CyberPunk EDGERUNNERS Ver1.6.3 作:甘井モナカ
1
――作戦の全てが脳裏で繋がった瞬間、デイビッドの意識がふっと浮上する。
回想の残滓が霧のように消え、視界が現実へと急速にピントを合わせていく。
耳に、世界の喧騒が一気に流れ込む。
爆ぜる火花。
金属の軋み。
風を裂く音。
すべてが、“今ここ”へ収束する。
眼前には、ファラデーが握りしめる端末。
紫色の輝きが脈動し、まるで心臓の鼓動のように光が震える。
その向こうで――。
カツオが地を蹴る。
宙へと跳ね上がる漆黒の太刀へ、真っ直ぐ指先を伸ばす。
その姿は、まるで“作戦の答え”が形を成していく瞬間そのもの。
作戦の成否を左右する最終フェーズ――挟撃。
回想と現実が重なり合うように、すべてがこの一瞬へ収束していく。
カツオがさらに地面を蹴り上げる。
足裏が砕けた破片を散らし、空気が一瞬だけ“弾ける音”を上げる。
虚空へ伸ばした指先が、飛来する太刀の柄を正確に掴み取る。
そのまま。
身体の軸を一切ぶらさず、滑らかに抜刀の構えへ移行する。
その動きに、迷いは無い。
まるで“この瞬間のためだけに存在していた”とでも言うような、完成された必然。
――だが、それより早く。
ファラデーは右手のデバイスを構える。
紫紺の粒子が端末から奔流のように溢れ出す。
空気が震える。
床が軋む。
世界そのものが、“展開の前兆”に満たされていく。
まるで、この場のすべてがファラデーの意志に塗り替えられていくかのように。
――しかし。
その反応すら、遅い。
デイビッドの≪サイバースケルトン≫が低く唸りを上げる。
漆黒の巨躯内部で重力制御機構が臨界駆動へ移行する。
赤い駆動光が暴力的に明滅し、≪サンデヴィスタン≫による加速処理が演算を極限まで圧縮する。
世界が引き延ばされる。
火花が止まる。
破片が空中で静止する。
極彩色に包まれる光景の中、デイビッドの行動だけが、世界のその先へ到達する。
刹那。
漆黒の四肢から放たれた重力の奔流が、空間を押し潰すように走る。
世界が再び動き出す。
破壊の奔流は、轟音すら置き去りにして対象へ到達する。
白髪の男の左脚が、不自然な方向へ軋む。
直後。
鈍い破砕音。
「――ッ!?」
ファラデーの表情が初めて苦痛に歪む。
体勢が、わずかに崩れる。
ほんの数瞬。
コンマ以下の余白。
だが、紫紺の奔流が本領を発揮する“その瞬間”が、決定的に遅れる。
――その遅れが、致命となる。
男の眼前へ、カツオが跳び込む。
漆黒の太刀が、雷光のような輝きを宿す。
空気が裂ける。
次の瞬間。
少年の懐から放たれた斬撃が、音速を置き去りにして走った。
空気が悲鳴を上げ、刃の軌跡が白い閃光となって空間を裂いた。
その一閃は、ただの攻撃ではなかった。
積み上げた作戦。
交わした信頼。
仲間たちの覚悟。
そのすべてを一条の軌跡に凝縮した“答え”。
白熱した刃は空間ごと断ち切る勢いで、白髪の男へ振り抜かれた。
「……なんだと」
ファラデーの瞳が見開かれる。
理解が追いつくより早く、現実が彼を追い越した。
閃光が眼前を奔る。
直後。
肩口から鮮血が噴き上がる。
宙を舞ったのは――彼の右腕。
紫紺に輝く端末を握ったまま、切断された腕が夜空へ回転しながら投げ出される。
鮮血が弧を描く。
赤黒い飛沫が月光を浴び、一瞬だけ硝子細工のように煌めいた。
「ぐォォォォッ……!」
白髪の男が、初めて理性を失ったような絶叫を上げた。
膝が砕けるように崩れ落ちる。
身体が発着ポートの床へ激しく叩きつけられ、そのまま無様に転がった。
肺が空気を求めて痙攣する。
喉から漏れる呼吸は、ひゅう、と乾いた異音に変わっていた。
男の周囲を滞留していた紫紺の粒子が制御を失い、火花のように空中へ散っていく。
呼吸が乱れる。
