スカイとキングの同棲生活、温泉旅行のお話。
繋ぐ手は、なによりも熱く。
繋がる心は、こんなにも温かい。
話し方等々、解釈違いにはご注意ください。
おやつ感覚でご堪能あれ。
これはもう数年前に学園を卒業して、今となってはレースからも退いたセイウンスカイとキングヘイローの、そう、たった二人だけの女の子たちのお話。
春に舞い散る桜の下でするお花見然り、夏の炎天下に晒されながらする海水浴然り、秋に染まった木々を愛でる紅葉狩り然り。季節相応のイベントは常として、それに触れる人々の心を振るわせてくれる。男も女も、若いも老いも、ヒトもウマ娘も関係ない。一様に、みんなの視界に収まる景色と同じ色彩に、心の形が変わっていく。
つまりなにが言いたいのかというと、こんな詩的な言葉を胸の内で詠ってしまうくらいには、今の私の気分が最高に舞い上がってるってこと。
「いやぁ! これは考えてたよりずっと豪華なお宿さんですなぁ。雰囲気いいし内装も綺麗だし、ご飯も美味しかったし、なにより部屋には専用の露天風呂まで‼」
夕食を食べ終えてからあてがわれた部屋まで戻る帰り道、年甲斐もなく弾む足取りを隠そうともせず、私はこの施設に対する素直な感想を語っていた。
全体を和モダンで統一した、オープンしてからまだ十年も経っていない真新しい旅館。日本文化よろしく、フロントの前で履き物を脱ぐようになっていたり、名物の温泉は各部屋のお風呂からも流れるようになっていたりと、主に外国人からの人気がすごいらしい。そうでなくても写真映えする庭園や、職人が長年受け継いできた木彫が施された廊下などなど。国内からも老若男女問わず注目を集める要素には事欠かない。
そんなお宿に、今日私は泊まる。
「本当ね。商店街で当たった旅行ではあったけど、まさかこんなに立派なところだったなんて」
他でもない、幼馴染みで親友で、現同棲相手のキングヘイローと一緒に。
「これはキングの悪癖もなかなか捨てたもんじゃないね?」
「べ、別に学生の頃していたような、くじを丸ごと全部買い占めるなんて真似、今回はしてないわよ⁉」
「でも『もう一回、もう一回』って止められなくなって、結局十回くらい引いてなかった?」
「――――ふんッ。いいわ。そこまで言うならスカイさんの分に旅行券を使うのを止めるだけだから」
「あっ、ちょっと! それはズルいじゃん。 悪かったってばぁ‼」
「いいわよ別に。冗談だから」
「ちぇ。キングも随分と人が悪くなったよね」
「そりゃあ悪知恵がよく働くような人と四六時中一緒にいれば、多少うつったりもするでしょう」
「悪知恵じゃなくて策略って言ってほしいんだけどな~」
キングが商店街のくじ引きを躍起になって引き続け、見事特賞の温泉旅行を引き当てたのが今は昔、同棲を始めてからほどない頃の出来事。それから互いの予定をすり合わせたりなんだりを済ませてから、ついに今日こうして一泊二日の温泉旅行へと赴いていた。
温かみを覚える畳が敷き詰められた廊下を歩き、自分たちが泊まる部屋の前に立つ。あまり見かけない引き戸の扉を開けば、廊下のものとはまた違う畳の香りが鼻孔をくすぐる。中は布団の代わりにベッドが置かれた和洋室。さらに奥にはこのお宿の売りの一つである、備え付けられた源泉かけ流しの露天風呂がちょろちょろと水音を立てていた。
とりあえず、ベッドに飛び込む。ふかふかでもふもふで、気を抜いたらすぐにでも寝入ってしまいそう。
「もう寝るの?」
「ううん。ここまで来て温泉に浸からないのは流石に」
声がした方に顔だけ向けると、キングが――戻って来たばかりでいつの間に準備したのか――浴衣諸々お風呂グッズを持って立っていた。
「私はこれからお風呂に行くけど、貴方は?」
