日輪円舞 作:こくとー
銃の悪魔出現から、四年の月日が流れた。
「…………よし」
鏡を見ながらネクタイを締め、天沢エニシは身嗜みを整える。
十歳となった彼は、身長も140センチとなり平均身長より僅かに高い背丈となった。
最初は着られていた様だった黒のスーツも、体格が確りし始めた辺りである程度見られる格好となっている。
背負うのは、薩摩拵えの黒刀。腰の左側にジャケットで少し隠すようにして匕首を一振り忍ばせて、これにていつものスタイルの完成だ。
ただし今回は、これに加えて一抱え程度の黒いリュックサックを背負う事になる。
というのも、今回の仕事は少々遠出をする。その上、
「忘れ物は無い?」
「はい」
「最悪の場合は、周辺被害も気にしなくて良いからね?」
「昨日も聞きましたね」
「大切な事だからね。万が一にも、私の懐刀が刃毀れする、だなんて思いはしなくても、ね?」
玄関でローファーを履いたエニシと向かい合うように腰を曲げたマキマは、本心はどうあれ言葉を紡ぐ。
事の始まりは、数日前の事。公安に対して、人員派遣の要請が行われた事にあった。
それも、表立ってではなく秘密裏に。裏の、
「それじゃあ、行ってきます。マキマさん」
「うん。行ってらっしゃい、
扉が開かれ、そして閉じる。
一人に成った玄関で、マキマは一つため息を零していた。
数日前の要請。その大本は、お隣中国の統治政府からのモノであった。より正確に言えば、香港政庁からの要請、と言う方が正しいだろう。
イギリスの干渉を大きく受ける事になったその土地には、政治的空白地帯というものが存在していた。
政治的な不安定、軍事的衝突などで大きく割を食う人々は皆こぞって香港へと集まり、その空白地帯へと身を寄せ合う事になる。
結果として出来上がったのは、巨大なスラム街。
九龍城砦。日本では、九龍をクーロンと呼んだりもするが、こちらは日本の造語であるらしく現地では通じない、とか。
この政治的空白地帯において、悪魔の討伐、を隠れ蓑にした介入が今回の仕事。もう一つは、中国に居る腕利きのデビルハンターとの顔繫ぎ。
因みに、更に表向き。つまりは、外交上の名目は日本政府によるイギリス、中国間の仲立ち。本来はアメリカの役割だが、そこに一枚日本が噛む形となっていた。
本来ならば、マキマか岸辺の仕事であったのだが、生憎と二人揃って予定がある。
岸辺は北海道へ。マキマは関西方面で、京都公安との打ち合わせ並びに視察。
相手方との時間調整にも問題があり、どうしてもタイミングが合わない。そこで、白羽の矢が立ったのがエニシだった。
ここ四年で、彼の立ち位置は公安最強をほしいままにしている。既に、彼が戦場へ出ればそれだけで悪魔との戦闘は終わるとさえ言われるほどに。
たった十歳の子供におんぶにだっこなど、一端のデビルハンターとして恥だろう、と言うような者も居るが悪魔との戦闘は文字通り命懸け。無駄なプライドで死ぬぐらいならば、地べたに這いつくばって泥水を啜って、靴を嘗めてでも生き残る方がマシだった。
マンションを出たエニシを出迎えるのは黒い車。降りてくるのは、見知った顔。
「やあ、天沢君。暫く振りだね」
「お久しぶりです、加藤さん」
額に傷のある男、加藤。ここ数年を生きのこるベテランのデビルハンターの一人。
とはいえ、ここ数年は彼の趣味嗜好の為にエニシとの交流は殆ど無かった。今回は、偶々手すきだったのが彼だけだったため。
エニシが後部座席へと乗り込み、運転席へと加藤も乗り込む。
滑らかな発進。
「それにしても、数年とはいえ随分と精悍になったじゃないか。身長も随分と伸びた」
「今、140センチ丁度です」
「へぇ」
バックミラー越しに、きらりと加藤の目が光る。
マキマから釘を刺されたあの日から、しかし忘れる事など出来るはずもない。それも、成長した姿を見せられれば舌なめずりの一つもしてしまうというもの。
しかし、仕事は仕事。それも、今回の件は裏取引とはいえ国際関係に直接響く内容だ。
ふと、加藤はバックミラーを盗み見た。
未だに幼さは残っているが、初邂逅に比べればエニシは随分と大きくなった。
(何より、マキマさんの言う通り。いや、それ以上の戦果を挙げている)
イカレ具合を求められるデビルハンターの世界だが、それでも年端のいかない子供を戦場に突っ込んで何とも思わない訳では無い。
現に、エニシが本格的に動き出した当初は、反対の声も大なり小なりあった。表立ってのものではなかったのはマキマと岸辺が何も言わなかったから。
その声が収まったのは、単独で大型の悪魔を討伐した事にあった。
傷一つ負う事も無く、瞬殺。どんな悪魔も、匕首、もしくは体格に合わない刀を手に斬殺し一切の抵抗を許さない。
今回の抜擢も、反対の声は一つも挙がらなかった。
「そう言えば、中国語は話せるのかい?」
「一応。といっても、岸辺さんのお知り合いとの顔繫ぎを兼ねてますからその人が日本語を話せるみたいですよ」
「岸辺先生の……」
エニシの言葉に、成程と加藤も頷く。
経験という点において、公安でも岸辺は頭一つ抜けている。そろそろ全盛期を過ぎつつあるのだが、それでも並大抵のデビルハンターや悪魔は一蹴するほどに。
だからだろうか、彼もある程度の知り合いというものが居る。今回、エニシが厄介になる相手も中国に居り、元は公安に所属していたのだとか。
因みに、エニシはというと、英語、中国語、ドイツ語、フランス語等々、様々な国の言語を勉強させられていたりする。
程なくして、空港が見えてくる。
「…………飛行機、かぁ」
去っていく車を見送って空港を見上げたエニシは、そんな事を呟いた。
彼は、飛行機があまり好きではない。あの胃の底から持ち上げられるような感覚がどうにも体に馴染まないのだ。
しかし渋った所で今更拒否できるはずもない。
手続きをして、あれよあれよと指定された座席へ。金属探知機などは、元々許可証が発行されている為問題にならない。
数時間のフライト。その間に、エニシは座席で資料へと改めて目を通していた。
「九龍砦……それから、三合会。警察の定期巡回でも一から十まで、完全には把握しきれていないんですね」
建て増しに建て増しを重ねて、結果的に迷路のようになったスラム。一度入れば出られないとすらも言われる構造だが、しかしその実この評語はそれだけのものではない。
というのも、九龍城は城と呼ばれているが、実際の所は元々の城砦は既に取り壊されている。その跡地に、多くの難民が集まりバラックを建て、更に政治的不安定によって多くの難民が流入。
人の増加に対応するように、只管に無計画な増築が繰り返された結果でもある。ついでに、この建築が大きく周りに広がらなかったのは、あくまでも九龍城塞の在った地点が飛び地として成立する範囲であったから。
イギリス領内であり、中国政府の統治は届かず。しかしその一方で、イギリスはイギリスで条約の結果手が出せない。
そこで、先の評語。一度入れば出られない。
迷うだけではないのだ。不用意に踏み込めば、その地の住人たちに身包みはがされかねない。
ここまで連ねたが、十歳の子供が向かう場所ではない。
資料を片付けて、エニシは行き先へと思いをはせる。
初めての一人海外はもう間もなくだった。