CyberPunk EDGERUNNERS Ver1.6.3 作:甘井モナカ
1
緩やかな静寂の中を、少年は駆け抜ける。
崩れかけた扉、古びた通路を走り抜け、奥へと《加速》する。
床に埋め込まれたカメラ。
幾つかの部屋で群れるギャング達。
既にその役割を停止している障害を潜り抜けて、デイビッドは廃墟の上層へと進んでいった。
彼の両足が廃墟の3階を踏みしめたと同時に、自身の中で沸き起こる《能力の制限時間》。
凍結していた五感が引き戻され、周囲の情報の波が押し寄せる中、少年は壁に上体を押し付け息を潜めた。
網膜スクリーンに廃墟の情報を映し出し、自身の位置と目標までの距離を合わせ込む。
(監視カメラは無し。今の位置からだと……目標まで残り70mってところか)
敵地へと突入する前、通信の傍受を懸念して仲間との通信は既に切ってある。彼らからの支援、援護は望めない。
望めたとしても、独断専行の罰としてまず、半殺しにされる可能性が高かった。主にレベッカあたりから。
デイビッドは静かに笑みを浮かべると、短く息を吐き出した。
ここから先は、この情報と自身の保有する力で状況を打開しなければならない。
彼は足音を殺し、壁伝いにゆっくりと進み始めた。
天井に着けられた光源は寿命が近いのか、不規則に点滅しながら辺りを照らしている。
下の階から聞こえてくるのは、ギャング達の喧騒。
少年自身を囲むすべての要素が彼の身体へゆっくりと絡みついていく。
デイビッドは早くなる鼓動をおさえながら、遂に1つだけ明かりの灯った扉の前に到達した。
キーウィの熱源探知で印が映った箇所と一致する。
今回の作戦の目標地点。
「……」
デイビッドは呼吸を止めながら、扉に顔を近づけると、自身の聴覚センサの情報集約レベルを最大まで高めた。
極限まで強化された聴力が捉えたのは、扉の向こうで起こるある会話だった。
『さぁ、次はどんな事をして遊ぼうかなぁ?手かな、足かな?それともそれとも……』
『……』
『テンションあげてこうよう……!次が詰まってるんだぁ。さぁ、君は何が良い?』
『……』
陽気な声で歌う様に声を上げる男と、それに反応することなく沈黙を貫く男。
少年の頬を僅かな汗が流れ落ちた。彼の脳裏を過るのは、最悪の結末。
沈黙しているではなく、既に声すらあげられる状態でないとしたら。
少年の震える指先が扉に触れる。
それは、恐怖からくるものでは無かった。
震えているのは《能力》の反動。いまだに洪水のように沸き起こり続ける情報の渦を堪えながら、彼は前を見据えた。
不意に扉の先に浮かび上がるのは、黄色のジャケットを着た女と、大柄な体格の角刈りの男の背中。自身の心の奥で常に佇む二人は、あの時からこちらに顔を向けることなくただ漂い続けている。
端から見れば、意識の混濁した者が見る、取るに足らない些細な幻覚。
しかし、彼らの姿は少年の意思に再び火を灯すには十分すぎる理由だった。
(……逃げるな。デイビッド)
(……あの時とは、もう違う)
(今度こそ助けるんだ。俺の、この手で……!)