「大浴場の方? 仲居さんたちがおすすめだって言ってたやつ」
「えぇ。なんでも男湯女湯以外にウマ娘湯なんてものもあるらしいから」
「ん~、お部屋のお風呂にも入ってみたいし、悩むなぁ……」
そういえばチェックインの時にそんなお風呂もあるなんてことを言っていたような。
うんうん唸りながら悩む私を見て長くなると思ったのか、ベッドの端にキングが腰を掛けてくる。平らなマットレスが僅かに斜めになったから、下るように身体が転がって、うつ伏せから仰向けに。そしてキングの身体とぶつかる。
「なにしてるの?」
「キングに転がされてる」
ふざけて言ってみたならあら意外。キングも乗って押し返してくるものだから、私はもう一度うつ伏せに。あ~れ~。
「ほんと、なにしてるのかしらね。私たち」
どうやらこの旅行に舞い上がっているのは私だけではない様子。普段ならあまり乗らない冗談を吐いてきたり返してきたり、彼女のはにかんだ声がそれを教えてくれている。
だから好きに過ごしてほしくって、身体を起こし彼女の背中に寄り掛かるようにしながら私は言った。
「大浴場の方は明日の朝にでも行こうかな。今日はお部屋のに入る」
「――そう? じゃあ行ってくるわね」
「戻った時セイちゃんお風呂入ってるかもしれないから鍵忘れないでよ?」
「言われなくとも大丈夫」
立ち上がり部屋を出ていく彼女と遠くなっていく声に遅れて、戸がストンと閉じられる音が響いた。
本当は一緒に行ってもよかったんだけど、そしたらきっといろいろと気を遣わせてしまうから。例えば、キングはサウナに入るけど私は入れない、とかね。いつも一緒にいるんだから、こういう時くらい、相手を気にせず好きに過ごしたらいい。
「もちろん、折角の機会なんだから一緒に経験したいって気持ちもわかるけどね」
なんて独り言をぼやきながら、また誘惑に負けて倒れ込んでしまわないうちにベッドから降りる。
テレビを点けたりなんてしてみたけれど、やっている番組のほとんどがいつも見ているものとおんなじで、旅行気分に水を差すことになりそうだったからそれもすぐに消した。代わりに座卓の上に置かれた旅館案内に目を通す。
(大きなお宿だと思ったけど、こんなに部屋数があったんだ。五十……はちょっと多く見過ぎかな。
あっ、キングが言ってた大浴場だ。私たちの部屋からもそんなに遠くない。というか広⁉ お部屋の、何倍?
こっちのページは――ルームサービスか。…………うわぁ、お高い)
大人になって自分たちの足で立ち生活を送るようになってなお、目が飛び出るような値段を前に、案内の冊子をそっと閉じる。流石にまだ一杯のお酒に数千円は払えない。
座椅子に寄り掛かり、背中を伸ばす。「ふぅ」と、息が漏れた。
「さて。そろそろ私も入っちゃいますか、お風呂」
源泉かけ流しの自分専用露天風呂なんて、そうそう体験できるものじゃあない。こればっかりは本当に、この旅行へ連れてきてくれたキングに感謝しないと。
着替えの浴衣は洗面台へ。脱いだ服は畳むことなく転がしておいて。簡単に、シャワーを浴びてその日一日の汗を流す。
「うぅ……寒ッ」
暦は十二月。当然と言えば当然。
シャワー室から外へ通じる扉を開けた途端、隙間から押し寄せてくる夜風につい身体が固まってしまう。尻尾も耳も毛の一本に至るまでがピンと張りつめて、まるでそれぞれが針金にでもなったかのよう。
「あぁ、雨も降っちゃってるんだね。そりゃ寒いか」
外に出てみれば大降りでこそないけれど、無視することも難しそうな量の雨がパサパサと落ち葉を叩いている音が聞こえた。部屋の明かりが届かない縁側の向こう側は、真っ暗でなにも見えない。ただ、雨と温泉の流れ続ける音だけが鼓膜と身体を震わせる。寒い。
