スカイとキングの同棲生活、スカイの誕生日のお話。
色付く日々。
空に広がる、いっぱいのセイウン。
話し方等々、解釈違いにはご注意ください。
おやつ感覚でご堪能あれ。
これはもう数年前に学園を卒業して、今となってはレースからも退いたセイウンスカイとキングヘイローの、そう、たった二人だけの女の子たちのお話。
この日、目覚ましは鳴らなかった。
だって今日は四月の二十六日。それは私の誕生日。一年にたった一度だけの、どんなに寝坊をしたって誰からも怒られない朝なんだから。
北向きの窓から寝室に柔らかい間接照明が差し込んでくるようになってから、私の身体はゆっくりと一人だけのベッドの上で目を覚ました。なんだかんだ、もう二百回近くは見上げた天井。けどまだ三六五回に達していないことを考えると早いのやら遅いのやら。
私の右側には、さっきまで誰かがそこで横になっていたことを裏付けるシワが枕とシーツに寄っていた。
(そりゃあもう起きてるか)
実はほんのちょっとだけ、起き抜けにお祝いの言葉を貰っちゃったりするかなぁとか期待してたりしてなかったり。ないならないで落ち込んだりはしないけど、じゃあどんな風に言われるのかなと、むしろ楽しみになってくる。
ポンッと同棲相手のいた場所を一度叩いてから身体を起こした。
伸びをしてみれば節々がパキポキ。そんなところからまた一つ年を取ったことを実感する。学生の頃と比べるまでもなく、運動から離れてしまったことも原因の一端、だと思う。
(今年の目標にでもしますかね、運動)
自分でトレーニングのメニューを組むことだって、経験がないわけでもないんだし。
やんわりと新しい一年に向けての指針が定まってきたところでベッドサイドの時計を見てみると、針がもうじき12の地点で重なり合おうとしているところだった。
「ありゃ。――そりゃあもう起きてるか」
てっきり、せいぜい十時くらいかと思っていたから。
朝一番のお祝いを貰えなかったのは、どうやら私のせいらしい。向こうにその気があったとしても、流石にこの時間まで待ってはくれないだろう。
というわけで、またベッドの柔らかさに負けて身体が沈み込んでしまう前に、そして待望の「誕生日おめでとう」を聞くために、テキパキとベッドから降りる。
桜もとっくに散ってしまった世界にはもう夏の足音がすぐそこまで来ているようで、朝や夜に冷えを感じる日も減ってきていた。まぁ今はもうお昼ですが。
休日と言えど怠惰な自分を笑いながらリビングへ向かう。
同居人の彼女は、ベランダに続く窓際に立っていた。いつも本を読んだりとか、なにかしらに取り組んでいることが多いのに、今日は珍しく、ただボーッと外を眺めているだけ。
「おはよう、キング」
「あ、あらスカイさん。おはよう」
「なにしてるの?」
「いいえ。少し、ね」
呼び掛けてみても、なんとなく、心ここに在らず。返事を寄越してくれたと思っても、視線はまたすぐに外へと向けられてしまって、虚ろな横顔が見える。萎れた耳と尻尾がやけに目立つから、もしかして自分の寝坊がなにか都合が悪かったのかと心配になってしまう。
今日に併せて――正確には明後日にある彼女の誕生日までの三日間、私たちは仕事を休んだ。それはお互いの誕生日当日は一日一緒に過ごすため。相手の誕生日にすることの予定を立てて、主役はただ、用意された誕生日をひたすらに堪能する。どこへ行くのもなにをするのもその人次第。私の場合は、キングにお任せ。
だから、もし自分の寝坊のせいで彼女の予定を台無しにしちゃったとしたら、それはとっても、申し訳ないなって。
「…………もしかして、早く起きてきた方がよかった?」
恐る恐る、訊いてみる。
もう一度視線が逢って、彼女は静かに首を横に振る。
「早いに越したことはなかったけど、時間がどうと決まっているものでもないから。
――ただ、そうね。お天気が、よくなかったから……」
言われ、
どういうプランを練っていたのか私は知らない。けどもしも外出するつもりだったんなら、確かに不安を感じる空模様。
いつ雨粒が空から落ちてきてもおかしくなさそうな湿度に、キングの髪も普段より強くうねっていた。
(けど、まぁ、うん――――)
この三日間は二人でずっと一番の笑顔でいたいから。
眉を下げながら物憂げな表情を浮かべる幼馴染みの横顔を見上げて、言った。
「もし、今日の予定がキングの思うようにならなくても、セイちゃんは嬉しいですよ。この日のためにいろいろ調べたり考えてくれた事実があるってだけで、ね。
