ポケモン勝負は好きだったが、それは仕事にした瞬間にポケモン勝負の好きだったところが奪われた気がした。
チャレンジャーへの手加減、自分にだけ制限のかかったルール、全力を出せないバトル、上手く言葉にできない不満。
そういうものが積み重なった時に、心の支柱に小さなヒビが入ったのを感じた。
トーナメント式のリーグ戦やバトル専門施設が無いパルデアにおいて、リーグ所属の職業トレーナーが全力を出してポケモン勝負をできる機会は少ない。
四天王を兼任している自分はまだ恵まれている方だ。
例え全力のバトルが年に一度程度しかできないとしても。
自分の本来の専門タイプが使えないとしても。
わかっている。
不満があるのならば、他所へでもどこでも行けばいいのだと。
ここじゃなくても生きていける。
自分がいなくても世界はまわる。
人生は一度きりだ。
自分のしたいことをすればいい。
……けれど、自分は夢や憧れというものを何よりも優先して生きてきたわけじゃない。
そのために犠牲にされるものに目を向けた時、捨て去られる安寧は自分が愛したものだった。それを足蹴にしてまでこの場所を去ることに意味があるのか。小さな不満を抱えつつ、変わらない毎日を、微かな安らぎを愛しながら生きることは矛盾しているだろうか。
誰もがみんな自分のしたいことだけをして、そのためだけに生きていけるわけではない。
理想のためだと言って、足場のわからない暗闇を行くことを無条件に肯定できるほど子供ではない。
蜃気楼のように漠然とした理想のために、安定した穏やかな生活を捨てられるか。
その思考の果てが、今のアオキの変わらない生活だ。
◇
「ここが自分の自宅です」
「デカ!一軒家じゃん!」
「まあ、持ち家ではなく賃貸ですが……」
「……どういうこと?」
「借りてる家ということです」
そうか……子供はそりゃあ自分の住んでいる家が買ったものなのか借りてるものなのかとか、マンション買った方がいいのか賃貸のままのほうがいいのかとか、固定資産税とか管理費とか考えたことないよな……とアオキは思った。
ピンときていない顔で「ふーん」とだけ呟いて家を眺めるヤシオへ「上がって下さい」と声をかけつつ、アオキは先に中に入る。
──チャンプルタウンの外れにある、築年数がまあまあ古い代わりにまあまあ悪くない金額で借りている二階建ての一軒家が現在のアオキの自宅だった。
四天王として飛行タイプの育成が必要となった時に、自宅に広さが欲しくなって引っ越したのがキッカケだ。
リーグからいろいろ補助がついて思っていたより自己負担が少なかったので、この金額でこの広さの家に住めるならむしろ得だなと思ってあっさりと引っ越した。
「2階に空き部屋があるのでそこを使ってください。先に送られてきた荷物はその部屋に置いてます」
「ん、ありがと」
「先にリビングへ。自分の手持ちを紹介します」
「……おう」
「大丈夫です。何かあったら守るので」
これからのことを想像して微かに緊張を見せるヤシオに、アオキはそう声をかけた。
──トレーナーの友人や恋人を、手持ちポケモンが認めてくれない問題。
これは恐らく全トレーナー共通の悩みだろう。
ヤシオを預かるとなった時に一番先によぎったのがこの問題だ。
アオキとヤシオが上手くやれたとしても、アオキのポケモンが、あるいはヤシオのポケモンが相手のトレーナーやポケモンを受け入れてくれない可能性は十分にある。これはある種の相性の問題なので仕方がない。
一度バトルをしているおかげで、ヤシオのポケモンはアオキを受け入れてくれたらしい。アオキのネッコアラとムクホークもヤシオを敵として見做している様子はない。
そこは良い。
問題はアオキのほかの手持ち、主に飛行タイプのポケモンたちである。
癖の強いポケモンではないため、大事にはならないと思うがこういった相性は理屈ではない。合わない時はどうやっても合わないのだから。
本当にどうしようもないのならば相互に無視し合えばいい。
……のだが、たまに合わないを通り越して、敵意を向けられることがある。
特に飛行タイプは縄張り意識の強いポケモンが多い。
段階を踏まずにヤシオをこの家に出入りさせると、ポケモンたちからは自分のテリトリーに入ってきた侵入者だと認識されてしまうかもしれない。
そんな最悪の事態を避けるため、アオキが同伴の上で顔合わせをさせることにした。
一旦廊下にヤシオを待たせてから、先にアオキがリビングに入る。
飛行タイプが飛べるよう吹き抜けになったリビングへ入るとアオキに気がついた手持ちのポケモンたちが止まり木から視線を向けてきた。普段ならばすぐにこちらへ寄ってくるポケモンたちが来ない。
流石に客人──彼らにとっては侵入者か──がいることには気がついているらしい。
アオキは庭につながるリビングの大窓を開くと、庭先にボールを投げてトロピウスを出す。
それからリビングの中に今日外へ連れ出していたネッコアラ、ノココッチ、ムクホークの3体も出した。
ほかの手持ちは家の中でボールから出て留守番をしていたのでこれで全員だ。
「紹介したい人がいるので集まってください」
そう声をかけた時、大抵は素直に寄ってきた。