体温と外気との温度差に小走りになりながらも、湯気を立たせる温泉には足先からゆっくりと浸かる。冷気に当てられた身体にその差は心地よくて、熱いのが苦手な私でも快適に全身を沈められた。
増えた体積分溢れたお湯が、湯船の縁に滝を作っていく。
生憎の天気で、星は見えない。
(でも、悪くない。
聞こえてくる自然の音にだけ耳を傾けて、そっと目を閉じて、ゆっくり温泉を堪能する。それだって贅沢で、明媚で、乙な味わい方に違いない。
そもそも気持ちいいし)
規則的な呼吸を重ねて、取り込んだ酸素が熱で広がった血管を通り、身体の隅々に行き渡る過程を吐かれる息から感じ取る。
お布団とは違う、温もりの羽衣。包まれて思い出すのは、ここにはいない彼女の面影。
(大浴場はどうなんだろう。子供連れのお客さんも結構いたみたいだし、ここと違ってわりと賑やかなのかも。キングなら、そんな中でも背中を伸ばしながら湯船に浸かってそうだけど)
子供たちのハツラツとした声で溢れかえる中、姿勢正しくいる彼女の姿がなんとなく面白くて、つい「ふふ」と笑い声が口から零れてしまう。まぁ、らしいと言えばらしい。人目があるところでは尚更、彼女は自分自身に厳しいんだから。
「貴方が長風呂だなんて、珍しいじゃない」
噂をするや否や。目を開けるとシャワー室に繋がる扉に寄り掛かる形で、件の女性が桜の花模様が施された浴衣姿になってそこにいた。カバーが外されて晒された耳や、日中よりも少しだけ下ろされた髪は日頃から見慣れているはずなのに、その服装が一つ変わるだけで妙な新鮮さを覚える。
「あ、おかえりキング。ウマ娘湯の方はどうだった? てゆーか覗いてたの? えっち」
「――ッ⁉ 貴方ねぇ……!」
「まぁまぁ。さっきの可愛い仕返しってことで」
してやったり顔をしている私と、歯噛みしそうなほど悔しがるキミ。こういう時なんとなくハンカチが似合いそうだなぁと感じるのは、第一印象で抱いた高飛車なお嬢様像がいまだに強くいるからなんだろうか。本当はそんなことないって、とうの昔から知っているのに。
なにか言い返されるとも思ったけれど、勝手知ったる付き合いからか、深い深いため息を一つだけ頂戴すると、そのまま話は次の話題へと進んでいった。
「だいぶ良かったわよ。広くて、いろいろな種類のお風呂があって。そういう、温浴施設と大差ないくらい。――そうそう。効能も見てきたわよ。基本的なことは変わらないみたいだけど、加水をしない分、ヒトの方より成分が濃いんですって」
「へぇ~、それは面白そう。身体にも効きそうだし。明日が楽しみだ」
「スカイさんの方は?」
「こっちも最高だよ。熱過ぎずぬる過ぎず丁度いい湯加減で。こんな時間だから景色は見えないけど、だからこそ雨の音に集中できたりしてさ」
「いいじゃない。私も明日はこっちに入ろうかしら」
「そうしなそうしな」
「ただ、雨なのよね。晴れると思う?」
「さぁ? どうだろう」
太陽が反対側にあるせいで空模様は見えない。けれど耳に届く雨脚は静まることもなく、同じペースで行進を続けている。暗い中、音を愛でる分には申し分ないそれも、翌朝彩を伴いだすと、どうなるのだろう。
少なくとも、不安気に空を見上げる彼女の眉が下がったままにならなければいいなとだけ、私は思う。
「さて、そろそろ私も上がりますかね」
いつまでもここで語らっていてもいいけれど、これ以上はキングが湯冷めをしてしまう。先に彼女には戻ってもらって、続いて私も湯船を上がる。
脱衣所に脱ぎ散らかしていたはずの服たちが誰かによって畳まれているのを見つけて、また頬が緩む。
洗面台の上に置いておいた浴衣に袖を通し、待つ彼女のもとへ。
