それが仕事であれプライベートであれ、夜更けに掛かってくる電話は大抵は厄介事だ。
自室のベッドの上で胡座をかきながらアオキは思った。
「ヤシオくん元気?」
「……そう頻繁に電話してこなくていい……」
「するに決まってるでしょ。あたしが責任者みたいなもんなんだから」
電話口から聞こえてくる溌剌とした姉の声に、アオキは思わずスマホのボリュームを数段下げる。
姉がこの前に電話してきたのは2日前だ。その前は5日前だったか。こんなに短期間に何度も姉と連絡を取り合ったことなど人生で一度もない。すべてヤシオが来てからだ。
姉と仲が良いか、と問われたらアオキは間髪入れずにNOと答えられる。おそらくあちらもそうだろう。
血が繋がっていることだけが微かな繋がりで、それがなかったら恐らくろくに会話をすることもなく人生を終えていただろう関係。
姉弟とか家族とか関係なしに単純に精神的な距離が遠く、関係性が希薄だった。成人してからは特に。少なくとも姉の方には歩み寄る心構えはあったのだろうが、自分にはなかった。そのまま、今に至る。
それが変化したきっかけが、ヤシオがパルデアに来たこと。
ガラルに嫁に入った立場ながら、かなり強行してヤシオをアオキの元に送り出した張本人こそが姉である。
「ちゃんとヤシオくんにご飯食べさせてる?困らせてない?体調悪そうだったり辛そうな顔してない?」
「……ハア……」
「ねえアオキ、人に聞こえるように溜息つくのやめなさい。大人でしょ」
「……俺が日中仕事に出てて自分だけ家にいるのを気にしてるみたいで料理とか家事とか、積極的にやってくれてる」
「やだ良い子〜!いやほんと良い子よね、あの子」
「……でも姉貴から聞いてた印象とは違った」
「あたしも自分が知ってるヤシオくんとあんたから聞いたヤシオくんが全然違くてびっくりした。オッサンって言われたってほんと?ウケるよね、まあ実際アンタ老けたし、段々父さんに似てきたもんね」
「…………チッ」
「あんたマジでそれやめなー?聞こえてるからその舌打ち」
姉と話をすると毎回微妙にイラつくあたり、本当に性格の相性が悪いのだなと思う。
もっと簡潔に話してほしいし、この電話の目的を達成したら早く切ってほしい。というかこの電話の目的がわからないことがストレスになりつつある。
そう思っていた時、不意に姉が切り出した。
「アオキ、真面目な話していい?」
「初めからしてくれ……」
「あんたから見たヤシオくんってどんな子?」
「反抗期の子供」
「へえ、反抗してくんの?」
「…………」
「なわけないよね。素直だもん、あの子」
姉はそう言って笑った。それから溜息を飲み込むような音が電話の向こうから聞こえた。姉は言葉を続ける。
「……ヤシオくんさあ、あたしらの前でもいつもそうだったよ。ニコニコしてて、家事も手伝ってくれて、お母さん以外には敬語だったけどそりゃまだ距離感あるに決まってるよねって気にしてなかった」
「……ああ」
「言い訳になるけどさ、全員環境の変化に戸惑ってたし、なんとかうまく適応しようとしてたんだよ。あたしなんか一番部外者だったしね、他所の家に嫁に入るわけだし、義理の家も再婚したばっかだって言うし、ガラルなんて全然知らない土地だし、まあ正直、結構ストレスもあったもの」
愚痴混じりに姉はそう呟いた。後に立たなかった後悔の跡が滲む声。
重ったるい空気が嫌になってアオキはちょっかいを出す。
「なんだ、言い訳か……」
「だから最初にそう言ったでしょ。大体あんた以外の誰に言い訳ができるってのよ。なんか文句あんの?」
「別に……」
「はいはいはい。で、あたしは大人だし、そういうの何とかできる性格だからなんとかなった。けど子供はそうじゃないよね。こんなこと普段ならわかるはずなのに、あんだけ大人がいて結局誰も気がつけなかった」
大した相槌など打たなくても勝手に話す姉の言葉を聞きながら、アオキもなんとなくわかっていた。
特定の誰かが悪かったわけじゃなくて、その時その場所その人その言動その性質、あらゆる事象がうまく噛み合わなかっただけだ、と。
結局のところ、……ただ間が悪かっただけなのだと。
「で、あんたにも前話したけど、結局
悔い入るような姉のその声音に、流石のアオキも多少気を遣った。
「……別に、姉貴たちだけが悪いわけじゃないだろ。そっちが気が付かなかったんじゃなくて、ヤシオが隠し通しただけだ。15歳なんて、大人が思うほど子供じゃないし、馬鹿でもない。嘘や隠し事くらいいくらでもできる」
「…………はー、あんたにフォロー入れられるって、やっぱ相当のことよ」
「は?」
「は?」
「は?」に対してより威圧の強い「は?」が返ってきた。
……何故姉という生き物は「は?」という一言でこんなに威圧してくるのだろう。抵抗する気が失せる。アオキが無言になったのを確認して姉は続けた。
「今思えばね、ヤシオくんずっと「大丈夫です」しか言わなかったんだよね。それに気がついた時、あたしは10代の時のあんたに似てるって思った」
「……俺に?」
「そう、あんたもそうだったよ。いっつもつまんなさそうな顔で「なんでもない」って言ってばっかり。何がしたいの、どうかしたのって聞いても「なんでもない」。ウザすぎて何回か殴ったもんね」
「……あれそういう理由で殴られてたのか……」
思い出してげんなりする。子供の頃は割と頻繁に殴られていたからだ。
