CyberPunk EDGERUNNERS Ver1.6.3 作:甘井モナカ
1
夜の街の地下――。
崩落した地盤の下に広がる巨大な空洞は、むき出しの鉄骨と断線したケーブルが火花を散らし、ネオンの残光が粉塵に反射して赤紫の霧を作る“電子の墓場”だった。
焦げた油とオゾンの匂いが重く沈み、足元ではクロームの残骸が金属音を立てる。
その中心で、アダムスマッシャーの笑い声が、不意に止まった。
『……なに?』
粉塵の向こう。
瓦礫の中心で、朽ち果てるはずだった黒髪の少年が――。
赤い閃光に包まれながら、ゆっくりと立ち上がった。
その光は炎でも、電気でもない。“重力そのものが赤く発光している”ような異質な輝き。
その瞬間、周囲に散らばっていたクロームの残骸が震えた。
カタカタ……カタカタ……!
まるで意思を持つかのように、金属片が少年へと吸い寄せられていく。空中で組み替わり、形を変え、重なり合い、赤い重力の核を中心に鎧へと変貌していく。
金属の擦れ合う音が、空洞全体に不気味なほど澄んで響いた。
漆黒の傭兵の脳内で、甲高い警告音が突き刺さるように鳴り響いた。
《未分類異常体:構成不明》。
《優先度:最上位》。
視界の端で赤いUIが乱れ、内部OSが自動的に“類似兵装の検索”を開始する。
膨大な戦闘ログ。
軍用クローム。
ブラックウォール関連データ。
旧企業兵装アーカイブ。
電子ノイズの奔流みたいな速度で、情報群が走査されていく。
だが――一致しない。
《該当なし》。
《該当なし》。
《該当なし》。
OSが一瞬だけ“処理の間”を作る。
そして最後に、戦闘カテゴリではないデータベースへ自動的に切り替わった。
≪旧時代文化資料≫。
≪極東圏アーカイブ≫。
破損の激しい古文書。
劣化した浮世絵。
赤鎧の輪郭が途切れている絵画。
それらの断片的な画像が、脳内に重ね合わせとして投影される。
そして――。
眼前の少年と異常な一致率で重なった。
――人型近接戦闘アーキタイプ:≪SAMURAI≫。
【MATCH:93.4%】。
【CATEGORY:伝承兵装/実在性 不明】。
【NOTE:非軍事分類データ】。
【NOTE:戦闘適用外理論モデル】。
【NOTE:参照元不明】。
『……なん、だと……?』
アダム・スマッシャーの声が低く漏れた。
それは驚愕ではない。戦場で幾千もの殺戮を重ねた怪物ですら“理解不能”と判定した存在への、本能的警戒。
赤熱するかのように輝きを強める鎧の背後で、光の奔流が爆ぜた。
その閃光に照らされ――。
少年の鎧の“本当の姿”が露わになる。
金属の塊ではない。粗雑なクロームでもない。
赤く灼けた鋼が、まるで呼吸するように脈動していた。
表面は滑らかで、無駄が一切ない。
肩から腰へ流れるラインは限りなく人間の骨格に寄せられ――それでいて“ありえない精度”で研ぎ澄まされている。
光を受けた輪郭は、刃のように鋭く、炎のように揺らぎ、どこか“古い戦士の影”を思わせる。
胸部の装甲は、中心へ向かってわずかにせり上がる。呼吸するように。腰の装甲は、動きに合わせて静かに開閉する分割構造を持ち、肩部の装甲は衝撃を受け流すための滑らかな湾曲を描いている。
どれも現代の軍用クロームには存在しない“意匠”。
その姿は、遥か昔――。
極東の島国で生み出された≪侍≫の装備に酷似していた。
「こいつに補助輪はねぇぞ……」
少年が呟いた瞬間――。
空気が“沈んだ”。
