日輪円舞 作:こくとー
この話では、原作の凡そ九年前となります
同じアジアの国ではあるが、空気が違う。空港の出入り口で、天沢エニシは大きく息を吸い込んだ。
煙たい様な、少し汚れの酷い空気。ただ、この空気に関してはお国事情というものが関わっていたりする。
中国はその土地柄、気温が低い場所が多い。加えて、人口も多く、人口が多いという事は消費されるエネルギーというのも大きくなっていく。
北京近郊には、火力発電所が多く。更に、一般家庭では石炭が現役の燃料である事が珍しくない。竈や暖房器具など。
ただ、どれだけ空気が悪かろうと口元を覆う訳にはいかない。
「ボウヤが、エニシかな?」
「はい。クァンシさん、ですか?」
右目を眼帯で覆った美女。そして、そんな彼女の周りに控える四人の女たち。
彼女ら、正確には真ん中の眼帯の女性こそがエニシの待ち人。
眼帯の彼女、クァンシは開いている左目を僅かに細める。
「岸辺に聞いた時には、何の冗談かと思ったんだけどね………まあ、良いか。これから、列車に乗って行くから。逸れないように」
「はい」
踵を返して颯爽と歩き出すクァンシ。
その後をポニーテール女性と角のある女性、それから全身継ぎ接ぎの女性が続く。
そして、
「ハロウィン!」
「…………ハロウィン?」
頭部の右側の脳がはみ出し垂れ下がって結ばれ、右目が眼窩から零れたハートの瞳孔を持つ女性がエニシの側に着く。
グロテスクな見た目だが、しかしその一方でエニシは彼女の口から出た言葉の方が気になるらしく首をかしげていた。
「ハロウィンって何ですか?」
「ハロウィン?」
「何です?」
「ハロウィン!」
「………?」
要領を得ない。クァンシを見失わないように歩き出しているのだが、エニシの首は傾くばかり。
交互にハロウィンと繰り返すアホの様なやり取りに、さしものクァンシも額に手を当ててため息を一つ吐き出した。
「ハァ……ロン、コスモを回収してくれるかい」
「了」
角のある女性が動き、脳梁目玉零れ娘を回収していく。
ついでに、追いついたエニシがクァンシを見上げた。
「クァンシさん。ハロウィンって何ですか?」
「海外のお祭りの事さ、ボウヤ」
「お祭り…………」
「ああ。そう言えば、日本ではまだまだ馴染みがないのか。クリスマスやら正月やらをちゃんぽんしているんだから、直ぐにでも受け入れられそうなものだけど」
「クリスマスは、知ってます。赤い服を着たお爺さんが忍び込んで、石炭で子供たちを殴りつける日ですよね?」
「スー…………因みに、ボウヤ。それ、誰に教わったんだい?」
「マキマさんと岸辺さんです」
「…………」
クァンシは眉間を揉んだ。真面そうな澄んだ目をした少年が、とんでもない爆弾を落としていったのだから。因みに、悪い子をフルボッコにするブラックサンタはドイツの伝承に実際に存在する。
エニシの知識は、このブラックサンタと通常のサンタクロースがごっちゃになっていた。
「…………ボウヤ。本来は違うんだよ。クリスマスに来るサンタクロースは赤い服を着ているが、ソレは返り血に染まったものじゃない」
「?じゃあ、どうして不法侵入するんですか?」
「……ピンツィ。私は、旅券を買って来るよ。彼に説明しておいてくれるかな?」
「分かりました~」
駅へと足を踏み入れていくクァンシと他三名。
待たされる事になったエニシは、隣の女性を見上げる。
「ボウヤは、何も知らないんですねぇ」
「結局、ハロウィンって何なんですか?」
「北欧のお祭りですよ。十月三十一日がそうですね。元々は北欧のケルト神話がもとになっているみたいです。“Trick or Treat”と唱えながら仮装をした子供たちが家々を回りお菓子を貰うか、貰えなければ悪戯をしてまた別の家へ」
「…………なんだか、強盗みたいですね」
眉根を寄せるエニシ。彼の頭の中では、悪魔の様な仮装をした子供たちが玄関へと迫る様な光景が思い浮かんでいた。
補足をすれば、ハロウィンは日本のお盆にも近いかもしれない。ついでに、カボチャをくりぬくのはアメリカ大陸が見つかってからで、それ以前はカブを用いるのだとか。更に、アメリカで定着した辺りで、宗教的な要素はほぼ廃されている。
ポニーテールの彼女は、右人差し指を立てた。
「では続いて、クリスマス。いえ、貴方にはサンタクロースの方がいいでしょうか」
「不法侵入おじさんですね」
「本来の話は少し違うようですけどねぇ。良い子にしていたら、クリスマスイブの夜にプレゼントが貰えるんですよ」
「成程」
頷くエニシ。そこに、マキマや岸辺に対する不満の様なものは見受けられなかった。
そもそも、
「僕は別に、良い子じゃありませんからね」
彼自身の認識として、エニシは良い子ではない。
