スカイとキングの同棲生活、キングの誕生日のお話。
特別でなくとも、一緒にいられるのなら。
雨音すら子守唄のよう。
話し方等々、解釈違いにはご注意ください。
おやつ感覚でご堪能あれ。
※投稿が遅れてしまったこと、陳謝いたします……。
これはもう数年前に学園を卒業して、今となってはレースからも退いたセイウンスカイとキングヘイローの、そう、たった二人だけの女の子たちのお話。
「誕生日おめでとう」
ちょうど真夜中。時計の針が三本とも頂点に揃ったその瞬間、ソファに腰掛ける彼女を後ろから覗き込むようにして、私は祝福の言葉を贈った。一日を通してこれから何回も言うことになると思うんだけど、兎にも角にも、まずは迎えたその瞬間に伝えたくて。
今日は四月二十八日。それはキングの誕生日。私が年を取ってからなんでもない一日を挟んだ後にやって来る、もう一つのバースデイ。
けれど当の本人は手元の本を読むことに夢中になっていたようで、見上げてくる表情はなんのことかと呆け顔。それから壁に掛けられた丸い時計を一瞥して、ようやく今の日付に気が付いたみたいだった。
「あら。もうこんな時間だったのね」
「もうこんな時間でしたよ。夜の十二時を過ぎたら次の日になるってことは、ずっと昔からある世界の決まり事なので。だから、ね。今日はキミの誕生日です」
「それはわかっているけど。まさか――――この場合は夜一番になるのかしら。こんな時間に言われるなんて思ってもなかったから。
それに貴方、『明日に備えて今日はもう休む』ってさっき部屋に戻っていったじゃない」
「セイちゃんお得意のサプライズですよ、サプライズ。
あとは用意したプレゼントも取りに戻らないといけなかったしさ」
ソファの陰、キングには死角になっている所から少し大きめのショッパーを取り出して、私の代わりにどっしりと座らせた。
真っ赤な色合いの中に白抜きで書かれたお店のロゴ。私でも名前を知ってるくらい有名なブランドだから、キングがその名前を見てわからないはずがない。
「ッ! スカイさん、これ……」
大きく開かれた瞳から、おなじみの秋色が覗く。いつの間にラメでも散りばめたのかキラキラと煌めいて、贈り物をまじまじと眺めている。対して閉じることすら忘れてしまったらしい唇からは、小さな小さな吐息すら聞こえてくるようで。クリスマス、おもちゃ売り場にいた年端も行かない子供たちも似た表情を浮かべていたような気がする。
ともかくそんなキングの幼顔を見られた時点で、縁遠くて不慣れだった店へ手に汗握りながらプレゼントを買いに行った甲斐があったと、言えるかな。
「言ってたでしょ? いつかここのグラスでお酒を飲んでみたいって。だからセイちゃん、ご用意しちゃいました」
「でも、高かったんじゃないの?」
「まぁね。上を見たなら青天井って感じだったかな。それこそ桁違いで。だから恥ずかしい話だけど、これはその中でもお手頃なお品物です」
「ううん、いいのよ。どんなものでも嬉しい事には変わりないから」
嬉しい、だってさ。
まだプレゼントを開けたわけでも、ましてや受け取ったわけでもないというのに顔がにやけてしまうのは、些か気が早すぎるだろうか。
――――うん。早すぎる。だってプレゼントは、まだこれだけじゃないんだから。
「はい、キング。誕生日おめでとう。もう二回目だけど」
「えぇ! 二回分もありがとう。スカイさん」
きちんとソファに座り直してから改めて、贈り物を彼女へと。
手から手に真っ赤なショッパーが渡り、私の手にはうっすらとかいていた手汗だけが残った。
受け取った彼女は袋の中から同じ色をしたこれまた大き目の箱を一つ、取り出す。それからすぐに中身を確認するんじゃなく、まずはショッパーを丁寧に折り畳んで。次に箱の合わせ目に留められた透明なシールをカッターナイフで切っていって。
ようやく、それがキミの眼に触れた。
「ぁ……」
声になり損ねた感嘆。それが私の耳にもしっかりと届いたのはどうしてだろう。外でシトシトと囁きだした雨音よりも小さかったはずなのに。
彼女が見つめる先。箱の中にあるものは。
外部からの衝撃が伝わらないよう敷き詰められた黒いスポンジに埋まる、金魚鉢のような頭をしたワイングラス。持ち手をそっと優しく掴まれ箱から取り出されれば、底の中心にあしらわれた琥珀色のワンポイントも露わになる。
選ぶ時に私が拘ったポイントでもあるんだけど、なにをイメージしてどうしてこれに惹かれたのかは、今更説明しなくてもわかってくれるよね?
