日輪円舞   作:こくとー

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 その少年は、街ではちょっとした有名人。

 

「はい、おつりの二百円ね」

「ありがとうございます」

 

 ダボダボのトレーナーの捲られた袖から覗く小さな幼い手が酒屋の店主である老婆からお釣りを受け取り、首から下げたがま口へと放り込む。

 そして、一リットルパックの焼酎二本とその他各種酒の肴が入ったビニール袋を両腕で抱え上げてフラフラと店を出て行った。

 その小さな背中を見送り、老婆はため息を吐く。そんな彼女へと声を掛けたのは、角打ちもしているこの店のカウンターで飲んでいた数人だ。

 

「また、天沢の所の孫が来てたのか?」

「まあね……ったく、質の悪い祖父も居たもんだ。なまじ、金を持ってるからか酒ばっかりあの子に買わせるんだからさ」

「んあー……?天沢ってぇと…………」

「ほら、山の地主さ。少し前に、息子夫婦が死んで、それから祖父の爺さんが孫を引き取ったんだ」

「…………あの子、五歳ぐらいじゃありませんでした?」

「だから、儂らもちぃとばかし気にしてんのさ。ただ、なあ?」

 

 酒の入った桝を揺らして、老人は眉根を寄せる。

 彼だけではない、店主の老婆もそれから酔って顔を赤くする他の客も。首を傾げるのは、この街に来て間もない四十代の男性だ。

 

「何かあるんですか?」

「…………」

「ろくでもない男さ。それこそ、あの男の孫だって言うのに、ボウヤは真面だからね」

「ええっと……?」

「あの男の奥さんは、体の弱い人でな。その事を知っていながら、奴は放蕩三昧。性格は悪くとも、金だけはあったからね。奥さんの方も殆ど借金のカタに出されたようなものだったのさ」

「そ、れは…………」

「奥さんが死んで、息子とも上手くいってなかったみたいでねぇ。何年も前に出て行ってそれっきりだったんだが、一年前に事故でその息子さんが奥さんともども亡くなってね」

「何でも親類縁者は、その爺さんだけ。引き取られなけりゃ、孤児院にでも入れられたんだろうが…………まあ、あの有様さ」

 

 飲み干された桝が置かれ、酒精のこもった息が吐き出される。

 ありふれた悲劇だ。事故にしたって、交通事故で原因は睡眠不足のトレーラーが突っ込んできた事だった。

 老人にしても、そう言う人間のクズの様な存在はそこらに転がっている。

 

 そんな噂をされる少年は知る由もなく、夕闇迫る帰路を急ぐ。

 赤みがかった毛量の多い黒髪をポニーテールのように纏め、五歳児にしては確りとした足取りで真っすぐに家へ。

 しかし、順調に進んでいたその足は、はたと止まる。

 夕日を背にして、田んぼ脇のあぜ道にて少年が見つめる先。

 

「……キュウリ?」

 

 緑色の細長い野菜、キュウリ。栄養価が無いだとか揶揄されるが、しかしカロリーなどが低いだけで決して栄養価の低い野菜でもない。

 ソレが今、少年が見つめる先に居た。

 精霊馬というものを知っているだろうか。お盆の期間にキュウリで馬を象った形代の事だ。

 少年の前に現れたのは、正にソレ。ただし、その大きさと異常性を加味すれば全くもって伝統の欠片も無いゲテモノなのだが。

 まず、ウマの足に当たるであろう部分は割りばしではなく、太さのある人間の腕。それが都合四本あり、細長い緑の胴体より突き出していた。

 更に、棘と思しき部分は幾つもの目玉によって代替されており、そのいくつかは少年を捉えて放さない。

 何より、その大きさ。

 大型のワゴン車よりも更に大きい。足代わりの腕は少年を軽くつかめる程度の大きさを誇る。

 

――――ハァ……ハァ…………

 

 頭部であろう部分が縦に裂け、細かくも鋭い歯が幾つも並んだ口が現れ、涎が流れる。

 紛う事無き、化物だ。少なくとも一般人が相対して無事でいられる保証など無い怪物が、今まさに畦道に立ち、少年と相対していた。

 一歩、その右前足が前へと踏み出される。いやに、踏み躙られる地面の砂利が音を立てる。

 

「………」

 

 少年は静かにその怪物を見据えていた。

 だが、徐に腕に抱えていたビニール袋を地面に下ろすと、その口を縛って袋の中に砂埃が掛からないようにする。

 次いで手を伸ばしたのは腰の後ろ側。

 ダボダボのトレーナーの裾を捲れば、その下には幼い少年には不似合いな物騒な代物が仕込まれている。

 黒塗りの飾り気のない匕首。短パンのベルトループとベルトに捻じ込む様にして固定されていた鞘より抜かれた白刃には一切の曇りなく、よく手入れされている事が分かるだろう。

 逆手から、順手へ。匕首ではあるが、少年の体格から加味すれば宛ら打刀の如し。

 一陣の風が吹く。

 

――――オ……ォオォォオオオオ……!