ま、計画を立てた側は不完全燃焼で、そうも言ってられないだろうけどさ」
ハッとした表情。見開かれた瞳の中にある季節外れの秋色は、相変わらずキレイだった。
正直、今おんなじ時間を一緒に過ごせているだけで、毎日タダで贈り物を貰っているようなものなんだ。そこからさらにキミが「私のために」と考えてくれた時間があるだなんて、本当、贅沢にもほどがある。もちろん、貰えるんなら大喜びして頂戴するけどね。遠慮なんてしない。ただ、「そもそも充分なんだ」ってことは伝えておきたい。
「だから、明後日の私の予定がグダグダになっちゃった時は許してくださいね?」
でも、真面目な本音ばかりは少し恥ずかしいから、おどけて、寝ぐせでボサボサの頭のまま、そんな冗談を吐く。
返事で貰うのはため息かなと思っていたら、聞こえてきたのはふふっと鼻歌のような笑い声。
「ありがとう、スカイさん」
やっと、笑ってくれた。
「どういたしまして~」
「そういえば、まだ言えてなかったわね」
「ん?」
「お誕生日、おめでとう」
この言葉を聞いた途端、たとえ空を覆っているのが灰一色の雲だったとしても、目に映る世界の彩度がさらに一段階鮮やかになったように思えて、不思議だ。
念願の言葉を貰えて、人知れず尻尾が大きく跳ねたのを私だけが知っている。数日後には、同じものをキミに贈るのだと思うと、変なにやけが止まらない。
「ありがとうキング。
――年でも私の方が先を走ってるんだね」
「なに言ってるの。明後日にはもう追い付いてるじゃない」
「あはは。それもそうか」
二日間私が逃げて、後からキングが追いついてきて、残りの三六三日を一緒に走る。
知り合ってからの期間を踏まえれば今更過ぎる事実を再確認して、この数日にすら愛着が湧く。
二日違いっていうのがまたいい。
横並びでもなく、離れ過ぎてもなく。まるで、かつてのレースで前を行っていた私と追いかけてきた彼女を体現しているみたいで。
ますます、今日という一日が楽しみになってくる。
「よし。じゃあチャチャっと身支度でも済ませちゃいますかね。折角立ててくれた予定を不意にしちゃうのも悪いし」
「ええ、お願い。その間に朝――――もうお昼ね。ご飯も用意しておくから。それを終えたら出掛けましょ」
どうやらやっぱりどこかへ足を運ぶらしい。さぁ、どこでなにが待っているのやら。
こうして私――ううん。私たちの誕生日々が、始まったんだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
諸々準備をしてからキングに連れてこられたのは、年明け前の旅行で来た温泉街。季節が変わり暖かいを通り越して暑い日がちらつき始めた今ですら、過去に見た人影よりも少ないものの、それなりの人数が街のメインストリートを歩いている。
そんな景色を、通り沿いに構えるとあるお土産屋さんの、そのまた二階部分に設置された足湯に浸かりながら二人で眺めていた。
話題は、ここへ来るまでの道中で一番初めに驚かされたこと。
「前は電車を何本か乗り継いでここまで来たけどさ、まさか今回はキングの運転で連れてきてもらえるとは思わなかったよ」
足元のお湯をつま先で弄びながら、向かいに腰掛ける運転手さんに言った。
シャワーを浴びてご飯を食べて、いざ出掛けようと外に出たところで、キングが「これに乗ってちょうだい」と見慣れない車を指してきた時はそりゃ驚いた。免許を持っていることはいつだったか聞いた覚えがあったけど、どのくらい運転出来るのかまでは知らなくて。だからおっかなびっくり真四角のちっちゃな車に乗り込んで、道中山道に揺られながら、命を預けてここまでやって来たのである。
「乗り心地はいかがだったかしら?」
そう言うキミは自信満々な顔。私がどう答えるのかもうわかりきっているみたいで、それなら変に誤魔化す必要もないと、思ったことを素直に返す。
「うん。最高だった。いちゃもんの一つも付けられないくらいにね。あんなに上手かったなんて、いつの間に練習してたの?」
「特別、これといった練習はしてないわ。一流のウマ娘としてできて当然だもの!」
むしろだからこそ運転なんて技術、身に付かなさそうではあるんだけど。全盛期ほどではないにしろ、それでも私たちは車なんかよりも早く走れるし、そもそも彼女は良家のご令嬢。もしも車に乗らなくちゃいけないことがあったとしても、お抱えの運転手さんたちがいくらでも代わりを担ってくれるだろうに。
