日輪円舞 作:こくとー
目覚めの朝。例え、前日にどれだけ遅く寝たとしても正確な体内時計に従って体は勝手に覚醒する。
「………む」
瞼を開けたエニシは、自分の右半身、取り分け右腕に引っ付く熱に片方の眉を上げた。
目だけで見れば、赤い髪の毛が確認できる。
二年ほど前に、ぐんぐんと背が伸びて同時に体格も確りとしてきたエニシに合わせて新調したキングサイズのベッド。
縦は2メートル程、横幅1.8メートル程。かなりの大きさで、これ一つ置くだけで寝室の大部分が埋まってしまった。
そんな広々としたベッドではあるのだが、しかしその使用面積は広くはない。寧ろ、狭いとすら言えるだろう。若しくは、無駄。
というのも、共に寝ているマキマが引っ付いてくるから。
就寝時は、並んで寝るとはいえ十分に寝返りを打っても大丈夫な程度の距離感を持って眠る様にしている。
しかし、起きる時には大抵上記の様な状態となっていた。
エニシは、眠る時の姿勢から一切動かない為、動いているのはマキマで確定。基本的に、エニシの右腕を抱き枕の様にして眠っている。
成人していないとはいえ、既に日本人の平均身長を超えて確りとした大人の男としての体格を得ているエニシと、中身はどうあれ抜群のプロポーションを誇る美女、マキマ。
そんな二人が同じベッドで寝て――――何も起きてはいなかったりする。
原因というべき物の一つに、エニシの枯れっぷりが挙げられるだろうか。
ぶっちゃけ、この年頃の男性ならばその性欲は、猿同然だろう。有り余る体力と好奇心が、そのまま精力へと還元されているかのような漲りっぷり。
ソレが、エニシには無い。淡々としており、同時に生理現象としてのそういう反応はあれども、それ以外ではほぼ何もない。
性欲が無い、と言う訳では無いだろう。何せ、人間の三大欲求の一つで後の世代に子孫を残すという観点からも多くの生物が切っても切り離せない欲求なのだから。
エニシも、人間だ。超然的な部分があれども、この本質は変わらない。
この枯れっぷりの原因の一つは、マキマにある。
補足をすれば彼女が何かしらの方法でエニシの性欲をぶち殺した、と言う訳では無い。
事は単純、幼少期からの積み重ねだ。
愛を知らずに幼少期を過ごしたエニシに対して、マキマは出会ってから間があったとはいえ、彼女なりの愛情を注いで接してきた。
過剰ともいえる、ボディタッチと共に。
母のようであって、母ではない女性。エニシの立場からすれば、マキマという存在は保護者であれども肉親ではない。
そんな女性から日夜、手を引かれ、抱き着かれ、背負われて過ごしてきた。
「…………」
無言で空いた左手でその指通りの良い髪を梳いて、頬を撫でれば僅かに瞼が揺れる。
エニシがマキマに抱く感情を呼ぶとするなら、ソレは“愛”だろう。しかし、それは“恋愛”ではなく“親愛”に近い。
大切に思っている事は間違いないだろう。少なくとも、彼の中での優先順位は知り合いの中でもマキマが最も高いのだから。
「…………おはよう、エニシ君」
「おはようございます、マキマさん」
朝の挨拶を交わして、今日もまた始まる。
*
その男が刀を振るう時、そこには日輪が見える。
「――――フゥ」
血払いの為に振るわれた刃から血糊が飛んでアスファルトを汚す。
凡そ十年以上使っているが、刃が草臥れる様子も無ければその他にガタが来る様子も無いのは手入れを確りとしているからか、或いは別の要因か。
刀を鞘へと収めれば、事が終わったと判断されたのか周りを囲んで規制線を張っていた警官隊の一人が駆け寄ってくる。
「お疲れ様です」
「はい。そちらも被害などは出ていませんか?」
「天沢君が来る前に民間のデビルハンターが数人と、警官の方で数人出た位さ。寧ろ、大型の悪魔を相手に被害は少ない方だろうよ」
「そうですか……後は、お任せしても?」
「ああ」
顔馴染みの警官に断りを入れて、エニシはその場を離れた。
遠くへと行く背中を見送りながら、警官の胸の内に過るのは苦い感情だ。
