CyberPunk EDGERUNNERS Ver1.6.3   作:甘井モナカ

26 / 33
05話 ザ・キリング・ゲーム

 

 

 

 1

 

 

 

 地上に居るデイビッドへ通信が届く数分前――。

 

 発着ポート内部では、カツオとアダム・スマッシャーの戦闘が、すでに始まっていた。

 青髪の少年の繰り出す斬撃が、音を置き去りにして空間を奔る。空気が裂け、金属床が切断され、白い残光だけが軌跡として宙へ焼きつく。

 

 だが――。

 漆黒の傭兵はそれをいとも容易く躱し、反転と同時に砲撃を叩き込んだ。

 

 轟音と衝撃。

 

 金属片と火花が嵐のように吹き荒れ、ポート内部の壁面が次々と抉れていく。

 カツオは迎撃を重ねながら砲撃を躱し続けていたが、その身体には徐々に傷が増えていった。肩口が裂け、頬を血が伝い、呼吸のたび肺が焼けるように痛む。

 

 対して傭兵は依然として無傷。その巨体は微動だにせず、まるで“遊んでいる”かのようだった。

 二人の差は、あまりにも歴然だった。

 

『おい、小僧』

 

 低く歪んだ電子音声が響く。

 

『お前も既製品じゃないインプラントを入れてるな。……ほう。俺と同系統か?』

 

 髑髏面の双眸に位置する赤い視覚センサーが、獲物を観察するように淡く明滅する。

 

「だったらなんだよ?見逃してくれんなら譲ってやってもいいけど……!」

 

 カツオの口から零れたのは、意味の無い虚勢。

 だが、口を止めれば恐怖が勝ちそうだった。

 

 次の瞬間――。

 漆黒の傭兵の姿が消える。

 

『試験用の≪バーサーク:プロトタイプ≫か。……俺の型落ち品だな。欲しがるほどでもない』

「ッ……!」

 

 その言葉は“お前の全ては俺の劣化版だ”と告げるような、冷たい嘲笑が滲む。

 

 直後。死角から砲撃の嵐が炸裂する。

 爆風が通路を薙ぎ払い、床がめくれ上がる。

 カツオは太刀を地面へ突き刺し、金属床を無理やり持ち上げた。

 即席の防御壁。砲撃がぶつかり、耳を裂くような衝撃音が連続する。

 

 だが――。

 

『側面が、がら空きだぞ?』

 

 真横から、無骨な拳が突き刺さった。

 

「……ッ!!」

 

 衝撃で視界が反転する。

 カツオの身体が吹き飛び、床を何度も跳ねながら転がった。

 肺の空気が強制的に吐き出される。

 だが、止まれば死ぬ。

 飛来する砲弾の気配を察知し、彼は即座に身体を起こした。

 その瞬間、爆炎が背後を呑み込む。

 

 炎の奥で佇むその死神は――。

 完全に、カツオの動きを“見切って”いた。

 カツオがポート内を縦横無尽に駆ければ、その進行方向の“半歩先”に、漆黒の巨体が必ず立っている。まるで――カツオの未来の位置を知っているかのように。

 

 逃げ道を潰すように、高出力の砲撃が正確無比に叩き込まれる。

 爆風が背中を焼き、金属片が頬をかすめ、耳鳴りが鼓膜を揺らした。

 直撃すれば終わり。それでもカツオは、紙一重で回避を続ける。

 

 だが――限界が近い。

 

 首筋を冷たい汗が伝う。

 握る太刀が、汗でわずかに滑った。

 呼吸は乱れ、脚が鉛のように重い。

 

(……このままじゃ押し切られる)

 

 彼は理解していた。

 “読み負けている”のではない。最初から“読み合いそのもの”が成立していない。

 だからこそ、発想を切り替える。

 

(なら――肉を切らせて骨を断つ、か)

 

 彼が保有する最大の切り札――“電磁抜刀”。

 手足を纏う≪クローム≫の膂力と、紫電を纏う≪刃≫の超加速を併せた斬撃。

 一撃必殺の奥の手。

 

 だが発動には、ほんのわずかな“溜め”が必要だった。

 そしてその時間を、相対する傭兵は一度たりとも与えてはくれない。

 それならば――。

 

(一撃もらう前提で、動きを作る。つまり――)

(相打ち覚悟で、奴を抜刀の間合いに引きずり込む――!)

