「シルヴェット・ノズワーシー。では特別認可を取り下げると言うことで宜しいのですか」
ユイ・ペデェンスはガラスを隔てた奥の人物に言った。彼は全身粉だらけで、真剣な顔をしているペデェンスを虚に見つめている。
「かまわない、かまわないさ。僕の芸術が広く知られるのならそれでいい」
ペデェンスはその、目の前にいる偉人に言葉を返した。
「あなたの芸術が他者に渡り、『巧匠』の権威が建てる家が買えるほどの金が盗人に渡っても、そう言えるのですか。あなたは自分の作品を何か勘違いしているのかもしれない」
「いいや、勘違いなんてしていないさ。みんな、僕の作品を気に入ってくれているからね。それに付け加えるとね、僕は別に金にこだわっているわけではないんだ」
シルヴェット・ノズワーシーは足を組み直した。鼻で笑っているようにも、区長代理を解き下すようにも見える。いずれにせよ、迫力があった。
「代理様は自分の利益のために働くか、4区のために働くか、自らの口で述べたとしても民にとって信じてもらえるかはまちまちだろう。だから働いてみせる。それが4区のためであったら民は納得する。
それと同じですよ。僕は僕の利益のために絵を描いてるんじゃない。ずっと前から目標があって、その手順の一つが、僕の芸術を広げることだったんだ」
ユイ・ペデェンスは看守に目をやると、看守は即座に彼のテーブルから書類をひったくり、ペデェンスに戻した。
「正直、あなたが何故刑務所にいるのか、私には理解できません。あなたの罪状は特に荒唐無稽だと思うのですが」
「彼らが言うのならばそうなのでしょう。僕は別に自分の行いを常に信じているわけじゃないからね」
彼女は深く息をつくと、前に置いたメモとペンを自分のポケットにしまい、今までの高圧的な口調を少し改善させ、話し始めた。
「ここからは区長代理としてではなく、評論家の立場として話します。あなたの芸術は間違いなく4区に新たな風を巻き起こし、それは以降100年は安泰でしょう。あなたの芸術はあのバシリカを越すものになるでしょうし、芸術規格の候補にも上がるはずです」
芸術家は数度頷いた。看守も同意を示しているように頷いた。
「あなたは4区をどうするおつもりですか?」
瞬間、動きが止まった。彼の震える手は止まり、看守の笑顔は強張る。秒針の音が響く、彼は言った。
「別に」
十数秒間彼彼女は見つめ合った。目をじっと睨み、その奥を見透かしていた。彼女は立ち上がり、綺麗に回れ右をして、いつもの口調で言った。
「...良いでしょう。退出します。手続きを」
彼女が出てった後、看守がつぶやく。
「何がしたかったんだ?」
「知らん。もしかしたら吸収しようとしたんじゃねーの」
彼も立ち上がり、ポケットに石用ペンがあることを確認し、看守の開けた扉の先へ行く。独り言のように彼は呟いた。
「僕はただ芸術を限定させたく無いだけなんだけどな」
2年後に、彼は最後の芸術を残して獄中死をした。彼の最後の芸術というのは「シルヴェット」という名前で、柱を削ってできた彫刻だった。25歳、4区に衝撃が走ったのは事実だ。
そんな喪中、ユイ・ペデェンスは私的に、ある資料を請求した。内容は彼の親族関係、つまりは血族の追求で、それらの遡及員は毒付いていたし、難航した。ただ、手元に届いた資料というのはそれに見合う価値があった。
「見つけましたよぉ〜彼の親族たちぃ。大変だったんですからねぇ〜ほんと〜」
「角ばった雰囲気は嫌だ」と担当された遡及員の1人、ケフェイドは悪態をついた。
「僕のシンパシーを過信しすぎじゃないの〜?もうさぁほんとにぃ...」
ユイ・ペデェンスは彼を無視して資料を読み漁っている。ケフェイドもじきにだまり、机に身を乗り出し、まな板の魚みたいになっているまま読み終わるのを待っていた。
「彼は自分の芸術に関して無関心だった。自身の広げればそれで良いと言っていた。投獄されてからはどのような動きがあった?」
「彼のファンである看守が労働の功績とか言って石用のペンを渡したんだって。それによって芸術の道が続いた。まぁ、普通ダメなんだけどさ」
