日輪円舞   作:こくとー

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 夕焼けの邂逅から暫く。

 日もとっぷりと暮れて街灯の無い道は、月明かりだけが頼りだった。

 

「「…………」」

 

 畦道を行く二人の間に会話は無い。

 警戒心があるから、というよりも二人揃ってそこまで話題が無いから。

 ただ黙々と、しかし女性の方は少々歩調を緩めながら、暫く。

 山の入り口に足を踏み入れ少し上った所で大きな平屋が現れた。

 低い垣根から室内では明かりが点いている事は確認できるのだが、その一方で玄関は真っ暗。

 女性が目を細めるが、少年は躊躇なく玄関へと手を掛けてその引き戸を開いた。

 

「どうぞ」

「良いの?」

「こんな時間に、女性一人帰せませんから」

「…………君、本当に五歳児?」

 

 女性の問いに答える事無く、少年は真っ暗な玄関で靴を脱ぐと脇に揃えて室内へ。

 向かうのは、唯一明かりの点いている部屋だ。

 

「ただいま戻りました、お爺様」

「遅いッ!!酒を買うだけで何をちんたらしておる、この凡愚が!!」

 

 出入り口の襖を開けて帰宅の挨拶をすれば、返ってきたのは罵倒とそれから中身の入ったぐい吞みだった。

 割れないようにキャッチすると同時に、中に入っていた酒が零れて少年と床を濡らす。

 そのまま部屋に入ると、白髪の老人が付くちゃぶ台の上にぐい吞みを置き、更に買ってきた酒のパックを袋から出してつまみと一緒に置いた。

 ひったくる様にして、パック酒を手に取ると蓋を開け、先程投げて少年の手によってちゃぶ台に戻されたぐい吞みへと零れて、飛び散る事も気にも留めずになみなみと注ぎ、そして一気に煽った。

 この間に、少年は廊下に飛び散った酒を自分の着ているダボダボのトレーナーで拭う。

 無表情に、淡々と。それこそ、この年ならば泣き喚いてもおかしくない所業を受けながら、その表情筋はピクリとも動かない。

 入れ替わる様に部屋の入口に立つのは、女性の方。

 

「こんばんは」

「ああ゛?んだってんだ………んん?」

 

 酒精で血走った目が、彼女へと向けられる。

 鋭い、それこそ睨みつける様な目つきだったが、女性の端正な顔立ちとその服越しでも分かる抜群のプロポーションを確認すると和らいでいく。

 いや、寧ろ欲望の色が宿った下卑た視線だ。

 

「ヒッヒッヒ……あの凡愚も、中々役に立つじゃあねぇか。おい、ねぇちゃん勝手に人様の家に上がってんだから、酌の一つもしやがれ」

 

 手招きされ、女性は眉を顰め気付かれないように少年へと視線を向ける。

 

「…………」

 

 一つ頭を下げられた。どうやら、相手をせねばならないらしい。

 その小さな姿が廊下の暗闇へと消えた事を確認して、部屋の中へ。

 

「彼は?」

「あー?オレの孫だ。ちょうど、使い勝手のいい丁稚が欲しかったんでなァ、引き取ったんだ」

「成程」

 

 相槌を打ちながら、彼女はぐい吞みへと酒を注ぐ。

 注がれた酒を一気に飲み干して、上機嫌に老人はぐい吞みをちゃぶ台に叩き付けるように置いた

 

「気味の悪いガキだが、騒がねぇからな。まあ、この天沢元治の財産で食わせてやってるのさ」

 

 上機嫌に再び注がれた酒を飲み干して、老人は嗤う。

 そこから数度のお代わりとつまみを挟んで顔が真っ赤になると、そのままちゃぶ台へと突っ伏して眠り込んでしまった。

 起きないことを確認して、女性は立ち上がると部屋を出る。

 向かうのは、先程少年が消えた暗がりの方だ。

 暫く長い廊下を進めば、古風な台所へと辿り着いた。

 そして、

 

