日輪円舞   作:こくとー

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 衣食住足りて礼節を知る。要は、最低限の生きる為に必要な環境が整ってこそ、人の心というものは成長するという事。ザックリとしているが、今日を生きる事に必死な環境の人間に道徳心を説いても、説教垂れ流す人間の身包みを引っぺがされて売り飛ばされるのが関の山だろう。

 

「ネクタイは、確りと結ぶ事。良い?」

「むむ………難しいですね」

 

 グニグニと首元の黒いネクタイを弄りながら眉根を寄せるエニシ。

 今の彼は、黒のスーツに身を包んでいる。もっとも、五歳児故にその見た目はスーツを着ているというよりも、スーツに着られている、という印象の方が強いが。

 

 エニシとの邂逅を果たした地より戻って、東京へと帰ってきたマキマが最初に訪れたのは、上司である内閣官房長官含めた老人たち、ではなく衣料店。

 主に、公安御用達のそこでエニシのスーツを拵えたのだ。

 

「こちらのボウヤは、マキマさんの弟さんですかな?」

 

 そう声を掛けてきたのは白髪の目立つ丸眼鏡の品の良い老人。この衣料店のテーラーを務め、尚且つ店長でもある。

 

「ええ、まあ、そんな所です」

 

 曖昧に頷くマキマは、その場で膝を突き絡まり始めたエニシのネクタイを解いて結び直す。

 基本で簡単なプレーンノット。社会人になれば、ネクタイの結び方を使い分けるシーンというものもあるのだが、基本的にこれさえ覚えておけば早々困ることは無い。

 ここから、改めて黒のジャケットを羽織り直せば仕事のスタイルは完成だ。

 

「次からは、自分で結べるようにね?」

「はい」

 

 こくりと頷き、エニシは手の動きだけを真似して動かした。

 一度見ただけで手の動きは完璧だ。この辺りは、彼の無駄に高いポテンシャルが役に立ったと言えるだろう。

 その様子を確認し、マキマは立ち上がる。

 

「代金は、公安の方に。領収書を切らないといけないので」

「ええ、分かりました。今後とも御贔屓に」

 

 老店主に見送られ、二人は手を繋いで店の外へ。

 揃いのスーツを着た美女と美男子の組み合わせ。少年は幼かろうとも将来を約束された顔面の持ち主だ。

 そんな二人が道を行けば、多くは無い人通りの視線も独り占め、いや二人占めというもの。

 

「動きづらかったりはしない?」

「えーっと………少し着慣れない?です」

 

 周りの視線など気にも留めないマキマが問えば、エニシは首を傾げる。

 今まで体格に合わないトレーナーを着ていたのだから、逆に体にぴったりと合うスーツというものは慣れないものなのだろう。

 それでも、動きの疎外とまではなっていないのはテーラーの腕の良さが光る。

 歩道を進みながら、マキマは口を開く。

 

「これからキミは、私の仕事に帯同してもらう。その上で大切な事があるから、よく聞いておいて」

「はい」

「まず、公安の基本的な仕事は見回り。そして、悪魔を見つけても直ぐには討伐しちゃいけない」

「?何故ですか?」

「民間の請け負った仕事の場合があるから。基本的に、私たちの仕事は民間のデビルハンターじゃ手に負えない様な悪魔が相手だからね。逆に、民間でも倒せる相手を私たちが倒し過ぎると業務妨害になるから。悪魔取締法もあるからね」

「とりしまり?」

「悪魔の死体は、売れるの。それこそ、裏稼業の人間相手に数十万、数百万単位で取引される事もある。暴力団の資金源になったり、彼らが契約する悪魔のエサになったり、とにかく色々と厄介な事になりやすいから、規制するための法律。天沢君も、気を付ける様に」

「分かりました」

 

 簡素な説明を交わしながら、その足は信号によって止められる。

 大通りとそこそこの太さの通りが交差する十字路。時間帯が変われども、余程遅い時間でもなければ交通量も多い。

 

「マキマさん、悪魔ってこんな街中にも出てくるんですか?」

「勿論。あんな風にね」

 

 マキマが示す先。大通りに面したビルの一棟が大きく粉塵を上げて弾けた。

 降り注ぐ瓦礫、逃げ惑う人々。

 そして、斜めに抉れるように崩れたビルより這い出てくるのは、羽毛に覆われた異形。

 

「…………ハト?」

「鳩の悪魔、かな。随分と大きいけどね」

 

 通りに降り立つ巨体を眺めながら交わす会話としては、実に淡白。

 というか、鳩と称したが頭部並びに胸元までが羽毛に覆われ、両腕は翼と鉤爪のある手が一体化。下半身、というか腹部に至ってはゴリゴリに鍛え上げられた薄灰色の人間のモノ。足は鳥類のソレだが、直立二足歩行を可能とするその立ち姿は、鳩の皮を被ったプロレスラーか何かだろうか。

 

「ちょうど良いや。天沢君」

「はい?」

「アレ、斃してきて」

「良いんですか?その、民間?の人たちがいらっしゃるんじゃ…………」

「あの大きさになると、民間じゃ厳しいよ。私の方で事後処理はしてあげるからさ」

「分かりました」

 