悪魔と対峙するのは、何もデビルハンターだけではない。警察官もまた、通報を受ければ連携をすれども、時間稼ぎに突っ込まされる、或いは見回り途中で悪魔と出くわしてその命を落とす事も珍しくは無かった。
腕利きのデビルハンターが暴れれば、それだけその被害も少しは軽減される。だが、だからといって子供におんぶにだっこな立場に甘んじられる程、彼は人間性を捨て去る事など出来はしなかった。
そんな苦々しい思いを抱かれているとは露と知らず、エニシは見回りと言う名の散歩を再開していた。
彼の基本の行動範囲は首都圏内。その行動法は徒歩だ。
ぶっちゃけ、やろうと思えば高速道路を生身で疾走する事だって可能な彼にとって、車による移動など正直行動制限以外の何物でもない。
街中を刀を差して歩くスーツ姿の青年。時代錯誤か、治っていない中二病、或いは危険人物か。兎にも角にもいい印象を持たれないだろう見た目であれども、当人は気にしない。
自然と避けられて開いた道を歩き、時折適当な店のショーウィンドウを眺めて首を傾げ、信号を待って横断歩道を渡って、街の喧騒に紛れる異音や異臭に気を配る。
そしてその足が向かったのは、とある公園。
広くも無く、狭くも無く。しかし周囲の植え込みの影響で、外から中を確認するとどうしても幾つかの死角が存在し結果時間帯によって不良のたまり場になっている様な、そんな公園だ。
「…………お久しぶりです」
「ああ、久しぶりボウヤ」
振り返ったエニシと相対する、眼帯の麗人。
「それにしても、今日はどうしたんですか?応援要請は………出てませんよね?」
「観光だよ。
「ピンツィさん達も、ですよね」
「彼女たちは、公園の入り口近くで待ってもらってるよ」
煙草へと火を着けて、紫煙をなびかせるクァンシ。
彼女が日本に居るのは、先の言葉通り羽を伸ばす為。ドンパチは不本意であるし、そもそも日本は公安含めた別のデビルハンターの領域だ。そこで無造作に悪魔を殺せば無駄な諍いを生む事になる。
「それにしても、随分と大きくなったじゃないか、ボウヤ。もう、そう呼べないか」
「呼び方は、好きにしてもらっていいですよ。一応、僕はまだ成人してませんし」
「…………そう言えば、私との初仕事がそもそも十の頃だったか」
あの得体の知れない子供が随分と大きくなった。クァンシは隻眼を細めて、同時にその実力の底知れなさを無意識の内に感じ取っても居る。
強い、弱い、と論じる領域に無い、と昔にも思ったが今は最早その時とは文字通り桁違い。
その異様な在り方の為に、気付けた、というのもある。
(
間違いなく殺される。いや、クァンシはその体の特殊性から死なないのだが、仮に悪魔の力を用いても敵わない。そう判断した。
クァンシの頭の中の算盤など知る由もないエニシはというと、
「暫く、こっちに居るんですか?」
気の抜けるような事を聞いてくる。
仕事として敵対しなければならないならば刀を抜くだろう。
しかし、そうではない。クァンシは本当に観光の為に日本を訪れているし、であるのならエニシとしても旧交を温める事にも抵抗はない。
「まあ、ね。ガイドでもしてくれる気か?」
「そこまで詳しくは…………精々が、お店を紹介するくらいですよ。個室で、尚且つ魔人にも物怖じしなくて料理が美味しい。そういうお店は限られますし」
周りの目を気にするほどナイーブな面々ではないが、それでも不躾な視線というモノは大なり小なり影響を与える。
その点、エニシからの申し出はクァンシとしては渡りに船だ。自分達は気にせずとも、積み重なれば煩わしい。
幸いと言うべきか、金銭面は気にする必要が無い。
煙草を半分ほどまで吸い、クァンシは目を細めた。
「なら、ボウヤに案内してもらおうか。そういう店なら、勝手を知ってる人間が居た方がいい。何なら、ボウヤの方からも何人か見繕えばいいさ」
「食事会、って事ですか……あ、でも、日時の擦り合わせはどうしましょう?」
「私たちの泊っているホテルの住所を教えておこう。後は、受付に伝えておけば良いさ」
「成程、分かりました。僕が選んだ人で良いんですよね?」
「ああ。もっとも、
含みのあるクァンシの言葉だが、エニシもその辺りは了解しているつもりだ。
混沌の食事会、開宴