激痛が神経を焼き、思考がまとまらない。
腕が斬り落とされた。
その事実だけが、鈍い衝撃となって脳内を何度も反響していた。
床へ叩きつけられたファラデーは、血溜まりの中で荒く息を吐く。
男は自身の顔から血の気が引いていくのを知覚していた。
その顔に埋め込まれた4つの義眼が捉えていたのは、鮮血を滴らせる漆黒の刃。
そして――。
それを握る、青髪の少年。
彼は何も言わず、ただ静かに、血染めの太刀を手にしたまま佇んでいた。
その沈黙だけで、十分だった。
ファラデーは頭で考えるより先に、胸の奥底――本能の領域からあふれ出した“ひとつの感情”で悟る。
震えあがる自身の前に立つ、明確な“死”の形を。
2
カツオは太刀についた血を払う。
刃が風を裂き、赤い滴が弧を描いて夜へ散った。
そのまま静かに納刀する。
金属が鞘へ滑り込む乾いた音だけが、戦場の喧騒の中で鮮明に響いた。
青髪の少年は、おもむろに背後へ目を向ける。
デイビッドは≪サイバースケルトン≫の肩部装甲を展開し、首筋へ抑制剤を打ち込んでいた。
鈍い駆動音。
薬剤が血管へ流れ込む。
その瞬間、彼の身体がわずかに震えた。
赤熱していた神経へ、無理やり冷却材を叩き込まれるような感覚。
デイビッドは目を見開き、一瞬だけ――何かを必死に押し留めるような表情を浮かべる。
暴走しかける衝動。
脳を焼くノイズ。
全身へ侵食しようとする“何か”。
それでも彼は、歯を食いしばって押さえ込んだ。
彼の胸元にぶら下がる掘削機型のアクセサリが淡い輝きを灯す。
そして、不意に。
彼らの視線が交わる。
言葉はない。
だが、それだけで十分だった。
互いの意思だけを確認し、二人は同時に動き出す。
「デイビッド、撤退するぞ!」
「ああ……!」
その声に、呆然としていた係長がようやく我に返る。
「や、奴らを逃がすな! 警備隊! 発砲しなさい!」
周囲の護衛たちが一斉に銃を構えた。
金属音が連鎖する。
無数の照準。
無数の殺意。
発着ポートの空気が、一瞬で火薬の匂いへ塗り替わった。
だが。
デイビッドの≪サイバースケルトン≫が、低く獣のような唸り声を上げる。
赤い駆動光が脈動する。
彼はルーシーを抱えたまま、巨大な四肢を強引に開放した。
四肢を構成する装甲の隙間から光が漏れ空間に“磁力の網”が展開される。
次の瞬間――。
護衛たちの銃が、意思を持ったように一斉に引き寄せられた。
「なっ――!?」
銃身同士が激突し、空中で絡み合い、頭上へ巨大な鉄塊のように積み重なっていく。
引き金から指が剥がされ、護衛たちの表情が恐怖に染まる。
「な、なんだこれは……!」
そして。
デイビッドが掌を握り込む。
瞬く間に発生する重力波。
不可視の圧力が、積み重なった武器群を一気に押し潰す。
金属が絶叫する。
銃身が折れ、弾倉がひしゃげ、限界を超えた火薬が連鎖的に炸裂した。
轟音と共に発生した衝撃波が護衛たちを吹き飛ばし、発着ポート全体が激しく揺れる。
混乱の中、係長が半狂乱で叫んだ。
「な、なら封鎖しろ! 封鎖! 屋上ポートを閉じなさい!」
彼は震える指でホログラムを展開し、緊急操作コードを叩き込む。
直後。
天井部に待機していた巨大なドーム状装甲が駆動を開始した。
重低音。鋼鉄の軋み。
夜空を覆い隠すように、巨大な隔壁が音を立てて閉じ始める。
「逃がすな……! 絶対に逃がすなぁ!!」
係長の絶叫が響く。
夜空が、閉ざされようとした――その瞬間。
青髪の少年が宙を舞う。
「それは勘弁してほしい、なっ!」
床を蹴り砕き、青い残光を引きながら空中へ躍り出る。
紫電を纏う漆黒の刃が一閃する。
次の瞬間、ドーム装甲の可動部が斜めに断ち切られた。
火花が噴き上がる。
切断された機構が悲鳴のような音を立て、巨大ドームは途中で停止した。
