CyberPunk EDGERUNNERS Ver1.6.3 作:甘井モナカ
1
「……~~っ!!」
爆風が吹き荒れ、ルーシーはハック操縦していた警護用AVごと、タワー外へと弾き飛ばされた。
機体が横転しながら空中へ投げ出され、視界が激しく揺れる。
耳鳴りが世界を覆い、重力の向きすらわからなくなる。
その落下の渦の中で――。
煙の裂け目から、彼女は“それ”を見つけた。
デイビッドが外壁へ向かって落ちていく。
「デイビッド!!」
反射だった。
思考より先に身体が動く。
ルーシーは警護用AVのハッチを蹴り飛ばし、宙へ飛び出した。
強風が身体を切り裂くように叩きつけ、彼女の落下速度は一瞬だけ減衰した。
だが――その減速が、最悪の方向へ働く。
風圧に煽られた身体が横へ流され、落下軌道が大きく逸れる。
視界の中で、デイビッドの姿が遠ざかっていく。
「……っ、待って……!」
伸ばした手は空を掴むだけ。
2人の距離が、風に引き裂かれるように開いていく。
落下の勢いと横風が合わさり、彼女の身体はタワー外壁から離れる方向へ流されていく。
このままでは――追いつけない。
胸が締め付けられる。
肺が痛むほどの焦りが全身を駆け巡る。
「デイビッド……!!」
叫びと同時に、ルーシーは両手首を前へ突き出した。
スリットが開き、モノワイヤが射出される。
狙うのは――爆風で吹き飛んでいく巨大な金属片。
ワイヤが金属片へ巻き付き、空中で彼女の身体が急激に引き戻される。
肩が外れそうな衝撃。
肺から空気が漏れる。
だが、その反動で――。
落下軌道がデイビッドの方向へと修正される。
彼女は歯を食いしばり、両手首のワイヤを巻き取りながら、彼の元へ一直線に落ちていった。
「デイビッド! 私よ! ルーシーよ! デイビッド!」
落下の勢いのまま彼を抱き寄せ、ルーシーは両手でその顔を包み込んだ。
触れた瞬間。
彼女の表情が凍りつく。
冷たい。
「……っ」
震える指先が、確かめるように彼の頬をなぞる。
返事はない。
まばたきもしない。
風だけが、二人の間を激しく吹き抜けていく。
胸が締め付けられるような痛みを押さえつけてルーシーはすぐに少年の胸元へ耳を当てる。
そして――息を呑んだ。
「……うそ、でしょ……?」
鼓動が、ない。
胸の奥が握り潰されるように痛む。
視界が滲む。呼吸が乱れる。
だが、泣いている時間なんてない。
地面は確実に近づいている。
ルーシーは震える手で両手首のモノワイヤを展開した。
銀色のワイヤが空中でしなり、デイビッドの胸部端子へ接続される。
接続完了と同時に、生体デバイス内部の情報が一気に流れ込んだ。
損傷した神経系。
暴走した外骨格負荷。
限界を超えた循環器。
そして――停止した心拍。
「……お願い……お願い……!」
銀髪の前髪の奥で彼女は歯を食いしばる。
――補助デバイスへ強制アクセス。
――経路を確保。
――電気刺激プロトコルを実行。
モノワイヤを通じ、高圧信号がデイビッドの胸部へ叩き込まれた。
ビクッ――!
