日輪円舞 作:こくとー
一年。365日の経過が、長いか短いかはその人の感じ方次第だろう。
少なくとも、天沢エニシとマキマの一年は血腥く、同時に濃密な時間であったと言える。
「…………ん」
広々としたクイーンサイズのベッド。
被っていた毛布を脱いで上体を起こしたエニシは、寝ぼけ目を少し擦って大きく伸びをした。
時計を見れば、時刻は午前6時を少し過ぎた所。寝室に設けられた窓に掛けられたカーテンの隙間から朝日が射しこんでくる。
もう一つだけ欠伸を零して、エニシは隣を見た。
「…………」
常に結んでいる三つ編みを解いたマキマが横向きに枕に頭を預けて眠っているのだ。
というのもこの二人、というかエニシが住んでいるのはマキマの部屋だったりする。彼女が保護者でもある為当然ではあるのだが。
常のキッチリとネクタイまで締めた姿とは違う、寝間着の無防備な姿は男であるなら垂涎ものだろう。
もっとも、エニシは年齢一桁の子供。中身は育っているようにも思えるが、
彼女を起こさないようにベッドを抜け出して、エニシが向かうのはキッチン。
トースターにパンをセットして、冷蔵庫を開ける。
朝食の準備、もとい家事全般がエニシの仕事だったりする。
ベーコンと卵を焼き、サラダとしてレタスとトマトを水洗い。
野菜の水気を切るために笊へと移し、それから薬缶に水を注いでコンロへと掛けた。
コーヒーミルで豆を挽くのも、手間ではあれども一年続けていれば手慣れるというもの、手際よく一人分の豆を挽き終えて、ネルフィルターを準備。こちらも管理が面倒な代物だが、教えられたことを器用にこなすエニシは今の所ポカをやらかしたことは無かった。
朝食の準備を一通り終えて、珈琲を淹れ終えた所で食卓のある部屋の扉が開かれる。
「おはよう」
「おはようございます」
簡単なあいさつを交わして、この間にエニシは食卓へと朝食を並べていく。
パン以外の一通りを並べてからキッチンへと戻ろうとするエニシ。だがその前に、後ろからするりと細い腕が回される。
「マキマさん?」
「んー…………」
毛量の多い後ろ髪へと顔を埋めてくるマキマ。
猫吸いならぬ、エニシ吸い。ここ半年ほどで、尚且つ家に居る時のみだがこうしてマキマはエニシを抱き寄せるとそのふさふさとした後頭部へと顔を埋める事が増えていた。
「朝ご飯を先に食べましょう?」
「…………そうだね。冷める前に食べようか」
間が開けども、マキマは大人しく離れると食卓の席へと腰を据えた。彼女自身、食材を無駄にする様な事は先ずない。
そんな彼女の席に焼きたてのトーストと、一人分程度に切り分けられたバターが二切れ乗った皿が置かれ。それからソーサーとコーヒーカップ、ミルクポッドとシュガーポットが置かれれば朝の準備は完了。
「「いただきます」」
いつも通りの朝だ。朝食のメニューこそほぼ毎日変わるが、しかしここ一年で変わる事が殆ど無いのがこの光景。
最初に、それこそマキマがエニシを引き取る際にも言ったように、ほぼ四六時中一緒に居る。
仕事中然り、プライベート然り。ぶっちゃけ、岸辺が距離感に苦言を呈する程度にはかなり近い距離で一緒に居た。
エニシが子供でなければ、男女の関係を噂されてもおかしくは無いだろう。それほどまでに、近い。
「そう言えば、天沢君。準備は終わった?」
「はい。でも、どうして急に海外出張に出るんですか?」
「少し欲しいものがあるから、かな」
朝食を食べ進めながら、マキマは僅かに言葉を濁す。
こういう場合、彼女には何を聞いても教えてくれない事をエニシはここ一年で学習していた。ついでに、彼としてもマキマの思惑がどうあれ、そこまで干渉する気が無い、という理由もある。
ぼちぼち会話を交わしながら進んでいく食事。
食べ終われば皿を重ねたエニシは、さっさとシンクへと二人分の食器を持ち込み、手早く洗っていく。ついでに、この間にお湯の残った薬缶をもう一度火にかけて温め直し、食後のコーヒーの準備を平行作業。