庭のトロピウスも窓から頭を入れて話を聞く体勢だ。
ただし、やや不満な顔で寄ってこなかった数少ない手持ちもいた。
「……チルタリス、ウォーグル。来なさい」
それが名前を呼んだ2匹だった。
個別に名前を呼んでこちらへ来るよう伝えるが、バトル中の指示ではないことも相まってか、渋々止まっていた天井の梁の一段下に降りただけで近寄ってくる様子がない。
……ウォーグルは正直予想の範囲内だ。
アオキの手持ちの中では気性が荒い子であるし、そもそも無条件に他人を認めるような質ではない。ヤシオと一度勝負をさせて、彼がウォーグルを納得させれば問題ないだろう。
ただ、チルタリスとなると話は別だ。
チルタリス特有の気まぐれさと、ドラゴンタイプ特有の気位の高さ。
この子に関しては単に勝負でわからせるということが難しい。下手に負かすと拗ねて余計に拗れるかもしれないからだ。
……困った。
アオキが小さく溜息をついたのを見て、ムクホークが2匹を叱るように鳴き声を上げたが、ウォーグルは反抗するように鳴き返し、チルタリスはプイッとそっぽを向いた。
仕方ないが待たせ続けるわけにもいかないのでヤシオをリビングに呼ぶ。
余所者だから気に食わないだけで、急に攻撃を仕掛けてくるほどではないだろう。
「ヤシオ、いいですよ」
「……オレ入って大丈夫?」
「大丈夫です、何かするようなら力づくで止めるので……」
「ん、頼むわ。正直オレじゃ対処できねえもん」
そう言いながらヤシオとボールから出した彼の手持ち2匹がリビングに入ってきた瞬間、ポケモンたちの目線が彼らに集まり、リビングにピリッと緊張が走る。
ヤシオは自分に向けられる警戒を肌に感じながらゆっくりと歩いてアオキの隣に立つ。
間を置かずに、全員へ紹介するようにアオキが口を開いた。
「彼はヤシオくんです。自分の、えーっと……義理の弟……?です」
「……あー、そっか、一応そうなんのか……」
アオキの姉の配偶者の弟なので普通に考えると義理の弟になると思いそう言ったのだが、ヤシオには微妙な顔をされた。気持ちはわからなくはない。義理とはいえ兄弟と呼ぶには複雑で、微妙に遠い距離感なのだ。
「これから……いつまでかは未定ですが、この家で預かることになりました。15歳の、見ての通り子供です。リーグトレーナーの手持ちが大人げないことをしないようにしてください」
そう言いつつウォーグルとチルタリスのほうへ視線を向けたが、2匹は変わらず不満気な顔をしてばかりだ。
それからアオキは緊張した様子のヤシオの背を掌でふれて、挨拶をするよう促した。少年は一度うなづいてから一歩前で出る。
「ガラルから来たヤシオです。急に知らないヤツが来て驚かせたと思います、すみません。今日からお世話になりますんで、よろしくお願いします」
それからヤシオは自分の後ろに隠れ気味だったプクリンとイエッサンを前へ出すと2匹を紹介した。
「プクリンとイエッサンはオレの友達です。コイツらも一緒に暮らすけど、よろしくお願いします」
アオキは頭を下げたヤシオのその背に手を置いてポンポンと軽く叩いた。
すると、顔を上げたヤシオの肩にムクホークが飛んできて、彼の髪を羽根でぺしぺし撫でる。
やや困惑したヤシオは撫でられるまま、アオキへ目を向けた。
「……オレなにされてんの?」
「ムクホークは自分と一番付き合いが長くて、まあ、手持ちの中だとリーダーみたいな役割をすることが多いので……敢えて周囲にヤシオを認める姿を見せることで、他の面々もあなたを受け入れやすいような空気を作ってるんだと思います……」
「気遣いエグ……優しすぎじゃん……」
「我が手持ちながら驚きました……」
ヤシオはホッとしたような顔で笑って「ムクホーク先輩ありがと」と言った。
知らない家の中の出来上がっている関係性の中に入っていくのは、やはり緊張する事だったのだろう。
下手をしたら、親の再婚でできた新しい家族に馴染めなかった彼のトラウマを刺激しかねない。
そういう意味でも、受け入れる体勢を明確に見せたムクホークの気遣いはアオキとしても有り難かった。
そうしてなんとなく緊張した空気が弛緩した頃、ヤシオが思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ、アオキさん」
「はい」
「大したもんじゃねえけど、ほら、ガラル土産のウェルシュケーキ。アンタにはこれから世話になるし。これ、ポケモンも食えるやつだから」
反抗期の割に変なところ真面目だな……と思った。
まあ、反抗の理由は家庭環境だから、そこから離れたら素の彼が出てくるのも当然か、と思いながらアオキはヤシオが渡してきたものを見る。
ヤシオが鞄から取り出したのは挨拶用の土産だった。
ガラルのお菓子ブランドのロゴが入った透明ビニール袋の中には、パンケーキのような焼き菓子。
それに気がついた瞬間、アオキは「あ」と声を出した。
「ヤシオ」
「おう」
「……これはお菓子ですか?」
「そう、薄いスコーンみたいなや、」
「伏せて」
「え?」
甘い物好きのチルタリスがヤシオの側頭部に勢いよく突っ込んできたのはその時だった。