閉じ切らなかった夜空から、月光が再び発着ポートへ降り注ぐ。
停止したドームを横目に、デイビッドは瞬時に撤退経路を演算する。
茜色に染まる瞳が軌道を走査し、脱出ルートを確定させた。
彼は胸元へ視線を落とす。
腕の中の少女へ、優しく声を掛けた。
「行くよ、ルーシー。ちゃんと捕まっててくれよ」
「……うん」
ルーシーは小さく頷き、震える指で彼へしがみつく。
その感触を確かめるように、デイビッドは一瞬だけ微笑んだ。
そして。
≪サイバースケルトン≫の脚部が爆音を上げる。
二人を包み込む漆黒の巨躯が、発着ポートの端へ向かって駆け出した。
「くっ……!」
係長が歯噛みする。
その隣で。
これまで沈黙を貫いていた部長が、静かに口を開いた。
「……出番だ。アダム・スマッシャー」
その名が発せられた瞬間。
発着ポート全域を、“異質な存在感”が包み込んだ。
3
月夜に浮かぶ発着ポートで、確かに響いた“死神”の名。
その言葉が空気を震わせた直後――。
部長と係長の姿が、まるで映像のフレームが飛んだかのように掻き消えた。
残されたのは、風の音と、夜の静寂だけ。
そして。
代わりに――。
“それ”が、そこに立っていた。
黒い影。
いや、影と呼ぶにはあまりにも“質量”があった。
月光を吸い込み、輪郭だけが異様に浮かび上がる。
死神のような輪郭。
無機質な装甲。
髑髏を思わせるインターフェース。
だが、どれも“比喩”ではない。
そこに立つ存在は、本当に“死”そのもの。
デイビッドは、無意識のうちに足を止めていた。
呼吸が浅くなる。心臓が一拍だけ遅れる。
背骨を冷たいものが這い上がる。
脳が理解するより先に、身体が“危険”を悟っていた。
ナイトシティの“伝説”が――噂でも、記録でも、恐怖の象徴でもなく。
現実に形を持って、目の前に立っていた。
「お前がアダム・スマッシャー……本当に実在していたなんてな」
『……』
漆黒の傭兵は沈黙を貫いた。
ただ立っているだけ。
それだけなのに、その存在感が“圧”となって空気を押し潰していく。
呼吸が重い。
空間そのものが、彼を中心に沈み込んでいるようだった。
デイビッドが僅かに眉を顰める。
異様な静けさ。
戦場に似つかわしくない“無音”。
その違和感へ意識を向けた瞬間――。
死神が、言葉を落とした。
『よそ見をしている余裕がお前にあるのか?クソガキ』
「デイビッド……!」
「え……?」
ルーシーの悲鳴が響いた、その直後。
腹部へ、何かが“めり込んでいた”。
認識が追いつかない。視界にも映らない。
ただ、鈍い衝撃だけが数度、身体の中心を貫いていた。
次の瞬間。
腹の奥で熱が炸裂する。
「――ッ!?」
遅れて、激痛が神経を焼いた。
デイビッドの口から鮮血が零れる。
撃たれた。
そう理解した時には、すでに身体の奥深くまで破壊されていた。
腹部から熱が漏れる。
呼吸が乱れる。
手足の感覚が急速に遠のき、身体の中心が軋むように悲鳴を上げる。
片膝が地面へ落ちた。
その瞬間、≪サイバースケルトン≫内部に警告音が鳴り響く。
――〈神経接続率:急低下〉。
――〈バイタル:急低下〉。
――〈システム:維持不能〉。
赤い警告表示が視界を埋め尽くす。
背面ユニットが不安定に明滅し、巨躯の出力が目に見えて低下していく。
「デイビッド……! しっかりして!」
彼女の震える声がデイビッドの鼓膜を叩く。
だが、≪サイバースケルトン≫は彼の限界を正確に検知していた。
背中の反重力エンジンが低く唸る。
外骨格の駆動光が、一つ、また一つと消えていく。
「く……そ……まだ……!」
デイビッドは踏みとどまろうとする。
だが、身体の奥から湧き上がる異常が、その意思を無慈悲に押し潰した。
アダム・スマッシャーは、ただ無言で瀕死の少年を見下ろしている。