「貴方のは菊なのね。似合ってるじゃない」
「ね。ありがと。キングのも桜でしょ? かわいい」
「そう? わ、若すぎないかしら……?」
「若いって、私たちだってまだ二十代だよ?」
いつもの如く自信満々に「似合っているでしょう!」と言い張ればいいと思うのに、どうも不慣れな部分にはしおらしくなってしまうお嬢様。指摘された途端、袖口を掴んでひらひらと降りながら模様を見直したりなんてして。そういう姿こそよく似合ってるというのはきっと、無自覚なんだろうけど。
「あと服も、ありがとうね」
「え、えぇ。それは、どういたしまして」
それからは談笑もそこそこに、お互いがそれぞれのベッドに入る。家では二人で一つのベッドで寝ているから、一人で眠るのは随分と久しぶり。
枕元から部屋の電気を消し、間接照明を消し、ベッドライトを消して――――
「おやすみ。キング」
「えぇ。おやすみなさい」
今宵はここまで。また明日。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
バシャン
水の入ったバケツを盛大にひっくり返した時のような柔らかい破裂音が、夢うつつに漂う私の鼓膜を揺らした。
ほのかに覚醒した感覚のせいで自覚する、足元の冷たさ。いつもはすぐ近くに感じるモフモフした尻尾の、もしくは人肌の温度が見つからない。だからお布団の中にいるはずなのに寒さを覚えて小さく身体が振るえてしまう。
――あぁ、そうか。思い出した。ここは家じゃないんだった。二人で旅行に来て、部屋にある別々のベッドにそれぞれ入って眠ったんだ。
「半年前はこっちの方が当たり前だったはずなんだけどな」
ポツリ。現在と過去、日常の温度差を知る。
家だったなら手近な抱き枕に甘えてもう一度微睡に身を預けるものだけど、それをするにはちょっとばかり足先が冷え過ぎる。おかげで目も冴えてしまった。
枕元に置いた携帯に指を滑らせてみれば、浮かび上がった時刻はせいぜい陽が昇り始めたような頃合い。さて、どうしようか。
バシャン
すると、ついさっき聞こえた水音がもう一度鳴った。てっきり夢でも見ていて気のせいかとも思っていたけど、それはハッキリと露天風呂のある縁側の方から響いていた。
今更確認してみれば、隣のベッドで寝ていたはずの彼女の姿がそこにない。
「なるほどね」
今日入るとは言っていたけど、まさかこんなに早くからだとは思わなかった。晴れるかどうか気にしていたし、もしかしたら期待通りの快晴で、曙の空を一人堪能しているのかもしれない。
それは、とてもいい絵が見られそうだ。湯浴みをする彼女含めて。
思うが早いか、気付けば布団を抜け出して乱れた浴衣を直しながら、私の足は縁側へと向かっていた。途中洗面台の上に、昨日私がしたのと同じように桜の浴衣が丁寧に畳んで置かれているのを見つける。
そしていざ、露天の景色へと視線を向ければ――――
(――――――――ッ)
雪が、降っていた。旅館の庭園も向かいの山々も、見えるすべてを覆い尽くしてしまうくらいの、雪が。
あとは、なによりも、その背景を携えてこそ映える先客の横顔に、朝の挨拶すら、出て、こなくて――――
「――あら、おはよう、スカイさん。起こしてしまった?」
「ッ、おはよう、ううん! たまたま目が覚めただけ。そしたらキングの布団がもう空だったからさ」
「言葉を失くすのもわかるわ。私も起きたのは偶然だったけど、なんとなく外を見てみたらこの景色だったから」
「すごいね、雪。しかも一晩でこんなに」
「本当に」
昨日この旅館へ来た時には、雪が積もっていた跡なんてなかった。だから降っていた雨が夜の内に雪へと変わって、こうして今目の前に広がる白銀の世界を作り出したんだろう。
