日輪円舞 作:こくとー
期間にして、凡そ一週間を少し過ぎた位。
久しぶりに踏んだ日本の地で、天沢エニシは一つ息を吐き出した。
白いシャツに黒いネクタイを結び、下は黒のスラックスとローファー。刀を背負って、その上から更にリュックを背負ったその格好は、凡そ一週間ほど前に、日本を旅立った時と同じような恰好だ。
手続きを終えてロビーへと足を進めれば、賑わいを見せているが、その一方で妙な空白も出来上がっていた。
「――――マキマさん」
久しぶりに見た、綺麗な赤毛。
思わず声を掛ければ、同心円状の瞳が向けられそして軽やかな足取りで近付いてきた。
「お帰り、エニシ君」
「はい、ただいま帰りました」
頷く同居人を前に、マキマは薄く微笑むと僅かに腰を曲げて顔を近づけた。
そして右手を持ち上げて、見慣れない髪形となったエニシの髪を撫でる。
「お揃いだ」
「はい。ピンツィさんに、してもらいました」
「へぇ……」
僅かに、マキマの目が細くなり声のトーンが下がる。
一応、岸辺からの説明でエニシの同行者が女性である事は聞き及んでいた。
その時には適当に返したのだが、こうして手を出されたという現実を直視すると胸の内に言い様の無い黒い感情が浮かんでくる。
ドロリとした熱と重さを持った感情。名前を付けるならば、“嫉妬”だろうか。マキマ自身は自覚していないが。
撫でる様に右手が動いて三つ編みを撫で、その一番下で留めている髪紐へと触れる。
前に、エニシの髪を纏める為にマキマが贈った髪紐だ。シンプルながら激しい動きにも付いてこれるだけの強度を持つ逸品。
結ばれたソレを、サラリと外せばそこまで確りと固定されていた訳でもない三つ編みはアッサリと解れてしまった。
「マキマさん?」
「少し後ろを向いてくれる?」
周りの目など気にしない。肩を掴んで振り返らせて、三つ編みをしていたために絡まった髪へと手櫛で軽く梳かしていく。
特別な手入れなどはしていないが、その黒髪に指の引っかかる様な傷みは無い。
手慣れた様子でマキマの手が動けば、瞬く間にエニシの髪は再び三つ編みに。正確には、マキマと同じ髪型へと変わっていた。
「これで良し……ふぅ」
髪紐で留めた所で、マキマはエニシの首へと腕を回した。
互いの頬が擦れ合う距離。リュックと刀が間にあるとはいえ、随分と近い。
「色々と聞きたい事はあるけど、まずはご飯でも食べに行こうか。なにが良い?」
「…………白いご飯?ですかね。麺やおかゆはよく食べてましたけど」
「それじゃあ、お寿司に行こうか」
離れながら、右手でエニシの左手を取る。
周りからは似ていない姉弟の熱烈な再会劇に見えていた。知らぬは、当人たちばかり。
外で待たせている車に向かう道すがら、マキマは問う。
「そう言えば、エニシ君。上着は?」
「寒そうな子が居たので、その子にあげてしまいました」
「キミは、変わらないね」
――――私は、こんなにも揺らいでいるのに
*
庶民では踏み込むことは愚か、場所すらも知らない店、というモノが世の中には存在する。
店主含めた従業員は、何れも口が堅く、尚且つ個室などには基本的に足を踏み入れない。
「悪魔の様な人間?」
「正確には、悪魔に変身できる人間、ですかね」
そう言って、エニシは稲荷寿司を頬張った。
対面のカウンター席ではなく、小さな個室が幾つもあるその寿司屋のとある一室。
メニューは無く、その日の仕入れ次第で内容が変わり、客が注文する上で聞かれるのは食べる量位か。
一枚板の座卓を挟んで向かい合った二人の話題は、専ら顔を合せなかった期間の事。
「会ったの?」
「二人ほど」
「殺せた?」
「いいえ。真面に戦ってませんから」
食事をしながら交わすような会話ではないのだが、二人の顔色はちっとも変わらない。
殺し殺されは、デビルハンターの常。率先した話題では無いものの、それでも日常会話の一幕に血腥さが見え隠れする。
「そうだね……昔は、彼らにも名前が在ったんだよ」
