CyberPunk EDGERUNNERS Ver1.6.3 作:甘井モナカ
1
燃え盛る炎が、彼らの輪郭を赤く照らし出す。
「……」
「……」
デイビッドは、前方で静かに佇む男を見据えた。
沈黙を貫いたまま、彼の前に立つ白色の仮面。
力なく下げられた両腕。
全身を包むのは、陽炎の如く揺れる黒衣。
仮面の下に隠れた表情も相まって、男は何を考えているか推し量れない不気味な雰囲気を漂わせている。
周囲の空気が徐々に、乾いていく。
自身の身体に這い寄る緊張感を知覚したデイビッドは、唾を飲み込んだ。
(なんだ……。この感覚は)
それは、いつか体験した不鮮明な感覚の一端を垣間見た感覚に似ていた。
久しく忘れていた、忘れるはずなどなかった嫌悪感。
少年の心の奥で生じた不可思議な揺らぎは彼の身体を僅かに止め、彼を後手に回らせる結果へと繋がる事になる。
眼前に立つ仮面の男が動いた。
目を見開くデイビッドの前で、炎を飛び越えて距離を詰める。
腰を落とし、体勢を低くして、猛然と駆け抜ける仮面は唖然とする少年へと肉薄した。
白い仮面に組みつけられたカメラのレンズに彼の瞳が映り込む。
そして。
「……おせぇよ」
男は静止した。
突如として訪れた静寂が周囲を包む中、響いたのは熱が冷めたような呟き。
《加速》したデイビッドは、おもむろに腰へ手を回した。その手に握られていたのは、一般的な護身用の拳銃。
「俺の《力》は特別でね。悪いけど、封殺させてもらう」
少年は肩を竦めながら、ゆっくりと腕を伸ばした。
銃口が捉えるのは、至近距離で固まる仮面。
すかさず引き金を引き、銃弾を放つ。
銃弾は虚空を突き進み、男の胴体、肩、腕に着弾した。
相手の反攻を許さない、一方的な蹂躙。
それは、彼の手にした《圧倒的な速さ》が可能とする強さだった。
眼前の結果を見届けたデイビッドは、息を吐き出した。
反撃を気にする事なく行う一方的な攻撃。退屈しないかと言えば、嘘になる。
しかし、欲望が渦巻くこの街では、半端な力では途端に叩き潰される。
理不尽な現実に、不条理な暴力に埋もれるだけの毎日は御免だ。生き抜くためなら、《反則的な力》だろうが何だって使ってみせる。
人生の岐路に立ったあの日、彼が心の奥底で誓った事だった。
そこで、巡る思考から意識を戻したデイビッドはこめかみを軽く押さえて頭を振るった。
(さっきから変だ。妙な雑念が混ざっている。調子が崩れ出したのは……こいつと対面してから)
少年は表情を僅かに歪ませつつ、目の前の仮面を睨みつけた。
眼前で固まる相手は、既に被弾している。
当の昔に決した勝敗。目の前には、揺るがない勝利の光景が広がっているというのに。
彼の脳裏に、心の奥に広がるのは妙な感覚。
まるで、何かを思い出す事を無意識の内に拒んでいるような。
少年は頭をもう一度振って、息を吐き出した。
(……疲労だ。《加速》の連続使用で神経に負荷が掛かっただけだろう。早めに終わらせて彼女たちと合流しないと)
デイビッドは、自身に掛かっているであろう負荷を無視して行動に移る。
発動している《能力》を解くべく、全身の力を抜いたその時。
彼の視界の端で、それは動いた。
「!」
少年以外が全て静止するはずの世界で。
止まっていたはずの仮面の右腕が横方向に動き始める。
少年は、目を見開いていた。
男が動かす腕の速度は、少年自身の《それ》と同等。そして、その手に握られているのは、一振りの太刀。
現実の速度で換算すれば、音速を超えるレベルで振り抜かれているはずのその刃は。