 

 カツオは小さく息を吸い込み、覚悟を決めて目を見開いた。

 

 瞬間。

 爆風を背に、一直線に駆け出す。

 眼前の連鎖する爆撃をすり抜け、ポート中央へ最短距離で飛び込んだ。

 

 そして――。

 太刀を静かに構える。

 

「おいおい。もう逃げるのは終わりか?」

 

 漆黒の傭兵が動きを止め、低い声で問いかける。

 

「ああ……機械仕掛けのオンボロと遊ぶのも飽きたからな」

 

 精一杯の挑発。

 効くとは思っていなかった。

 だが、やるしかない。匙はすでに投げられている。

 

「どこからでも来いよ。一太刀入れてやる」

『ほう……』

 

 死神が持つ髑髏面の赤い光が細く歪む。

 

『楽しませてくれよ、小僧』

 

 次の瞬間、アダム・スマッシャーの姿が消える。

 

 カツオは目を閉じる。

 雑念を殺し、感覚を研ぎ澄ませる。

 次の一撃へ、全てを懸ける。

 

 ――だが。

 

 その集中が、致命的な盲点を生んだ。

 少年の背後で、白髪の男が――“音もなく”動いた。

 

「……ッ!?」

 

 彼の網膜スクリーンに、真紅のエラー画面が一気に走り抜ける。警告音。

 視界の端が一瞬だけ白く弾け――。

 次の瞬間、カツオの身体から“力”が抜け落ちた。

 膝が砕けるように床へ沈む。四肢の感覚が遠のき、視界は激しいノイズで塗りつぶされる。

 

「捕らえた時に……“保険”くらい仕掛けておくさ……!」

 

 背後から聞こえたのは、血に濡れた息を吐きながらも嗤う、白髪の男――ファラデー。

 左足を失い、右肩から血を垂らし、それでも“執念だけ”で立っていた。

 その4つの義眼に灯る茜色の輝きが、復讐の熱に呼応するように強まる。

 

「こ、の野郎……!」

 

 カツオのクローム制御が乱れた。

 神経接続が一斉にノイズを吐き、四肢の反応速度が急激に低下する。まるで身体が“自分のものではなくなる”ような感覚。

 男は血まみれの顔で嗤う。

 その笑みには、痛みと恐怖と嫉妬、そして執念が渦巻き、人間の醜悪さが凝縮されたような表情だった。

 

「さぁやれ! アダム・スマッシャー!傭兵なのだろう!? そこのゴミを処理しろ!」

 

 ファラデーは血走った目で喚き散らす。

 声は裏返り、唾が飛び、その姿はもはや“フィクサー”ではなかった。

 恐怖に追い詰められ、ただ生き残りたい一心で叫ぶ――哀れな人間。

 震える指がカツオを指し示す。自分の命乞いを“命令”という形に偽装しながら。

 

 だが――。

 

『……興が冷めたな』

 

 傭兵は冷淡に吐き捨てた。

 その声音には怒りも、苛立ちもない。

 あるのは、玩具に飽きた子供のような退屈だけ。

 

 直後――。

 漆黒の外装から、赤黒い残光が噴き上がった。

 空気が沈む。重圧が空間を軋ませる。

 

 そして、彼の背後に“何か”が立ち上がった。

 

 巨大な黒い影。

 輪郭は曖昧。

 だが、そこに存在する“質量”だけが異常だった。

 

 次の瞬間――。

 

 

 ポート全体を揺るがす衝撃が炸裂した。

 

 

 空気が爆ぜ、金属が悲鳴を上げ、床が波打つように隆起して砕け散る。

 轟音が夜空に突き抜け、壁面が歪み、衝撃波が全方向へ吹き荒れた。

 ファラデーは悲鳴すら上げられず、ただ“何か巨大なもの”に弾かれたように吹き飛ばされる。

 意識が遠のく中、彼は最後にその光景を見た。

 

 ――青髪の少年ごと、空間を叩き潰した、巨人の鉄槌のような一撃 を。

 

(こんな……ところで……私は――)

 

 飛来した巨大な瓦礫が、逃げる間もなく男の身体を押しつぶす。

 骨が砕ける感覚も、痛みも、もう何も感じなかった。

 デバイスの電源が落ちるように、彼の意識はそこで静かに途切れた。

 

 

 

 2

 

 

 

 朦朧とする意識の中。

 カツオは全身を焼くような痛みに耐えながら、ゆっくりと、重い瞼をこじ開けた。

 左目の投影スクリーンは砕け、破片が頬に貼りついている。

 視界の半分は赤いノイズに染まり、世界が断続的に途切れながら揺れていた。

 