「お爺様は眠ってしまいましたか?」

「うん、ぐっすり。アレなら、明日の朝まで起きないんじゃないかな」

「そうですか」

 

 ダボダボなトレーナーから、丈の合わない甚平へと着替え、髪が湿った少年が夕飯を摂っていた。といっても、具無しの味噌汁におにぎり二つの質素すぎるものだが。

 

「何か拵えますか?」

「ううん、大丈夫」

「そうですか」

 

 頷き、おにぎりを頬張る少年。

 静かな時間が進み、時間にして十分ほどだろうか。

 慎ましやかな夕食を食べ終わり、食器を下げた少年は代わりに急須と湯呑を二つ用意して戻ってきた。

 

「粗茶ですが」

「ありがとう」

 

 受け取った湯呑からは、ふんわりと湯気と共に緑茶のいい香りが漂う。先程の、酒臭さとは大違いだ。

 一服。

 

「ふぅ……遅くなりましたが、自己紹介を。僕は、天沢エニシと言います」

 

 湯呑を置いて頭を下げる少年、エニシに対して女性もまた口を開く。

 

「よろしく、天沢君。私は、マキマ。国のデビルハンターをしているよ」

「でびる……?」

「悪魔狩りだよ。今回ここに来たのは、デビルハンターへの要請が出ていないのに、妙に被害が少ない地域という事で派遣されてきたの」

「はあ……悪魔というのは、あの化物の事ですか?」

「そう。人の恐怖と血を食らって生きる怪物。といっても、キミはあの悪魔を倒しきれてないんだけどね」

「?」

「キュウリの悪魔含めて、野菜系の悪魔は種まで燃やさないといけないの。バラバラにしただけじゃ、復活するよ」

「そう、ですか」

 

 マキマの言葉を受けて、しかしエニシは適当な相槌を返すだけだった。

 事の大事さに気付いていないのか、そもそも興味が無いのか。

 同心円状の瞳が細まる。

 

「驚かないね。君にとって脅威じゃないから、気にも留めないって事かな?」

「そういう訳では……あの時、僕の優先事項はお爺様にお酒を届ける事でした。それに、あの道は僕位しか通りませんし」

「キミは仕留められる?」

「はい。種から復活する事は初耳でしたけど、次からはそこまで刻めば良いですから」

 

 事も無げに、馬鹿げた事をエニシは宣う。

 ただ、それ以上語る気も無いのか口を閉じた彼は湯呑を呷る。

 マキマもつられる様に湯呑を傾け、少しの間が開いた。

 

「お爺様に引き取られて長いの?」

「一年前に……両親が事故に遭ってからです。悪魔に関しては……ここに来る前から、何度か」

「そっか。天沢君は短刀を使っていたけど、剣術に覚えがあるの?」

「え?……いいえ、ただお爺様から護身用に頂いているだけです。前は、ホームセンターの包丁を使ってました」

「見せてもらっても?」

「どうぞ」

 

 差し出された匕首を受け取り、マキマは軽く抜いてみる。

 曇り一つ無い白刃は、悪魔をバラバラにしても刃毀れの一つも起こしてはおらず、己が名刀であると言わんばかりに主張していた。

 ただ、やはり悪魔を狩るには心許ないと言わざるを得ない。

 そもそも、受け答えでバグるが五歳児が悪魔を狩るなどよっぽどだ。筋力、体力、身体のリーチ等々。全てが大人に劣る、筈。そして、悪魔というものはその大人を容易くぶち殺していく。

 

(そもそも、彼の身体能力がおかしい。ただの人間?フィジカルギフテッド?魔人じゃないのは確かみたいだけど)

 