次の瞬間、傭兵の巨体が“浮いた”。
赤い重力の奔流を纏った拳が、傭兵の胴体を正確に捉えたのだ。
『……ッ!』
轟音。
壁が砕け、粉塵が爆ぜ、空洞全体が一拍遅れて揺れる。
だが傭兵は即座に反撃へ移る。全身のミサイルポッドが開放され、超至近距離の全方位攻撃 が放たれた。
光と爆炎が空洞全体を飲み込む。爆風が地面を削り、鉄骨を軋ませ、赤黒い煙が渦を巻く。
爆煙の中で片膝をつきながら着地する傭兵。
その視界の先で――。
爆炎を割って、傷ひとつない赤鎧の少年 が歩み出てきた。
「今、降参すんなら……見逃してやるよ」
『クソガキが……』
アダム・スマッシャーは静かに立ち上がり、内部コンソールを叩く。
夜を裂くように、彼の背後に“巨大な影”が墜落した。
いくつもの装甲が重なり合った巨大な強化外骨格。
それは主を守るように傭兵を包み込み、地響きを伴って展開する重圧の装甲。まるで巨大な甲羅のように、全方位を覆い尽くす防壁が形成される。
『まさか一日に複数回、これを使うことになるとはな……』
「……クソだせぇ。でけぇ亀かよ」
『ほざくなクソガキ。今すぐにハチの巣にしてやるよ』
装甲の隙間から、何百もの銃口が“咲く”ように一斉に姿を現した。
内部の駆動音が低く唸り、空洞の空気がわずかに震える。
直後――。
光の雨が少年の眼前へ降り注いだ。
ただの弾丸ではない。光そのものが質量を持ったかのような、殺意の奔流。
デイビッドは両手を前に突き出す。
鎧の肩部が開放され、赤い重力波が奔流となって前方に展開される。
瞬時に形成された“重力の壁”が、降り注ぐ光弾をすべて弾き返した。光が歪み、弾道が曲がり、空間そのものがねじれる。
一瞬、世界が静止したかのような気配。
アダム。スマッシャーが驚愕の声を漏らすと同時に――背後から衝撃が走る。
背面の装甲がひしゃげ、吐出した銃がまとめて吹き飛んだ。
『……ッ!』
「――!」
デイビッドはそのまま頭上へ跳躍する。
赤い残光が尾を引き、崩落した天井の裂け目を抜け――。
その背後に、夜空の月が静かに浮かんだ。一瞬、赤と白の光が重なり、少年の輪郭が空中にくっきりと浮かび上がる。
傭兵は即座に自身を纏う装甲を展開させた。直後、四方から“濁流”のような装甲が月夜に浮かぶ影へと襲いかかる。
金属の塊ではない。まるで巨大な生物が四体、同時に牙を剥いてくるような圧迫感。
少年はその隙間を縫うように滑り抜け、一度距離を取って着地した。
彼の眼前に広がるのは、先ほどの“亀”とは違う――。
四つに分かれた装甲が、まるで一つの生物のように蠢く光景。
『銃じゃ味気ねぇからな。……こいつで嬲ることにする』
「亀の次は蛇のおままごとか。ガキはどっちだよ――」
少年が言い終わるより早く、アダム・スマッシャーが消える。
巨体が極彩色に溶け、≪巨大な強化外骨格≫と≪サンデヴィスタン≫を併用した質量無視の加速 で迫る。
目前で――デイビッドの目が動く。次の瞬間、彼の姿も極彩色に包まれた。
世界が静止する。
黒と赤、二つの閃光が――同じ軌道を奪い合うように空間の中心でぶつかった。
衝突のたびに空間が歪み、超加速の衝撃が重力の波紋となって四方へ広がる。地盤が“液体のように”波打った。
一瞬、光が押し合い、互いの力が均衡したかに見えた。
だが次の瞬間――。
弾かれたように爆ぜ、二つの閃光は反対方向へ跳ね飛ぶ。
衝撃が空洞全体を揺らし、粉塵が遅れて舞い上がる。赤と黒の残光だけが空中に尾を引いた。
