CyberPunk EDGERUNNERS Ver1.6.3 作:甘井モナカ
1
地上に居るデイビッドへ通信が届く数分前――。
発着ポート内部では、カツオとアダム・スマッシャーの戦闘が、すでに始まっていた。
青髪の少年の繰り出す斬撃が、音を置き去りにして空間を奔る。空気が裂け、金属床が切断され、白い残光だけが軌跡として宙へ焼きつく。
だが――。
漆黒の傭兵はそれをいとも容易く躱し、反転と同時に砲撃を叩き込んだ。
轟音と衝撃。
金属片と火花が嵐のように吹き荒れ、ポート内部の壁面が次々と抉れていく。
カツオは迎撃を重ねながら砲撃を躱し続けていたが、その身体には徐々に傷が増えていった。肩口が裂け、頬を血が伝い、呼吸のたび肺が焼けるように痛む。
対して傭兵は依然として無傷。その巨体は微動だにせず、まるで“遊んでいる”かのようだった。
二人の差は、あまりにも歴然だった。
『おい、小僧』
低く歪んだ電子音声が響く。
『お前も既製品じゃないインプラントを入れてるな。……ほう。俺と同系統か?』
髑髏面の双眸に位置する赤い視覚センサーが、獲物を観察するように淡く明滅する。
「だったらなんだよ?見逃してくれんなら譲ってやってもいいけど……!」
カツオの口から零れたのは、意味の無い虚勢。
だが、口を止めれば恐怖が勝ちそうだった。
次の瞬間――。
漆黒の傭兵の姿が消える。
『試験用の≪バーサーク:プロトタイプ≫か。……俺の型落ち品だな。欲しがるほどでもない』
「ッ……!」
その言葉は“お前の全ては俺の劣化版だ”と告げるような、冷たい嘲笑が滲む。
直後。死角から砲撃の嵐が炸裂する。
爆風が通路を薙ぎ払い、床がめくれ上がる。
カツオは太刀を地面へ突き刺し、金属床を無理やり持ち上げた。
即席の防御壁。砲撃がぶつかり、耳を裂くような衝撃音が連続する。
だが――。
『側面が、がら空きだぞ?』
真横から、無骨な拳が突き刺さった。
「……ッ!!」
衝撃で視界が反転する。
カツオの身体が吹き飛び、床を何度も跳ねながら転がった。
肺の空気が強制的に吐き出される。
だが、止まれば死ぬ。
飛来する砲弾の気配を察知し、彼は即座に身体を起こした。
その瞬間、爆炎が背後を呑み込む。
炎の奥で佇むその死神は――。
完全に、カツオの動きを“見切って”いた。
カツオがポート内を縦横無尽に駆ければ、その進行方向の“半歩先”に、漆黒の巨体が必ず立っている。まるで――カツオの未来の位置を知っているかのように。
逃げ道を潰すように、高出力の砲撃が正確無比に叩き込まれる。
爆風が背中を焼き、金属片が頬をかすめ、耳鳴りが鼓膜を揺らした。
直撃すれば終わり。それでもカツオは、紙一重で回避を続ける。
だが――限界が近い。
首筋を冷たい汗が伝う。
握る太刀が、汗でわずかに滑った。
呼吸は乱れ、脚が鉛のように重い。
(……このままじゃ押し切られる)
彼は理解していた。
“読み負けている”のではない。最初から“読み合いそのもの”が成立していない。
だからこそ、発想を切り替える。
(なら――肉を切らせて骨を断つ、か)
彼が保有する最大の切り札――“電磁抜刀”。
手足を纏う≪クローム≫の膂力と、紫電を纏う≪刃≫の超加速を併せた斬撃。
一撃必殺の奥の手。
だが発動には、ほんのわずかな“溜め”が必要だった。
そしてその時間を、相対する傭兵は一度たりとも与えてはくれない。
それならば――。
(一撃もらう前提で、動きを作る。つまり――)
(相打ち覚悟で、奴を抜刀の間合いに引きずり込む――!)
