翌日にはすっかり熱が下がりヤシオはすっかり元気になった。
だが、アオキは師匠権限で週が明けるまでは家で安静にして、家事もしないことを約束させた。ヤシオからは非常に不満げな顔をされたが。
「飯作るくらいいいだろ」
「朝と夜は自分が用意しますし、昼は適当に出前をとってください」
「……オレ昨日超汗かいたから寝巻きとか洗わないといけねえし」
「土日に自分がまとめてやるので大丈夫です」
「やることなくてヒマじゃん!」
「手持ちの子を構ってやってください。あなたのことをとても心配していたので」
「ん……そうだけどさあ」
「……それに自分も心配なので。仕事に行っていて目の届かない分、家で安静にしていてくれませんか」
「…………なんだよ、もう」
渋々といった様子で、しかしヤシオは安静にすることを約束してくれる。
やはりストレートに感情に訴えられるのに弱いらしい。チョロい……と思うと同時に、そういうところだぞ……とも、思った。
そんなわけで木曜は休みを取ったが、翌金曜には仕事へ向かったアオキ。
しかし彼には金曜、どうしてもしないといけないことがあった。
いや実際はどうしても金曜にしなくてはならないわけではなかったが、思い立ったが吉日というやつだ。
「本日は急なお呼びたてにも関わらずお時間いただきありがとうございます、ハッサクさん」
ポケモンリーグ本部にある会議室で、アオキとハッサクはテーブル越しに向き合っている。
仕事の話ではないから業務後で構わないと言ったアオキへ、1on1という名目で時間を空けてくれたのはハッサクだった。
「構わないのですよ!むしろアオキが小生を頼ってくれて嬉しいくらいですとも」
「はい。では、さっそく本題なのですが、パルデアでの養子縁組についてご相談したく呼びさせていただきました。実の両親が健在である未成年の養子縁組を進めるにはどういった手順から始めるべきでしょうか」
「アオキ」
「はい」
「ちょっと待ってくださいです」
「はい」
「……え?」
「はい」
これにはハッサクも困惑した。
普段は大人しく面倒ごとを嫌う同僚から、面倒ごとの塊のような相談をされたのだから。
前提を把握し切っていないハッサクはいったんちょっと待ってとばかりに掌をアオキへ向けると考え込む。
実の両親が健在である未成年の養子縁組……?どういう……あ、えっ?
数秒のシンキングタイムの後に口を開いた。
「……もしかして、虐待児の保護の話をしていますか?」
「いえ、違います。実の両親が健在である未成年を養子にする方法について伺っています」
「……理由を聞いても?」
「……?……実の両親が健在である未成年を養子にしたいからです」
「……え?……ええと、何故養子にしたいのですか?」
「………………その子供の生育に、親や家族という関係性が悪影響を与えると思ったから……でしょうか……」
「……ほう、なるほど……」
なるほどと言いつつハッサクは正直、アオキが何を言っているのか全然わからなかった。
とある子供にとって親や家族という関係性は悪影響だ。
けれど、その子の親や家族にはなりたい。
……明らかに矛盾だ。
しかしアオキの様子を見るに、そんな矛盾した発言をしていることに彼自身が気がついていないようだった。
流石になんか変だな?と思ったハッサクは一旦アオキから話を聞くのではなく、話を引き出す方向に切り替える。
同僚して交流していくうちに知ったことだが、この自称『平凡』な同僚は驚くほど我が強い。
下手に真正面から否定したり、異なる意見をぶつけると2度とこちらを頼らなくなる可能性があった。
それは避けたい。アオキとハッサクの関係が崩れるだけならいいが、なまじ子供に関わる分下手なことはできない。
ハッサクはこれまでの人生の経験をフル活用して慎重に質問を考え、口にする。
「相談にあたって齟齬のないよう確認したいのですが、その子供というのは以前飲んだ時にお話ししてくれた、ガラルから来た親戚の子であっていますですか?」
「はい。……酒の席ではありがとうございました。ハッサクさんの言っていた通りです。内心ではずっと、自分はあの子にとっての最善では無いと、だからこそより良い場所や人があるのなら彼をそこへ行かせるべきだと思っていました。ですがハッサクさんの言っていた通り、そんなまるでいつか放り出すかのような思考で向き合うのは良くなかったです。腹を括って自分の子にします」
……あれ?これ、養子縁組という突拍子もない思考に行かせたのは小生の発言のせいってことでは?