距離が開いた、その刹那。
アダム・スマッシャーが内部コンソールを叩く。
その動きに感情はない。ただ、相手を処理するという目的だけが残っている。
背部・脚部・肩部のハッチが一斉に開き、内部の駆動音が低く唸った。
次の瞬間――空間が“埋まる”ほどの密度で、何千ものミサイルが吐き出される。赤い尾を引きながら、空気を押し潰すようにデイビッドへ殺到した。
「……来るかよ」
少年の右腕の装甲が震え、赤光が奔流となって収束していく。
装甲が展開し、内部の重力制御機構が露出する。やがてそれは、先端に装飾のついた“槍のような”構造体へと変形した。
彼はそれを前方で大きく回転させる。
赤い重力波が渦を巻き、空洞の空気が悲鳴を上げるように歪んでいく。
その回転が生む重力の暴風が――。
迫るミサイル群をまとめて弾き飛ばした。爆炎が空中で連鎖し、光と衝撃が空洞全体を照らす。
だが漆黒の傭兵は即座に次の手を打つ。
背部の追加装甲をパージし、内部から自律浮遊兵装が十数基、光の尾を引いて飛び出した。
「何度、繰り返したって……!」
デイビッドの左腕の装甲が歪み、折れ、噛み合い、片刃しかない“鋏”のような刀身が形成される。
迫る蜂の群れのような兵装を、次々と両断。切断された残骸は地面に落ちる前で爆ぜ、火花が雨のように散った。
アダム・スマッシャーは状況を再評価し、胸部装甲を展開した。
腹部から、大口径の重砲がせり出す。
『クソガキ……これならば、どうだぁッ!』
白熱した光が収束し、極太の光線が少年へと放たれる。
同時に――。
デイビッドの両肩部装甲がせり上がり“一対の砲塔”が形成される。
砲塔へ赤い重力光が収束し、砲口が脈動するように赤く輝いていく。
「しつ、こいんだよ……っ!」
刹那。
赤と白の衝撃が真正面から激突した。
衝突のたびに、空間が“軋む音”を立てる。地面が波紋のように揺れ、視界そのものが歪む。
だが――どちらも決定打には届かない。
少年の重力砲は重光線を貫けず、傭兵の重光線もまた重力砲を突破できない。
二条の光が押し合い、ねじれ、爆ぜ、空洞全体が閃光に飲み込まれる。赤と白の閃光が交差し続ける中、地盤は震え、壁面の鉄骨が悲鳴を上げ、粉塵が光に照らされて舞い上がる。
やがて――互いの砲撃が限界を超えて収束し、双方の光が月夜に溶けて消えた。
爆音の残響だけが空洞に残り、その後に訪れたのは、不自然なほど深い静寂。
その異質な光景の中で佇む赤と黒。二つの存在は、爆煙の向こうで互いを静かに睨みつける。
相対する敵の顔すら目視できないほど、離れた距離。
しかし彼らにはだけは、相手の“次の動き”が鮮明に理解できる。
言葉にしなくても分かる。次の一手が“同じ”だと。
――現時点の最大火力を。
――超至近距離で叩き込む。
両者の≪クローム≫に埋め込まれた近接戦闘用リンクにノイズが走り抜ける。
その音は遅れず、しかし歪むこともなく、ただ“思考に直接割り込むように”響いた。
『ほう……気が合うな』
『……真似すんじゃねぇよ』
リンク越しの短い応酬が途切れた瞬間、二人の装甲が同時に低く唸りを上げる。
赤鎧の少年が右腕を掲げる。
輝きを強める奔流と鎧の装甲が重なり合い、赤い重力波が骨格のように組み上がる。
右腕に巨大な“掘削機”が形成される。
刃の溝を走る赤光が、回転前の唸りだけで空気を震わせた。
対する漆黒の傭兵は、四つに分けた装甲をひとつに束ねる。
重金属が軋み、油圧が悲鳴を上げる。