カツオは小さく息を吸い込み、覚悟を決めて目を見開いた。
瞬間。
爆風を背に、一直線に駆け出す。
眼前の連鎖する爆撃をすり抜け、ポート中央へ最短距離で飛び込んだ。
そして――。
太刀を静かに構える。
「おいおい。もう逃げるのは終わりか?」
漆黒の傭兵が動きを止め、低い声で問いかける。
「ああ……機械仕掛けのオンボロと遊ぶのも飽きたからな」
精一杯の挑発。
効くとは思っていなかった。
だが、やるしかない。匙はすでに投げられている。
「どこからでも来いよ。一太刀入れてやる」
『ほう……』
死神が持つ髑髏面の赤い光が細く歪む。
『楽しませてくれよ、小僧』
次の瞬間、アダム・スマッシャーの姿が消える。
カツオは目を閉じる。
雑念を殺し、感覚を研ぎ澄ませる。
次の一撃へ、全てを懸ける。
――だが。
その集中が、致命的な盲点を生んだ。
少年の背後で、白髪の男が――“音もなく”動いた。
「……ッ!?」
彼の網膜スクリーンに、真紅のエラー画面が一気に走り抜ける。警告音。
視界の端が一瞬だけ白く弾け――。
次の瞬間、カツオの身体から“力”が抜け落ちた。
膝が砕けるように床へ沈む。四肢の感覚が遠のき、視界は激しいノイズで塗りつぶされる。
「捕らえた時に……“保険”くらい仕掛けておくさ……!」
背後から聞こえたのは、血に濡れた息を吐きながらも嗤う、白髪の男――ファラデー。
左足を失い、右肩から血を垂らし、それでも“執念だけ”で立っていた。
その4つの義眼に灯る茜色の輝きが、復讐の熱に呼応するように強まる。
「こ、の野郎……!」
カツオのクローム制御が乱れた。
神経接続が一斉にノイズを吐き、四肢の反応速度が急激に低下する。まるで身体が“自分のものではなくなる”ような感覚。
男は血まみれの顔で嗤う。
その笑みには、痛みと恐怖と嫉妬、そして執念が渦巻き、人間の醜悪さが凝縮されたような表情だった。
「さぁやれ! アダム・スマッシャー!傭兵なのだろう!? そこのゴミを処理しろ!」
ファラデーは血走った目で喚き散らす。
声は裏返り、唾が飛び、その姿はもはや“フィクサー”ではなかった。
恐怖に追い詰められ、ただ生き残りたい一心で叫ぶ――哀れな人間。
震える指がカツオを指し示す。自分の命乞いを“命令”という形に偽装しながら。
だが――。
『……興が冷めたな』
傭兵は冷淡に吐き捨てた。
その声音には怒りも、苛立ちもない。
あるのは、玩具に飽きた子供のような退屈だけ。
直後――。
漆黒の外装から、赤黒い残光が噴き上がった。
空気が沈む。重圧が空間を軋ませる。
そして、彼の背後に“何か”が立ち上がった。
巨大な黒い影。
輪郭は曖昧。
だが、そこに存在する“質量”だけが異常だった。
次の瞬間――。
ポート全体を揺るがす衝撃が炸裂した。
空気が爆ぜ、金属が悲鳴を上げ、床が波打つように隆起して砕け散る。
轟音が夜空に突き抜け、壁面が歪み、衝撃波が全方向へ吹き荒れた。
ファラデーは悲鳴すら上げられず、ただ“何か巨大なもの”に弾かれたように吹き飛ばされる。
意識が遠のく中、彼は最後にその光景を見た。
――青髪の少年ごと、空間を叩き潰した、巨人の鉄槌のような一撃 を。
(こんな……ところで……私は――)
飛来した巨大な瓦礫が、逃げる間もなく男の身体を押しつぶす。
骨が砕ける感覚も、痛みも、もう何も感じなかった。
デバイスの電源が落ちるように、彼の意識はそこで静かに途切れた。
2
朦朧とする意識の中。
カツオは全身を焼くような痛みに耐えながら、ゆっくりと、重い瞼をこじ開けた。
左目の投影スクリーンは砕け、破片が頬に貼りついている。