(だから、頑張ってくれたんだろうなぁ――)
足湯のせいか。それとも巡った季節のせいか。
少しだけ、身体が熱くなる。
時折、太陽の暑さすら知らない山間を抜ける緑色の風が頬を撫でてはくれるけれど、火照った肌を冷ますにはもう少し足らない。いいや。無理に冷ます必要もないのかもしれないけど。
だって今日は私の誕生日。この日くらい熱に浮かされていたって、きっとバチは当たらない。そう思って、水面で戯れていた片足をお湯の底までゆっくりと沈めていった。
熱によって広げられた血管を、これ幸いと全身の血液が駆け回る。まるでターフを走るウマ娘のようで、今の気分は走り終えた時に感じる高揚感とよく似ていた。
足先で、キミに触れる。
「? なに?」
「ううん。イタズラ」
「そ。楽しい?」
「うん。楽しい」
「なら、いいわ」
ツンツンと突いたり、甲を撫でたり、つま先を合わせてみたり。我ながら足先一つでよくこれだけのちょっかいが出せるものだと感心する。
それを、どれくらいだろう。数分、もしかしたら十分くらい続けていたら、流石に「いい加減くすぐったいのだけど」とキングストップを貰った。仕方ないから足を引っ込めはしたけれど、キミの顔は別段怒ってるようではなかった。
「ごめんごめん。
――それで? これからの予定は?」
「予定と言っても、予約してあるレストランでお夕食を食べて、なにかお土産でも探しながら街を散策する。…………そのくらいよ」
「いいね。私好みのゆったりプラン。じゃあご飯に遅れないようにしないとね」
そう言った途端、キングの陰から黄金色をした鋭いなにかが瞳を刺した。あまりにも眩しくて反射的に目を瞑ってから、「眩しかったんだ」ということを自覚する。
ゆっくりと瞼を開ければ案の定。遠い遠い西の果て、連なる峰から辛うじて顔を出しているくらいの、金色に映える太陽がそこにはいた。瞬くうちにその色彩は大空へと広がって、隙間ない雲のキャンパスをべったりと同じ色のインクで染め上げていく。
そして、その黄金を背負うようにキミが座っている。
(『キングヘイロー』)
まるで名前を体現したかのような景色。もちろん、狙って見せてくれたわけじゃないんだろう。でもこの世界で一番の輝きを携えている様子は、日頃から一流を掲げるキミにはピッタリなようにも思えた。
そういえば今朝、天気のことを心配していたっけ。
「ほら、夕陽だよ、キング。晴れてきたのかも」
「え?」
後ろを促すと、彼女はゆっくりと振り返る。眩しそうに手で影を作ったりはしていたけれど、その光に慣れるに連れて、真っ直ぐに西の空を見据えた。
こちらからだと陽に照らされたキミの横顔が見えなくて、なんだか惜しい気持ち。
「ぁ……本当ね」
それでもここからでもわかるキミのことと言えば、さっきまでより明確に、上機嫌になっていそうだな、ってこと。感情が出やすい耳や尻尾を見なくたってわかる。伸びた背中とか、高くなった声とか、それこそ雰囲気とか。楽しそうで、嬉しそうでなにより。
「いやぁこれもセイちゃんのおかげですかね。なんてったって『
天気なんて天の気紛れなのにこんなことを言ってしまうのは、些か自惚れが過ぎる。
わかっていても、名前を体現した君に倣ってなにか自分も引っ掛けたくなったのと、彼女の視線を独り占めするお日様に嫉妬して、そんなことを言ってしまった。
向き直ったキミの瞳は、沈みかけている空の輝きをいっぱいに吸い込んでいて。まるで、陽そのものを二つの虹彩に収めてしまったかのように煌めいていた。
そして――
「――――そうかもしれないわね」
キミが私の戯言を、笑わず、受け流さず、否定せず、只受け止めてくれたことがなによりも嬉しくて。
ううん、それ以上に。
なによりも、キレイだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
楽しい時間は決まってあっという間に過ぎ去るもので、気付いた頃にはようやく見えた太陽は西の山並みに沈んでいってしまった。
温泉街の暖色の照明が至る所から立ち昇る湯煙に映えて、まるで空気に色を付けたようにすら見える光景を見納め、私たちはこの街を後にした。
本音としてはこのまま一泊、この街で過ごすこともやぶさかじゃなかったけど、曰く、当日になってから外泊を伝えることは気が引けたらしい。サプライズにしないといけないルールは作らなかったけど、どうせなら秘密にしたいと思ったのは私も同じ。だから後ろ髪を引かれる思いではあったけど、行きと同じように車に乗り込んで、今はキングに運転を任せる帰り道。