輪郭に紫電を纏わせながら虚空を両断した。
「おいおい、まさか!」
彼の脳裏に過るのは、過去に受けた授業内容。『音速を超えて動く物体からは、ある音が生じる』。
当時は現実味の無い机上の理論として聞き流していたが、少年の眼前で『それ』は起こった。
両断された虚空が動き出し、大きな歪みと化す。
俗に言う『衝撃波』と呼ばれる凶刃は周囲を巻き込みながら、少年の元へと襲いかかった。
寸前で《能力》の継続に意識を切り替えたデイビッドは、両足に力を籠めた。
迫り来る真空の刃は、横一線に走り抜けている。つまり、回避するには上空しか残っていない。
両足に仕込んだ《強化反発機構》が起動する。
直後。
デイビッドの身体は宙を舞った。
彼の鼻先を命を刈り取る刃が掠めていく。僅かに垂れ下がった、首元のアクセサリの鎖がはじけ飛ぶ。
そして、遂に訪れる《能力の制限時間》。
少年の意思は関係なく、世界は動き出す。
数秒前、彼が立っていた地面に巨大な亀裂が走る。その破壊線は瞬く間に走り抜け、ハイウェイを前後方向に両断した。
後方側の車道の輪郭が地底に引きずられる様に、下がり始める。
陸橋構造となっていた車道には歪な振動が続き、それを支えていた足場から崩れ落ちていく。
破壊工程の締めとでも言うかのような、大きな衝撃音が下から響く中、デイビッドは崩落せずに済んだ前方のハイウェイに着地した。
「……」
揺れる少年の視界の先で、白い仮面が振り返る。
彼が打ち込んだはずの複数の銃弾が辺りに散らばった。弾頭から潰されたように変形しているそれに、血の跡は無かった。
つまり、無傷。
仮面の男の穴の開いた黒衣から流血している様子は見受けられなかった。
デイビッドは、自身の頬を冷たい汗が静かに流れ落ちる感覚を知覚していた。
(想定外だ。こっちの《速さ》に対応してこれるなんて。まさか、向こうも同じ《インプラント》を……。いや、それなら、壊滅的な威力の斬撃と銃弾を弾いた事の辻褄が合わない。第一、既製品の《サンデヴィスタン》にそんな性能はない。となると。考えられるのは……)
彼の脳裏に1つの結論が浮かび上がる。《軍用インプラント》。
既製品とは異なり、装着者の安全を度外視することで性能を各段に飛躍させている試作品。
少年が実感していた強さが、新たな脅威となって彼自身の前に立ち塞がる。
「……!」
突如、鼻先が燃える様に熱を発した。
自身の鼻先に違和感を感じた彼は、反射的に手の甲を押し当てた。
そこに付着したのは、夥しい量の赤い血痕。
思い出したかのように訪れた、視界の狭窄。無遠慮に頭の中に腕を突っ込まれるような感覚が広がり、手足の感触が急速に遠のいていく。
(まずい。《能力》の反動、か……)
唐突に自身の身体を蝕み始めた《呪い》に舌打ちしながら、彼は前を見据え続ける。
崩壊した車道の先に佇む仮面の男は健在のまま。
少年の後ろ側には、逃走を続ける彼女達の車両へと繋がる道が続く。ここで、仮面の男を食い止めなければ、次にあの凶刃の標的になるのは。
デイビッドは、吐息と共に奥底で渦巻く不安を吐き出した。
(余計な事に意識を割くな。シンプルに考えろ。俺の後ろに、あいつを行かせなければ良いだけだ)
少年は震える足に力を籠めて、前方を睨みつけた。
仮面の男は依然として、静かに佇んでている。黒衣の上に浮かぶ仮面は彼の方へと向けられている。
少年は左拳を握りしめる。その拳の内側からは僅かに光が溢れ始めた。
白色の仮面は太刀を鞘に引き戻す。彼の周囲が研ぎ澄まされた刃のような雰囲気に包まれる。
再び対峙した彼らに訪れる、二度目の静寂。