……いや、まだ話を聞いていない。
もしかしたら、アオキの突拍子もない思考にもきちんとした理論や順序があるのかもしれない。ハッサクは居住まいを正した。
「そ、そうですか。では念のため確認しますが、アオキ、大前提としてその少年との同意は取れていますですよね?」
「…………」
露骨に目を逸らされた。ダメそうだ。
流石のハッサクも説教モードになる。
「……アオキ、随分と思考ばかりが先走りましたね」
「ですが、ヤ……彼は自分によく懐いています」
「だとしても同意が取れていないのであれば話は進められません。今のあなたの考えは誘拐の思考とさして変わりはないのですよ」
「……今日はあくまでもそうする必要になった時に適切に対応できるよう準備をしたいというだけの話です……」
本当か?とハッサクは怪しんだ。
怪しんだが、ここでこちらが頑なになれば我が強いアオキもまた頑なになって2度とこの話を振られなくなるかもしれない。
ハッサクは自分が折れたように装いながら、話の主軸を別の方向へ誘導させようとする。
「……はあ、わかりました。とはいえ、大前提として相手との同意を取ることと、法に触れない手段であることを守ってくださいですよ。それが普通なのですから」
「……それは、そうですね……はい」
普通という言葉を持ち出せば、アオキは一瞬動きを止めて、それから微かに理解を示したような顔つきを見せた。
普通を好む彼がそれを忘れて逸脱しようとしたのだから、ある意味では相当のことがあったのだろうと察することはできる。……それはそれとして、だいぶ頭のネジが外れているような気はするのだが。
「……確認したいのですが、養子にしたい子というのは以前の酒の席で話をしたガラルから来た15歳の少年のことであっていますか?」
「はい、その通りです」
「確か、あなたは言っていましたですね。彼は年相応に無知なところはあるものの、善良で思いやりのある少年だと」
「ええ、今もその認識に変わり無いです」
「ところでアオキ、今後結婚の予定は?」
「……ありません。……確かに養子縁組の審査において、受け入れる側が夫婦であることは優位に働きます。しかし結婚していることが絶対の条件では無いことは確認済みです」
独身であるということが養子を受け入れる側としては不利な条件になるのではないかと遠回しに指摘されたと思ったのか、アオキは先回りするようにそう答えた。
ハッサクは苦笑しながら否定するように首を横に振る。それから再度口を開いた。
「いいえ、制度や条件はどうだっていいのです。それよりも問題は『負い目になる』可能性の方です」
「……負い目、ですか」
呟くアオキにハッサクはうなづいた。
「もしあなたの言う通り、その子が善良で思いやりのある人ならば、あなたが少年のために手を尽くすことへ彼が罪悪感を覚える可能性があることを忘れてはいけませんですよ」
ハッサクは、他人に「その人はどんな人なのか?」と聞かれた時に答える性格こそがその人に対する最も強い印象だ、と考えている。
上記の質問をされて「物静かな人だ」と答えるならば、回答者にとってその人物はよほど物静かな印象が強かったのだろうし、「怒りっぽい人だ」と答えるならば、きっと相手を怒らせた経験があったり、怒っている姿の印象が強く残っていたりするのだろう。
アオキは「善良で思いやりがある」と言った。
きっと、そう思うに至った理由があるのだろう。
ましてアオキはそれなりに人生経験のある大人であり、中立中庸な質の人間だ。人間の持つ優しさや思いやりなど既に知っている。
知った上で、その少年をそう評したのだ。きっとよほどだ。
そしてハッサクの教師としての経験上、他者への思いやりが強い人は反面、自罰的な面を持ち合わせていることが多いことを知っている。
誰かを思いやれる分、周囲に過剰に気を遣ったり相手の心理に合わせてしまったりするのだろう。
