日輪円舞 作:こくとー
まだまだ新米のデビルハンターである姫野は、未だに悪魔との契約には漕ぎつけていない。
これは、岸辺の方針だ。悪魔の力を頼りにする事も、悪い事ではない。が、最後にモノを言うのは地力に他ならない。
体術を仕込み、武器術を仕込み、悪魔の思考回路と次の行動を予想するだけの知識を付ける。それだけやっても、死人は後を絶たない。
「ッ!」
姫野がこの一発を躱せたのは運が良かったからだろう。
古木などが折れて出来上がった山中のギャップ。
見通しの良いこの場で、姫野は体を横に投げ出すように大きく回避を見せていた。直後に、彼女の背後にあった巨木がその幹を大きく粉砕され薙ぎ倒されていく。
「よ、よよ避けるなッ、よ」
残骸となった丸太を蹴り飛ばして突っ込んだ森の中から這い出して来るのは、三メートル程の異形だ。
黒い外骨格に鉤爪の鋭い四本の腕。異様に発達し、鋭い棘のある両足と、それから頭部に揺れるのは二本の触覚。背中には薄い二枚の翅が重なり合っていた。
この異形こそ今回の民間から上がってきた依頼内容の相手。
“
昆虫系の悪魔というのは、その名の由来となった種の特徴を持つ者が多い。
加えて、強い。純粋に、フィジカルが人間のそれとは一線を画すのだ。
先程も、殆ど消えたようにしか見えない速度で跳び蹴りを放ってきており、姫野が躱せたのは相手が直線運動しかできない知能と、性能しかなかったから。
手数は二倍、脚力は数十倍。とてもではないが、新人が相手取れるような存在ではない。
「交代です、姫野さん」
「ッ、何とか出来るの!?」
ふらりと姫野と悪魔の間に立つエニシ。
その背に鋭い声が飛ぶが、何の返事も返すことなく彼は自身の愛刀を引き抜いた。
構えない。ただ、両手順手で柄を握り、その切っ先は地面に向いたまま。強いて挙げれば下段の構えなのだが、構えと呼ぶには脱力が過ぎる。
悪魔は首を傾げる。知能が低いと先の述べたが、裏を返せば本能が鋭いという事でもあるのだ。
その、生存本能に目の前の子供は引っかからない。
殺意も殺気も無く、ただただそこに無表情で突っ立っているだけ。
悪魔は、醜悪な口に笑みを浮かべた。
「お、お前食いでが、な、なな無ざぞう、だ!うじろの゛奴を渡せば、み、見逃してやる、る」
「――――結構です」
その声は、
「えっ…………」
呆然とした声を漏らしたのは、姫野。
彼女は一度も瞬きをした覚えもない。にも拘らず、気付いた時には目の前からエニシの背中は消えており、いつの間にか相対していた悪魔の更に向こう側へとその背中は動いていた。
何が起きたのか、何をしたのか。欠片も分からなかった。
「カッ――――!?」
ビクリ、と悪魔の体が跳ねる。同時にその体はバラバラの肉片となってその場に崩れ落ちてしまう。
成人男性の掌に収まる程度の肉片の山。誰が成したかなど一目瞭然。
その斬殺劇の主であるエニシはというと、刀を鞘へと収めて踵を返し、徐に肉片の山を物色し始めた。
表面を軽く漁り、その中の肉片の一つに手を突っ込む。
引き摺りだすのは、彼が指で摘まみ上げることが出来る程度の大きさの何かだった。
「何、ソレ」
「銃の悪魔の肉片ですよ」
「ッ………」
座り込んでいた姫野の目の色が変わる。
彼女がデビルハンターを志した切欠が、正にその悪魔であるのだから。
気付いているだろうに、エニシは肉片をポケットから取り出したハンカチで包むと、そのまま懐へと仕舞ってしまう。
「僕ら公安のデビルハンターには、この銃の悪魔の肉片を回収する事も仕事の一つになります」
「…………何で、そんなものがある訳?」
「六年前に出現した銃の悪魔は、その巨体と圧倒的な移動スピードの結果、末端部位が空気との摩擦に付いてこれずに脱落しているんです。この脱落した肉片を悪魔が取り込む事で強力になります」
「今回も、そうだった訳ね」
「事前に分かるものではありませんけど…………公安に回ってくる仕事の場合は確率は高いですよ。確実ではありませんけど」
「…………」
「破壊は、極力無しです。已むに已まれず、或いは広範囲攻撃に巻き込んでしまった場合などはその限りではありませんけど」
恨み辛みは並々ならぬものがある。しかしその一方で、激情任せにエニシに飛び掛かってもいなされるのが落ち。同時に、肉片持ちの悪魔の実力というモノも知ることが出来た。
「…………悪魔の契約って直ぐにでも出来ると思う?」
「可能ではあると思いますよ。公安が管理する悪魔も居ますし、個人的に契約する、という方法もあります」
「公安に?」
「有名どころなら、狐の悪魔じゃないですかね。彼女は、イケメンなら契約対価もそこまで取らずに頭部を貸してくれます」
「狐、ねぇ」
「補足をすると、対価が重いからといって必ずしも強力な悪魔という訳では無いんです。彼らにとっては欲しいものを指定して、その代わりに自身の力の一部などを貸しているに過ぎないんですから。この辺りは、僕よりも岸辺さんの方が詳しいでしょうから、そちらにお願いします」
基本的に、悪魔に善意を期待してはいけない。
