思ったより長くなったので、前後編に分けました。
少しずつ、罅を入れていきます。
「アオキさん、金曜飲みに行かん?」
「行かんです……」
「近所に良さげな店見つけてん。ハッサクさんも来れる言うとったから18時半からでええ?」
「無視……」
昼休憩にリーグのカフェスペースでヤシオが作ってくれたクソデカタッパー弁当を食べていた時、アオキはチリに絡まれた。
飲みに誘われただけなのだが、アオキの心情としては絡まれた、というのが一番適切だった。
チリは椅子を引っ張ってくるとアオキのそばに置いてそこに足を組んで腰掛ける。それから「ええもん食べとるやん」とさらに絡んできた。
「アオキさん、作ったん?」
「(弟子が)作りました」
「ほーん。で、飲み行かん?」
「行かんです」
「かーらーのー?」
「行かんです」
そんなやりとりをしていると近くを通りがかった営業部の若手がチリに向かって元気良く挙手をした。
「はい!はいはいはい!チリさん!俺空いてます!なんなら営業時間外は全部チリさんのために空けてまあす!」
「ほんまー?でもごめんな、チリちゃん可愛い子としか飲まれへんねん。自分はちょっとイケメン過ぎるなあ」
「エーン!アオキさんくらい可愛くなってから出直します!」
「おん、そうしてや」
「……え?なに?怖…………」
腕で涙を拭いながら走り去っていく青年の背を見送る。
なんか怖い会話に巻き込まれた。え?本当に怖い。可愛くない中年のオッサンを茶番に巻き込まないでほしい。
「……さっきの彼ですが、」
「え?おん?」
「営業部の若手エースで大学時代はゴリゴリの運動部でしたし今でも積極的に飲み会の幹事をやってくれるような方なのですが、酒にめっぽう弱く、カルーアミルクのような甘いカクテルしか飲めない上にグラス1/3も飲んだらその場で丸くなって寝てしまうような人です」
「……かわええとこあるやんけ」
チリは若手が去っていった方をチラリと見てから、再度アオキへ視線を向ける。
どこかこちらを揶揄おうとしているような顔つきにアオキは平穏な昼休みが崩れることを予感した。
「アオキさん、恋人と同棲始めたって噂なってんで」
「…………は?」
「お、その反応ってことはガセやったん?」
「ガセもガセです……大体なんでそんな話が出てきたのかもわからんのですが……」
するとチリは人差し指か順に一本ずつ指を立てながら答えた。
「ひとつ、スーツもシャツも鞄も靴まで、最近急に身綺麗になった。ふたつ、前まで毎日ぼんやりした顔で外に食べに行ってたのに近頃は持ってきたお弁当美味しそうに食べとる。みっつ、定時退社しとる。大体この3つやな」
「シャツがだいぶよれていた(と弟子に指摘された)のでちょうど良いと思って全部新調しました。弁当は(弟子の)手作りです。定時は帰宅時間です。以上です」
「ダウト」
チリはニヤニヤと笑う。
アオキは気にせず弁当の中に入っていたハンバーグを箸で切り割った。すると、冷めて固まってはいたけれど中にチーズが入っているのが見えて、ふと手が止まる。
……毎朝、ヤシオの手作りなのだ。ついでだと言って聞かないけれど、本当にわざわざ、自分などのために。だからこそ、惑う。
……時折、確認したくなる親切の理由。それからその奥にある本質だとか。
浮かんだ疑問をハンバーグと共に飲み込む。
踏み込んでいいラインをずっと考えている。今も考え続けている。
「いや、ダウトっちゅうか、嘘はついとらんけどほんとのことも言っとらんやろ」
「……否定はしません」
「迷惑かもしれんけど、同僚として心配しとるだけや。ハッサクさんもやで」
「…………迷惑とも思ってませんよ」
アオキは、ヤシオを保護し、導く大人が自分ではなくてもいいのだと知っている。
自分に白羽の矢が立ったのは全くの偶然であり、数少ない選択肢から他者によって最善だと信じられて選ばれた結果であっただけで、その選択の幅さえ広げられれば自分以上の存在などきっといくらでもいるのだ。
それは人生経験の豊富な教職者であるハッサクかもしれないし、誰とでもフラットに向き合えるチリかもしれないし、未来と他者の可能性を心から信じているオモダカなのかもしれない。