雨音響く真っ黒な世界から反転、まったく無音の真っ白な世界。
夜は一人だった。だから朝は、一緒に味わいたいな、って。
「眠気覚ましに私もご一緒しちゃおっかな~」
「いいの? だって貴方、今日は大浴場の方に行くって言っていたじゃない」
「まぁそうなんですけど、この景色もなかなか見応えがありそうですし、予定変更ということで。あ、それともキングは一人で入ってたい?」
「いえ、私は構わないわ。それならほら、早く着替えてらっしゃい」
そう促されたから、昨日と同じく脱いだ浴衣もそのままに――――しようと思ったのだけど、お行儀よくお客人を待っている桜が目に映り、慣れず不格好ながらも、菊を畳み直してから戻ることにした。
戻り、彼女の隣に、浸かる。
バシャン
お湯がお風呂の縁に滝を作る音。そうか、さっきのはこの音か。
「いいところだね」
「そうね。旅行券の招待じゃなければもう一週間は泊まっていてもよさそうなくらい」
「ん~、私は……泊まるとしてもあと一泊くらいで充分かなぁ」
「あら意外。貴方のことだから『ここに住んでもいい!』とか言うのかと思ったけど」
「あはは。学生の頃だったらそう言ってたかもね。
もちろん気持ちだけなら今でもそれは変わらないんだけど、セイちゃんも大人になったと言いますか」
遠く、空を見上げる。いいや、もう一面が真っ白でそれのどこが遠いんだか近いんだかすらわからない。手を伸ばせばほら、冷たい雲の欠片が掌に落ちてきた。
「欲しいなって思っていたものが手に入ったとして、人がそれにありがたみを覚えて歓心を寄せるのも最初だけ。時間が経っていくのに連れてどんどん当たり前になっていって、最後には欲しかった理由さえも忘れちゃって、もっともっとって新しいものを欲しがっちゃう。
だから、ほどほどでいいんですよ。こうしてゆる~く過ごせる時間に癒されるのは忙しい毎日があってこそ、な~んてね」
「それも、そうなのかもしれないわね」
横から聞こえた声は、私の言葉に納得しているような、あるいは何か考えるところがあるような。
「ねぇ、もしそう思っているならどうして――――」
「――――どうしてスカイさんは、私と、暮らそうと思ったの?」
見る。彼女を。
薄い湯煙越しに視線が逢うと、ハッとした後に逸らされる。「聞くつもりはなかったのに」と言うかのような、見えるうなじが妙に儚い。
「…………いいえ、忘れてちょうだい」
きっと、私たちが今の関係になってからずっと想っていたんだろう彼女の疑問。
二人で同棲を始めた最初の夜。自分たちの関係をどう表したらいいのかわからないとキミは言った。無理に表現する必要もないとした私の意見にその時は頷いていたけれど、やっぱり気になるのは変わらないらしい。
そもそもたった今私が語った自論は「いずれ人は幸福に慣れる」という残酷な言葉。逆の立場でそんなことを言われたら、私だって問いたださずにはいられない。
ただ正直私だって、自分が抱える感情の輪郭を、まだ完璧に理解できてはいないんだ。
自分勝手で、本当にごめん。
それでも、今日まで歩いてきた間に培ってきた想いと、事のきっかけくらいなら、胸を張って話してもいいんだと思いたかった。
「大人になるまでに学んだこと、実はもう一個あってさ」
「……」
「人との繋がりは、ずっと続くと思っていた相手とでさえ、なにもしないままじゃ呆気ないくらい簡単に無くなっちゃうってこと。それこそコップの水が少しずつ蒸発していって、最後には空っぽの容器だけしか残らないみたいにね。揮発性なんだよ、繋がりって」