月夜を覆い尽くすほどの巨大な“鉄槌”が形を成す。
質量そのものが殺意を帯びていた。
二つの光が激しく膨れ上がり、空気が揺れ、地面が軋む。
赤と黒の奔流が相対する中、彼らの神経系≪インプラント≫が限界域へ突入した。
直後、両者の≪サンデヴィスタン≫は“加速装置”としての機能を切り離す。合理的に、機械的に、自身に帯電したエネルギーを“主を纏う加速”ではなく“敵を穿つ火力”へと転用する。
その瞬間。
世界が息を吹き返す。
静止していた時間が、追いつくように流れを取り戻す。衝撃の残滓が両者の間で巻き起こり、粉塵が逆流し、火花が散る。
二つの視線が静かに重なり、空洞内の空気を張り詰めていく。
その後。
世界の底が震えた。
2
衝撃と火花が飛び散り、赤と黒の奔流が激突する直前――。
その遥か後方にある瓦礫の山が、まるで息を吐くように、ゆっくりと沈んだ。
乾いた破片が転がり落ち、粉塵がふわりと舞い上がる。
風はない。衝撃もない。
ただ“そこだけ”が、何かに押されたように形を変えた。
焦げた金属の匂いと、焼けたオイルの臭気。
崩れた装甲と、動かぬ影。
その奥――。
瓦礫に半ば埋もれるようにして、漆黒の太刀が転がっていた。
柄を掴む腕だけが、瓦礫の隙間から伸びている。肘から先は完全に埋没し、持ち主の気配はない。
呼吸も、声も、思考の痕跡すらない。ただそこに“残っているだけ”のもの。
だが――。
前方の衝撃が地面を伝い、瓦礫を再び揺らす。
粉塵が跳ね、破片が転がる。太刀の刃から、静かに砂が滑り落ちた。
暗い夜の底。
崩壊の残骸の中で――。
その指先が、わずかに動いた。
3
赤と黒の奔流が爆ぜた瞬間、二人の踏み込みが大地を割り、破片が弾丸のように四方へ飛び散った。
デイビッドの右腕に形成された巨大な掘削機が、赤い重力の奔流をまとって唸りを上げる。
対するアダム・スマッシャーは、装甲を束ねて生み出した巨大な鉄槌を構え、黒い質量を圧縮しながら迫る。
次の瞬間――。
衝突。
空洞全体が悲鳴を上げるほどの衝撃が走り、地面が波打ち、瓦礫が跳ね上がる。
掘削機と鉄槌がせめぎ合い、赤と黒の火花が空間を裂いた。
衝撃の余波だけで瓦礫が浮き上がり、空気が震え、地面のひび割れが蜘蛛の巣のように広がる。
最初は互角だった。
面で押し潰す鉄槌と、点で抉り込む掘削機。
だが――。
均衡はゆっくりと崩れ始める。
掘削機の回転が鉄槌の表面を削り、金属片が火花となって散る。
重力波が装甲の継ぎ目をこじ開け、追加装甲が一枚、また一枚と吹き飛ぶ。鉄槌の黒い質量が削られるたび、漆黒の傭兵の巨体がわずかに後退する。
そのたびに地面が沈み、空洞全体が軋む。
『……ッ、クソが……!』
「……ッ!……!」
少年の掘削機はさらに深く食い込み、赤い奔流が鉄槌の内部へと侵食していく。
そして――。
掘削機の先端が黒い質量の中心へ届く、その刹那。
(――届く。)
そう確信しかけた、その瞬間よりわずかに先。
空洞内の空気が一変する。まるで世界そのものが、一瞬だけ呼吸を止めたかのように。
その異様な冷たさの中で、漆黒の傭兵は呟いた。
『……まさか“こいつ”まで使うことになるとはな』
アダム・スマッシャーを纏う漆黒の装甲が低く嘶いた。
『〈中央グリッドより権限移譲を確認。起動シーケンス開始〉』
次の瞬間――。
バチィッ!!
白雷のような閃光が、デイビッドの視界を焼き潰した。
音が、遅れて消える。
そして――。
街から光が消失した。