彼の身体がわずかに跳ねる。
だが。
鼓動は戻らない。
「デイビッド……! お願い……返事して……!」
もう一度。
さらに出力を上げる。
電流が走る。
デイビッドの身体が痙攣する。
それでも。
心臓は沈黙したままだった。
「デイビッド……!お願い……戻ってきて……!」
気づけば、彼女の頬を涙が伝っていた。
零れた雫が、落下する風にさらわれ夜空へ散っていく。
ルーシーは震える唇を噛み締めた。
そして。
祈るように。
縋るように。
自分の唇を、彼の唇へ重ねる。
息を吹き込む。
直後――。
デイビッドの胸が、大きく上下した。
「……はぁっ……! はぁ……はぁ……!」
目を見開き、息を吹き返すデイビッド。
その瞬間――。
ルーシーの胸の奥で、張りつめていた何かがぷつりと切れた。
凍りついていた少年の心臓が、一気に熱を取り戻すように脈打つ。
もう二度と彼の声を聞けないかもしれない。
そんな最悪の想像が頭を過った恐怖が、ようやく霧散していく。
安堵が遅れて押し寄せ、気づけば視界は静かに滲んでいた。
「……デイビッド」
「ルーシー……?」
少年の柔らかな声が耳に届く。
その瞬間、少女の胸の奥がふっと揺れた。
――いつもの声だ。
同じ部屋で目を覚ました朝も。
帰りを待っていた夜も。
何気なく名前を呼ばれた、あの時間も。
遠くへ置き去りにされたはずの日常が、一瞬で胸の奥へ蘇る。
けれど――。
彼の姿を改めて見た瞬間、その安堵は別の痛みに変わった。
傷だらけの身体。
そして、彼女が最も避けさせたかったクローム――≪サイバースケルトン≫。
漆黒の外装が月光を鈍く反射し、赤い駆動光が脈動している。
頭では覚悟していた。
けれど、実際に目の前へ突きつけられた現実は、想像よりずっと重く、痛々しく、残酷だった。
彼がここへ来るまでに、どれだけ無茶をして、どれだけの覚悟を積み重ねてきたのか。
その答えが、言葉より先に胸へ流れ込んでくる。
そして――。
それでも彼は、自分を助けに来た。
その事実が。
嬉しくて。
苦しくて。
怖くて。
どうしようもなく、愛おしかった。
ルーシーの瞳から、再び涙が溢れる。
気づけば、世界の音が遠ざかっていた。
風の音も。
爆発の残響も。
タワー上空を覆っていた喧騒さえも。
すべてが薄れていく。
月明かりに照らされた二人だけが、夜空へ静かに浮かんでいるようだった。
「……インストール、したんだ……」
ルーシーの声は震えていた。
月光が頬を伝う涙を淡く照らしている。
「……うん」
短い返事。
けれど、その声は確かにデイビッドのものだった。
その柔らかさが、胸へじんわりと染み込んでいく。
「わかってた。あんたは止まらない。いつかこうなるって……」
夜風が銀髪を揺らす。
彼女の瞳の奥には、小さく笑うデイビッドの姿が映っていた。
「でも……入れたら死ぬのも分かってたから……あんたに、死んでほしくなかったから……私は……」
言葉が詰まる。
喉が震え、声にならない感情が胸の奥で絡まった。
涙が静かに頬を滑り落ちる。
「……俺も分かってたよ。ルーシーが、何を守ろうとしてくれてたのか」
少年の声は、夜空へ溶けるように優しかった。
「……違う。私はただ、あんたに死んでほしくなかっただけ……。あんた自身が、生きてさえいてくれれば――」
「違わないさ」
彼は静かに言葉を重ねる。
「俺は……母さんも、メインも救えなかった。でも――今度こそ、君だけは守り抜きたいんだ」
サイバースケルトンの駆動音が低く響く。
背面スラスターが青白い光を噴き上げ、落下軌道をゆっくりと押し上げた。
「それに――今の俺には、無茶に付き合ってくれる仲間がいるんだ」
重力制御装置が展開され、落下速度が柔らかく削られていく。
「俺一人なら、街に潰されてたかもしれない。でも、皆とならやれる。……その証拠に、君をコーポから取り返せた」
微細に震えていた外装が静まり、ふたりを包む空気がゆっくりと穏やかになっていく。
その流れに合わせるように、ルーシーの身体が自然とデイビッドへ寄り添った。
ふたりの額が、そっと触れ合う。
月明かりの中。
呼吸が混ざるほど近い距離で、ルーシーは一瞬だけ目を閉じた。
怖かった。
失うのが。
この温もりが、消えてしまうことが。
ようやく取り戻せた“今”が、指の隙間から零れ落ちてしまうことが。
だから――。
「……生きたい」
震える声だった。
「生きて、帰りたい……!あんたと、一緒に……!」
「……あぁ!」
少年は小さく笑う。
「帰ろうぜ、ルーシー。全部終わらせてさ」
その言葉に。
彼女は静かに、でも確かに微笑んだ。
2
アラサカタワー直下――。
巨大なガラス張りのエントランスが砕け散り、赤い警告灯が断続的に明滅している。
本来は社員や来客が行き交う広いプラザも、今は黒焦げの車両と倒れた警備兵で埋め尽くされていた。
上空では警護用AVが旋回し、サーチライトが地面を切り裂くように走る。
吹き抜ける風には火薬と焦げた金属の匂いが混じり、息を吸うだけで喉が焼ける。
その混乱の中心で――レベッカとファルコは装甲車の影に身を潜めていた。
弾丸が装甲を叩くたび、金属音が耳を裂き、衝撃が地面を震わせる。
砂埃が舞い、火薬の匂いが鼻を刺す。
手にした銃を素早くリロードしながら、レベッカは苛立ちを隠さずに叫んだ。
「アラサカの奴ら、いつまで撃ってくんだよっ!」
「NCPDも来てるからなぁ。こりゃ終わることねぇぞ」
ファルコは片手で拳銃を構え、もう片方で周囲の状況を冷静に見極めていた。
その顔には焦りはないが、額には汗が滲み、呼吸はわずかに荒い。
「……弾もそろそろ切れる――」
レベッカが弾倉を叩き込み、残りの弾薬を確認したその瞬間だった。
不意に。
周囲の銃声が、ほんの一瞬だけ遠のいた気がした。
空気の密度だけが、じわりと変わる。
ふわり、と。
レベッカのおさげが、不自然に浮き上がった。
「……は?」
風ではない。
爆風でもない。
“引かれる”ような浮き方だった。
レベッカの背筋に冷たいものが走る。
反射的に、上を向く。
だが――そこにいたのは敵ではなかった。
低い駆動音。
青白い光。
空気を押し下げるような、重力の歪み。
まるで空間そのものが沈み込むような圧力。
次の瞬間――。
ドンッ!!
