日輪円舞 作:こくとー
ペンの走る音が室内に響く。
マキマの執務室。ガランとした印象を受けるこの部屋にて、部屋の主であるマキマは大きな執務机で書類仕事を熟し、その机の傍らに置かれた二枚の畳とその上に置かれたちゃぶ台の上でエニシは問題集を解いていた。
「…………出来た」
走らせていた鉛筆を置いて、エニシは一つ息を吐き出す。
大人顔負けの受け答えと言葉遣いをする彼だが、その実勉強は殆どしてこなかったりする。口調その他は、両親の影響からだ。
とはいえ、普通の五歳児と比べれば圧倒的に知力が高い。今も、解いているのは小学生を終えて中学生の単元なのだから。
「マキマさん」
「ん?終わった?」
「はい、答え合わせお願いします」
ノートと問題集を持って立ち上がったエニシは、そのままマキマへと一式手渡す。
万年筆を置いたマキマは、赤鉛筆へと持ち替えると、さらさらとノートに踊る文字と、それから問題集の最後尾に設けられた答えを見比べていく。
淀みなく丸が続くが、時折跳ねるペン先。
「…………うん。相変わらず、数学は少し苦手だね。それに合わせて、計算系は特に」
「うっ……すみません」
「歴史系や生物、国語は良いんだけど。典型的な文系だからかな」
心なしか、括ったポニーテールを萎びらせながら俯くエニシ。
算数までは、良いのだ。問題は、中学の数学から。特に関数系は鬼門だった。
ノートと問題集を受け取って再び畳の上へと戻ったエニシを見送って、マキマもまた一つ息を吐く。
天沢エニシは、人間の範疇の事であれば恐らく何でもできる。それが、マキマから見た評価の一つであった。
本当ならば、勉強など特別する必要はない。義務教育に関しても誤魔化しがきくし、そもそもここまでの戦力を勉学にとられるほど、公安に余裕がある訳でもないので。
言ってしまえば、暇つぶしだ。
公安対魔特異課。それが、悪魔に対応するために設けられた課であり、マキマはこの部署の統括も担っている。
見回りが仕事の一環であるとはいえ、一定以上の権限を持つ者には書類仕事というものが付いてくるのはどんな職種でも変わることは無い。
例に漏れず、書類の整理を行うマキマだが、当然ながらエニシが手伝えることは何も無かった。
彼の立ち位置は一応公安の預かりであっても、五歳児の子供。重要書類など任せられる筈もなく、そもそも公安内でも彼の事を知るのは極一部でしかない。
結果、エニシは暇を持て余す。無論、あの暴虐爺の下で一年間丁稚扱いでも折れる事が無かった精神力は、一時間だろうと五時間だろうと微動だにせず待ち続ける事は可能だろう。
しかし、待てる事と暇ではない、という事はイコールで繋がらない。間延びする時間を楽しめるほど、エニシは老成していなかった。
そこで昨日の鳩の悪魔討伐の御褒美として、彼は暇潰しの為の勉強道具を求めた。
(次は、英語以外の言語でも教えようかな)
そんな事を考えるマキマは、存外楽しんでいると言えるだろう。
再び沈黙の帳が下りてきて、ペン先だけが紙と擦れ合う音が響く。が、その音も部屋に転がったノックの音によって中断された。
「呼び出しとは珍しいな、マキマ。俺に何の用だ?」
部屋に入ってきた男は、開口一番そう問いかける。
左の頬に口角から伸びる縫合後の目立つ男性だ。特にその黒く濁った目と、上司の前でも構わず傾けるスキットル。
ノートから顔を上げたエニシは、首を傾げるがしかし何も言わず、再び問題集へと意識を戻していた。
「うん、岸辺さんに紹介したい子が居てね」
「…………そこのガキか?」
「そう。天沢君」
「はい?」
「挨拶」
マキマに話を振られて、改めて顔を上げるエニシ。
そのまま立ち上がると、畳の傍らに置かれた小さめのローファーに足を通して、男性の目の前まで歩いて行き、そして頭を下げた。
「初めまして、天沢エニシです」
「………おう。俺は、岸辺。公安対魔特異1課の所属だ」
「よろしくお願いします、岸辺さん」
「…………マキマ」
「言っておくけど、昨日の鳩の悪魔を殺したのは彼だよ」