視界の半分は赤いノイズに染まり、世界が断続的に途切れながら揺れていた。
身体が――浮いている。
内臓がふわりと持ち上がる、あの嫌な浮遊感。気づけば、カツオの身体は崩壊したポートの外へ投げ出されていた。
赤い月光の下。
少年の手足は、重力に引きずり込まれるようにゆっくりと落下していく。
風が耳元を裂き、血の匂いが鼻を刺す。
ほとんど動かない腕を、歯を食いしばって無理やり持ち上げた。筋肉が悲鳴を上げ、神経が焼けるように痛む。
視線の先――。
タワー下層では、仲間たちがなお戦い続けていた。
銃火の閃光が点滅し、爆炎が夜を照らし、その中に見慣れた影がいくつも動いている。
(……伝え、なきゃ――)
胸の奥で、使命だけがまだ燃えていた。
あの“災厄”のことを。
この先“彼”が相対することになる怪物を。
薄れゆく意識の中、カツオは最後の力を振り絞り、震える指で通信コンソールを叩いた。
「デイビッド……! 上だ……!」
3
アラサカタワー直下――。
その空間を“何か”が支配していた。
空気が沈む。温度が落ち、音が遠のく。
まるで世界そのものが、一瞬だけ呼吸を止めたようだった。
戦場の誰もが、本能的に空を見上げる。
「なんだ……ありゃ……」
撤退準備を進めていたファルコの声が震えた。
普段は冷静な男の喉が、乾いた音を漏らす。
「……まさか」
装甲車のハッチから顔を出したルーシーの表情が凍りつく。
彼女の瞳に映ったのは“影”ではない。
あれは――落下してくる“死”そのもの。
「新手か!? 邪魔すんじゃ――!」
レベッカは反射的に銃を構え、頭上へ向けて引き金を引く。
銃声が夜を裂き、火花が散る。
だが――。
黒い影は速度を落とさない。いや、むしろ加速していた。
弾丸を置き去りにしながら、一直線にレベッカへ迫ってくる。
その質量は“落下”という表現すら生ぬるい。まるで隕石そのものが、地上を叩き潰しに来ているかのようだった。
空気が歪む。重圧だけで肺が軋む。
このまま衝突すれば、レベッカごと地盤を砕き、周囲一帯を巻き込む。
――はずだった。
「……ッ!」
誰よりも早く、デイビッドが駆け出した。
仲間の決死の通信を受け取った彼だけが、次に起こる“災厄”を理解していた。
≪サイバースケルトン≫の膂力。
≪サンデヴィスタン≫の極限加速。
両者の力を併せ持つ少年の世界が、極彩色へと引き延ばされる。
空気が伸び。
火花が止まり。
悲鳴が遅れ。
落下する瓦礫すら静止して見えた。
世界が“止まった”のではなく、デイビッドの速さが世界を置き去りにする。
静止した光景の中を、彼はただ一人、光の残像を引きながら駆け抜けた。
迫る漆黒の影。
その直前で、彼はレベッカの身体を強引に抱き寄せる。
そして――。
次の瞬間。
世界が、爆ぜた。
地盤そのものが悲鳴を上げる。
大地が陥没し、アスファルトが津波のようにめくれ上がった。
落着した“何か”を中心に、破壊が同心円状に広がっていく。
護衛兵たちがまとめて吹き飛び、崩落した地面ごと地下区画へ呑み込まれていった。
土煙が噴き上がる。金属が捻じ曲がる。赤黒い火花が夜空を焼く。
誰も、すぐには理解できなかった。
ただ一つだけを除いて。
――“厄災”が降ってきた。
その事実だけが、瞬く間に戦場のすべてを支配する。
4
デイビッドは、頬に触れる温かな感触で意識を引き戻された。
ぼやけた視界が、ゆっくりと焦点を結んでいく。
最初に見えたのは、自分の胸元へしがみつく小さな手。
震えている。
レベッカの手だった。
(……生き、てる……?)