「……」
「……」
先に動いたのは、仮面の男だった。
左腕を伸ばし後方にワイヤーを射出すると、瞬く間にハイウェイから飛び降りた。
「!」
虚を突かれたデイビッドは、慌てて視線を動かし網膜スクリーンで視界情報を拡大させた。
ワイヤーにつり下がり、大道芸さながら都市部の間を移動していく黒衣。
次の瞬間、それはビルの影に隠れ込み姿を消した。
遠くから、甲高い警報の音が聞こえ始める。
徐々に喧騒が大きくなるのを感じながら、デイビッドは脱力してハイウェイの壁にもたれ掛かった。
「退いた?……なんだったんだ、あいつ」
困惑と疲労が滲むため息と共に呟かれた言葉は、夕暮れ時の空に吸い込まれる様に消えていった。
2
華やかな都市部を過ぎた先に見える色褪せた風景。土煙色の貧困街の奥地にある裏路地の一角。
薄暗い通路を、白い仮面が通過していく。
「……撤退指示とは、どういう事だ?」
「そのままの意味だが?あの時点でこちらの目標は達成されていた」
男の疑問に、淡々とした返答がスピーカー越しから発信される。
こちらの意図を気にも留めない事務的な応答が、彼の苛立ちを募らせていた。
「もう少しでこちらも終わるところだったんだ。なのに……ごほっ」
「目的の物は入手出来たと言ったはずだ。……過度な追撃は求めていない。それに、騒ぎを大きくし過ぎだ。あの規模ではいずれ《NPCD》の邪魔が入っただろう」
「……!」
突如、胸の奥が割れるかのように痛み、彼が言葉を失う中、通話先の依頼主は鋭く糾弾した。
白色の仮面の奥で、男は僅かに息を飲んだ。
図星だった。
自身がどこか気にしていた、今回の行動の反省点を言い当てられた。
口を噤んでいた僅かな時間を遮るように、通信先の声は続いた。
「君はもう少しコンパクトに動く事を覚えた方が良い。悪目立ちするだけだからな。……そのための仮面でもあるのだろう?」
「……おい。どこでその話を……」
「情報は金だ。漏洩先が知りたいなら、追加でチップが必要だな」
仮面の奥で、血管の浮き出る音が響いた。
人の内面にずけずけと入り込む、無遠慮さ。そこからさらに金をせびろうとする卑しさ。全てが気に食わない。
怒りを通り越して、呆れの感情さえ浮かび上がってくる。
(落ち着け。こいつに何か言っても変わらない)
網膜スクリーンに映り込む、通信先の名前を睨みつけながら、逆巻く不満を抑えつける。
やや間を置いて、仮面の男は吐き出すように言葉を紡いでいった。
「分かった。もういい……。ごほっ。さっさと報酬を払ってくれ」
「この後払うさ。今回の君の成績では次第点相応の額になるがね」
「……」
「ふふふっ。君は分かりやすいな。また仕事ができる日を楽しみにしているよ。元、優等生君?」
通信が切断される。
仮面の男は足を止め、傍らの壁にもたれ掛かった。
周囲の構造物は、入り組む様にそびえ立ち、外からの光を大幅に遮っている。まるで、牢獄にいるかのような閉塞感。
やがて、男は脱力したかのように膝を曲げてしゃがみ込んだ。
丸まった背中が、苦し気な咳と共に二度三度揺れる。喘ぐ様に呼吸を続けた彼は、やがて瞼を閉じ息を潜めた。
身に纏う黒衣が周囲の影と同化する。闇に潜むかのように身を縮めた男は、唯一闇に浮かび上がる仮面の奥底で独りでに呟いていた。
今回の作戦行動の変更を余儀なくした要因。
依然と同じように、平然と自身の前に立ちはだかった者の名前を。
「……デイビッド……マルティネス」
零れ落ちたような声が仮面の奥で反響する中、彼の左頬に僅かな痛みが走り抜けた。