 身体が――浮いている。

 内臓がふわりと持ち上がる、あの嫌な浮遊感。気づけば、カツオの身体は崩壊したポートの外へ投げ出されていた。

 

 赤い月光の下。

 少年の手足は、重力に引きずり込まれるようにゆっくりと落下していく。

 風が耳元を裂き、血の匂いが鼻を刺す。

 ほとんど動かない腕を、歯を食いしばって無理やり持ち上げた。筋肉が悲鳴を上げ、神経が焼けるように痛む。

 

 視線の先――。

 タワー下層では、仲間たちがなお戦い続けていた。

 銃火の閃光が点滅し、爆炎が夜を照らし、その中に見慣れた影がいくつも動いている。

 

(……伝え、なきゃ――)

 

 胸の奥で、使命だけがまだ燃えていた。

 

 あの“災厄”のことを。

 この先“彼”が相対することになる怪物を。

 

 薄れゆく意識の中、カツオは最後の力を振り絞り、震える指で通信コンソールを叩いた。

 

「デイビッド……! 上だ……!」

 

 

 

 3

 

 

 

 アラサカタワー直下――。

 その空間を“何か”が支配していた。

 空気が沈む。温度が落ち、音が遠のく。

 まるで世界そのものが、一瞬だけ呼吸を止めたようだった。

 

 戦場の誰もが、本能的に空を見上げる。

 

「なんだ……ありゃ……」

 

 撤退準備を進めていたファルコの声が震えた。

 普段は冷静な男の喉が、乾いた音を漏らす。

 

「……まさか」

 

 装甲車のハッチから顔を出したルーシーの表情が凍りつく。

 彼女の瞳に映ったのは“影”ではない。

 あれは――落下してくる“死”そのもの。

 

「新手か!? 邪魔すんじゃ――!」

 

 レベッカは反射的に銃を構え、頭上へ向けて引き金を引く。

 銃声が夜を裂き、火花が散る。

 

 だが――。

 黒い影は速度を落とさない。いや、むしろ加速していた。

 弾丸を置き去りにしながら、一直線にレベッカへ迫ってくる。

 その質量は“落下”という表現すら生ぬるい。まるで隕石そのものが、地上を叩き潰しに来ているかのようだった。

 空気が歪む。重圧だけで肺が軋む。

 このまま衝突すれば、レベッカごと地盤を砕き、周囲一帯を巻き込む。

 

 ――はずだった。

 

「……ッ!」

 

 誰よりも早く、デイビッドが駆け出した。

 仲間の決死の通信を受け取った彼だけが、次に起こる“災厄”を理解していた。

 

 ≪サイバースケルトン≫の膂力。

 ≪サンデヴィスタン≫の極限加速。

 

 両者の力を併せ持つ少年の世界が、極彩色へと引き延ばされる。

 空気が伸び。

 火花が止まり。

 悲鳴が遅れ。

 落下する瓦礫すら静止して見えた。

 世界が“止まった”のではなく、デイビッドの速さが世界を置き去りにする。

 静止した光景の中を、彼はただ一人、光の残像を引きながら駆け抜けた。

 

 迫る漆黒の影。

 その直前で、彼はレベッカの身体を強引に抱き寄せる。

 

 そして――。

 

 次の瞬間。

 世界が、爆ぜた。

 

 地盤そのものが悲鳴を上げる。

 大地が陥没し、アスファルトが津波のようにめくれ上がった。

 落着した“何か”を中心に、破壊が同心円状に広がっていく。

 

 護衛兵たちがまとめて吹き飛び、崩落した地面ごと地下区画へ呑み込まれていった。

 土煙が噴き上がる。金属が捻じ曲がる。赤黒い火花が夜空を焼く。

 

 誰も、すぐには理解できなかった。

 ただ一つだけを除いて。

 

 ――“厄災”が降ってきた。

 

 その事実だけが、瞬く間に戦場のすべてを支配する。

 

 

 

 4

 

 

 

 デイビッドは、頬に触れる温かな感触で意識を引き戻された。

 ぼやけた視界が、ゆっくりと焦点を結んでいく。

 最初に見えたのは、自分の胸元へしがみつく小さな手。

 震えている。

 レベッカの手だった。

 

(……生き、てる……?)