山道を右へ左へ曲がるたび、後部座席に乗せてあるお土産諸々の入った袋がシャカシャカと鳴っている。
「お土産のお金までほとんど出してもらっちゃったけど、よかったの? 正直、この小旅行だけで私がやろうとしてることが霞んじゃいそうなくらいなんだけど」
家のソファと同じように、向かって右に私が座って左側には彼女が座る。ハンドルを握るキミは視線を動かさず、言葉だけをこちらに向けた。
「スカイさん。今日は楽しかった?」
「え? それは、うん。とっても」
「なら気にしなくていいわ。そのためにお仕事をしてお給料を貰っているんだから」
対向車線を走る車のヘッドライトが照らす横顔は、格好良かった。
たった今言われたこともそう。不慣れな夜道でも堂々と車を走らせる姿もそう。
私の知らないキミがいることは知っていたはずなのに、こんなにも素敵に思う姿もあったなんて。
明後日は、どうしようか。
期待なんて軽々と超えてしまうキミから受けるくすぐったいプレッシャーが伸し掛かってきて、深く深く、座席に身体が沈み込んでいく。跳ねまわる尻尾が背中とシートに挟まれて窮屈そうにしていた。
「それとスカイさん。実はあと一ヶ所、貴方を連れて行きたいところがあるの」
「これから?」
「そう。これから」
チラリと一瞬視線を向けて、不意にそんなことを言ってきた。
どうやら私の誕生日は、まだ終わりではないらしい。
ただでさえ120点の贈り物をくれているところなのに、まだまだ点数を伸ばそうとしてくる辺り、昔から続く上昇志向は変わらない。
泊まりを計画には入れてないと言っていたから、どこかの宿とかじゃない。さっきまで温泉街にいたんだから、たぶん、そういうのとも違う。
……………………。
(いや、あまり考えるのはよそう)
キミが考えてくれた贈り物。どうせなら、キミの言葉で貰いたい。
「いいよ。運転手様にお任せします。安全運転でどこへなりとも」
「ま、貴方ならそう言ってくれる思って、もう車はそっちの方に走らせているのだけど」
「おや。策士と言われたこともあるセイちゃんの思考を読み切るとは、やるねキング」
「十年以上の付き合いだもの。なんてことないわ」
しれっと言ってのけた十年って時間がいかに長いのか、この女の子はわかっているんだろうか。
今の私たちが二十代そこそこ。つまりはそれの半分くらいってことだし、ヒトの寿命で考えてみても、決して短いと切り捨てられる期間じゃない。生涯の内にそれだけ一緒に過ごせる人物が、いったいどれだけいるんだろう。
なんて、考えているうちに。間もなく車は山の中腹付近にある、開けた駐車場で停車した。
「ここよ」
車を停めてからサイドブレーキを掛ける音がやけに大きく響いた。
いわゆる展望スポットなのか。さっきまで私たちのいた街が車に乗ったままでも見下ろせる。宵の暗闇の中に浮かぶ温泉街の暖色は、さながら光のオアシスみたい。ダッシュボードに置いた腕にさらに顎を乗せ、そんなポエミーなことを考えた。
けどどちらかと言えば、ここは昼間に来て新緑や紅葉を愛でるための場所のような気もする。確かに眼下の風景は綺麗であるもののそれだけで、この駐車場も車道に立つ外灯から僅かばかりの光のおこぼれを貰うだけ。
遠慮ない言い方をすれば、殺風景だった。
「本当にここ?」
つい、訊き返してしまう。
「えぇ、間違いないわ」
念のためか、携帯で今いる位置を確認し直した上で、キミは答えた。
疑問はまだ残るけど、それなら信じてまあよしとする。
陽は西の峰に沈み、帳の降りた世界はもうすっかりと夜のそれ。月も出ていないのか手元も暗く、だからこそ麓の灯りがよく映える。
展望台。人の気配どころか自販機の一つもここにはない。時折山道を走る車が背後を行き来している音が聞こえるだけで、あとは私たちの二人きり。
今日は私の誕生日。一つ年を取る人生の節目。
答えたきり携帯とにらめっこを始めてしまった彼女に放っておかれる手慰みとして、客観的に今の状況を顧みてしまう。そして、つい、考えてしまった。
(告白、でもされそうだなぁ――――)
と。
無意識に浮かんでしまった単語に、遅れて顔が熱くなってくる。暗がりで、そう簡単に染まった頬に気付かれることもないんだろうけど、咄嗟に俯いて腕の中に顔を埋めてしまう。
いやいやないないと繰り返し自分に言い聞かせてみても、意識しないようにすればするほどむしろ注意を向けてしてしまうのが、心ってもののいやらしいところ。隠せていない耳が、あっちへこっちへ忙しなく揺れている。