それを、知ってか知らずか。キングはその差し色の存在を見つけると、二本の指でゆっくりと撫で、「ふっ」と口元を綻ばせてくれた。
あとは使う時をイメージしてくるくると飲み口を傾けてみたり、暖色の照明に照らして光の跳ね返りを確認してみたり。元々育ちのよかった彼女のこと。ああして眺めているだけで物の良し悪しだとか、そういうことがわかってしまうんだろうか。
ちゃんと名の知れた所で買っているのだから本当はする必要もないはずなのに、姿勢を正してしまうくらいには妙な緊張感を覚えてしまう。キングが一通りグラスを眺め終えて、元あったように箱に収め直すまでそれは消えなかった。
収めてからも感慨深そうに見つめ続け、いくらか遅れてようやく彼女が口を開いた。
「ありがとうスカイさん。本当に嬉しいわ。――――えぇ、本当に」
「喜んでもらえたならよかったよ。けど、仕舞っちゃってよかったんです?」
「どういうこと?」
「だから言ってたでしょ。『ここのグラスでお酒を飲んでみたい』って」
「――――ッ‼ まさか、スカイさん⁉」
「そのと~り~」
実はもう一つ。同じくソファの陰に隠してあったプレゼントを、身を捩らせながら持ち出して、まるで貢物のように仰々しくお披露目をする。
「キングへの誕生日プレゼント、その2! 有名な銘柄とかブランドとか、そういうの全然知らないからさ。正直、味の保証とかは出来ないんだけど――」
まったく知識がないなりに悩みに悩んで、店の人ともあれやこれやと相談して、やっとのことこれだと決めたそれ。
「こちら1995年産ものの赤ワインでございます」
唯一知っていたのは、キミがどっちの色の方を好んでいるかってことくらい。
あと、もう一つ。ワインっていうお酒は長い年月を掛けて造るものだから、その年号に、なにかしら意味を持たせることもあるんだとか。
だから、私たちが産まれた年にすることにした。他にもデビューした年や、初めて会った年、逆に引退をした年とかいろいろ頭を捻りはしたけど、そもそも今日はキミの誕生を祝う日なんだから。
自分たちがおぎゃーと産声を上げた時と同じくして、世界のどこかで収穫されたぶどうからこのワインが作られたんだと思うと、今こうしてこれが私たちの手元へやって来たことにも運命的ななにかを感じる。
早速キングに手伝ってもらいながらコルクを抜いて、注ぎ方も教わって。
拙い給仕なりに贈り物は大切な人の持つグラスの中へ。赤紫の液体がコボコボと空気を孕みながら水位を増して、湧いた気泡は弾け飛ぶ。二十年以上閉じ込められていたブドウの芳香が二人暮らしのリビングルームに我が物顔で居座り始めた。
「いい香りね」
1/3くらいしか注がれていないそれを、まだ飲むことはしないで、香りだけを嗜みながらキングは言った。それから一回転、二回転とグラスの底に薄く広がる赤紫を躍らせてからもう一度。
たまにテレビなんかで見かける仕草ではあったけど、なるほど確かに大きな意味があるみたいで。たったそれだけのことなのに、隣に座る私の元まで最初のものとはまた違う葡萄の香りが漂ってくる。こういうことを「芳醇な」とか言うのかも知れない。空気に触れさせるだけで本当に香りって立つんだなと、葡萄酒の常識を初めて思い知る。
それだけ存分に焦らしてから、ようやく、一口目。
飲んだか飲んでないかもわからないくらいの一口を舌の上でじっくりと味わって、もしくは抜ける香りを贅沢に楽しんで、嚥下された贈り物が彼女の内側へと溶けていった。
「どう?」
「スカイさんも飲んでみる?」
尋ねてみたら答えの代わりに、こっちへ傾けられたグラスと疑問符を貰う。
「え? 私?
