「いへっ!」
痛みがゆっくりとやってくる。目を開けて、体を反対にして天井を見た。雨漏りの水滴が目の間に当たる。そして左端に見えるのは黒猫の顔だった。
「...もしかして、キミが落としたの?」
ベッドの上から見下すような猫の視線。その猫は言った。
「いい気味じゃねぇか」
床に打ち付けられた鼻をさすりながら起き上がった。パキパキと床が鳴り、黒猫が入り込んだのであろう入り口が見えた。
ベッドに目をやる。ベッドのようなもの、だと思うけど。黒猫は予想以上に小さくて、ゆったりとした目でこちらを見つめていた。私は言う。
「キミ、意外と小さいんだね」
「うるせぇ」
吐き捨てるように猫は言う。立ち上がって、また雨上がりの水滴が頭に当たった。
「お前、なんでこんなとこにいんだよ」
黒猫は聞いてきた。ただ、私にもわからない。しばらく考えて、ここに来るより前のことも考えてみたけど、そっくりそのまま抜け落ちたかのように無くなっていた。
「記憶がねぇのか。まぁこんな廃墟に似合う人間なんて屍だろうしお前みたいな奴は流れ込んできただけだろ」
「確かにここは雨漏りがひどいね。ただ、優しい場所だよ」
猫は首を傾げた。私はベッドに座って黒猫を持つと、膝の上に乗せた。舌打ちをされたものの極度に嫌がったりはしなかった。
「逆にキミはどうして来たのさ」
「...こんな場所にこんなのがあるなんて知らなかったからだ」
私は周囲を見る。腐った木材でできた廃屋。雨上がりの太陽が差し込んできて、すこし幻想的な家。多分、私に似合う家。
「お前の名前はなんだ」
「私...?う〜ん...」
素っ頓狂なその質問に私は頭を悩ませた。この猫、さっきは私が記憶喪失かということに納得してなかったっけ?
「そうか。オレが名付ける」
「ついでにキミの名前も教えてよ?」
口から出かかった言葉を黒猫は飲み込んだ。私の名前は安易に決められるのに自分の名前はダメってことなのかな。だとしたら随分と自分勝手だけど。
「お前の名前はテミスでいいだろ。オレは〜....ピュラーでいいわ」
「...変な名前ね」
クスッと笑った。黒猫...ピュラーは拗ねたのか私から離れ、窓枠に飛び乗った。
「いいかテミス。おめぇはオレより頭が悪いし子供っぽい。だからオレの言うことを聞け」
「え〜なんで?キミ猫で私人間じゃん」
黒猫はため息をつくようにした。
「オレがちょっと体当てただけでベッドから落ちるようなやつがオレより強ぇかよ。あんま冗談言うな?」
あまり反論もできないので不貞腐れてもう一度寝転ぶ。ピュラーはジャンプすると、お腹の上に着地した。
「ふげっ!」
「お前はどうやって生きて来たんだ?食いもんもなければここは不潔だし、飲み物なんてこの雨ぐらいしかないだろ。山に登ったまま行方不明になったとしても慣れすぎてやがる」
汚れたワンピースがそれを物語っている。結局記憶がないのだから答えもないようなものだけど。
「ま〜生きてるならそれでいいんじゃない。私はそれでいいと思うの。ピュラーもそうでしょ?」
「...まぁ、な」
私は過去を振り返る。だけど、何もなかったかもしれない。
彼女は正常ですか?
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はい
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いいえ