スカイとキングの同棲生活、雨降りの日のお話。
思い出では私が。今日はキミが。
優しさの雨をかぶる番。
話し方等々、解釈違いにはご注意ください。
おやつ感覚でご堪能あれ。
これはもう数年前に学園を卒業して、今となってはレースからも退いたセイウンスカイとキングヘイローの、そう、たった二人だけの女の子たちのお話。
頭の上、直径90センチに広がる薄い布の向こう側から、バタバタバタと音がする。
見上げれば、雨。
ほんの数時間前、そこにはパステルカラーの空と西の果てから届く光に映えた金色の綿雲たちが自由気ままに広がっていた。けれど間もなく陽が翳り、夜の帳とはまた違う黒が辺り一面を我が物顔で埋め尽くして。そして気付けば、予報にもない雨模様。
唐突に降り出す雨というのは、ほとんどの人から嫌われているものだと思うけど、むしろ好きだと言っている人はいるんだろうか。
――はい。実は一人、ここにいるんです。
もちろん理由だってある。例えば、レースが近くてトレーニングが大変になってきた頃に降ったなら、それは不意なお休みを私にくれたから。例えば、久しぶりに訪れた親友の家からお暇しようとしていた時には、もうちょっとだけ長居をさせてもらえる言い訳に。最後には泊まらせてくれる口実にだってなってくれたから。
あと、加えて言うなら例えば今日。件の親友から「傘を忘れてしまったから駅まで迎えに来てもらえないかしら」って、夕食になにを作ろうか頭を捻っていた私に、ちょうどいいハプニングをくれるから。
面倒だなんて思わなかった。珍しいこととは思ったけど。
日頃から「万事備えがあってこそ一流よ!」と豪語しながら毎日を生きる彼女のこと。こういった、本人の不足によって助けを求められたことなんて、十年近く続いている短くない付き合いの中で初めて経験する頼まれごとだった。
ただ仕事がお休みで、ずっと家にいた私は当然外出の準備なんてまるでしてないものだから、部屋着を隠すためのコートと適当なパンツだけを引っ掛けて、あとはすっぴんを誤魔化すマスクを着けて、今、ウチの王女様のお迎えに急ぎ早で向かっている。
秋も深まりすぎて、冬に足先が浸ってしまいそうになる日の増えた昨今。本日もそれに漏れず、傘よりもずっと高くから降りしきる雪の成りそこないが、ものぐさのせいで晒された足首を襲う。えらく、冷たい。口元を覆う布の隙間から、白いモヤが漂う瞬間すらうっすらと見えたような気さえした。
「こりゃあ足先どころじゃないね。
――――もう、冬ですか」
振り返るのにはまだ早いなんて思いつつ、今年は、どんな一年だっただろう。
……………………。
とりあえず、濃かった。特にここ数ヶ月が。
それはまるで、この前彼女に作ってもらったお味噌汁の味とよく似ていて。初めて口を付けた瞬間こそビックリすることもあったけど、次第に舌も慣れてきて、気付いた頃には楽しく美味しく頂けた。
咀嚼し、嚥下された真新しい日常は、少しずつ私の内側に溶けてゆき、そしてゆっくり次の私になっていく。
残された数ヶ月も同じように濃く、いつかの私の一部となってくれるような将来を、分厚い雲の向こう側にいるはずの星たちに願う。それよりもさらに先のことは、またいずれ、本物の星空を眺められる夜、キミと一緒に願いたい。
「なんて、詩的過ぎるかな?」
そう問いかけてみたものの、感傷的な独り言はせっかちな驟雨に阻まれて、過ぎ行く誰にもそもそも届いていなさそう。
駅に近づくに連れて、段々とすれ違う人の数が増えていく。それぞれ帰路についているのは同じだろうけど、急な雨の中打たれながら駆け抜けていく人、用意よく持っていた傘で悠々と歩く人、どこかで買ったのか新品のビニール傘を差している人と、十人十色だった。
その奥、捉えた駅舎の端っこで、改札から吐き出される波の邪魔にならないよう、大人しく誰かを待っている女性の姿が目に付いた。キツ過ぎないお化粧に、季節柄にしっかりとマッチした装い。見るからに一流たる気品が身体の至る所から溢れ出しているにも関わらず、たかだか空から落ちてくる幾億の水の粒に足を止められている様子がなんとも不釣り合いで。それを補完するために自分がこうしてやって来たのかと思うと、マスク裏に隠れる口元が人知れずにやけてしまう。
