『ミツバチのささやき』の政治批判的解釈をベースにした『ミツハニーのささやき』の政治批判的解釈の話が出てきます。は?
とりあえず、パルデア地方の近現代史の捏造がすごいです。全部オレが考えた捏造クソ歴史です。SV本編の記述と矛盾してたらすみません……絶対矛盾してそう……。
『ミツバチのささやき』ファンやスペイン史好きの方がいたら本当にすみません。自分も『ミツバチのささやき』に脳を焼かれたオタクです。許してください。
『ミツハニーのささやき』という古い映画がある。
舞台は今から80年近く前のパルデア中部にある小さな村。年老いた父と若き後妻、それから幼い姉妹が中心人物で、主人公は妹のアナ。
彼らの家庭環境は微妙だ。大人たちは過去に深く傷つき、その傷に雁字搦めになって動けずにいる。
それ故に幼い姉妹の天真爛漫さが際立つ。
ある日村にやってきた移動映画館でアナは『フランケンシュタイン』の映画──最早知らない人がいないだろうが念のため説明しておくと、この映画はフランケンシュタインというマッドサイエンティストが様々なポケモンの体を継ぎ合わせて作った肉体に人間の脳を入れて完璧な生命を作ろうとした結果、怪物を生み出してしまうというスリラー映画である──を見る。
幼い彼女には作中に登場する怪物が恐ろしいものだと思えなかった。姉の「怪物の正体は精霊」「目を閉じて『私はアナ』と呪文を言えば友達になれる」という言葉をアナは信じて、いつか精霊と友人になれることを夢見る。
そんな最中、町外れの廃墟に逃亡者の男が──彼が何者なのか、詳しいことは作中では説明されない──逃げ込み、その廃墟を遊び場としていたアナと鉢合わせてしまう。けれどアナはその男へ食べ物や父親のコートを渡して親切にしてやる。まるで映画の中の精霊と出会ったかのように。
しかし2人の交流はすぐに途絶える。深夜、恐らく警察だろう男たちに逃亡者の男は見つかり、翌日には廃墟に血痕を残して姿を消す。
逃亡者へ食糧やコートを渡していたことが知られたアナは問い詰める父から逃れるように森の中へ走り去り行方不明になってしまう。村人は総出で松明を持ってアナを探すが見つからない。
その夜、アナは森の中で眠り、精霊と出会う夢を見る。
翌朝アナは村人に無事発見されるが、家に戻った彼女は口も効かず物も食べない。
精神的なショックだろうと医者は判断し、大人になるにつれてこの出来事も忘れていくだろうと言った。
けれど、部屋で1人になったアナは窓辺に立って口にした。「私はアナ」と、あの呪文を。
大人たちの想定を他所に、精霊のこともあの逃亡者のことも決して忘れないと誓うかのように。
物語はアナの呪文と共に、彼らの家庭が少しずつ再生していく予感を見せながらエンドロールへ向かう。そんな、話。
アオキがそれを見たのはもう随分前、子供の頃のこと。父親が連れて行ってくれた映画館でそれを見た。
アオキの父親は寡黙で物静かで、休日もリビングのソファで本を読んだりたまに庭をいじったりしている大人しい人だった。
そんな彼の唯一の趣味がシネマ鑑賞で、ごくたまにふらりとミニシアターのようなところへ行って古い映画を見るのが好きだった。たまにその趣味にアオキを一緒に連れて行ってくれた。
そこで見た、今もなお覚えている数少ない映画の一つが『ミツハニーのささやき』だった。
この物語のなにが、どうして、どのように幼い頃のアオキの琴線にふれたのかは今もわからない。
アナが逃亡者とお別れしたのが悲しかったのかもしれないし、決して忘れないとアナが抗う様が綺麗に思えたのかもしれない。
もしくはもっと単純に、物静かな映画の雰囲気が恐ろしく感じられたのかもしれない。
ただ事実として、今も心の中に残っている。
映画を見終えた後、何故か涙をこぼしていたアオキへ父はその理由を問わなかった。
散々上着やスラックスのポケットを漁って、結局ハンカチを見つけられなかった父はシャツの袖を引っ張って、それでアオキの涙を拭いた。
その時に父の袖口から香った香水が、今はアオキの自室の棚にある。
「この映画ってあんまポケモン出てこないんだな」
映画の途中でふとヤシオはそう呟いた。ヤシオは毛布に包まったままで、プクリンは映画には興味なかったのか、彼の腕の中ですっかり寝入っている。
テレビの中で、主人公のアナは姉と共に線路のそばで遊んでいた。この線路はもうパルデアにはどこにも無い。失われた景色だ。
『ミツハニーのささやき』において、ポケモンはほとんど登場しない。