その自体は誰にでもある感情だが、問題なのはそれを過剰に持ち合わせ過ぎてしまうことだ。
「15歳の養子を引き取るとなると、アオキ、あなたの人生も大きく変化してしまいます。結婚したいと思っても子を持っているということが障害になるかもしれないし、仕事の幅も狭くなってしまうかもしれない」
「……その程度、自分は構いませんが」
「あなたはそうかもしれません。ですが、その少年の立場になってみるとですよ、あなたのような働き盛りの男性が、たかだか数ヶ月前に出会った自分のために己の人生を犠牲にしようとしているように見えてしまうのではないですか?」
「…………それは……」
「恋愛も結婚も仕事も、たとえアオキが自身の意思で選ばなかっただけだとしても、そういう性格の人からしてみれば『自分がいたせいで己の人生を選べなかったのではないか?』と考えてしまうものなのですよ」
そして『自分のせいなのではないか?』という疑問は、程度はあれど『自分さえいなければ……』という自己否定の思考に移りやすい。
……とまあ、色々言ってきたが、果たしてその少年が本当にそういう質なのかは会ったことも話したこともない以上ハッサクにはわからない。
だが、暴走するアオキをやんわりと止めるためにも子供側の視点から情に訴えかけてみることにした。
そんなハッサクの目の前でアオキはじっと固まって長考している。若干ハラハラしつつ、ハッサクはアオキの反応を待つ。
そうしていくぶんかの沈黙の後、アオキは小さく口を開いた。
「……確かに、そういう思考に至ってもおかしくないような子ではあります」
「そうでしたか」
「あの子と2人で話し合ってみようと思います」
「ええ、小生もそれが良いかと」
「相談に乗ってくださりありがとうございました」
「気にしないでくださいですよ」
「ところでこちらは養子縁組申請の書類なのですが、ハッサクさん、念のためサインをいただけたりしますか」
「いただけたりしませんです。アオキ、順序」
「……はい」
チッ、ダメか……みたいな感情が透けて見えるアオキを叱りつつ、その書類はハッサクが預かることにした。怖いので。何がとは言わないが、怖いので。
それからハッサクは生まれた老婆心のまま、口を開く。
「小生が言うのも変な話かもしれませんですが、あまり『家』や『家族』という枠組みにこだわる必要もないと思いますですよ」
そこからなんとか逃げおおせたハッサクの生存バイアス故の意見だと言われたら何も言えないが、家や家族というコミュニティには良い面もあれば、当然悪い面もある。
その良い面に救われる人もいれば、悪い面に押し潰される人もいる。ただそれだけのことだ。片方だけを見て正誤を判断できるほど容易いものではない。
けれども少なくとも、絶対に『こうでなくてはならない』という決まった形など人生には無いのだ。
だから、人は自由に好きな場所で在りたい自分のまま生きていい。
「何も親や家族という在り方に拘らずとも、アオキにとっての最善でその少年の力になってやればよいのですよ」
そう言って微笑むハッサクに、アオキも思うところがあったのか、微かに眉間に皺を寄せながらじっと黙り込む。それから「……少し、考えてみます」と小さく呟いた。
さて、その日は定時で上がって帰宅したアオキ。
自宅のリビングにやってくると、アオキの言葉に従って今日は大人しくしていたのだろう、普段ならキッチンに立っているヤシオがソファの上で丸まって昼寝をしていた。
昼寝といったが、もう昼というか夕方を過ぎて夜になりつつある時刻だ。
ヤシオが眠るソファのそばにはプクリンがいて、アオキがリビングに入ってくると手を上げて「プリ〜」と笑顔を見せる。アオキも「はい、ただいま帰りました」と答えた。
ブランケット一枚を纏ってソファで心地良さそうに眠っているヤシオを起こすのは少し申し訳ない気持ちがあったが、あまり寝過ぎても夜眠れなくなる。そう思って彼の肩を軽く揺らして起こした。