ケフェイドは魚の真似をやめ、きちんと向き合った。彼女は刑務所内での彼の佇まいを思い出していた。全てを知っているようで、格式高い、どこか人に対して諦めを持っているような目。彼の眼球は既にペンと壁の粉末のせいでほとんど見えなくなっていた。
「その時の看守が刑務所を新たに作ってしまってここを彼の自展会場にしようとか言ってるけど、まぁ無理だろうね。あとは〜...何かある?」
作品としての「シルヴェット」をペデェンスは見た。しかしそれは彼自身を表しているようには到底見えなかった。「自画像」という人も中にはいたが。彼女はつぶやく。
「『シルヴェット』とは、誰だ?」
遡及員は人差し指を口に当てる。目で合図を送ると、「仕方ない」と言った顔をし、ペデェンスはシンパシーを使って店内の鐘を3回鳴らす。
「ありがと。この合図まだ通じるんだね」
「この喫茶店はシルヴェットの建築様式が採用されている。彼の作品を一度でも見たことがあるならそれは理解できるだろう」
店内には2人しかいない。その2人は話を始めた。
「あなたがそれを知るには彼の親族を見なきゃいけないね」
彼の目線を察し、区長代理は秘密と書かれていない方の資料を開いた。そこには彼の親族に関するもので、遡及されるうちに大きく見開いて、ため息をついた。
「彼の親の親の親は『巧匠』の立役者のバシリカだってさ。ホント数奇な運命」
「...バシリカ含め、苗字はアプスだったはずだが」
彼は小さく息をつき、注文したクッキーを二つ同時に食べた。
「シルヴェット・ノズワーシーはアプス家から8歳2ヶ月の時点で追放されているよ。そこから2人、少女と父親がわりの爺さんに会って、14歳の時に投獄されたんだってさ」
「追放、か。4区規律上、血縁者と関係を断つのは不可能だったはずだが、まぁなんとでも抜け道はあるだろうな」
ケフェイドは気まずい顔をした。4区を良くするために働いているのだからこういう話は本来聞きたく無いだろうと思ったのだが、こちらもまた仕事だと割り切らなければならない。
「少女の名前はシルヴェット、爺さんはノズワーシーだってさ。少女は彼に絵の具と筆を、爺さんはキャンバスとかの道具を与えた。最後の作品の『シルヴェット』は多分そこからじゃ無いかな」
「コンタクトを取ったのか?」
遡及員は頷いた。
「シルヴェットさんには会えたよ。ノズワーシーさんは、亡くなっちゃったってさ。だからあんま詳しくは聞かなかったんだけど、話だけ聞いてトンズラしてきた」
「なるほど。シルヴェットの柱の下に少しだけ掘った跡があるっていうことは、まぁ察しはつく」
壁にかけられた彼の組み立てた「思考」という芸術とそれに似た建築様式。「思考の表現」とされた「巧匠」の緻密で無感情な組み合わせと全く反対。ペデェンスは言った。
「彼は復讐をしたのか?」
ケフェイドは腕を組み悩む。そして「わからない」ジェスチャーをしてみせた。
「『巧匠』の連中は彼の芸術をずっと批判していた。それが災いして今や建築技術以外で彼らについてくるものはいなくなったが、それも一度は突き放した相手だからか」
4区の血族を重んじる考え方と並行して頑固でもあったから、一度見做したものはもう変えない。まさか頓珍漢だと思った芸術がその本人の手によって大成されたのだからアプス家は焦っただろう。
「復讐にしてはオープンだったけどね。芸術を良い時間の使い所にしてくれみたいな感じだったから、大衆に芸術を広めたかったんじゃ無いのかなとも思うけど」
「どう足掻いてもアプス家は失脚したな。これからは『思考』が4区を彩るだろう」
そう言い終わった時、外から一枚の紙が放り込まれる。くしゃくしゃになったそれを戻すと、新聞のようだった。
「快挙、シルヴェット・ノズワーシーが『巧匠』の影響元、『アルカイク』確立者以来の4区芸術規格『傑作』を授与される...」
2人は黙り込んだ。外から群衆の大声が響く。
「シルヴェット万歳!芸術万歳!」