そこへ――。
ファラデーが二人の身柄を連れて現れる。
手足を拘束された少年と、鎖につながれた銀髪の少女。二人はファラデーの護衛に引きずられるように運ばれ、靴底が金属床を擦る音だけが虚しく響く。
対照的に、ファラデーの靴音は妙に軽かった。まるでこの場の緊張を楽しんでいるかのように。
そして男は、アラサカ側の待合人――部長と係長の前で立ち止まる。
係長が一歩前へ出て、営業用の声色を貼り付けた笑顔で言う。
「ようこそ、アラサカへ。ここへ来るのは初めてでは?」
ファラデーは肩をすくめ、まるで観光客のような軽さで返した。
「ああ。今回の取引のおかげでな。いずれ手にする場所を事前に視察できて光栄だよ」
その瞬間――部長の眉がわずかに動いた。
「……なに?」
短い一言。だが、怒気が確かに滲んでいた。
空気が一段、冷たく沈む。
係長が慌てて割って入る。
「さ、さあ取引と行きましょう。報酬金は指定した口座へ振り込みます。……まずはその二人をこちらへ」
ファラデーは拘束された二人を一瞥し、口元を歪ませた。
「その報酬のことなんだが……手配する際こちらも手駒をだいぶ失ってな。追加報酬をいただきたいのだが……ご一考いただけるかな?」
空気が――再び変わった。
部長の周囲だけ、温度が数度下がったような錯覚。
係長が青ざめながら問い返す。
「そ、それは……報酬額を増やすということでしょうか。規模にもよりますが、我々も最善を尽くしましょう。具体的にいくら――」
「……アラサカ幹部の座」
係長の思考が一瞬止まる。
「……は?」
「そこの部長の座をよこしてほしいと言っている」
係長は恐る恐る隣を見る。
部長の表情は――鉄のように硬い。彼は知っていた。これは“激怒しているときの顔”だと。
部長が静かに口を開く。
「……話にならないな。交渉する気がないのなら最初からそう言え」
その手が、ゆっくりと上がる。
瞬間、周囲の護衛たちが一斉に銃を向けた。上空のAV車両も駆動音を上げ、銃座が展開される。
数千の銃口がファラデーへ向けられている。
だが――。
男は微塵も怯えなかった。
「“鴉”をいくら揃えたところで脅しにはならんよ。それに……そろそろ下が騒がしくなる頃合いだろう」
部長と係長が訝しむその瞬間、通信が割り込んだ。
『係長、部長、お取込み中失礼します!ただいまアラサカシティセンター前で武装集団が暴動を――下層の警備人員では限界です!上層部隊の応援を要求します!』
「な、なんですって……!」
「ファラデー、貴様……!」
「おっと。私の差し金ではないぞ。私の護衛部隊はきちんと敷地外で待機させてある。そちらの要求だろう?」
部長は唇を噛みしめ、係長を押しのけて通話へ応じる。
「……了解した。上層警備の半数をそちらに回す。必ず武装集団を鎮圧しろ」
通話が切れると同時に、上空のAV部隊の半数が降下を開始する。
ファラデーが“鴉”と呼んだ群れが散り、夜空に満月が露わになった。
「おやおや。いいのか?私を押さえつけるはずの抑止力を減らしても」
部長の苛立ちが限界に達する。
「貴様……いい加減にしないと――」
「それはこちらのセリフだ」
ファラデーは言葉を遮り、いつの間にか所持していたデバイスを掲げた。
掘削機のような形状の小型端末。
その内部で、紫色の光が脈打っている。
「これはな。私の“抑止力”だ。この街のフィクサーがコーポすら上回るための――」
男の手の内で胎動する光が強まる。
警備員たちが慌てて銃を構え直す。係長は怯えて部長の背後へ半歩隠れた。部長はおもむろに首筋に手を当て、その端末を見据える。
だが――。
その場でただ一人、まったく反応を示さない者がいた。
両手両足を拘束された黒髪の少年。少年が背負う黄色のジャケットが夜風にはためく。
牙を抜かれ、羽を捥がれ、無力化されているはずの彼は――ただ音もなく、端末を見据えていた。
その眼を、茜色に輝かせながら。
そのとき。
上空から、何かが炸裂するような音が響いた。
続けてもう一つ。さらにもう一つ。
最初は遥か遠くから。
だがそれは徐々に空気を震わせるほど大きくなる。発着ポート周辺を動揺を零す数多の声が満たしていく。
夜を揺らす大気の脈動の奥で、鎖に繋がれた銀髪の少女の瞼が微かに動く。
「こ、今度はなんです……?」
「……これは」
係長が狼狽える中、部長は眼前のファラデーへ視線を戻す。