自身の身体を蝕む《反動》を無視して、少年は立ち上がる。
見開かれた瞳は充血して真っ赤に染まっている。2つの鼻腔からとめどなく溢れるのは、どす黒い血。
小鹿のように震える膝に渾身の力を籠めて、彼は息を吸い込んだ。
そして、揺れる脳を支える込むように首筋に手を当てる。
デイビッドは再び、自身の身体が宿す《サンデヴィスタン》を起動させるべく電気信号を叩き込んだ。
周囲の色彩が薄れ、自身の身体が極彩色に包まれる。
《加速》した彼の手足が虚空を切り裂き、地面を踏みしめる。眼前の扉を足で蹴り上げ、弾き飛ばす。
空中で回転する扉を押しのけ、転がり込むように部屋に入り込んだデイビッド。
彼の眼前に立つのは赤い覆面の男。血まみれのエプロンを着用し、その手に握るのは大型のチェーンソー。
そして、その奥に居るのは椅子に繋がれた人影。
あの日、爆炎越しに対峙した白い仮面の男。
「……っ!」
彼はすぐさま視線をチェーンソー男に戻して、跳躍した。
デイビッドは自身の背後を回転し続ける扉の残骸を掴み取り、覆面男の右腕に叩きつける。
右腕から異音が鳴り響き、手にしていたチェーンソーが零れ落ちる。
宙に躍動を続ける彼は右足を振り抜き、チェーンソー取っ手を救い上げる様に蹴り上げた。
回転する刃は付着した血を撒き散らしながら、デイビッドと覆面男の間へ舞い上がる。
地面を両足で踏みしめ、脚部の《強化反発機構》を起動させて瞬時に宙へと舞い戻った。
彼の瞳に映るのは、自身の手前でゆるやかに回転するチェンソーの刃。
その先で右腕に扉の破片がめり込み、今にも倒れ込みそうな覆面男。
少年の視線ががら空きになった覆面男の頭頂部を捉らえる。『当たる』と思うよりも前に、彼は右腕を振り下ろしていた。
掴み込んだチェンソーが覆面の頭へめり込み、その衝撃が腕を伝って彼の身体へ伝播する。
宙を舞っていた少年の身体が地面へと戻り、両足が地を踏みしめたと同時に訪れる《能力の稼働限界》。
周囲の色褪せた色彩が戻り、莫大な情報が自身の五感へと流れ込む中、崩れ落ちながらもデイビッドは目線を前方へ向けた。
彼の前で佇み続ける覆面の男。
次の瞬間。
男の腕と頭が弾けるように変形すると、鈍い衝撃音を滲ませた。
飛び散った血飛沫と共に、男の身体はゆっくりと倒れ込んでいった。
「はぁ……はぁ……」
僅かな光源が照らす室内に、再び静寂が舞い戻る。
全身を駆け巡る吐き気を堪えながら、少年は喘ぐように呼吸を続けていた。鼻からとめどなく溢れる流血が、埃にまみれた床へ赤い染みを作っていく。
相手に攻撃されたという事実さえ認識させないほどの速さの代償とも言える苦痛を抑え込みながら、彼はゆっくりと立ち上がった。
これで、最後の障害を排除。残っているタスクは椅子に縛られている男の救出。
鈍い痛みの残る頭で状況を確認しながら、デイビッドは部屋の奥へと進んでいった。
やがて彼の前に現れる、うなだれる様に俯く白い仮面。
一瞥しただけでも分かる傷の量だった。全身を絶え間なく覆う大小様々な裂傷。衣服に滲んだ血痕が既に固まって変色している。
この男がどのような事を受けていたかを想像するのは難しくなかった。
「呼吸はあるけど……冷たい」
首筋に当てた指先が思わず震える程冷えていた皮膚。かろうじて起こる振動が、男の息吹が続いている事を弱弱しくも主張していた。
デイビッドはおもむろに視線を白い仮面へと向ける。
自身が想像していた予感は的中した。やはり、心の奥で生じる違和感。
初めて対面した時から湧き上がる歪な感覚に、戸惑いと苛立ちを感じながらも仮面を眺め続けた彼は次の瞬間。目を見開いていた。
頭部を覆う仮面の端から飛び出す一房の髪。
少年の視界がぐにゃり、と音を立てて歪む。
それは、どこか見覚えのある青色だった。
少年の心臓が早鐘を打ち鳴らす。呼吸が止まることなく加速していく。
彼の脳裏を駆け抜ける鋭い痛み。それは、忘れかけていた過去の記憶を無遠慮に吐き出される感覚によく似ていた。
デイビッドは震える手で、仮面に手を掛けた。
自身の内側で鳴り止まない警鐘。これ以上いけないと全神経が叫んでいる。
それでも。
彼の手は止まらなかった。
かちゃっ、と金具の外れる音が響く。
役目を終えた仮面が赤く滲んだ床へ転がり落ちる。
露わになったのは、デイビッドと年が大差ない少年のような素顔。
乱れた青髪。力なく閉じられた瞼。血痕の滲む唇。
知っていた。
目の前で死んだように眠る男をの事を、少年は知っていた。
走り抜ける痛みと共に、蘇る過去の記憶。アカデミー時代の黒歴史。
常に自身の前に立ちはだかり、血に伏せるこちらを見下ろし続けた相手。
その、男の名を。
「……カ、ツ……オ?」
反応は無かった。
それに気が付かない程、少年の動揺は広がっていった。
そして、彼は1つの事象を見落とす事となる。
事前に確認した人体の熱源は2つ。1つは先程倒した覆面男。そして、2つ目だと思っていた白色の仮面は死人のように冷たい。
傷の状態から推測しても、潜入前から体温は低かったはず。
では、残ったもう1つの熱源はどこへ?