祖父を見殺しにした上に、悪魔とはいえ生きている存在をその手に掛けてきたのだから。
結局、クァンシが戻ってくるまで、二人の間にはそれ以上の会話は為されないのだった。
*
1988年。この時代に高速鉄道などは未だに整備されていない。
代わりに活躍するのが、現代の日本では廃れてしまった寝台列車である。
中国の国土は広く、加えて主要都市が各地に散らばっている状態。それらに接続するように敷かれた鉄道網。
「それでも、三十時間はかかるんだけどね」
寝台に腰掛け、傍らに座る二人の女性を愛でながらクァンシは暗い目を対面の寝台に座る少年へと向ける。
北京から広州まで三十時間以上かかる。その為、出発はエニシが中国の地を踏んだ日の深夜からだ。
窓の外は、闇が広がっている。
五人で、寝台四つは狭いとも思えるが、しかし良い席を取ったお陰か比較的ゆったりとした広さがある。
具体的には、ダブルベッドより僅かに狭い程度。二人で眠る事も難しくはないだろう。
そして、クァンシと他四名は
「ご飯とか、どうするんですか?」
「飲食用の車両に向かうか、途中で休憩のために止まる駅で買い込むかのどちらかだろうね。ボウヤも私たちと話せる程度には言語に苦労していないのなら挑戦してみても良い」
「僕、辛いのはあんまり好きじゃないんですけど」
「中華料理の全てが辛い訳じゃないさ。これから向かう広東の料理は、海鮮が多く高級志向な物もふんだんに使いながら、四川料理ほど辛くはない」
他愛のない会話だ。
両者互いの腹の内を探る様な事はしない。不毛であるから。
クァンシにとっても、エニシにとっても、目の前の相手は仕事を共同する相手でありそれ以上でも以下でもない。
内ゲバなど早々起きない。
つまりは、事が荒れる場合は外からの持ち込みだ。
深夜。時計の針が天辺を過ぎて一回りをした頃の事。
クァンシは窓側の壁に凭れかかってグラスを傾け、彼女の太ももや肩を枕に角のある女性と、ポニーテールの女性が眠り。その上の段の寝台では継ぎ接ぎの女性と脳の零れた女性が休んでいる。
その反対側、上の段の寝台でエニシは丸くなっていた。
列車の揺れ以外は静かなものだ。
「……」
だが、その静かな時間は唐突に終わりを告げる。
鋭いクァンシの目が、扉へと向けられる。同時に、列車の揺れに合わせて転がったエニシが寝台から落ちると、その手には鞘に入ったままの匕首が握られ床へと着地。
一瞬だけ、二人の視線が交錯し再び扉へと向けられた。
引き戸の取っ手は、扉を挟んで連動する。つまり、向こう側で取っ手が動かされれば、部屋側の取っ手も動くのだ。
列車の揺れ程度では決して動かない扉が僅かに開かれ、廊下に設けられた僅かな明かりが隙間から射しこんでくる。
同時に、エニシが動いていた。
引き戸が完全に開けられると同時に、前へと突っ込み肉薄。いつの間にか抜き放った匕首を右手に順手で携えて、扉の前に立った誰かの胸部を瞬きの間に刺突で穴だらけにしてしまう。
何が起きたのか分からないままに絶命した誰か。その口から血が溢れる前に、エニシは左手で誰かの胸ぐらをつかむと部屋へと引きずり込み、同時に扉を静かに閉めた。
時間にすれば、五秒ほど。その間で、部屋の中は一気に濃密な血のニオイが籠り始めていた。
「…………襲撃ですか?」
「大方、黒社会の連中だろう。彼らにしてみれば、
「どうしましょうか、コレ。一人だけじゃないと思いますけど」
「私たちの場所がバレていると仮定すれば留まるのは得策じゃないが…………かといって、旅が始まったばかりの現状、乗り換えるにも、ね」
「とりあえず、火の粉を払いましょう。死体の処理は面倒ですが、かといって下手に生き残らせると後に厄介を生むかもしれませんし…………」
「死体は、こっちで処理をしよう。ボウヤは狩っておいで」
「……了解です」
一瞬だけ、
静かになった室内。
「ロン。食べても良いよ」
「血!」
嬉々として角のある女性が動き出す。
この間にクァンシが考えるのは狩りに出た子供の姿。
(瞬きの間に、急所に五回の刺突。加えて弛緩した人間の体をああも簡単に、片手で動かす、か)
クァンシ自身、出来る事だ。裏社会の下っ端にとられる命ならば、そもそも彼女はここまでデビルハンターとして生きてはいない。
そんな彼女から見ても、エニシは異常だ。特にそのたたずまいと実力。
というのも、パッと見では彼は十歳の子供でしかない。背中に刀を背負っていたり、スーツを着ていたりするものの十歳の子供でしかないのだ。
でありながら、殺意も敵意も無く人一人を殺してみせた。“意”を消すとか、薄めるとかそんな事ではなく、まるで最初から持ち合わせていない様な
異常だ。そして、ぶっ飛んでいる。
「…………やれやれ、岸辺も随分と厄介なボウヤを送り付けてきたもんだ」
夜はまだまだ明けない。