出てきたとしてもそれは背景に映り込んだ虫ポケモンや鳥ポケモンくらいで、まともに出てくるのはタイトルにもなっているミツハニーだけ。
そのミツハニーも舞台装置としての役割ばかりで、登場する時間も非常に短い。
今流行りのポケウッド映画のようにポケモンが主役になれる現代映画とはまるで異なる作品だ。
「……この映画は大体今より80年ほど前のパルデアの田舎町がモデルなんですが、その当時のパルデアというのは、政治的にかなり不安定なところがあったんです」
「ん?……ああ、うん」
ヤシオは自分の呟きにアオキが答えようとしてくれていることに気がついて相槌を打つ。それを受けて、アオキも言葉を続けた。
「国土のほとんどがかなり険しいこの地方において、人が生きて、近代文明を確立していくためには開拓が必要不可欠となります」
「……ガラルでいう産業革命とか、そういう感じのやつ?」
「はい。ですが当然のことながら、近代化のため街を作るにしろ、線路を引くにせよ、未開拓の土地へ人の手を入れるということはその自然の中で生きているポケモンたちの住処を奪うことでもありました」
「……そう、なっちゃうよな」
「とはいえ、近代化しなければ人が生きるには厳しい地方です。ポケモンを追いやってでも人が生きる場所を作るべきと考える者もいれば、ポケモンの行き場を奪って得た場所で生きることは正しくないと考える者もいました」
「うん……」
「上手く双方の意見を良い場所に着地させられたらよかったのですが、結果的に極端な考えと極端な考えで政治的に争うことになってしまった。……そして、結論として言えば、ポケモン排他派が政権を握ってしまった。その時期こそが、この映画の舞台設定です」
ヤシオは自分の腕の中にいるプクリンが今眠っていてくれてよかったな、と思った。彼女にはあまり聞かせたくはない話だ。
「排他派と言っても政権を握っていた時期はそう長くはありません。とはいえ、地域にもよりますが、ポケモンと共にいるだけで迫害を受けるような時期もあったそうです」
「……やだね」
「はい、本当に。アナの両親は、描写を見るに親ポケモン派として政治的活動を行っていた人々です。しかし結果的に敗れて心折れ、田舎町で養蜂家として暮らしている。……内心では今もポケモンを大切に思ってはいるものの、養蜂家としてミツハニーを育てる以外に共に生きる道を見つけられずにいて、……諦めてしまっています」
「……そういう仕事だからって理由をつけないと、人はポケモンと一緒にいられなかったってこと?」
「その通りです」
アオキの隣で話を聞いていたヤシオは、テレビをじっと見つめながらもプクリンを少し自分の胸に抱き寄せた。手放さないように、とばかりに。
「監督は親ポケモン派であり、政権批判としてこの作品を作ったとも言われています。しかし当時は当然親ポケモン的な表現のある書籍や映像は厳しく規制されていました」
「だからそもそも映画に出せねえんだ。ポケモンと一緒にいちゃいけないから」
「はい。そのため、登場するフランケンシュタインの怪物や逃亡者はポケモンのメタファーだと言われています」
「……めたふぁー」
「比喩表現のことです。本当はポケモンを登場させたいけど、できないから代わりに人が演じている怪物や逃亡者を出しているのではないか、と」
「ん、……アナは怪物と友達になりたいって思ってて、あの逃げてきた人と仲良くなってたけど、あれは本当はポケモンと仲良くなりたいってこと?」
「はい、あくまでも考察ですが。そしてアナという少女はパルデアという地方そのものの暗喩であり、結論、
映画の中で、それまでどこか硬い表情だったアナは廃墟の中で出会った逃亡者が手品を見せてくれたことで表情を柔らかく緩める。
……その夜、銃声を最後に逃亡者はこの廃墟から血痕だけを残して消えてしまうけれど。
「つまるところ、ただそれだけの祈りの映画です。いつかこの土地で人とポケモンが共に平和に暮らせますように、と」
「うん……」
「……話し過ぎました。映画の内容には関係のない話です。気にせんでください」
「ん……」
父親の手を逃れて森へ駆けていくアナの姿は、幼い頃のアオキにはある種の自由を得たようにも見えた。
隣に座る彼にはどう見えているのだろう。
どのような形であれ、家族という枠組みから離れた今の彼にとっては。
探ることはしなかった。問いかけることも、また。
「……これ、人に言ったこと無いんだけど、」
不意にヤシオはそう切り出した。映画は終わり、エンドロールが流れている。アオキは黙ってうなづいて、言葉の続きを促した。
「歴史の授業とかで、昔は王様とか、そういう地位が高い人が権力の象徴として、」