まるで、最初から勝負にもなっていないと言わんばかりに。
そして――。
死神は静かに宣告する。
『未完成だな』
たった一言。
それだけで、少年の存在そのものを切り捨てるには十分だった。
彼の意識はそこで黒く塗りつぶされた。
4
「そいつから離れろっ!」
漆黒の傭兵の背後から、声と同時に刃が振り抜かれた。
青髪の少年――カツオが狙ったのは、強化装甲のわずかな隙間。
呼吸。
踏み込み。
間合い。
すべて完璧だった。
その一撃は、確かに届くはずだった。
だが――。
刃は虚空を切る。
「……ッ!?」
カツオの瞳が見開かれる。
斬撃が届く、その直前まで。
確かにそこにいたはずの巨体が消えていた。
次の瞬間。
背後で爆音が炸裂した。
理解より先に、衝撃が身体を襲う。
背中へ叩き込まれる、暴力そのものみたいな圧力。
カツオの身体が宙を舞い、そのまま発着ポート外縁の壁へ激突した。
轟音。
コンクリートに亀裂が走る。
「――がっ……!」
肺から空気が強制的に吐き出される。
視界が揺れる。
遅れて、焼けるような痛みが背中を駆け抜けた。
爆煙の中から、アダム・スマッシャーが姿を現す。
肩部ランチャーが低く唸り、次弾装填音が“死刑宣告”のように響いた。
「……速すぎる……」
カツオは壁へ手をつきながら、痛みを押し殺して立ち上がる。
呼吸を整えながら、目の前の怪物を必死に分析した。
――こちらの音速抜刀すら上回る移動速度。
――しかも、あの火力。
――まるでデイビッドを相手にしているような。
「……まさか」
彼は最悪の想定へ辿り着いた自身の思考を呪った。
デイビッドは重傷。≪サイバースケルトン≫も出力低下。
まともに戦えるのは、実質、自分だけ。
だが。
誰かがこの怪物を止めなければ、全員ここで終わる。
そこまで思考を巡らせ――。
青髪の少年は、小さく口角を上げた。
「……こんな単純な問題、アカデミーじゃ出なかったな」
この問い答えなど、最初から決まっていた。
カツオは深く息を吸い込み、再び地面を蹴る。
「おい、あんた!デイビッドを連れて下へ向かえ!こいつは僕がなんとかする!」
「……!わかった!」
ルーシーは迷いなく駆け出し、近くに乗り捨てられていた警護用AVへ飛び乗った。
始動キーはない。だが、彼女の指は迷わない。
《クイックハック》。
ホログラムが一気に展開され、複数の制御層が視界へ流れ込む。
「動いて……!」
コードを強制的に書き換え、エンジンへ起動信号を叩き込む。
姿勢制御ユニットが唸りを上げ、車体がポートの床から浮かび上がった。
青白い噴射光が床を照らす。
ルーシーはハッチを開け、身を乗り出してデイビッドへ手を伸ばす。
「デイビッド!手を!」
返事はない。
デイビッドは膝をつき、呼吸は乱れ、焦点の合わない瞳が揺れている。
「デイビッド!!」
胸が締め付けられるような痛みが、ルーシーの表情を強張らせた。
彼女はハッチから身を乗り出したまま、神経接続でAVの制御信号を直接操作し、噴射角度と推力を調整して機体を滑るようにデイビッドへ近づける。
あと数メートル。
手を伸ばせば届く距離。
その瞬間、アダム・スマッシャーが低く呟いた。
『サイバーパンクども。コーポから出るつもりなら……祝砲をくれてやる』
「ふざけ――!」
カツオが叫ぶ。
しかし漆黒の傭兵は、彼の存在をノイズとしてすら扱わない。
肩部、腕部、腰部――全てのランチャーが同時に展開される。
金属が変形する音。
内部機構が回転する音。
圧縮火薬が震える音。
それはまるで、死神が息を吸う音だった。
次の瞬間、複数の発射音が重なり、ミサイルが全方位へ向けて放たれた。
白い尾を引きながら飛び出す無数の弾頭。
逃げ惑う護衛兵たちの悲鳴。
空気が焼ける匂い。
それらを飲み込むように、爆発の連鎖がポート全体を揺らした。