意識が浮上した次の瞬間。
耳の奥へ、今まで置き去りにされていた轟音が一気に流れ込んできた。
地鳴り。金属の軋み。崩落した瓦礫が転がり落ちる音。
粉塵が肺へ入り込み、激しい咳が込み上げる。
彼はそこでようやく現実を理解した。
――地盤が崩落したのだ。自分たちは、アラサカタワー直下の地表から、地下区画へ叩き落とされた。
舞い上がる粉塵が月光を遮り、視界は灰色に濁っている。
頭上では、本来“地面”だった場所が、巨大な裂け目となって夜空を晒していた。
デイビッドは胸元へ視線を落とし――息を呑む。
レベッカの頭部が大きく裂け、赤黒い血が頬を伝っていた。
「レベッカ……!」
かすれた声が漏れる。
「……デイ、ビ……」
返ってきたのは、途切れそうな小さな声。
焦点の合わない瞳。弱々しい呼吸。
だが――生きている。
(息はある……! でも――)
安堵しかけた意識を、彼の鼓膜を叩く音が凍りつかせた。
重低音。
まるで建造物そのものが歩くような、圧倒的な重量音。
粉塵の奥から、漆黒の巨体が姿を現す。
崩落の中心から、何事もなかったように。
『遊びは終わりだ……クソガキ』
地下空間そのものを震わせる、低く冷たい声。
直後、砲撃が放たれた。
「っ……!」
デイビッドは反射的に背部の≪クローム≫へ起動信号を送り込む。
≪サンデヴィスタン≫の再起動。
低い駆動音と共に、世界が再び極彩色へ引き延ばされた。
色が伸びる。
音が遅れる。
崩落する瓦礫が空中で停止する。
本来ならば誰も追いつけない速度。
だが――。
その極彩色の世界へ“黒いノイズ”が割り込んだ。
「――!?」
漆黒の外装を残像のように引きながら、アダム・スマッシャーは、デイビッドの速度へ完全に追従していた。
あり得ない。
少年の顔に驚愕が滲む。
この加速世界は、本来“彼だけの領域”のはずだった。
「お前も、サンデヴィスタンを……!?」
デイビッドの声が震える。
極彩色の空間で、黒い傭兵だけが異物のようにその存在を躍動させる。
『ああ。 “特別” 製なのはお前だけじゃない』
その声だけが、異様なほど鮮明に響く。
「……狙いは俺だけだろッ!」
苦し紛れに放った一撃。
だがアダム・スマッシャーは、それを当然のように躱した。
軍用インプラント≪サンデヴィスタン≫。
そして≪サイバースケルトン≫。
2つを無許可で占有する以上、自分がコーポに狙われるのは理解できる。
だが――。
なぜ仲間まで狙う。
なぜ関係ない兵士すら巻き込む。
漆黒の傭兵は音もなくデイビッドの目前へ滑り込む。
少年の眼前で髑髏面の奥の赤黒い双眸が妖しく輝かせながら、答えを告げる。
『安心しろ。皆殺しだ……これで寂しくなくなるだろう』
それは答えですらなかった。
だが、その言葉だけで極彩色の世界から熱が消えていく。
「お前ひとりで死ねよ……ッ!」
少年が叫んだ直後。
「――がッ!?」
デイビッドの口から鮮血が噴き出した。
活動限界。
その単語が彼の脳裏を走り抜ける。
内臓が焼ける。
神経が軋む。
全身のクロームが悲鳴を上げる。
飛び散った血が、レベッカの頬へ赤く散った。
その瞬間。
≪サンデヴィスタン≫の加速が、強制解除される。
極彩色の世界が崩壊した。
止まっていた音が一斉に押し寄せ、重力と衝撃が身体を叩き潰す。制御を失ったデイビッドの身体は、瓦礫の上へ無惨に崩れ落ちた。
視界の端で、異常を告げるアラートが鳴り止まない。
赤い警告ウィンドウが次々と重なり、ノイズのように視界を侵食していく。
――〈神経接続率:急低下〉。
――〈バイタル:急低下〉。
――〈精神負荷:危険域〉。
デイビッドの精神負荷が、限界値を超えかける。
同時。装着者の意思に反するように≪サイバースケルトン≫が自動制御へ移行する。
背部内部装甲が、ガコン、と鈍い音を立てて展開した。
冷たい空気が首筋へ流れ込む。
次の瞬間――。
内蔵された抑制剤ユニットが作動。
機械的な駆動音と共に、高圧射出された薬液が、デイビッドの首筋へ無理やり叩き込まれた。
「――ッ!」
鋭い痛み。
薬液が血管を逆流するように全身へ広がっていく。
視界が白く弾け、鼓膜の奥で耳鳴りが炸裂した。
だが――。
身体が、それを拒絶した。
熱い。
次の瞬間には寒気。
焼けるような悪寒が、背骨を這い上がる。
心臓が異常な速度で脈打ち、肺が痙攣し、胃の奥がひっくり返る。
「っ……ぐ、ぁ……!」
堪えきれず、デイビッドの口から血混じりの液体が吐き出された。
鮮血の飛沫が、レベッカの服を赤く汚す。
彼女の眉が、弱々しくぴくりと震えた。
(……クソ……身体が、受けつけねぇ……!?)