「ヤシオ、起きてください」
「……ん、んん………」
「お待たせしました。晩飯を宝食堂で買ってきたので食べましょう」
「……アオキ、さん」
「はい」
「おかえり……」
「ただいま」
寝ぼけ眼のヤシオは唸りながら伸びをしつつソファから起き上がる。それからおそらく無意識だろう、そばにいたプクリンをよしよしと撫でた。撫でられたプクリンは喜んでソファに上がりヤシオに抱きついてはもっと撫でろと要求している。
……ヤシオとプクリンの交流を見るたびに、アオキはイエッサンの笑顔とサムズアップが脳裏をよぎるようになってしまった。
そのイエッサンはヤシオが起きたのを見て、彼が包まっていたブランケットを回収して丁寧に畳んでいる。多分内心ではフィーバー状態なんだろうな、と思った。
それはさておき、まだ眠そうな顔ながら目を覚ましたヤシオは改めてアオキへ声をかけた。
「アオキさん、おつかれ」
「ありがとうございます」
「……なあ、オレ今日マジでなんもしてねえんだけどいいんかな」
「たまにはそういう日もいいでしょう」
大きな欠伸をするヤシオに、アオキはふと問いかけてみた。
日中にハッサクとした話。それから、ハッサクにされた「同意」と「順序」のことを思い出す。
逆に言えば、順序を守る第一歩としてきちんと同意が取れれば、あの人ももう何も言わないということだろう。
「……ヤシオ、これはもしもの話なんですが、」
「なんだよ、急に……」
「もし、自分があなたの父親だったらどう思いますか」
アオキはヤシオの瞳を見て問いかけた。
もしも彼がそれを良しとしてくれるのならば、そういう未来があってもいい。アオキはそう思った。
犠牲などではなくて、2人で選んだ一つの選択として。
ヤシオはアオキの問いかけに不意を突かれたように一瞬キョトンした顔をする。
それからふっと柔らかく笑ってその唇を開いた。
「えー、ムリ。絶対やだ」
笑顔で普通に拒否された。
まあ、現実なんてそんなもんである。
「………………そう、ですか……」
しかし、ノータイムで「ムリ」「絶対」「やだ」のコンボは流石に効いた。素直にちょっと悲しい。
肩を落とすアオキに、ヤシオは楽しそうに笑いながら続けて言った。
「だってさあ、アオキさんはもうオレの師匠じゃん。父親なんかより絶対そっちのほうがいいし」
……アオキは家族というコミュニティに守られて生きてきた側の人間である。
だからこそ、同じようにヤシオに守るのならば家族になるべきだと思った。
それが責任であり、彼に対する誠実さだと思った。
……思っていた、けれど。
「……ヤシオ」
「ん、なに」
「……光栄です」
「は?なにが?脈絡なさ過ぎて怖」
よく考えてみれば、父親というものはなろうと思えば子供の同意なくなれる──だから実際ヤシオには彼が望まずとも実の父親と義理の父親がいるのだ──が、師匠は弟子側の同意と意思がなければなれない。
弟子から望まれたからこそ、師匠になれる。
つまるところ、父親より師匠のほうがすごい。
超すごい。
超えらい。
かっこいい。
勝ってる。
そしてヤシオの発言からして、彼にとっても父親より師匠のほうが上らしい。
それに気がついて、アオキは少し、いや、まあまあ、かなり、結構、がっつり自尊心がくすぐられるような心地があった。
元より案外プライドの高い所があるアオキだ。常より気に入っていて、将来性を見込んでいる少年から素直に懐かれれば悪い気などするはずもない。
微かに満足げな顔をしながら、ヤシオの視線に合わせて屈んでいた背中を伸ばして立つ。それから口を開いた。
「……晩飯にしましょうか」
「それはいいけど、結局さっきの質問なんだったんだよ……」
「いえ、職場でそんな話題が上がったので試しに聞いてみただけです」
「ふーん?」
よくわかっていないながらもそれ以上突っ込む気のないヤシオに、アオキは(晩飯の弁当の唐揚げをあげよう……)と思った。