 匕首を鞘へと納めて、マキマの目が細まる。

 悪魔の跋扈するこの世界において、契約を交わす事で超常的な現象、或いは技能を有する者も少なからず居る。

 ただ、大きな力には代償が必要。

 悪魔との契約などソレは顕著であり、肉体の欠損のみならず、寿命や感覚等も含まれる。

 では、この丁寧な少年はどうなのか。

 少なくとも、マキマは彼から悪魔の気配を感じ取ってはいない。

 何より、

 

「キミは、お爺様がもう長くない事を知ってるんじゃないかな?」

「はい」

 

 匕首を渡しながら問えば、これまたアッサリと頷かれる。

 その表情は変わらないままだ。

 

「その上で、言われた通りにお使いをしてくるんだね」

「それが、お爺様の願いですから。何より、僕はお医者様ではありません。お爺様はお医者様が御嫌いで、僕の言葉に動かれるような方でもありません。何より、一年前に僕がお爺様と対面したころには()()()()()()()()()。僕に出来るのは、お爺様の最期を看取る事ですから」

 

 淡々と、機械が吐き出すように言葉を連ねて、エニシは湯呑を手に取った。

 残酷な優しさだ。ここまで人間が出来ているのだ、自身の祖父がどうしようもないロクデナシである事は気付いている筈なのに、彼は態々付き合っている。

 ある意味では、悪魔の様な少年だ。

 もう一つマキマには気になる事があったが。

 

「キミは、相手の死期が分かるの?」

「いいえ。ただ、既にお爺様の内臓が限界だったのを()()ので」

「視た?…………随分と面白い事を言うんだね、天沢君」

「そうですか?」

「まるでキミは、人の中身が見えているみたいな言い草じゃないか」

「視えてますよ」

 

 肯定の返事が返ってきて、同心円状の瞳と黒い瞳が正面からかち合った。

 

「視えてるの?」

「はい」

「何時から?」

「物心がついた頃には」

「私も?」

「はい」

 

 言葉のキャッチボールが淀みなく行われる。

 エニシは、相手を透明にしてしまったかのようにその内臓を見る事が出来た。グロテスク極まるものだが、この視点になると彼の頭の中はあらゆる余分な要素が削ぎ落された凪の様な心理状態になる為、特段感想は抱くことは無い。

 同時に、彼が幼い身空で悪魔狩り等という事が可能な要因の一つでもあった。

 マキマの気配の質が変わる。

 

(欲しい……)

 

 彼女の内心は、これ一色。

 純粋な戦闘能力に加えて、奇妙な力。何より、幼児ならばまだまだ伸び代もある。

 マキマは強い。単一の戦力で見ても並大抵の悪魔もデビルハンターも相手にならない。

 しかし、だからといって常に孤高の単独行動を好むわけでもない。自分が手を下さなくても良いのなら、そちらの方が楽であるし。

 何より彼女は、“()”が好きだ。

 従順で、主人を一心に慕い、Noと言わないから。

 ついでに言うなら、()()というものも欲しいと思っていた所だった。

 

「ねぇ、天沢君」

「何ですか?」

「私のモノにならない?」

「?」

 

 思わぬ言葉だったのか、キョトリと年相応の表情を浮かべてエニシは首を傾げた。

 その姿は、マキマから見れば宛ら仔犬。

 利口で、愛想よく、大人しい。まだまだ世界の広さも知らない真っ白は、裏を返せば自身の色に染め上げることも出来るだろう。

 マキマは大袈裟に左手を広げる。

 

「私の下に来て、一緒に仕事をしよう。どうかな?デビルハンターとしての仕事なら、今までと変わらない。いや、今までと違ってキミには十全なバックアップを約束してあげる」

「…………お爺様が亡くなられるまでは、僕は動く気はありません」

 

 存外、頑固。

 しかし、マキマもまたこの機会を逃すつもりは毛頭なかった。

 

「――――これは命令です。私のモノになると言いなさい」

 

 同心円状の瞳が、幼い少年を捉えて放さない。


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