抑制剤は本来、暴走しかけた精神を無理やり押さえ込むためのもの。
だが――。
限界の向こう側へ片足を踏み入れた今の彼には、もう効かない。
薬液が流れ込むたび、神経だけが無理やり擦り減っていく。
喉が焼ける。
呼吸が乱れる。
四肢が痙攣し、レベッカを抱える腕すら震えていた。
そのとき――瓦礫の向こうから、重い足音が響いた。
『おいおい。クロームに汚染される前に、身体が先にくたばる状況なのか?』
漆黒の傭兵が、ゆっくりと近づいてくる。
その歩みは、結末を告げる死神の足音 のように重く、冷たかった。
アダム・スマッシャーは少年の前で足を止めると、ゆっくりと、まるで儀式のように銃を持ち上げた。
黒い銃口が、デイビッドの額へ一直線に向けられる。
少年はいまだ動けない。
呼吸は荒く、視界は揺れ、レベッカを抱えた腕だけが震えている。
――次の瞬間。
銃口が、止まった。
まるで“見えない手”に掴まれたように、傭兵の腕が硬直する。
関節がわずかに軋み、外装の赤黒い残光が一瞬だけ乱れた。
傭兵は一瞬でその異常を分析する。自身の腕を外部から――“止められた” のだと。
直後、声が響く。
「デイビッド……!」
鬼気迫る女の声が、粉塵の舞う地下区画へ鋭く突き刺さった。
震えながらも、必死で、切実で“彼を救う”という意志だけが剥き出しだった。
「……」
アダム・スマッシャーはわずかに視線を動かす。
その沈黙は、獲物を仕留める直前の捕食者の静けさそのものだった。
次の瞬間――。
漆黒の傭兵の頭部ユニットが低く唸る。
自身の内部へ侵入させていた回線へ、赤黒い輝きが逆流するように駆け上がった。まるで、喰らいついた獲物の腕を掴み返す猛獣のように。
空気が震える。
電子ノイズとも悲鳴ともつかない不快な音が、地下区画に伝播する。
熱を帯びた赤黒い光が、粉塵の中に不気味な軌跡を描いた。
「……ッ!?」
傭兵の神経回線へ潜り込んでいた影の表情が凍りつく。
侵入したはずの回線から“何か”がこちらへ流れ込んでくる。圧倒的な演算負荷。暴力的な防壁。そして――殺意。
逃げ切れない。そう理解する前に――。
地下区画の空気が、一度だけ歪んだ。
直後。
背後で乾いた炸裂音が響く。
短い呻き声。
それは脳へ直接叩き込まれた暴力によって、意識そのものを引き裂かれた断末魔だった。
瓦礫の奥から、女の身体が崩れ落ちる。
銀髪が宙へ散り、彼女は粉塵の中へ沈んだ。
「ルーシー……!」
少年の声が震える。
だが、彼の身体は動かない。
血濡れた幼女を抱えたまま、地面へ縫い付けられたように動けなかった。
『小賢しい』
漆黒の傭兵は淡々と吐き捨てた。
『お前程度じゃ、俺のICEは抜けねぇよ』
その声には、人を相手にしているという温度すら感じさせない。
ただ、路肩のゴミを踏み潰した時のような、無機質な冷たさだけが残っていた。
デイビッドはその光景を目の当たりにし、奥歯を強く噛みしめた。
胸の奥で、怒りと恐怖と絶望が渦を巻く。
だが――。
そのすべてを押し殺し、彼は喉の奥から叫んだ。
「ファルコ!!!」
その声が地下区画へ響いた直後。
瓦礫へ埋もれていた警護用AVの一台が、重力を振り払うように浮かび上がる。粉塵を巻き上げながら、デイビッドたちの元へ一直線に飛来した。