 

 意識が浮上した次の瞬間。

 耳の奥へ、今まで置き去りにされていた轟音が一気に流れ込んできた。

 地鳴り。金属の軋み。崩落した瓦礫が転がり落ちる音。

 粉塵が肺へ入り込み、激しい咳が込み上げる。

 彼はそこでようやく現実を理解した。

 

 ――地盤が崩落したのだ。自分たちは、アラサカタワー直下の地表から、地下区画へ叩き落とされた。

 

 舞い上がる粉塵が月光を遮り、視界は灰色に濁っている。

 頭上では、本来“地面”だった場所が、巨大な裂け目となって夜空を晒していた。

 

 デイビッドは胸元へ視線を落とし――息を呑む。

 レベッカの頭部が大きく裂け、赤黒い血が頬を伝っていた。

 

「レベッカ……!」

 

 かすれた声が漏れる。

 

「……デイ、ビ……」

 

 返ってきたのは、途切れそうな小さな声。

 焦点の合わない瞳。弱々しい呼吸。

 だが――生きている。

 

(息はある……! でも――)

 

 安堵しかけた意識を、彼の鼓膜を叩く音が凍りつかせた。

 重低音。

 まるで建造物そのものが歩くような、圧倒的な重量音。

 粉塵の奥から、漆黒の巨体が姿を現す。

 崩落の中心から、何事もなかったように。

 

『遊びは終わりだ……クソガキ』

 

 地下空間そのものを震わせる、低く冷たい声。

 直後、砲撃が放たれた。

 

「っ……!」

 

 デイビッドは反射的に背部の≪クローム≫へ起動信号を送り込む。

 

 ≪サンデヴィスタン≫の再起動。

 低い駆動音と共に、世界が再び極彩色へ引き延ばされた。

 色が伸びる。

 音が遅れる。

 崩落する瓦礫が空中で停止する。

 本来ならば誰も追いつけない速度。

 

 だが――。

 その極彩色の世界へ“黒いノイズ”が割り込んだ。

 

「――!?」

 

 漆黒の外装を残像のように引きながら、アダム・スマッシャーは、デイビッドの速度へ完全に追従していた。

 

 あり得ない。

 少年の顔に驚愕が滲む。

 この加速世界は、本来“彼だけの領域”のはずだった。

 

「お前も、サンデヴィスタンを……!?」

 

 デイビッドの声が震える。

 極彩色の空間で、黒い傭兵だけが異物のようにその存在を躍動させる。

 

『ああ。 “特別” 製なのはお前だけじゃない』

 

 その声だけが、異様なほど鮮明に響く。

 

「……狙いは俺だけだろッ!」

 

 苦し紛れに放った一撃。

 だがアダム・スマッシャーは、それを当然のように躱した。

 

 軍用インプラント≪サンデヴィスタン≫。

 そして≪サイバースケルトン≫。

 2つを無許可で占有する以上、自分がコーポに狙われるのは理解できる。

 

 だが――。

 なぜ仲間まで狙う。

 なぜ関係ない兵士すら巻き込む。

 

 漆黒の傭兵は音もなくデイビッドの目前へ滑り込む。

 少年の眼前で髑髏面の奥の赤黒い双眸が妖しく輝かせながら、答えを告げる。

 

『安心しろ。皆殺しだ……これで寂しくなくなるだろう』

 

 それは答えですらなかった。

 だが、その言葉だけで極彩色の世界から熱が消えていく。

 

「お前ひとりで死ねよ……ッ!」

 

 少年が叫んだ直後。

 

「――がッ!?」

 

 デイビッドの口から鮮血が噴き出した。

 

 活動限界。

 その単語が彼の脳裏を走り抜ける。

 

 内臓が焼ける。

 神経が軋む。

 全身のクロームが悲鳴を上げる。

 飛び散った血が、レベッカの頬へ赤く散った。

 

 その瞬間。

 ≪サンデヴィスタン≫の加速が、強制解除される。

 

 極彩色の世界が崩壊した。

 

 止まっていた音が一斉に押し寄せ、重力と衝撃が身体を叩き潰す。制御を失ったデイビッドの身体は、瓦礫の上へ無惨に崩れ落ちた。

 視界の端で、異常を告げるアラートが鳴り止まない。

 赤い警告ウィンドウが次々と重なり、ノイズのように視界を侵食していく。

 

 ――〈神経接続率:急低下〉。

 ――〈バイタル:急低下〉。

 ――〈精神負荷:危険域〉。

 

 デイビッドの精神負荷が、限界値を超えかける。

 同時。装着者の意思に反するように≪サイバースケルトン≫が自動制御へ移行する。

 背部内部装甲が、ガコン、と鈍い音を立てて展開した。

 冷たい空気が首筋へ流れ込む。

 