お風呂に張られたお湯の水面から湯気がうねりを利かせながら立ち昇っていく。温泉は常に新しいお湯が注がれ続けるから干上がることはないけれど、人と人とでは、そうはいかない。
「トレセンの頃でも、その後の大学でも、卒業後も仲良くしていくんだろうなって思った人たちは、いた。けど、今でも変わらない距離感で付き合えてるのは、キング以外だと、それこそスぺちゃんたち同期のみんなくらいだよ。
それ以外の子たちと別に仲が悪くなったとかじゃなくて、ただ会ってない、連絡を取ってないってだけ。なのにこんなにも遠く、感じる」
本当は、そんなことないのかもしれない。声を掛けてみれば案外当時となにも変わらない関係がそこにはあるのかもしれない。
でも、会わなかった時間、距離があった時間が、たったそれだけのことで埋められるわけではないから。
「キングやみんなとの繋がりがこれからどうなっていくのか。悪い方になんて考えたくないけど、もしそうなってしまったら。そう考えた時、誰よりも手を離したくないって思ったのが、キングヘイローだった。
だから、考えが矛盾してるのが自分自身わかっていても『一緒に暮らさない?』ってキミに聞いた」
さっきの後じゃ、言い訳臭いだろうか。うん。言い訳っぽいと思う。それでもこれが、言う機会がなかったことをいいことに伝えようとしてこなかった、セイウンスカイの本音なのは間違いない。
これが、私の気持ち。私たちの始まり。
同棲の話を持ち掛けた時、キミは戸惑いこそしていたけれど、「どうして」と聞き返すことはしなかった。代わりに考える時間を求められたから、望みがあるのならと、いくらでも猶予をあげた。
そしてついに「いいわよ」と、キミは言ってくれた。
「…………」
「…………」
雪の降り積もる音すら聞こえてきそうなほどの沈黙。
あれこれと胸の内を語った後に続く静寂の時間は、なんとも、むず痒いものがある。なんとなく、顔も俯いていく。
出来ることとしたらただ、ただ。同棲を持ち掛けた時と同じように、彼女が私を受け止めてくれることを、ただ願うのみ。
「呆れた!」
突然上げられた声に、どこかに留まっていた鳥が飛び立つ気配がする。
顔を上げると湯煙の向こう、茹って上気した頬を赤く染めたキミの横顔が見える。その表情があまりに普通で、いつも通りで、変わらなくって。すごく安心した。
「えぇ……手厳しいですなぁ、キングは。これでもセイちゃんが想っていた誠心誠意の本音なんだけど」
「そういうことは話を持ち掛ける時に併せて言っておきなさい! こんなタイミングで打ち明けられても、どんな顔をしたらいいのかわからないじゃない」
「にゃはは」
十何年と繰り返されてきたお嬢様と自由人のやり取りが、白銀の世界に響く。他には誰の音もしない。いるのは私たち二人だけ。こんな所にも、箱庭はあるらしかった。
だから自惚れでもいい。これが、今まで育ててきた私たちの繋がりの形なんだって。
「私もよ」
え?
「え?」
「私も、同じ気持ちよ。セイウンスカイ」
湯煙の向こうには、相変わらず上気した顔でいるキングヘイロー。それがゆっくりと戸惑いながら――それとも気恥ずかしさを隠しながら?――こちらを向いて、また、視線が逢う。なのにだんだんその輪郭がぼやけていって、最後には霞んでよく見えなくなってしまったのはどうしてだろう。
重ねられた彼女の手から伝わる温度が、湯船の中でもハッキリ感じ取れるのはどうしてだろう。
「そっか。そっか…………。それは、よかった――――――――」
震える声が空気を揺らして、降る雪がほんのちょっぴりとだけ煽られて。
瞳から流れる熱を帯びた雪解けの雫は、そっと、彼女の掌によって慰められるのであった。
ご意見・ご感想など頂けると嬉しいです。泣いて喜びます。
ホントに。