セイちゃんお酒はあんまり……」
「あら、今日の主役であるこの私のお願いが聞けないのかしら?」
誕生日であることをいいことに、学生時代を思い出しそうな高飛車な物言いで『お願い』をされる。今にもあの高笑いをし始めそうな顔でそんな風に言われてしまったら、どうやって断ることができるだろうか。少なくとも私は、その方法を知らない。
仕方がないからキングの手から華奢なグラスを受け取って――――
「一口だけね?」
そして葡萄酒を含む。「あ、キングがしてたみたいに香らせてないや」なんて頭の中で言い終わるか終わらないか。途端、ツンとくる刺激臭がだいたい目と鼻の間を刺激した。ほんのちょっとしか口に含んでいなかったのに。焦って飲み込んだ後も残り香が口の中には留まり続けて、顔をしかめずにはいられない。
「すっっっぱぁッ‼」
折角のプレゼントを横のローテーブルへ半ば乱暴に置き捨てて、堪らずむせ返ってしまう。
慣れない香りに喘ぐ私を見て、隣に座る本日の主役は育ちのいいお嬢様らしくお上品にクスクスと笑っている。
「フルボディね。酸味や香りが強いのが特徴よ。お酒全般が苦手なスカイさんにとっては、飲みにくい味だったかもしれないわね」
「わかってて飲ませたの⁉」
「ごめんなさい。でも、どうせだったら一緒に飲みたかったから」
咳込んで蹲る私を覗き込むように前屈みになって、困り眉をしながらハンカチを差し出してくれるのは、ちょっとあざとい。これはある意味アメとムチ? 違うかもしれない。
あぁもう。顔が熱いったら。
不貞腐れたように振る舞いながら若草色のハンカチを借りる。自分の服と同じ洗剤の匂いがして、鼻を刺してきたワインの香りよりも、こっちの方がずっとずっと心惹かれた。
ほどほどに落ち着いて、それからもう何杯かお酌して。深夜の晩餐会はさらに更けていった。
一分一秒を刻む時計の針の音。空気を巻き込みながらガラス容器に注がれる赤紫の音。味わって飲み下す喉の音。
私たちが交わす言葉以外に聞こえるものといったらそのくらい。あとは……時間が経つにつれ騒がしくなってきた雨脚と、時折私が漏らす気の抜けた欠伸があったりなかったり。
針はもうじき、カタカナの「レ」みたいになろうとしている。つまり、二時。眠くなるのも頷けた。
ふと、ちょうどいい所に肩があったものだから、彼女がお酒を嗜む邪魔にならないように頭を預ける。
「眠たい?」
「ん~? ちょっと」
「無理しなくていいのよ?」
「無理なんてしてないって。ただ、起きてたいってだけ。
キングは?」
「私も、大丈夫」
言って、彼女は手元でくるくると持て余していたワインを呷る。
これで何杯目だっけ? ボトルにはあとどのくらい残ってるんだろう。
「でも、よかったの?」
不意に、彼女が訊いてきた。
「なにが?」
「こんな時間にお酒を飲むなんて。明日の予定とか、あったんじゃない?」
とても勘の冴えている質問を。
「あー、うん。あるにはあったんだけど……」
そこから先は言わず、黙って、カーテンの向こうを指した。窓越しの世界にいるものは、意識する度にますます元気になっていく、雨。そろそろ近所迷惑だって、誰かが警察に連絡してくれてもいいと思うんだけど。お咎めなしの雨脚は遠慮することを知らなくて、この後も一日走り続けているらしい。
予定してたのは、キミを連れて、釣りにでも行ってみようかなって。初心者用の釣竿とかルアーとかを選んでもらって、気に入ったものがあればそれもプレゼントしようかなとか。
でも雨じゃ、ね? キミの初めてを貰うんだから、私があげられる最高を贈りたい。
