一般文書掲示板、区役所本部前には多数の人...仕事で分類すれば広報のみの人間が屯していた。1人を除いて。彼らは5区の掲示板にしては乱雑に中央に貼られた文書を時間をかけて1枚1枚撮影し、プリントアウトしていた。グループで来ていた新聞社職員はこれについて協議し、1人で来ていた区と区を繋ぐスパイはその文書が引き起こす影響と損害を計算していた。
その、広報の仕事をしていない1人はただ真剣に文書を見つめ、チーフが残したコードを読み取っている。
「2区の研究所が5区にも進出してくるのか?」
「あぁ、爆発跡地付近は地価が安いしな。最近ではスラムの形成も聞いちゃいるが...今回みたいに研究所が作られるとなると、また扱いも変わってくるんじゃねぇかな」
様々な声が聞こえる。彼女はそれを遮断しているわけではなかった。並行して謎を解いているだけ。十数分して、彼女はその場を離れた。裏ポケットから取り出したメモ帳にペンを用いて要点を整理する。
「...オーケー。また一仕事があるのね」
帽子を目深に被り、機械の真核部を脱する。彼女はこの雰囲気が嫌いだったが、公開された文書を熱心に見ている人なんて外郭には存在しないし、怪しまれないために致し方ないことだった。
「チーフは何やってんだか...曇天に覆われても太陽は煌々と照っているのに、闇にばっかり目を向けて...それも仕方ないか。一介の伝手として言わせて貰えば、もう少し給料を上げて欲しいけどね!」
彼女は路面電車に乗車すると、2区宛の手紙を書き始めた。このまま自分は爆発跡地を出入りする人物の後をつける事、地下に侵入し、パイプラインを見定めておくこと、スパイが組織内にいるかどうかチェックをすると言うことを記した。2区には手紙の中身までチェックをするが、それは組織間であれば対象外。「職権濫用は気にしなくていい」彼女の頭の枷を外す言葉だった。
それに、手紙の内容が盗み見られる筈もない。乗車している彼女の他の数名は皆下を向いているからだ。上を向くはずがないのだ。
電車の乗客は段々と減っていき、外郭に着く頃には彼女1人になっていた。車掌に切符を渡す時、彼女は聞いた。
「ここら辺に食事できる場所ってある?栄養食を出す店以外で」
車掌は答えた。
「もう少し先に進めばな。侵入者として獄中でパンぐらいは食えるだろうよ」
こりゃ一本取られた。彼女はケラケラと笑う。車掌は化け物でも見るような目で彼女を凝視した。それまで同じような質問は数えきれないほどされてきたし、そのアドバイスをして捕まった歯車は多い。車掌にとしては彼女の存在自体が信じられていなかった。
「まぁ、自分で何とかするよ。ありがとうね」
路面電車は反対方向に進み始めた。終着駅だと言うことを示すそれは5区の半ば見捨てられた部分、集合住宅街だ。
彼女はそのうちの一つ、半分地下に埋まっている箱型住宅の扉をノックした。返答はない。もう一回ノックをしたが、またも反応は無い。
「あら?」
彼女はポケットから一つの粉薬の袋を取り出すと、そのまま口に流し込んだ。そのまま目を閉じ、少し経つと、彼女の目は開いた。しかしその目は現在の周辺を見ているわけでは無かった。
「こりゃ...やられちゃってるね」
見えたのは武装した人間が扉を開錠させ撲殺する光景。後からその人間が鍵をかけていることから区の"調整"であることが窺えた。
彼女はもう一度目を閉じ、開けた。目薬を数滴垂らし、扉と向き合う。視界の端に映る瓦礫が不自然な形に積み上がっているのを見て、彼女は気がついた。瓦礫を退けると鍵が埋もれている。正規品ではない。素材が違うからだ。
「オーケー同志。故郷に反駁してまで遺してくれた鍵、有り難く使わせてもらうよ」
彼女はそう囁き、開錠した。
あるべき死体はそこになかった。しかし拭いきれない血痕はそこかしこに散見できる。書類は全部抜き取られ、通信用の機器は壊されていた。元々その通信機器は趣味で取り寄せられた彼の父のものだったが、怪しきは罰せよ。抵抗しなければこうなることはなかったと彼らは言い訳するだろう。
「何も得られそうに無い気がするなぁ...チーフのやることリストが減るのはいいことだけどここまで情報が吸い取られちゃってると慎重になっちゃうね」
「5区は気づいている」チーフはそう伝えてきた。その原因に多分この調整があるのだろうが、それが伝わるには最低限1日はかかる。
彼女は入り口にある瓦礫で簡易ながら墓の体を作り、メモを一枚剥がし、屍人の名前を書いて貼った。
「...責任は果たさないとだからね」
爆発跡地はここからは比較的近い。地図情報はそこまでないが一つアテがある。そこに侵入して跡地の謎を解明するのが彼女の仕事だ。
「魔王もピリピリしてるし、世界の混乱もおさまらない。ヘイダルの仲間にも最近裏切り者が出た。シナジーの濫用者も多い...本当に世の中変わったよね」
墓の前で彼女はそう言った。時代の変化に必死にしがみ付き、濁流を遡っている彼女たちにしてみれば世界を織りなす意識に一言ずつ文句を言っていきたいぐらいだ。
彼女の目の中は熱い決意が激っていた。
「私たちの姫もすぐに戻ってきてくれるはずさ。爆発に巻き込まれたとしても一度は無事なはず。あの執念があれば」
研究では過程に何が引き起こされるかわかったものじゃない。2区の研究員がまだ幼い子供に秘密裏に施術したことで5区に左遷されることだってあった。ただ、今となってはその赤ん坊を欲しているのはこちら側だ。
「救世主かもしれないし、混沌を引き起こすびっくり箱かもしれない。もしくはただの一般人か。他のシナジーを概念の理解していない人間への付与。今まで人体実験をしていないと言い張っていたけど、それが漏洩したら不味いからってね...」
彼女は不意に空腹を覚えた。あらゆるポケットを探すが食料が尽きたらしい。5区の物価からして人間の食べるものは2区の15倍ほどの値段だ。だからいつまで経っても5区は5区のままなんだ、と彼女は毒づいた。
「同志、ゆっくり眠ってね」
つけられたままの電気を彼女は消し、扉を閉めると蝶番に細工をして簡単に開かないようにする。もしこれを開けようとしたら大きな音がなり、通報されるだろう。彼女は次の一文を手紙に書き加えた。
"5区に殺されていた。"