そもそも根本的に彼らは別の存在であるのだから、人型に近ければ思考回路も似てきて友好的な場合もあるが、それでもやはり
エニシは、チラリと姫野へと視線を向けた。
諭す気も、復讐を止める気も、彼には無い。ただ、気に掛けるだけ。少なくとも、同じ任務を受けた際には守る位はする。
数度の深呼吸を経て、姫野は立ち上がる。
複雑な心境であろうとも、仕事を前にそれらを飲み込む精神性を彼女は、既に持ち合わせ始めていた。
「…………そう言えば、天沢君は師匠の事をさん付けで呼んでるけど、なんで?」
「何年か前に、任務をご一緒した際に免許皆伝と言われたからですよ」
話を変えるために姫野は、少し気になっていた事を問うていた。
因みに、その時の任務では背中合わせに戦う事になり、人も悪魔も入り乱れる様な乱戦となっていたりする。
更に補足をすれば、エニシは岸辺に戦い方を習ったりはしていない。精々が悪魔に関する知識と経験則を座学ついでに教わった程度だ。
兎にも角にも、任務は呆気なく終了。見回りついでに、詰所へと戻るだけ。
「報告書の方は、僕の方から上げておきますから、姫野さんは上がってもらっても大丈夫ですよ」
「え、良いの?」
「はい。任務が他に入っているようなら、そっちに行ってもらいますけど…………」
「ええっと……うん、特に入ってないかな。でも、本当に良いの?」
「僕から言い出した事ですから。それに、デビルハンターの仕事は激務です。羽を伸ばせるときに伸ばしておいてください」
ひらりと手を振って、エニシは姫野を送り出す。
悪魔とのやり取りは、命のやり取りだ。当然ながら、ソレは大きなストレスとなる。
無論、折れるようなら退職をするかもしくは、民間に移るか、或いは死ぬか。選択肢などこれ位。その一方で。続ける意欲がある新人に対しては、教導係が折を見てガス抜きをさせる事も多いのだ。
万年人不足の組織。見込みのある者が、少しでも長く籍を置いてくれた方が何かとはかどる。
姫野を送り出して、エニシが向かうのは一課の部屋。その部屋の隅に設けられた面談スペースで報告書を仕上げていく。
数年で随分と慣れた書類仕事。走らせるのは、ボールペン。
そんな彼とテーブルを挟む様にして、誰かがドスリと黒い革張りのソファへと腰を下ろした。
「姫野はどうだった?」
「筋は良いと思います。銃の悪魔への憎しみは見て取れましたけど、ソレはソレ、と心に蓋をする程度は出来るだけの理性もありました。懸念点としては、一般人に近い感性を如何に覆すか、ではないですかね。あの人は、優しい人です」
「そうか……」
小さく言葉を返して、岸辺はスキットルを呷る。
姫野を先に休ませたのは、彼女自身を休ませる他に直接こうして岸辺への報告を行うためでもあった。
言葉は交わしていない。最初の悪魔の資料に紛れ込ませており、視界の端に要件を捉えた時点でエニシが回収、破棄済みである。
「悪魔を殺すには、頭のネジを緩める必要がある。どれだけ化物と頭の中で理解しても、生き物をそのまま殺す事には抵抗を覚えるからな…………酒でも飲ませるか」
「姫野さんは、まだ十八じゃありませんっけ?ダメですよ、未成年飲酒は後にも尾を引くんですから」
「……お前は、別の面でイカレてるな」
「僕の話は良いじゃありませんか。後、姫野さんは近々悪魔の契約をしたいと言ってくると思いますよ。岸辺さんの方で選定してあげてください」
「契約か……お前ならどうする、エニシ」
「そうですね……姫野さんの身体能力なんかは、あくまでも鍛えた人の範囲を大きく逸脱する事はないと思います。ですので、悪魔の一部を借り受けて攻撃する狐の悪魔の様なタイプが良いんじゃないですか?」
「俺も同感だ。寧ろ、俺やお前、
「そう言えば、クァンシさんからこの前、手紙が届きましたよ」
「ほお……アイツが、手紙?」
「はい。といっても当たり障りのない近況報告でしたけど」
「アイツがタバコ、酒、女の他に筆を執る、か。想像つかねぇな」
昔からの知り合いであり、同時に並々ならぬ感情を向けた相手の思わぬ一面。
とはいえ、嫉妬など別段覚えはしない。子供相手に目くじらを立てる筈もなく、というか彼だって寧ろ目の前の子供を可愛がっている大人の一人だったりする。
「……っと、書けました。岸辺さんのデスクに置いておけばいいですか?」
「ああ、それで良い。この後は、用事はあるのか?」
「スーパーによって、夕飯の買い物をしますよ。今日は、とんかつです」
「そうか」
余談だが、デビルハンターを続けていると肉が食えなくなる者が居る。理由は御察しだ。
丁寧に挨拶して報告書を提出して退室していったエニシ。
強い子供。
なまじ、こんな血腥い世界に生きているからか、岸辺は破綻する人間というのを何人も見てきた。
そんな彼から見て、エニシは壊れた上で常人と同じ振る舞いが出来る異常者、といった所か。だからこそ、デビルハンターとしての仕事を一切瑕疵無く熟せるのだが。
気に掛けているが、気に掛ければ気に掛ける程、彼の飲酒量は増える一方だ。
「……ハァ…………」
多分に酒精を含んだ熱い息が、ヤニに黄ばんだ天井に漂っていく。