「昔は?」
「今は無いの。仮称としては、“武器人間”かな」
「武器………」
「彼らは、自分の体に変身するためのトリガーを有している。通常の人間には見られない部分がね。加えて、不死身だ。首を刎ねて一時的に殺すことが出来たとしても、血を補給させるか、或いはトリガーを再使用する事で復活できる」
「便利ですね」
「そうでもないよ。出血多量で動けなくなることは、人間と同じ。死ななくても、行動不能にすることも出来るからね」
キミなら造作もないよ、とマキマは湯呑に口を付けて傾ける。
マキマの言葉を受けて、エニシは件の二人を思い出す。
確かに、人体を貫いて粉砕して余りある破壊力の矢を遠方から撃ち続けるクァンシと、人体程度軽く吹き飛ばせる爆弾頭は、どちらも強大な力を有しているのだろう。
少なくとも、そこらのデビルハンターや悪魔では敵わない。
しかし、エニシの危機感を煽るには力不足と言わざるを得ない。彼にしてみれば、死なないだけで巻き藁と何ら変わらないのだから。
因みに、彼のジャケットは件の爆弾頭にあげてしまった。マキマにバレれば、修羅場ってしまうだろうがエニシがそこに思い至る事はない。詳しく説明を求められればアッサリと語ってしまうだろう。
ポツポツと言葉を交わしながら、良い時間になった頃。
寿司下駄の上も綺麗になり、湯呑も空。
「それじゃあ、帰ろうか」
「…………そう言えば、マキマさん。僕が居ない間に、家の掃除ってしましたか?」
「……」
立ち上がったマキマへと真っすぐに向けられる目。
同心円状の瞳がそれを確りと受け止め、そのままスッと逸らされる。
「マキマさん?」
「…………」
「掃除、してないんですね?」
「…………」
「出張は、何日もかからないって話でしたよね?」
「…………」
「……とりあえず、寝室だけは掃除しますからね?」
いつもの微笑を浮かべたまま、一切隣を歩くエニシに目を向けようとしないマキマ。
仕方がない。だって、ホテル暮らしの方が楽だもの。料理や掃除は、ぶっちゃけエニシがやった方がマキマより上手なのだもの。
歩いて帰る道すがら、コンコンとエニシのお説教は続く。
結局、マキマがエニシの後ろに回り込んで頬を両手で挟み込む事で黙らせる事に。そのまま久しぶりの感触をここぞとばかりに堪能した。
そして漸く辿り着いた我が家。
「お風呂に入ろうか」
靴を脱いだマキマの第一声である。寿司を食べに行くのと同じような気軽さ。
正直な話、エニシの置かれた環境が悪すぎた。
一応、体を拭いたりはしていた。ニオイのきつくなる様な物もなるべく食べないようにしていた。ホテルでもシャワーを浴びた。
しかし、
マキマにとって、ソレは不快だ。気付いたのは、エニシの髪を結び直している時。
「?とりあえず、掃除をしてからですね」
そしてエニシは気付かない。
彼の頭の中では使った下着や、シャツの洗濯から今日までの部屋に溜まった埃払いや風呂の掃除、それから冷蔵庫の中の賞味期限並びに消費期限の確認作業等々。兎にも角にも、風邪明けの主婦の様にやるべき家事があるのだから。
クルクルと動き回るエニシ。硬くなった食パンやら、萎びたレタス、皺の多いトマト、色の悪い肉など色々と発掘された冷蔵庫は中々に悲惨だったと言える。
幸い、明日はゴミ収集日。黒いゴミ袋に一通りの期限切れ食材を突っ込んで口を閉じ、更にその上からもう一枚ゴミ袋を被らせた。
整理を終えて掃除機を手早く掛けて、続いて風呂掃除。
マキマは手伝わないのか、と言う話だが中途半端な手伝いと言うのは逆に仕事をこなしている側からすれば要らぬ世話である事が珍しくない。
少なくとも、エニシの場合は手伝いがあるよりも一から十まで一人で熟した方が速い。
暫くして、
「沸きましたよ、マキマさん」
「ん。それじゃあ、入ろうか」
呼びに来たエニシを伴って、マキマは浴室へ。
補足をすれば、疚しい事は一つもない、と記しておくとしよう。