視界の端にノイズが走り始める中、彼が両足で立てたのはここまでだった。
直後、脇腹を抉るような激痛と衝撃音が迸った。
「誰だぁ?てめぇ……?」
「!?」
両足が宙に浮き、吹き飛んだ身体が罅割れた壁へと叩きつけられる。
肺の中の空気が一瞬で体の外へと噴出する。
背中を襲う衝撃で一瞬、呼吸を忘れたデイビッドは床に崩れ落ちると喘ぐように喉を鳴らした。
陸へと打ち上げられた魚のようにのたうち回る彼の目前で足音が響く。
おもむろに顔を動かし、視界の端に映り込んだのは倒した覆面男と瓜二つの存在。
体格も同じ、身に着けている衣服も同じ。唯一異なる点は手にしているのが巨大なペンチである事くらい。
「おいおいおい。困るぜガキンチョ……。何勝手に人の兄貴寝かせてんだよぉ?……これじゃあよぉ。俺が二人分楽しまなきゃなんねぇじゃん!」
兄と呼んだ、倒れ込んでいる亡骸を蹴飛ばし、第二の覆面男は声を張り上げた。
男は空いた手を首筋に当てる。
直後。廃墟の中を警報音が鳴り響いた。
下の階の騒音が一瞬留まり次の瞬間、何倍にもなって反響する。
侵入者に気づいた彼らは、我先にと武器を取り待機していた部屋を飛び出していった。
「……!」
万事休す。
一刻の猶予も消え失せた状況に、デイビッドは赤い唾を吐きながら眼前の男を睨みつけた。
視界の揺れ、手足の震えは未だに続いている。
そして、心の奥で広がった動揺は不可視の鎖となり、彼の身体を地面へと縫い続ける。
無茶でも、無謀でも。
この状況を打破する方法は、もう1つしか無い。
彼は意識を自身の内側へ移した。体の奥から沸き起こる悪影響を振り払い、導火線に火を付けるかのように《能力》を起動させる。
そして。次の瞬間、彼の呼吸は一時的に停止した。
「かはっ!?」
「のろまかよ?何、止まってんだぁ!?」
停止したはずの世界で、眼前に飛び込んできた足がデイビッドの横腹を捉えていた。
身体の中を伝って爆発する衝撃音。
錆びついた食器棚を壊し、彼の身体は再び吹き飛んだ。
背中から生じる激痛に呻き声を零しながら、彼は自身に起こった異変に気が付く。
「サンデ、ヴィスタンが、起動、しない……!?」
彼の《インプラント》は、まるで沈黙するかのように反応を示さなかった。
その代わりにデイビッドの視界の端に生じ始めるノイズ。壊れたモニタに映り込むような砂嵐は、次第に彼の視界を覆い始める。
絶え間なく続く警報音が少年の頭を容赦なく掻き乱していく。
黒と灰色の混ざった視界の奥から現れる、赤く染まった腕。その手に握られた巨大なペンチが鈍い光を放った。