シンク脇に置かれた水切り籠に食器と調理器具が並んだ所で、お湯が沸いた。
コーヒーを一杯淹れ直してマキマの下へ。
「どうぞ、マキマさん」
「ん、ありがと」
コーヒーカップを受け取って、マキマはその香りを味わいながら横目にキッチンへと再び戻っていく己の懐刀へと視線を送る。
この一年ほどで、彼女の中のエニシへの評価は幾度となく上方修正を加えられてきた。
悪魔討伐の実力は、止まる事を知らない。匕首一振りだけで、今まで掠り傷の一つも負う事無く様々な悪魔を討伐し続け、特に驚くのが野菜系統の悪魔。
邂逅の折に、種まで焼かねばならないとマキマが言ったからか、エニシは細かな種の全ても匕首で切り伏せてしまったのだから。文字通り、細切れだ。
加えて、木材、石材、鉄材、鋼材等々。材質問わずに切断する圧倒的な技量。宛ら日輪の如し軌道を描く斬撃。
戦闘能力の高さもそうだが、更に家事の腕も一流。
道具の扱い方などは一度教えればすぐに理解するし、マキマの好みも把握したうえで料理を拵える為ここ一年の家での食事が楽しく思える始末。
知能も高く。一年で高校生の単元までこなしてしまった。無論、問題集を解いただけである為、学歴などの実績とはならないが、それでも十分破格。
少なくとも、人間の範疇で見れば、一種の到達点。コーヒーカップを傾けて、マキマは目を細めた。
正直な話、これから向かおうとしている目的の一つも保険の域を出ないのだ。ぶっちゃけ、懐刀として手元に置いているエニシが居れば、どうとでもなる。
それでも自身の力の増強を行おうとしてしまうのは、未だに求めるものがあるせいだろうか。
朝食の時間も終わり、歯磨きをして顔を洗って、身嗜みを整える。
「今日も、いつも通りですか?」
「そうだね」
手慣れた様子で髪を後頭部で纏めたエニシは、そのままドレッサーの椅子に腰かけたマキマの背後に回ると踏み台を置いてその上に立ち、慣れた様子で櫛を通し始める。
艶やかな傷みの一つも無い赤く長い髪。
ある程度梳かした所で、エニシの指が躍る。
するすると三つ編みが編まれていき、黒い髪紐で最後に留めればいつもの彼女の髪形が完成する。
因みに、休みの日にはテレビなどで流れていたヘアアレンジを試していたり。
揃いのスーツに身を包みネクタイを締め、更にマキマはロングコートを、エニシはピーコートをそれぞれ羽織った。
「……あ、天沢君」
「はい?」
「あっちの、大きい方を持っていかない?」
マキマが示したのは、部屋の隅に立て掛けられた一振りの日本刀。
薩摩拵えと呼称される、華美な装飾を省き実戦での取り回しを想定された黒塗りのソレはエニシが愛用している匕首と同様に家から持ち出した一振りだった。
誕生日を迎えて六歳となったエニシだが、それでも体格が急激に変わった訳では無い。平均身長より僅かに大きい程度か。
少なくとも腰には差せない。背負っても、鞘先を地面で擦ってしまうだろう。
「…………要ります?」
「今回は、相手が強いからね。それに、一度見ておきたいと思って」
「…………」
どうやら引き下がらない。マキマの態度から察したエニシは、渋々刀へと近づくと両手で体の前に抱える様にして戻ってきた。
「片手で持てる?」
「はい」
鯉口の辺りを左手で掴んで持って見せるエニシ。少し動かせば鞘先が床についてしまうが、普通に持ち歩く分には彼の力も相まって苦労は無いだろう。
因みに、銃刀法違反に関しては、デビルハンター等という職業が罷り通る手前、あって無い様なもの。少なくとも、デビルハンターを生業にする者達にはそこまで関係ない。
玄関を出て、半ば癖になっている手を繋いで二人は仕事へと足を踏み出していく。
今回の仕事先は、世界の軍事的パワーバランスを担う国、というか共同体の一種。
ソビエト連邦だ。