彼女は、まだこっちに気付いてない。もうしばらく遠目に様子を観察したいとせがむ自分と、寒い中待っているのだから早く迎えに行ってあげようとする自分が、私の中で喧嘩を始める。
勝ったのは、後者だった。
「キ~ング」
「あ、スカイさん」
「お待たせ。結構待った?」
「……そうでもないわ。貴方に連絡した時はまだ電車を乗り換える前だったから」
そう言うキングの頬は普段よりも微かに赤い。手には飲みかけのあったかいお茶が入った350ミリのペットボトル。
だから、たぶん、これは嘘。突然雨の中呼び出してしまった私への、彼女なりの優しい思いやり。
「そっかそっか。それならよかった」
気付かないふりをするのは、折角の想いを無下になんてしたくないから。
でも、待たせちゃって悪かったなとも思うので、今度はもっと早く来ようと心に誓う。具体的には休日のお昼寝を減らして、いつでも外出できるようにしておく、とか? …………やっぱり保留で。
「わざわざ悪いわね。夜ご飯の準備をしている頃じゃなかった?」
「いや~、それがなんにも思い浮かびませんで……。ず~っと携帯でレシピを探してたところだったんですよ」
両手を広げて、さも「困った」と言いたげなポーズをわざとらしく取る。
「だから今日は電話に出るのがやたらと早かったのね」
「そういうことです」
家のリビングと変わらない会話を繰り広げ始める私たちの横を、沢山の人たちが通り過ぎて行く。また違う電車が到着したみたいだ。時間が経つのが早い。理由はなんとなく、わかる気がする。
「ならどこか近いところでお食事でもする?」
横目で人波を眺めていた私に向かい、名案を思い付いたと言いたげにキングが言った。
普段なら確かにそれは名案で、二つ返事でオーケーサインでも出していたところだけど――――
「ん~、ちょっと外食はご遠慮したいかなぁ……。今のセイちゃん、下がこれなので」
コートの首元を少し引っ張って、内に隠れた部屋着を見せる。
キングの表情が一瞬ハッとして目が僅かに見開かれたかと思うと、途端申し訳なさそうに突き立った耳がぺたんと倒れた。
「ごめんなさい。急かしたのは私の方だったわね……」
「いいっていいって。困ったときはお互いさま」
元気を失くしてしまった王女様の耳を優しく立ち上がらせてあげてから、最後に頭をポンポンと叩く。てっきり「こんなところで!」と恥ずかしがるかとも思ったけど、予想に反してこの女の子はされるがまま。これは思った以上に自分のことを責めていそうだ。
「――だから、そうだなぁ。その代わりってわけじゃあないけどさ。今日のご飯を適当にテイクアウトで済ますのを許してくれたら、セイちゃん嬉しいなって」
こういう時、私の身長の方がちょっとだけ低くてよかったとしみじみ感じる。それのおかげで、覗き込むように上目遣いでほんのりあざとく振る舞える。
こんなことでキミがたじろぐことなんてないとわかってはいるけど、不思議と大抵、機嫌を直してくれるんだ。それは多分、さっき私がキングからの気遣いを理解したように、キングも私の気遣いを理解してるからなんだと思う。
経験則は嘘を吐かず、かわいい同居相手を見て、幼馴染みは表情を綻ばせるのでした。
「そうね。そうしましょ」
ならもう、ここに長居する理由もない。
「じゃあ、行こっか」
「ところで、スカイさん」
今一度傘を広げて、冬の雫が降りしきる外へ踏み出そうとしたところ、後ろから待ったを掛けられる。振り返れば、そこにいるのはもちろんキング。
「ん? どうしたの?」
「――私の傘は、どこにあるのかしら?」
「あぁ――――」
それも、そうだ。
天気予報で言われていなかった雨が突然降ってきて、傘を持っていないから迎えに来てくれと呼び出されて。だったら私に求められていたことは当然、空から落ちる雫をいなす、なにかしらをここへ持参すること以外にはないだろう。
だから、敢えて――――キングの傘は置いてきた。
「折角なんだしさ、一緒に入らない?」
これが、言いたくて。
「え?」