「……スカイさん」
「なのでッ、本当は今日の締めに渡そうと思ってたプレゼントを最初に渡しちゃったというわけでした! 酔い過ぎてもこれなら安心、ってね」
深刻そうにキミが捉えているような気がしたから、そんなことはないと明るく話す。
天気に恵まれなくて、ショックを受けないわけじゃない。でも、同情のまま迎える誕生日も、なかなか虚しいでしょ。だから残念がるのは私だけでいい。
途端に明るくなった私がむしろ気になったのか、おもむろにキングが寄り掛かる同棲相手の腰に手を回してきたかと思えば――――
「ん⁉」
そのまま、抱き寄せられた。
さらに近づいた彼女の首元からは、ハンカチとは違い、短くない同棲生活の中でも混ざり切らないキングヘイローの匂いが香る。あとは、明らかに普段より高まっている体温が、触れる腕や胸から伝わってくる。
「あはは。キング、酔ってるでしょ?」
おどけながら誤魔化しながら、全部を、アルコールのせいにする。
「……そうかもね」
認めて吹っ切れたのか、回される腕の強さがもっと容赦のないものへと変わっていく。
今日はキミが甘えていい日なのに。私は二日前に充分過ぎるくらいに甘えさせてもらったのに。こうして慰めてくれるなんて、優しいね。
されるがままだった状態から腕を回して抱きしめ返す。それから身体を通して直接伝わってくる早まった心拍のリズムと同じ間隔で背中をトントン。
「スカイさん」
「ん?」
今日はよく、名前を呼ばれる。
「もし、今日の予定が、スカイさんの思うようにならなくとも、私は満足よ。貴方が今日を楽しみにしてくれていた事実だけで…………充分、だから――――」
聞き覚えのある言葉。これはそう、確か。
(まったく、キミって子は――)
呟かれたものの言葉尻がだんだんと小さくなって、言い終わる頃に、それはこちらの返事も待たないうちに規則的な寝息へと変わってしまった。
呼吸に併せて肺が膨らんでは、萎む。
すぐ傍でそれを感じる身としては、確かに船の乗り心地とよく似ているのかもしれない。うたた寝を船漕ぎに例えられることがあるのはこういうことなのかと、深夜二時に妙な感心を覚える。
なんて。
「こんなところで寝たら風邪引いちゃいますよ」
聞こえないように囁いても、返事は来ない。起こしてしまうのも忍びない。だから、仕方ない。
そのまま、キングが上になるように、ソファの上で身体を倒す。背負ったりする分には余裕だけれど、こうして身体全体で伸し掛かられるのは流石に少し息苦しい。でも、嫌じゃない。
背もたれに掛けてある膝掛け代わりのブランケットを取って、二人を覆う。
寝息を立てる彼女の呼吸を横耳で聞きながら、私もゆっくり瞼を閉じる。
これであとは眠るだけ――――あぁ、電気。いや、いいや。今更どうしようもないし。それさえ諦めてしまえば、残すは寝ている間にソファから転がり落ちないことを祈って眠りに落ちるだけ。
さて、目を覚ましたらなにをしようか。
いつか見たいねと言いながら溜めてしまったドラマや映画を消化していくのもいい。一緒にキッチンに立って、普段はしないタイプの料理に挑戦してみるのもいい。逆に出前を取ったり昼過ぎまで寝ていたり、一日ぐーたらしていたっていい。
…………最後のはキミの誕生日にすることじゃないか。
でも、なんだって出来るから。キミがしたいことでも、キミにしたいことでも、キミとしたいことでも。
キミの誕生日は、まだ、始まったばかりだ。
ご意見・ご感想など頂けると嬉しいです。泣いて喜びます。
ホントに。