「ほお」
岸辺の目が改めてエニシへと向けられる。
巨体、というのはそれだけでアドバンテージだ。
大きな体を支えるために、相応の馬力を発揮する事が出来て、尚且つ小さな怪我程度では致命傷になりにくい。
それも、人よりもはるかに強い力を発揮する巨体の悪魔となれば、討伐するには相応の装備と、経験。何より強力な悪魔との契約も必要となるだろう。
徐に、岸辺はエニシの両脇に手を差し込むと自身の目線の高さまで彼を持ち上げた。
「悪魔を殺すとき、お前は何を思ってる?」
「?……人に危害を加えなければ良い、ですかね」
「人に危害を加えない悪魔が居たら、お前はどうする?」
「特に、何も」
「そうか」
エニシの言葉を噛み砕くように、岸辺は数度頷き、徐にその手に僅かな力が籠り、
「――――嘘じゃなさそうだ」
しかしその手はエニシを締め付けることは無かった。
見れば、小さな手が両方前へと突き出され、その親指がスーツの上から岸辺の肩関節の辺りにめり込んでいるではないか。
指先に走る痺れ。それは正確に神経の位置を親指が押さえているという事に他ならない。
「悪かったなボウズ。いや、エニシか。試すような真似して」
「いえ」
下ろされたエニシの頭を撫でる岸辺。
ごつごつとした戦う人間の手だ。ついでに、徒手空拳よりも得物を握るタイプの手。
(化物、か)
小さな頭を撫でながら、岸辺は考える。
彼もまた、幼少期から力が強かった。それは今も変わらず、人一人殴殺する事も容易い。悪魔討伐にも存分に活かされている。
そんな彼から見ても、天沢エニシは異常だ。力もそうだが、一挙手一投足の身のこなしが最早子供のソレではない。
「エニシ、お前幾つだ?」
「えっと……五歳、です」
小さな掌が向けられ、岸辺は唸る。
(五歳で、コレか)
岸辺は人類最強かもしれない女を知っているが、目の前の少年の宿した才覚はソレを超えていそうだったから。
顎を撫でて少しの思考を挟んで、ついでにスキットルの中身を呷ってからマキマへと目を向けた。
「仕事は、もう回してるのか?」
「暫くは私の供回りをさせるつもりだよ」
「護衛か?」
「それも兼ねてるけど、もっと言うなら経験を積ませるためかな。先はまだ、考えて無いよ」
変わらない同心円状の瞳を見返し、岸辺は左の親指で額を縦になぞる。
本音を言うならば、直ぐにでもマキマとエニシを分かれさせたいと彼は考えていた。具体的には、エニシの為に。
しかし、マキマの方が明らかに手放す気配が無い。
(お気に入りって事か?……珍しい事もあるが、この才能なら悪魔の目も眩むか)
現状ではどうすることも出来ない為、岸辺はこの思考を打ち切った。厄介な事になるなら面倒ではあるが、ソレはソレ。
「顔合わせって話だが、俺がこいつと仕事に出る可能性はあるのか?」
「私の手が離せなくて、天沢君を置いて行かなくちゃいけない時とか、かな。その時には、岸部さんにお願いしますね」
「そうか…………エニシ」
「はい」
「俺の事は、先生と呼べ。もっとも、お前に教える事になるとすれば悪魔に関する事と、その他座学程度だろうがな」
「岸辺、せんせい?」
「そうだ」
「分かりました。よろしくお願いします、岸辺先生」
素直なのか単純なのか、アッサリとエニシは岸辺からの要求を受け入れ、再度頭を下げる。
ジッと小さい頭のつむじを見下ろしてから、徐に岸辺はマキマへと目を向ける。
「なあ、マキマ。やっぱりコイツ、俺が――――」
「ダメ」
にべも無し。ついでに席を立ちあがったマキマは、サラリとエニシの背後へと回ると後ろから包み込む様にその小さな体へと腕を回していた。
見下ろす黒い瞳と、見上げる同心円状の瞳。
不毛な睨み合いだ。その火種でもあるエニシはというと、困った様に眉尻を下げて自身の前に回されたマキマの腕を軽くつかんでいるだけだった。
一応、この場での不毛なやり取りは、岸辺が引き下がった事で終わりを告げる。
しかし、世界は荒れる。
具体的には、今より凡そ一年後。1984年11月18日に起きる、とある一件から。