「最近こんな機会もあんまりないでしょ。たまにはいいじゃん。別に、初めてするってわけでもないんだし」
「…………」
傘は、いつも入れてもらう側だった。不意な雨どころか予告されていた時ですら持ち歩くことが少ない私は、近くに彼女がいたならば、大抵そこに収まっていた。どんな時でも、彼女が傘を持ってない日なんてなかったから。
それだけじゃない。怪我をした時の絆創膏からボタンが取れた時の裁縫道具に至るまで。キングを一流たらしめる気配りの数々が、彼女の鞄には今も昔も詰まってる。
だからこそ、魔が差した。共に暮らすようになってようやく見つけたキミの隙間に付け込んで、傘を差してあげたいだなんていう、魔が。
意味深なため息が、一つ聞こえた。
「わかったわよ」
改めて、頭上に広げた直径90センチの帳に一緒に入る。当たり前だけど、一人で使っていたさっきと比べるまでもなく、狭い。腕や肩だけじゃなく、曇天に晒された身体の半分に容赦なく冷雨が襲い掛かる。
横では、並んで歩く彼女に併せて鳴っているハイヒールのコツコツというオノマトペが、傘の内側で雨のパタパタと同じように反響していた。
「――それで、夕ご飯はなににするつもりなの?」
「今日特に寒いし、あったかいのがいいかなー」
今度は人の流れに乗って、駅前の賑わいの中をあれやこれやと見て歩く。
こだわりの強いカレー屋さん。
庶民派の牛丼屋さん。
人気の中華料理店。
お手軽なスープ屋さん。
よく行く喫茶店。
他にも――――
「スカイさん。少し寄るわよ」
「うぇ⁉」
唐突にキングがそう言いながら、最近できたパン屋さんまで私の腕を引っ張っていく。別に抵抗なんてしないのに、グイグイと進める足はちょっと強引で、先を行くキミを濡らしてしまわないように少し苦労した。
「引っ張らなくてもパンが食べたいならそう言ってくれれば――――」
「そんなことだろうとは思った。学生時代の恩返しのつもりなんでしょうけど、濡れ過ぎよ。風邪でも引いたらどうするの?」
お店の軒下に入るや否や、キングは窓際に並べられたパンの一つにも目もくれず、代わりに小言の一つを私にくれた。
でも、怒っているような声じゃなくて。鞄から取り出しはハンドタオルで身体に付いた水滴を拭き取ってくれる手は優しくて。
「なんだ。全部わかってるんだ」
「元はと言えば傘を忘れた私のせいだから、今更貴方のことをどうこうと言える立場じゃないけど。でも、それならせめて――――」
言いながら、身に着けていたイヤーカバーの片方を、私の左に被せてくれた。
「サイズが合わないかもしれないけど、これだけでも着けておいて。耳が濡れてしまうのは、よく、ないから……」
「あっ……ありがとう…………」
今の今まで、彼女の体温が触れていたそれは温かくて、気持ちを理解した上で受け入れてくれる心が温かくて、冬に沈みかけていた身体が、一気に秋へと引き上げられる。一周回って桜でも咲きそうだ。
呆気に取られてボーッとしていただけだけど、真っ直ぐ見つめられるのが気恥ずかしかったみたいで、「ほらっ! そうじゃなくても今日は冷えるんだから、早くなにを買いに行くのか決めましょ!」と背中を向けながら訴えてくる。後ろからでも、普段カバーに隠されて外では滅多にお目に掛かれない左耳がひょこひょこと揺れるのが見えた。
マスクを、着けてきてよかった。今の表情で街中を歩いていたら、きっと私は危ない人だ。それにこんな顔、キング以外に見せたくない。
恨めしそうに雨雲を見上げて、そわそわと急いているキミの後ろ姿に呼び掛ける。
「ごめんキング。やっぱり、真っ直ぐ帰ろっか。夜ご飯は戻ってから私が作るよ」
パン屋さんには悪いけど、お店には入らず、足は私たちの家がある方角を向く。
そうだ。おんなじ家に帰るんだ。それを改めて思い出す。今となっては当たり前の「当たり前」が当たり前のようにそこにある。
きっとその距離感は、二人肩を寄せ合って、90センチの傘に収まる今の私たちとよく似ているんだと思う。
予告もなく降り出した晩秋の雨は、まだ降り止まない。
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ホントに。