……だからきっと自分である必要はなかったし、そうであるべきなのだ。
なればこそ、いつか自分が力不足になった時に、自分以外にヤシオが助けを求められるようにしておくべきなのだろう。
アオキは小さく息を吐いた。それを見てチリは笑う。
「ま、とりあえず金曜18時半やから、よろしゅうな」
「というわけで、金曜は同僚と飲みに行かないといけなくなったので晩飯は大丈夫です」
「ふーん、楽しそう」
「家にいる方が楽しいです……」
「出不精」
「今デブって」
「言ってねえよ」
ダイニングテーブルの椅子に腰掛けたアオキは皿を洗っているヤシオの背中を眺めながら息をついた。
食器が当たったり擦れたりする音や水が流れていく音がする。生活の音が心地いい。
「酒ってうまいの?」
「人によりますが、自分はあまり好きではないです」
「なんで?味?」
「水分で腹が膨れて飯が入らなくなるので……」
「ああ、そう……まあ、アンタんちの冷蔵庫って酒ねえもんな」
「前はいくらかありましたよ。あなたが来るので処分しましたが」
「そうなの?」
「子供が手の届く範囲に酒や煙草があるのは良くないので」
「ふーん」
子供扱いに不満を見せるかと思ったが、そんな様子もなかった。呟くように言って、それきり。
来たばかりの頃に比べてヤシオのトゲは無くなってきている。そもそもが警戒故のトゲだったのだから、その警戒が緩めばトゲが無くなるのも当然か。親しみ故の口の悪さはあるが、それを不快に感じたことはない。
洗い物を終えてタオルで濡れた手を拭くヤシオが振り向いた。それからアオキの向かいに腰掛ける。何とは無しに、定位置。アオキは口を開いた。
「それで、さっきも言った通り金曜は飲み会なので、多分深夜に多少なりとも酔って帰ってくると思います」
「おう」
「なのでこれをあなたに託します」
「…………なに、これ」
「パンチグローブです」
「なに?怖い怖い怖い急に意味わかんねえ挙動すんのマジでやめてなに?」
パンチグローブとは拳を保護するためのグローブである。あとパンチ技の威力が上がるし、相手に接触せずに攻撃できる。
唐突にそれを差し出したアオキにヤシオは普通に怯えた。人間、おばけよりも意味のわからない行動をしている人間の方が怖いものだ。
そんなヤシオへアオキはぽつぽつと話し始めた。
「酒が飲める年齢になってからはずっと一人暮らしだったので、酔って帰ってきた時の自分の挙動がわからんのです」
「どーゆーこと?」
「自分では自覚がないだけで酒が入ると攻撃的になったり暴力的になったりしてしまう人もいて、自分は自分自身がそうでないと自信を持っては言えない、という話です」
「……酔って起きたら目の前で人が顔腫らして気絶してたことでもあんの?」
「いえ、そんなことがあったら流石に断酒してます……というか捕まってます……」
まだ若い時にテーブルシティで酔って意識が無くなって朝起きたら東パルデアの砂浜にいたことは流石に言わないでおこうと思った。あれは綺麗な朝日だった。
とかく酔っている時の自分が何をしているのかわからないのが怖い。
「そういうわけで、もしあなたが身の危険を感じたら躊躇わずこのパンチグローブを使ってください」
「ええ……」
「……ヤシオ、人間の殴り方はわかりますか」
「怖いこと言い出した……」
「基本的に顔面を殴られると威力が弱くても人間は怯むので狙うならそこです。撃つ場所を狙う余裕があるなら顎を。脳が揺れると人は倒れます」
「なになになになに!?経験談!?!?」
「…………」
「急に黙るな!!!」
ヤシオの反応が面白くて揶揄う。
まあ、それはさておき。
「とはいえ、あまり酔わないように飲む量をセーブするので大丈夫だとは思いますが」
「ああ、そうしてくれよ。流石に正当防衛でもアンタのこと殴りたくはねえわ」
「まあ、何もないと思いますからこちらのことは気にせず普段通りに過ごしていてください。寝る時も鍵は閉めてもらっていいので」
「おう、わかった」
「……セーブするって言ってたじゃん、アオキさんさあ……」
金曜の深夜、玄関先でぶっ倒れているアオキを見つけたヤシオは腰に手を当てて苦笑した。