 

 砂埃を巻き上げて、怪物が少年を食らわんと迫る。

 しっちゃかめっちゃかに振り回される四本腕。馬などの哺乳類の走りではなく、虫かトカゲ染みたその動きのままに猛烈な勢いで迫ってくるその姿は、幾つもある眼球が血走っている事と、それから縦に割れた口も相まって死を覚悟するには十分すぎる絵面だった。

 だが、

 

「…………フッ」

 

 小さく少年の口から息が吐き出される。

 深く沈んだ体は、次の瞬きの間にその場から一瞬で掻き消えた。

 何が起きたのか普通ならば、分からないだろう。だが、この怪物は違う。

 キュウリの棘に当たる部分が眼球へと置き換えられているのだ。要は、死角が殆ど存在しないという事。

 突進からの急ブレーキをかけて止まる怪物。その全身の目が忙しなく動き、その幾つかが獲物を捉える。

 標的(少年)は、怪物の真上を取っていた。

 振り被る匕首。夕日を反射して怪しく光る白刃は、落下の勢いとその幼い体に見合わない腕力による初速を持って振り抜かれた。

 

――――ギィイイアアアアアアア!?!?

 

 刃渡りおよそ、二十センチ。キュウリの化物を輪切りにするには数十センチは足りない筈なのだが、そのヘタの部分から凡そ数十センチの所、縦に裂けた口の一部を巻き込んで斬り飛ばされていた。

 どす黒いともいえる血を傷から吹き出す怪物。その間に着地した少年は、すぐさま怪物へと向き直ると匕首を閃かせて駆け抜けていく。

 怪物の反対側へと少年が駆け抜け、少し砂埃を上げながら止まって匕首の血払いを一振り。同時に、怪物の痛みによる絶叫が止まり、その体は文字通りバラバラとなって道に転がっていた。

 ぴくぴくと痙攣する肉塊?を尻目に少年は匕首を鞘へと収めると、少し離れた位置に置かれたビニール袋へと近づいた。

 一瞬で斬殺したとはいえ、元々時間的にも余裕があった訳では無いのだ。早く帰らねばならない。

 五歳児には本来重いであろう袋を再び抱え上げて帰路を急ぐ足――――は、しかし再び止められる事になる。

 響くのは拍手の音。それも、少年の後ろの方から。

 

「こうして片田舎に足を運んでみるものだね。思わぬ掘り出し物が見つかる事もあるから」

「…………やっぱり、声を掛ける気になったんですか?」

「気付いてたんだ、やっぱり。まあね、デビルハンターが出張った訳でもないのに妙に悪魔の被害が少ない場所があって、その理由を担っているだろう子供が居れば声を掛けるんじゃないかな」

 

 地平線へと沈もうとしている紅い太陽を背に、その日の光にも負けない鮮やかな赤い髪の女性は無表情でありながら口元に僅かな笑みを湛えていた。

 白いシャツに黒のネクタイ、黒のパンツスーツ。宛らキャリアウーマンか、もしくは葬儀屋の様な出で立ち。

 特に、その端正な顔立ちに合わさる同心円状の瞳が印象的だろう。

 ジッと女性を眺めていた少年は、しかし不意に視線を切った。

 

「ごめんなさい。僕は、お爺様にこれを届けないといけないんです」

 

 胸に抱いた二本の焼酎パック+酒の肴入りのビニール袋を見せて帰宅したいという意思を示し話を打ち切ろうとする。

 別段、先の怪物退治を見られた事に対しては特に何とも思っていない。今の彼の中にあるのは、用事を済ませなければならないという思いだけ。

 女性はジッと少年を見つめ、徐にそのつややかな唇を動かした。

 

「それじゃあ、ついて行っても良いかな?私もキミに用事があるんだ」

「……少し歩きますよ?」

「ウォーキングは好きだよ」

 

 言って、彼女はスタイルの良い足を動かして少年の隣に並び立つ。

 

「荷物、持ってあげようか?」

「大丈夫です」

 

 警戒心からか、すっぱりと女性の申し出を断る少年。そのままスタスタと前へと歩いて行ってしまう。

 随分と大人びた、歳不相応の硬さを持った少年。だが、女性の興味対象は、そのような些事ではなかったりする。

 

(キュウリの悪魔を単独討伐……珍しくはないけど、あんな子供が、ね)

 

 少年が気付いていた様に、女性は最初から見ていた。

 明らかに、五歳児の身体能力と技のキレではない。

 

 所詮は暇潰し。彼女は、玩具を欲していた。

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