「スカイさん」
「は、はいッ!」
「……そ、そんなに驚くことだったかしら?」
「ぁ、いや、ううん!」
動揺からつい大げさな反応をしてしまう。掴みどころのないセイウンスカイがこれじゃ形無しだ。
「それでッ! なに?」
「一度私は降りるけど、少しの間そこで待っていて」
「……? キングはどこ行くの?」
「どこへも行かないわ。本当に降りるだけだから」
不安がる子供を安心させる親のように、優しく言い聞かされる。無言でコクリと頷くと、彼女は一人ドアを開けて車から降りた。
それから今朝していたのと同じように、恐る恐る空を見上げて。今朝していたのと違うように、口元を綻ばせていた。
後半は暗がりのせいで確証はないんだけど、ただ、私にはそう見えたってだけ。
「じゃあ少しだけ、待っていて」
言って扉が閉められる。
けれどまぁ、光の少ない暗闇の中とはいえ、ガラス越しにキミの輪郭が見えるから不安はない。キミを信じて、キミを待つ。
そして間もなく、こっち側の扉が開いた。
「さ、お手をどうぞ?」
「なんだ。エスコートしてくれるってこと?」
「えぇ。だってこれが私から贈る、貴方へのプレゼントだもの」
下から差し出されるキミの右手に、私の左手をそっと添える。
指先に優しく包まれて、それだけで緑に冷まされた外気のことなんて忘れてしまう。まるで童話のお姫様のように、格好いい王子様に手を引かれ、馬車代わりの車から足を降ろす。
「この景色を、貴方に見せたかったの」
「あそこの夜景? 確かに綺麗だけど――――」
「そっちも綺麗だけど、見せたかったのはこっち」
キングが、空を指した。
釣られるように、私も、空を見上げる。そして、そこにあったものは――――
眩しくて、いっそ作り物なんじゃないかと疑ってしまうくらいの、数えきれない光輝く星々が果てのない空一面に広がっていた。黒いキャンパスに、白から始まって青や赤、黄色といった粒子が所狭しと詰め込まれているような。ほんのりと天の川や遠い銀河すら浮かび上がって見えている気さえしてくる。
満天。
本当に、その言葉がピッタリだと思った。天を満たすほどの星たち。
迫力に圧倒されて開いたままの口を塞ぐことは出来ないのに、喉から声はおろか呼吸をするのすら忘れてしまうくらい。
「焦ったのよ? 昨日まで今日はお天気って言ってたのに、今朝外を見たら一面曇っていたんだもの」
「すごい! すごいよキング‼ これだけの星空、私、見たことないよッ‼ 本当に、きれい――――」
「喜んでもらえたようでよかったわ。
――――貴方の名前に似ていると思ったの」
「? 私の?」
「えぇそうよ」
彼女は空いている方の手でもう片方の私の手も掴み、さらには同棲相手の癖でも移ったのか、歯を見せるようなイタズラっぽい笑顔で言った。
「星の空と書いて、『
――お誕生日おめでとう。スカイ」
心臓が、跳ねる音がした。
どうして?
キミが言ってくれた名前がとても嬉しかったから? その時浮かべた笑顔が、空に瞬くどれよりも輝いて見えたから? 言うのと同時に繋がれた手から、キミの温度がより伝わってきたから?
ドク
ドク
ドク
ドク
ドク
ドク
ドク
本当、敵わないや。キミにはさ。
高鳴る心は鳴り止まない。瞬く星は消え去らない。二人の世界は邪魔されない。
いつまでもいつまでも、このままでいい。
夜なんて明けなくとも、キミとこうしていられるのなら。くれた星空のあだ名だけで、私はどんな世界だって生きていけるから。
重なる手をぎゅっと握れば、もっと強く返されて。そこから伝わるキミの脈拍が、まるで母親が子供を寝かしつける時にする、お腹を叩くリズムのようで。
高鳴る胸も、逸る心も、熱い身体もそのままに、意識だけが、キミに溶けていく。
なのに――――
「へっくち」
どうして空気も読まず冷たい風が吹くのかなぁ。春着の薄い布地を突き抜けて肌を刺してきた冷風にくしゃみが出てしまう。
そんな私を見て笑うキミ。けれど咄嗟に羽織っていたスカーフを私の肩に掛けてくれて、もっと、キミに包まれる。
恥ずかしいけど、悪くもない。
それから二人で空を見上げながら、変わらない星空をずっと、ずっと眺めていた。
今日は四月の二十六日。
それは、私の誕生日。
これまでの人生で、最高だった一日。
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ホントに。