 頷き、エニシは徐に腰の後ろへと手を伸ばす。

 実は黒いジャケットの裾からはみ出ていたのだが、彼は匕首を携帯していた。

 それを今、抜き放つ。と同時に前へと駆け出した。

 五歳児など、まだまだ体の動かし方も知らず、体力はあってもそれに合わせた身体能力というものはまだまだ、というのが普通。

 しかし、エニシは違う。

 上体を前へと倒し、極力両腕を振らずに短い脚を勢いよく回しながら前へ前へと駆けていく。

 目算で三十メートルから四十メートル離れていた筈の距離は、瞬く間に詰まり接敵。そしてここまで近づけば悪魔も迫ってくる少年を視認していた。

 

「ギョケッ!ニ、ニニニンゲン、カ!」

 

 黒目の大きな無機質な目が瞬き、ズラリと鋭い歯の並んだ嘴から漏れるのは甲高く軋んだような片言だった。

 そして、近付けばその大きさが嫌でも分かる。凡そ、十メートル程だろうか。その手は人一人掴んでも余りある。

 その手が、無造作に駆け寄ってくるエニシへと伸ばされた。この巨体だ。ただの匕首の一振りや二振り障害にもならない。

 強いて挙げれば、刺されると地味に痛い、というのがあるかもしれないが人間の新鮮な生き血を飲めばそんな傷一瞬で塞がる。

 だが、

 

「ギ?ギィィィィィャアアアアアアアアアアアア!?!?!?」

 

 絶叫が通りに木霊する。同時に血塊同然の血の塊が大通りのアスファルトを汚した。

 閃くのは銀の刃。無造作に伸ばされた鳩の悪魔の右手は、一瞬の間に血の塊となって切り刻まれてアスファルトの染みへと変えられてしまった。

 

「…………」

 

 白刃を染めた血糊を振るって払い、エニシは絶叫する悪魔を見上げる。

 巨体だろうと何だろうと、彼にとってみれば単純に切り刻む対象が大きくなっただけに過ぎない。

 

 天沢エニシは、生まれつき自身の体の使い方を無意識の内に知っていた。そして、その知識を十全に発揮できる身体機能を有していた。

 純粋な身体能力だけの話ではない。身体操作能力や、重心操作、神経掌握、そして呼吸術。

 生まれながらの戦闘者。それが、天沢エニシという存在の本質である。

 

 右手が切り刻まれ、ここで初めて鳩の悪魔は自身に向かってきた子供を敵であると認識した。

 遅きに失したと言わざるを得ないが。

 

「グ、グゾッ!………?」

 

 左手で握り潰そうとするが、次の瞬間その巨体は前のめりに倒れていた。

 何故倒れたのか、鳩の悪魔自身分かっていないらしく藻掻くが、しかし身動ぎをするたびにアスファルトを染める出血の量は増える一方。

 何が起きたのか、その答えは小さな剣士が握っていた。

 エニシの姿は、先程悪魔の右手を切り刻んだ位置から、鳩の悪魔を挟んで対角線上の反対側にあった。

 彼がそこに現れる直前、二つの銀閃が走っていたのだ。

 結果、二本の柱のように鳩の悪魔の両足、その膝から下が切断され悪魔当人の動きについて行けずに膝より上の体が道路に転がる事となった。

 一方的。だが、エニシの動きは止まらない。

 僅かな助走を挟み、その体は宙を舞う。

 天沢エニシに、剣術のたしなみは無い。彼の恐るべき太刀筋は、体が動くがままに合わせている部分が多々あった。

 正しい体の動きは、体が知っている。それをそのままに体現する。

 これに加えて、()()()()()を行う事によってその肉体は、宛ら神の寵愛のごとき力を発揮した。

 

「…………うん、良い拾い物だった」

 

 遠目に、匕首一振りで行ったとは思えないほど日輪の如し巨大な斬撃を鳩の悪魔に叩き込むエニシを眺め、マキマは一つ頷いた。

 鳩の悪魔程度、彼女にとっては十把一絡げに過ぎない。だが、チリも積もれば山となる、という言葉がある様に数が増えれば煩わしい。

 かといって、民間のデビルハンターでは対応が難しく、公安所属でも下手な者では返り討ちに遭いかねない。

 その点、エニシは合格花丸の満点だ。

 最初のビルの倒壊は仕方がないとして、後は殆どその場から悪魔を動かすことなく斬り殺した。血液の汚れはあれども、必要以上に抉れたり倒壊していないだけマシ。

 縦に真っ二つで切断され、ついでに心臓部を刺突で念入りに潰され絶命した鳩の悪魔。

 その巨体の上で、匕首の血を払ったエニシは悪魔が完全に沈黙した事を確認して飛び降りると、小走りにマキマの下へと駆け寄っていく。

 

「終わりました」

「うん、観てたよ。これなら、合格かな」

 

 常の微笑を口元に浮かべて、マキマは腰を曲げるとエニシの頬についていた乾き始めた血の汚れをハンカチで拭う。

 これで、血腥い背景さえなければやんちゃ坊主と世話焼きな姉、といった微笑ましい光景になったかもしれない。

 兎にも角にも、突発的な初陣はアッサリと幕を下ろしたのだった。

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