「ヤシオくんはあんたと違って愛想良いしニコニコしてたし、状況も状況だったからね、気を遣ってるんだなって思ってたけど。違ったね、あんたと同じタイプよ」
「悪口……」
「あんたは対人関係を面倒くさがって言わなかった。ヤシオくんは対人関係に気を遣って言わなかった。似てるけど違うの。はい、悪口はあんたにしか言ってないー」
姉はアオキに向かって露骨に舌打ちをした。3回。面倒くさがっていたわけではない、と言いたいことがなくもなかったがアオキは無抵抗を貫いた。説明するのも難しいし、理解されるとも思わない。
いくらかの沈黙、それから耐えきれなかった姉の深い溜息が聞こえた。
「……ぶっちゃけ、あたしは子供の時からあんたが何考えてんのか全然わかんなかった。多分だけどあんたもあたしのこと嫌いだったでしょ?」
「…………」
「ヤシオくんがあんたに似てるなら、きっとあたしはわかってあげらんない。で、男連中はもっとダメ。お義母さんはもう気持ち的に参っちゃってたし、ヤシオくんもあたしたちに気を遣って家に寄り付かなくなっちゃった。こうなった時点でもうあたしらじゃ助けらんないって思った」
「家庭崩壊……」
「やめなー?マジ。で、白羽の矢が立ったのがあんた」
「スケープゴート……」
「……アオキ、口が過ぎるの本当にやめなさい。今パルデアにいたらあんたのこと殴りに行ってるわ」
若干本気でキレつつある姉の声音。殴りに来れないとわかっているから電話口で煽っているのだ、とは流石に口にしなかった。
「溺れてる子がいたら、たとえ地上で砂嵐が起きててもまずは助けるでしょ?それと同じ。ヤシオくんにとってここはもう安らげる家なんかじゃなくて、息ができない水中でしかない。だからまずここから離すべきだって思った」
「…………」
「……ねえ、あんたから見たあたしは間違ってる?」
どこか迷いのあるような声音に、アオキは溜息をついた。
それから、敢えてそれを口にする。
「……姉貴がお節介で世話焼きなのは知ってる」
「うん」
「今回のやり方の全てが正しいとは思ってない」
「……うん、そうだよね」
「でも、最善を尽くしたこともわかってる」
「うん……」
「なんで俺なのか、とは未だに思うし……」
「でも、あんたの前では笑ってくれたんでしょ?」
その言葉で、ヤシオから向けられた笑顔のことを思い出す。
別に何か特別なことをしたわけじゃない。
食事して出かけて話をして、ただ共にごく普通に暮らしていただけだ。
……その理由はいまだによくわからないけれど。
「……だからやっぱあんたのとこに行かせて正解だったって思ってる。……ヤシオくんがあたしのことを家から追い出した奴だって恨んだとしてもね」
姉はそう言って、少し鼻を啜る。
そうだった、姉はよく笑って、よく泣く人だった。
彼女のそういうところがアオキは苦手で、……少し羨ましかった。それを唐突に思い出す。
「歳とるとダメ。子供がしんどい目に遭ってるのが本当にダメなのよ。なんかもうオッサンのあんたなんかマジでどうなってでもいいからヤシオくんには心穏やかに過ごしてほしいワケ」
「……言いたいことはいろいろあるが……ヤシオは姉貴を恨んでないと思う。そういうことができるなら多分こうなってないだろ」
「そう、そうかな、そうなのかな……あたしにはわかんないや……」
ごめん、と姉は呟くように口にする。
彼女の弱々しい声は調子が狂うから嫌だった。
けれど今更何を言ってやれば良いのかわからなくて、無言を貫く。
少しの沈黙の後、姉は取り繕ったような声で笑った。
「夜遅くに悪かったわ。もう切るね、聞いてくれてありがとう、アオキ」
「本当に悪いと思ってるなら電話の回数減らしてくれ……正直めんどい」
「ほんと一言多いのよね、あんたは……。まあいいや、じゃあね」
「姉貴、一個だけ」
「ん、なに?」
「……確かに俺は姉貴のことが、……子供の時から苦手だった」
「……うん、知ってるよ」
「でも、嫌いだったことは一度も無い」
「そっか」
「ああ」
「うん、ありがとう。おやすみ」
姉なんて、血が繋がっているだけの他人だ。
一緒に暮らすなんて絶対に無理だし、特別なにか用が無ければ連絡をすることもない。姉の結婚式のご祝儀に3万しか入れてなくて普通に母親に怒られた。
けれど、互いの人格形成に大きく影響を与え合ってしまったことは確かで、それがどうしようもなく煩わしくて、それでいながらこの世界で唯一の存在だ。
姉に関しては「なんでもっとうまくやれなかったんだろう」とは思わない。
今のこのどうしようもない距離が、一番良い距離だとわかっている。他人からはどう見えようとも。
アオキは愛を信仰しない。
だから家族も恋心もセックスも信仰していない。
そんなものがないと他人と関われないなんて、他人を大切にすることもできないなんて、馬鹿げているからだ。
それを聞いたらきっと姉は「潔癖だ」と鼻で笑うだろう。
なまじその反応が想像できるから、姉のことはやはり苦手だ。
あの人は愛を信仰したうえで、それがなくても人を大切にできるから。
羨ましいとは思わない。
成れないものには憧れないから。
……疲れた。寝る前に少し喉を潤したい、
そう思って、部屋から出た。
以前、活動報告で書いていた話ですが、順調にいけば今夜独立した短編として上げます。
ご興味あったらよろしくお願いします。