ヤシオはそこまで言ってから、小さな寝息を立てているプクリンの長い耳をぺたんと手で押さえて、微睡の中でさえ絶対に聞こえないよう耳を塞いだ。それから言葉を続ける。
「……プリンとかプクリンの毛皮を服に使ってたって話を聞いた時、オレはすごく……嫌だった」
「……はい」
「別に、関係無いし、ただそれだけなんだけど」
「その感覚は、理解できる気がします」
「だってさ、こんなにあったかいのに」
「それで充分です。だから大切にしたいと、それだけでいいんです」
「……ん。そう思った時のことを、ちょっと思い出しただけだから」
「……はい」
大したことではないと、なんでもないのだと、プクリンを抱きしめながら強がる少年を前に、アオキはそれ以上何も言わなかった。
ハンカチを持っていなかったから、かつての父のように伸ばした袖の端で彼の目元を黙って拭う。ヤシオは黙って、されるがままアオキの袖越しの指を受け入れた。
「映画はどうでしたか」
なんとはなしに、そう問いかける。そうすればヤシオは一瞬鼻を啜ってからアオキを見て答えた。
「つまんなかった」
「あ、はい」
「画面がずっと単調だし、セリフ全然ねえし、ストーリーよくわかんねえし、ポケモン出てこねえし、1人だったら寝てた」
「……否定はできないですが……」
ヤシオは素っ気無くそう言って、それからアオキから目を逸らして続けた。
「でもアンタの話が聞けたのは、ちょっと楽しかった」
「……それなら、よかったです」
「詳しいんだな、歴史とか。……ジムリーダーってそういうもん?」
「……そうですね、ジムリーダーはトレーナーとしての模範ではあるべきですから。それを差し引いても、この地方で長年ポケモンと共に暮らしている以上、知っておくべきだとは思っています」
「たまにちゃんとしてんな」
「……普段ちゃんとしてないみたいな言い方……」
「……あのさ、アオキさん」
「はい」
「……気を悪くさせたらごめんなんだけど……」
ヤシオはそう言い淀んでから、いくらかの間を置く。
アオキはそれを黙って待った。
何度かの躊躇いの後にヤシオは再度口を開く。
「……多分、オレはこういうふうに映画を見たりとか、その後にゆっくりと話をしたりとか、そういうことを、母さんとしたかった……んだと思う……」
少年は俯きながらそうぽつりと呟いて、グッと何かに耐えるような顔をした。それからハッとして、顔を上げてアオキを見る。
「ちがう、アオキさん、あの、オレは、アンタと話したくなかったとか、どっちが上とか下とか代わりとか、そういうんじゃなくて、」
「大丈夫です。わかってます。……今日自分とそうしたように、ご母堂ともゆっくり話すタイミングが欲しかった、というだけのことでしょう」
「……うん」
一瞬内心に生まれた躊躇いをアオキは踏破して、これまでずっと触れないでいようと思っていた部分に足を踏み入れる。
本当はずっと考えていた。
ヤシオの家庭のことについては、部外者である自分は関わらない方が良いのではないか、と。
何故、その考えを改めたのか、その理由は自分が一番わかっている。
アオキは確かに部外者だが、けれどもう他人ではないから。
ヤシオという少年のことをもう他人だといって、手を振り払うことなどできなくなってしまった自分に気がついているから。
静かに口を開いて、踏み込み、問いかける。
「……ヤシオは親御さんとこうやってゆっくり映画を見て話す機会はなかったんですか?」
「ん、無かったな、今思えば。なんていうかさ、そもそもうちはオレが6歳の時に円満離婚したんだけど、」
「ちょっとストップしてもらっていいですか」
「あ?なんだよ」
「いえ、自分の辞書には円満離婚という言葉が載ってなかったので……」
「んーとさあ、オレが生まれた時に両親が話し合った結果、オレが6歳になったら離婚するって、そういう前々からの約束だったらしいぜ」
「…………」
ちょっと思ってたより前提が重いな?とアオキは思った。
新しい家族とうまくやれなかったとかそれ以前の問題な気がしてきた。
というより、これはそもそも……
「で、話戻すけど、離婚してからは母さん仕事で忙しかったからさ。仕事行く前とか帰ってきてからとかに話をしたりはしたけど、どっか旅行に出かけるとかそういうのはあんまりだったかな」
「……ちなみに6歳以前に父親とは……」
「もっとねえな。あの人、家にいたことほとんどないから。今会ってもわかんねえかも」
「…………」