 次の瞬間――。

 内蔵された抑制剤ユニットが作動。

 機械的な駆動音と共に、高圧射出された薬液が、デイビッドの首筋へ無理やり叩き込まれた。

 

「――ッ!」

 

 鋭い痛み。

 薬液が血管を逆流するように全身へ広がっていく。

 視界が白く弾け、鼓膜の奥で耳鳴りが炸裂した。

 

 だが――。

 身体が、それを拒絶した。

 

 熱い。

 次の瞬間には寒気。

 焼けるような悪寒が、背骨を這い上がる。

 心臓が異常な速度で脈打ち、肺が痙攣し、胃の奥がひっくり返る。

 

「っ……ぐ、ぁ……!」

 

 堪えきれず、デイビッドの口から血混じりの液体が吐き出された。

 鮮血の飛沫が、レベッカの服を赤く汚す。

 彼女の眉が、弱々しくぴくりと震えた。

 

(……クソ……身体が、受けつけねぇ……!?)

 

 抑制剤は本来、暴走しかけた精神を無理やり押さえ込むためのもの。

 

 だが――。

 限界の向こう側へ片足を踏み入れた今の彼には、もう効かない。

 薬液が流れ込むたび、神経だけが無理やり擦り減っていく。

 

 喉が焼ける。

 呼吸が乱れる。

 四肢が痙攣し、レベッカを抱える腕すら震えていた。

 

 そのとき――瓦礫の向こうから、重い足音が響いた。

 

『おいおい。クロームに汚染される前に、身体が先にくたばる状況なのか?』

 

 漆黒の傭兵が、ゆっくりと近づいてくる。

 その歩みは、結末を告げる死神の足音 のように重く、冷たかった。

 

 アダム・スマッシャーは少年の前で足を止めると、ゆっくりと、まるで儀式のように銃を持ち上げた。

 黒い銃口が、デイビッドの額へ一直線に向けられる。

 

 少年はいまだ動けない。

 呼吸は荒く、視界は揺れ、レベッカを抱えた腕だけが震えている。

 

 ――次の瞬間。

 

 銃口が、止まった。

 まるで“見えない手”に掴まれたように、傭兵の腕が硬直する。

 関節がわずかに軋み、外装の赤黒い残光が一瞬だけ乱れた。

 傭兵は一瞬でその異常を分析する。自身の腕を外部から――“止められた” のだと。

 

 直後、声が響く。

 

「デイビッド……!」

 

 鬼気迫る女の声が、粉塵の舞う地下区画へ鋭く突き刺さった。

 震えながらも、必死で、切実で“彼を救う”という意志だけが剥き出しだった。

 

 「……」

 

 アダム・スマッシャーはわずかに視線を動かす。

 その沈黙は、獲物を仕留める直前の捕食者の静けさそのものだった。

 

 次の瞬間――。

 漆黒の傭兵の頭部ユニットが低く唸る。

 自身の内部へ侵入させていた回線へ、赤黒い輝きが逆流するように駆け上がった。まるで、喰らいついた獲物の腕を掴み返す猛獣のように。

 

 空気が震える。

 電子ノイズとも悲鳴ともつかない不快な音が、地下区画に伝播する。

 熱を帯びた赤黒い光が、粉塵の中に不気味な軌跡を描いた。

 

 「……ッ!?」

 

 傭兵の神経回線へ潜り込んでいた影の表情が凍りつく。

 侵入したはずの回線から“何か”がこちらへ流れ込んでくる。圧倒的な演算負荷。暴力的な防壁。そして――殺意。

 

 逃げ切れない。そう理解する前に――。

 地下区画の空気が、一度だけ歪んだ。

 

 直後。

 背後で乾いた炸裂音が響く。

 短い呻き声。

 それは脳へ直接叩き込まれた暴力によって、意識そのものを引き裂かれた断末魔だった。

 瓦礫の奥から、女の身体が崩れ落ちる。

 銀髪が宙へ散り、彼女は粉塵の中へ沈んだ。

 

「ルーシー……!」

 

 少年の声が震える。

 だが、彼の身体は動かない。

 血濡れた幼女を抱えたまま、地面へ縫い付けられたように動けなかった。

 

 『小賢しい』

 

 漆黒の傭兵は淡々と吐き捨てた。

 

『お前程度じゃ、俺のICEは抜けねぇよ』

 

 その声には、人を相手にしているという温度すら感じさせない。

 ただ、路肩のゴミを踏み潰した時のような、無機質な冷たさだけが残っていた。

 