「……なんの音だ?」
ファラデーの表情に、初めて“困惑”が浮かんだ。
男は紫紺の端末を手にしたまま、周囲を見渡す。
そして――。
彼は最後まで気づかなかった。
自身の背後で、茜色の双眸が静かに輝きを増していることに。
直後。
夜空に稲妻が走り抜ける。
4
ナイトシティの夜空を、閃光が裂いた。
一筋の稲妻。
それはただの自然現象ではない。
質量を持った雷。空間そのものを焼き切るような、異常なエネルギーの奔流だった。
上空を旋回していたアラサカAV部隊が、その光に触れた瞬間――次々と爆散する。鋼の翼が砕け、火球が夜空に連鎖していく。
都市の空に、断続的な閃光の花が咲いた。そして稲妻は、そのまま一直線に発着ポートへと落下する。
轟音。
衝撃。
地面が悲鳴を上げるように揺れ、烈風が吹き荒れた。
その中心で。
拘束されていた銀髪の少女は、不意に、自分の周囲だけが不自然なほど温かいことに気づいた。
皮膚にまとわりついていた鎖の冷たさが、ゆっくりと、柔らかなぬくもりへと変わっていく。
まるで――。
巨大な何かが、自分を包み込んで守っているような。
全身の痛みを押し殺しながら、彼女はゆっくりと意識を浮上させる。
ぼやけた視界が、徐々に輪郭を取り戻していく。
そこにあったのは――黒。
漆黒の外装。
赤く脈動する駆動部。
人間の構造を逸脱した、過剰なまでに膨張した四肢。
それはもはや“人型”という言葉では足りない。棺桶のような、死と生の境界を無理やり形にした兵器。
ルーシーは知っていた。それが何なのかを。
莫大な代償と引き換えに、常識を踏み潰す力を得る存在。――≪サイバースケルトン≫。
そして、その中にいるのが誰なのかも。
胸の奥が締め付けられる。
見たくなかった。
でも、ずっと待っていた。
矛盾した感情が、一気に溢れ出す。
少女の視界の前で、≪サイバースケルトン≫の装甲が静かに駆動した。内部機構が開き、そこから“人の輪郭”が夜空へと現れる。
彼は、壊れ物に触れるような慎重さで腕を動かし、彼女の四肢を拘束していた鎖を砕いた。
金属が悲鳴を上げて弾け、束縛が消える。砕け散った鎖の余熱が風に溶け、その流れが少女の肌をそっと撫でていった。
聞き覚えのある息遣い。懐かしい体温の気配。
それが確かに、そこにある。
「遅くなってごめん。迎えに来たよ、ルーシー……!」
「デイビッド……!」
漆黒の巨躯の胸元で、デイビッド・マルティネスは涙ぐむ少女へ向けて――。
いつものように、少しだけ無理をした笑顔を浮かべた。
5
「……どういうことだ……」
ファラデーの顔に、初めて明確な動揺が浮かぶ。
(……なぜだ?)
(……なぜデイビッドが、≪サイバースケルトン≫に?)
(……有り得ない。有り得ない。なぜならデイビッドはすでに私が――)
思考がまとまりきる前に、男の背後から声が落ちた。
「最後まで気づかなかったみたいだな。間抜けども」
彼は弾かれたように振り返る。
その視線の先――。
つい先ほどまで確かに“そこにいたはずのデイビッド”の姿が、歪む。輪郭が揺らぎ、ノイズが走る。人間の像が崩れていく。
そして、そこに残ったのは、拘束の消えた両手でゆっくりと顔に触れる“別の存在”だった。
指先が側頭部に触れた瞬間、偽りの仮面が外れる。
黒髪の少年の顔は消え、白色のマスクが露わになる。
その“少年だった何か”は、軽く息を吐くようにしてそれを外した。
マスクの下から現れたのは――青髪の少年の不敵な笑み。
「こんな子供だましに引っかかるようじゃ……コーポも、フィクサーも底が見えてきたな?」
「……ッ!」
ファラデーが動くより先に、カツオの身体が蜃気楼のように揺れた。彼の手足が空気を切り裂き、目標へ向けて一直線に加速する。
その進撃に呼応するようにデイビッドは背面へ意識を滑らせ、トリガーを弾いた。
黒い巨体の背後で、ウェポンラックが解放される。圧縮された空気が弾け、漆黒の太刀が宙へ跳ね上がる。
重力を無視するような軌道でそれは、地面を駆ける青髪の少年の元へ飛来する。
刃が照明を切り裂くように反射した、その瞬間――。
世界が一瞬、暗転した。
音が遠のく。
光が細くなる。
視界が途切れる直前、少年たちの意識だけが静かに告げていた。
――ここからが、本番だ。
世界は、二時間前へと遡る。
すべては、この瞬間のために。