「あ、でも思い出した!ちっちゃい時に母さんとガラルのリーグ戦を見に行ったことはあんだよ。2部リーグだったけど、当時のオレからしたらそんなの関係ないし、でっかいスタジアムでポケモン勝負が見れてすげえ楽しかった」
「それは、よかった」
「うん、トレーナーになりたいって言ったら応援してくれたし、オレが急にププリンを連れて帰っても怒んなかった。一緒に暮らしていいって!オレそん時すげえ嬉しかったんだよ!」
「……はい、それはよかったですね」
ヤシオは目を覚ましたプクリンを撫でて抱きしめて、子供みたいに笑う。
その笑顔を向けられて、アオキはなんとなく底冷えするような感覚を覚えた。
自分がかいた汗が冷えて、寒気がする。
薄々察していた核心に触れかける。
ヤシオは母親からは愛されていた。
その自認に間違いはないだろうし、母親もまた女手一つで彼を大切にしてきたのだろう。それはいい。そこじゃない。
問題は、結局のところヤシオが知っているのは母と子の関係だけだ、という点だ。
一対一の、完結していて、閉鎖的な関係。
家族というコミュニティというものは、それ自体が家の内部で完結するがために閉鎖的になってしまう。
それは仕方のないことだと言えるだろう。生活のルーティンや家特有の食事の味付けのように、自分の家の普通が自分にとっての常識になるのは誰だって経験があるはずだ。
だからこそ、知らない。
ヤシオは母子という親子関係は知っていても、家族という複数の人間による閉鎖的な関係性を知らない。
父親を知らない、兄を知らない、姉を知らない。
……つまるところ『家族』というコミュニティを知らない。
『家族』という関係性がどうやって構築されて運営されていくのかを一切知らない。
そんな人間が、新しい環境で急に他人を『家族』として扱うことなんてそうそうできるわけがない、という話だ。
ずっと疑問に思っていたのだ。
人数の程度の差はあれど、ヤシオの新しい家族もアオキも、ヤシオにとっては出会ったばかりの異物だ。
居心地の悪い他所の家、その中をうろつく見慣れない他人、嫌でも他人に気を遣う環境……その条件はガラルもパルデアも変わらない。
なのにどうして、ガラルの新しい家族とはうまくやれなくて、アオキとは上手くやれたのか。
それはパルデアではアオキとヤシオが一対一の関係性だったから。
そして、アオキが『家族』では無かったから。
おそらく、ここに帰結する。
……出会ってすぐに師弟関係を構築したことが大きな分岐点になっていたとは思わなかった。
とかく、家族を知らない子供が、右も左もわからないまま『家族』というコミュニティを受け入れようとした。
当然、無理に決まっている。少なくともヤシオにはそれができなかった。
だって知らないのだから受け止められるはずもない。受け入れ方を知るわけがない。
飛び方を知らない人間の背中に急に羽をつけたからといって飛べるようになるわけじゃない。知らないのに飛ぼうとして崖から踏み出し、失墜した。ただそれだけの、当然の結末。
けれど、それに大人が気がつかないのも無理はない。
だって普通なら知っているから。
他の大人は『家族』を当たり前のように知っているから、知らない人間の視点など持てなかった。飛べる側に飛べない側のことなど理解できるわけもない。段々と慣れて行くと、いずれ理解ができると、時が解決すると、そう思い込んでしまう。
その果てに生まれた断絶だ。
そしてきっとそのことに、ヤシオは気がついていない。
「……あのさ、アオキさん」
少しの喜びと照れを滲ませた表情でヤシオはアオキの名前を呼ぶ。
……どうしてだろうか、その口を今すぐ手で塞いでしまいたい気分だった。
「アンタには迷惑だっただろうけど、オレ、ここに来て良かったって思うんだ」
「……それは、どうしてですか」
ヤシオは素直に笑みを浮かべて、言葉を続けた。
「だってさあ、初対面のアンタとなんだかんだこうやってうまくやれたんだぜ?次帰った時はきっと今度こそガラルの新しい家族とも上手くやれる気がすんだ」
……そう屈託なく相好を崩す少年を前に、一体誰が否定の言葉を吐けるというのだろう。
あなたの夢は叶わない。家族を知らないあなたはきっとまた、あの時と同じ痛みを繰り返す。
……なんて、言えるわけもない。
「……そう、だと、いいですね」
映画を思い出した。
父親の手を逃れて森へと逃げて行くアナの姿。
いつか、子供の頃の自分はそんなアナを見て自由を夢想した。
けれど、今になって思う。
あの時の父親は、守るべき大切な我が子が己の手を振り払って危険な森へと走り去っていくのを、一体どんな心地で見ていたのだろうか、と。