 デイビッドはその光景を目の当たりにし、奥歯を強く噛みしめた。

 胸の奥で、怒りと恐怖と絶望が渦を巻く。

 だが――。

 そのすべてを押し殺し、彼は喉の奥から叫んだ。

 

「ファルコ!!!」

 

 その声が地下区画へ響いた直後。

 瓦礫へ埋もれていた警護用AVの一台が、重力を振り払うように浮かび上がる。粉塵を巻き上げながら、デイビッドたちの元へ一直線に飛来した。

 

 眼前のアダム・スマッシャーが動くより早く、デイビッドは歯を食いしばる。

 

「ぐっ……!」

 

 ≪サイバースケルトン≫の四肢が展開され、指向性重力波が二つ形成された。

 

 その対象は――レベッカとルーシー。

 

 二人の身体がゆっくりと宙へ浮かび上がる。

 まるで見えない腕に抱えられるように、警護用AVのハッチへ吸い込まれていく。その動きは、戦場とは不釣り合いなほど静かで、必死で、優しかった。

 

 二人を収容したAVは、デイビッドへ背を向けるように機首を返し、ナイトシティの夜空へ飛び上がった。

 

『皆殺しと言ったはずだが?』

 

 その光景を不気味なほど静かに眺めていた死神が、ゆっくりと右腕を持ち上げる。

 アームランチャーの銃口が、夜空へ飛び立つAVを捉えた。

 

 次の瞬間――。

 アダム・スマッシャーの身体が沈む。

 

「よそ見、してる暇、あんのかよ……!?」

『……クソガキが』

 

 デイビッドの繰り出した重力波が、傭兵の巨体を地面へ叩きつける。

 床が軋み、瓦礫が浮き上がる。

 

『結局!お前も同じ、じゃねぇか!っは!クソガキと並んだ気分はどうだぁ……!?』

『……同じだと?』

 

 血反吐を吐きながら睨みつけてくる少年を前にアダム・スマッシャーは一瞬、動きを止めた。

 髑髏面の奥で、赤い双眸がゆっくり細まる。

 その声には怒りではない。理解不能なものを見るような、冷たい嫌悪だけが滲んでいた。

 

『お前みたいな“壊れかけ”と一緒にするな……ッ!』

 

 直後――。

 重力波の檻が、力任せに引き裂かれる。

 

「ッ!?」

 

 傭兵の姿が暗闇に溶けた。

 次の瞬間には、デイビッドの背後へ回り込んでいた。漆黒の腕が、≪サイバースケルトン≫肩部の反重力装置を掴んだ。

 

 そして――。

 

 バキィッ!!

 

 金属が悲鳴を上げる。

 

 『こんな補助輪が無ければ……!』

 「ぐっ……!」

 

 反重力装置が、まるで玩具みたいに引き剥がされた。途端に、少年の四肢のバランスが大きく崩れる。

 だが、アダム・スマッシャーは止まらない。そのまま追撃の蹴りが叩き込まれ、デイビッドの巨体が瓦礫へ激突した。

 

 「がぁっ……っ!」

 『一人で自重すら支えられないクソガキが……ッ!』

 

 反対側の装置も掴まれる。

 

 そして――。

 再び、破壊音。

 

 金属片が火花を散らしながら宙へ舞った。

 

 その瞬間。

 ≪サイバースケルトン≫本来の質量が、一気にデイビッドの身体へとのしかかる。

 

「ぅ……!……っ!!」

 

 膝が沈む。地面が陥没し、骨が軋む。

 肺が押し潰され、呼吸がまともにできない。

 

 ≪サイバースケルトン≫は本来、反重力装置によってその膨大な自重を軽減して運用する兵装。

 その補助を失った今、数トン級の外骨格の重量が、少年の体躯へ直接牙を剥いていた。

 

 スマッシャーは、苦しむもがく少年を冷ややかに見下ろす。

 

『本気で何者かになれると思っていたのか?』

「っ……!!……っ!!」

 

 その声は静かだった。

 だからこそ残酷だった。

 

 デイビッドは歯を食いしばる。

 崩れ落ちそうになる身体を、震える手足で必死に支え続ける。

 

 だが――。

 ≪サイバースケルトン≫の重量は、容赦なく少年を押し潰していく。

 全身のデバイスが警告音を鳴らし、彼の視界を深紅のエラー表示が埋め尽くした。

 

 

 そして。

 

 

 少年の身体の奥深くで、何かが軋み砕ける音が響いた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。