装甲車の上に、重い着地音が響き渡った。
衝撃で車体が沈み込み、レベッカの肩がびくりと跳ねる。
そこに立っていたのは――≪サイバースケルトン≫。
月光が漆黒の外装を照らし、赤い駆動光が鈍く脈動している。
巨大な鋼のシルエットが、装甲車の陰にいる二人を“確認する”ように見下ろしていた。
そして――。
その巨躯を駆るデイビッドと、彼に抱えられたルーシーが姿を現す。
生きている。
本当に、帰ってきた。
「ただいま……!」
デイビッドが荒い呼吸の合間に笑う。
その声は掠れていた。
それでも確かに、生きていた。
その瞬間。
レベッカの胸が熱くなる。
喉の奥が詰まり、視界が滲んだ。
「おかえりだよ……!馬鹿野郎……!」
涙声を押し殺しながら怒鳴る。
強気に睨みつけているのに、目尻だけが赤く滲んでいた。
「はは……戻ってきやがったか」
ファルコは乾いた笑みを漏らす。
その目だけは、安堵を隠しきれていなかった。
だが――。
再会の時間は、一瞬で戦場に引き裂かれる。
銃声。
火花。
装甲車の外壁が弾け飛び、再び無数の銃弾が彼らへ襲いかかった。
「っち、まだ来やがるかよ!」
レベッカが舌打ちする。
その横で、デイビッドはルーシーを静かに地面へ降ろした。
そして。
仲間へ銃口を向け続ける警備隊を、肩越しにゆっくりと振り返る。
茜色の瞳に、苛烈な怒気が灯った。
≪サイバースケルトン≫の腕部が展開される。
重力制御機構が低く唸り、磁力場が周囲へ解き放たれた。
次の瞬間。
周囲に散らばっていた銃器が、一斉に宙へ浮かび上がる。
「黙ってろ……!」
デイビッドが掌を握り込む。
引き寄せられた銃器群が、見えない力に押し潰されるように歪み始めた。
金属が悲鳴を上げ、塊となって圧縮されていく。
そして――。
完成した巨大な鉄塊を、彼は上空のAV部隊へ叩きつけた。
轟音。
金属塊は車体を紙のようにへこませ、衝突と同時に爆発が連鎖する。
炎が夜空を染めた。
爆炎は周囲の車両へ伝播し、上空を埋め尽くしていた保安AV部隊が、次々と火球へ変わっていく。
一瞬だけ。
戦場の喧騒が遠のいた。
残されたのは、焦げた金属の匂いと、まだ熱を帯びた風だけ。
その静寂の中。
デイビッドはゆっくりとファルコへ視線を向けた。
「ファルコ……頼みがある」
3
外の銃声が、ほんの少しだけ遠のいた。
装甲車の中には、鉄と火薬の匂い、そしてエンジンの微かな振動だけが残っている。
薄暗い車内。
天井の非常灯が赤く点滅し、その光がルーシーの頬を断続的に照らしては、影へ沈めていた。
ルーシーは壁にもたれ、乱れた呼吸を静かに整える。
胸の奥がまだ熱い。
耳の内側では、自分の鼓動がうるさいほど鳴り響いていた。
しかし。
――デイビッドはまだ生きている。
その事実だけで、張り詰めていた神経が少しずつ解けていく。
そのすぐ近くで、レベッカが武器ラックから銃を引き抜き、無言のまま弾倉を確認していた。
カチャ。
カチャ。
乾いた金属音が、狭い車内へ妙に大きく響く。
ふと。
二人の視線がぶつかった。
「……」
「……」
気まずい沈黙。
まともに言葉を交わしたこともない距離感が、車内の空気をじわりと重くする。
ルーシーは視線を逸らし、レベッカもそっぽを向いた。
どちらも、何かを言いかけて、結局飲み込んでしまう。
――同じ男を想っている。
――同じ地獄を潜り抜けてきた。
だからこそ、簡単な言葉ほど口にできなかった。
遠くで爆発音がくぐもり、車体がわずかに震える。
レベッカは気まずさを振り払うように、銃を肩へ担いだ。
「さーて、次々〜……」
いつもの軽い調子。
けれど、背中はどこか落ち着かない。