眼前のアダム・スマッシャーが動くより早く、デイビッドは歯を食いしばる。
「ぐっ……!」
≪サイバースケルトン≫の四肢が展開され、指向性重力波が二つ形成された。
その対象は――レベッカとルーシー。
二人の身体がゆっくりと宙へ浮かび上がる。
まるで見えない腕に抱えられるように、警護用AVのハッチへ吸い込まれていく。その動きは、戦場とは不釣り合いなほど静かで、必死で、優しかった。
二人を収容したAVは、デイビッドへ背を向けるように機首を返し、ナイトシティの夜空へ飛び上がった。
『皆殺しと言ったはずだが?』
その光景を不気味なほど静かに眺めていた死神が、ゆっくりと右腕を持ち上げる。
アームランチャーの銃口が、夜空へ飛び立つAVを捉えた。
次の瞬間――。
アダム・スマッシャーの身体が沈む。
「よそ見、してる暇、あんのかよ……!?」
『……クソガキが』
デイビッドの繰り出した重力波が、傭兵の巨体を地面へ叩きつける。
床が軋み、瓦礫が浮き上がる。
『結局!お前も同じ、じゃねぇか!っは!クソガキと並んだ気分はどうだぁ……!?』
『……同じだと?』
血反吐を吐きながら睨みつけてくる少年を前にアダム・スマッシャーは一瞬、動きを止めた。
髑髏面の奥で、赤い双眸がゆっくり細まる。
その声には怒りではない。理解不能なものを見るような、冷たい嫌悪だけが滲んでいた。
『お前みたいな“壊れかけ”と一緒にするな……ッ!』
直後――。
重力波の檻が、力任せに引き裂かれる。
「ッ!?」
傭兵の姿が暗闇に溶けた。
次の瞬間には、デイビッドの背後へ回り込んでいた。漆黒の腕が、≪サイバースケルトン≫肩部の反重力装置を掴んだ。
そして――。
バキィッ!!
金属が悲鳴を上げる。
『こんな補助輪が無ければ……!』
「ぐっ……!」
反重力装置が、まるで玩具みたいに引き剥がされた。途端に、少年の四肢のバランスが大きく崩れる。
だが、アダム・スマッシャーは止まらない。そのまま追撃の蹴りが叩き込まれ、デイビッドの巨体が瓦礫へ激突した。
「がぁっ……っ!」
『一人で自重すら支えられないクソガキが……ッ!』
反対側の装置も掴まれる。
そして――。
再び、破壊音。
金属片が火花を散らしながら宙へ舞った。
その瞬間。
≪サイバースケルトン≫本来の質量が、一気にデイビッドの身体へとのしかかる。
「ぅ……!……っ!!」
膝が沈む。地面が陥没し、骨が軋む。
肺が押し潰され、呼吸がまともにできない。
≪サイバースケルトン≫は本来、反重力装置によってその膨大な自重を軽減して運用する兵装。
その補助を失った今、数トン級の外骨格の重量が、少年の体躯へ直接牙を剥いていた。
スマッシャーは、苦しむもがく少年を冷ややかに見下ろす。
『本気で何者かになれると思っていたのか?』
「っ……!!……っ!!」
その声は静かだった。
だからこそ残酷だった。
デイビッドは歯を食いしばる。
崩れ落ちそうになる身体を、震える手足で必死に支え続ける。
だが――。
≪サイバースケルトン≫の重量は、容赦なく少年を押し潰していく。
全身のデバイスが警告音を鳴らし、彼の視界を深紅のエラー表示が埋め尽くした。
そして。
少年の身体の奥深くで、何かが軋み砕ける音が響いた。