肩がほんの少しだけ強張っていた。
ルーシーはその背中を見送りながら、再び呼吸を整えようと目を伏せる。
――その時だった。
「……無事でよかったよぉ」
「……え?」
ルーシーが顔を上げる。
レベッカは装甲車のドアの前で立ち止まり、肩越しにこちらを見ていた。
その表情は、優しいのに、少しだけ苦しそうだった。
嫉妬。
安堵。
悔しさ。
色んな感情を飲み込んだ末に、ようやく零れたみたいな顔。
「……デイビッドが喜ぶかんな」
ぶっきらぼうな声。
けれど、その一言には嘘がなかった。
ルーシーは一瞬だけ目を伏せ、静かに笑う。
「……ありがと」
その返事を聞くと、レベッカは鼻を鳴らした。
「でも次は、あーしくらいには相談しなよ?……アイツ絡みなら、協力してやらんこともないから」
照れ隠しみたいに吐き捨てる。
けれど、その不器用な優しさが、ルーシーにはちゃんと伝わっていた。
思わず、小さく笑みが零れる。
「ふふっ……そうね。そうする」
「……ふん!」
レベッカは耳まで少し赤くしたまま、銃を担いで装甲車を飛び出した。
その直後、再び外で銃声が炸裂する。
怒号。
爆音。
火花。
戦場はまだ終わっていない。
けれど――。
ルーシーは、閉まりかけたハッチの向こうを見つめながら、ほんの少しだけ柔らかい表情を浮かべた。
ほんの少しだけ。
この狂った街の中で、仲間になれた気がしていた。
4
アラサカ保安部隊の陣形は、デイビッドたちの暴れぶりと爆発の連鎖によって、もはや戦線と呼べる形を保っていなかった。
前線の遮蔽物は吹き飛び、黒焦げの装甲車が横転し、兵士たちは散り散りに逃げ惑う。
「だめだ、包囲網維持できません!」
「さっき要請した増援は……!」
「応答なし! 指揮系統が死んでます!」
無線越しに飛び交う悲鳴は、もはや戦闘報告ではなく、敗走寸前の絶望そのものだった。
上空のAVは次々と墜落し、炎の尾を引きながらタワー外壁へ激突していく。
砕けた装甲片が雨のように降り注ぎ、爆炎が夜を赤黒く染め上げた。
誰の目にも、勝敗は決したように見えていた。
――だが。
デイビッドだけは、胸の奥に張り付いた“嫌な予感”を拭えずにいた。
(……カツオと連絡がつかない)
(……スマッシャーの現在位置も不明)
(……それに……俺の身体も、もう――)
≪サイバースケルトン≫の内部で、彼の呼吸は浅く乱れている。
視界の端ではノイズが明滅し、耳の奥では警告音が不快に反響していた。
喉の奥へ鉄臭い血の味が広がる。
ルーシーの救命処置で、一時的に意識こそ取り戻したものの、少年バイタルは依然として低下し続けていた。
腹部の止血も応急処置に過ぎない。
スケルトンの駆動部は時折、軋むような異音を上げ、限界が近いことを容赦なく訴えてくる。
このままでは長くもたない。
それでも――。
(……まだ終われねぇ)
デイビッドは歯を食いしばり、崩れゆく戦場を睨みつけた。
その時だった。
アラサカタワー上空から空気を裂くような爆音が轟いた。
デイビッドの意識が、弾かれるように現実へ引き戻される。
反射的に顔を上げる、その瞬間――。
通信ウィンドウが強制的に割り込んだ。
発信元を確認するより早く、ノイズ混じりの声が叫ぶ。
「デイビッド! 上だ……!」
苦痛に歪んだ、青髪の少年の声。
それを聞いた瞬間、デイビッドの身体は自然と空を見上げていた。
そして――彼は見た。
変装のために仲間へ貸した、馴染みある黄色のジャケットの残骸が、風に舞いながら落ちてくるのを。
刹那。
戦場を満たしていた熱気が、一気に押し潰される。
その奥で――。
赤黒い光を宿した影を纏う“厄災”が、真っ直ぐ地上へ迫っていた。