リビングにチルタリスのハミングが響いている。
「よく言いますよね。良いトレーナーはポケモンに懐かれる、と」
「オレじゃなくてお菓子に懐いたんだろ……」
ダイニングテーブルの前に腰掛けたヤシオ。
その隣の椅子には機嫌の良さそうな顔でチルタリスが座っていた。
嘴にウェルシュケーキのカスがついていることに気がついたヤシオがそれを指で取ってやると、チルタリスは楽しそうにヤシオの指に食いついてその食べカスさえも平らげようとする。
甘噛みとはいえ最終進化の鳥ポケモンに指を食われてヤシオはビビった。
ヤシオが土産に持ってきたお菓子を見た途端、掌ドリルライナーとばかりにヤシオに懐いた甘いもの好きのチルタリス。
先ほどまであんなにそっぽを向いていたというのに、今はもうすっかりヤシオの存在を許していた。
ふわふわの羽で顔面をモフられながらヤシオは微妙な顔で口を開いた。
「……あんさ、アオキさん」
「はい」
「……ウォーグル先輩、大丈夫?」
反対派仲間だったチルタリスに一瞬で裏切られたウォーグルだけが、なんとなく所在無さそうに天井の高い梁に止まったままヤシオをじっと見ている。
ヤシオは流石に困った顔をして頭を掻いた。
挨拶が落ち着いたところで一旦お茶にしようと土産のウェルシュケーキがポケモンたちにも配られたのだが、ウォーグルだけがこちらに寄ってこないためにまだ食べていなかった。
このままではチルタリスにウォーグルの分まで食べられてしまうだろう。
それを心配に思ったヤシオが問いかけるのに、ダイニングテーブルの向かい側に座るアオキは小さく息を吐いてから答えた。
「ウォーグルは本来群れの中で暮らすポケモンなので、基本的に群れの総意に従います。多分、今は意地を張っているだけです。そのうちタイミングを見て折れますよ」
「そっか。なんかストレス与えちゃって悪りいな」
「いえ、こちらこそすみません。気分は良くないでしょう」
「気にしてねえよ。つか、本来ならあの反応が普通だろ」
「客人相手に敵意を向けることが?……それが普通の反応なら、あなたは今ごろ全員につつかれて外に追い出されてます」
「……んん、まあそうだけどさ」
うなづきながらも、ヤシオはぽつぽつと呟くように言った。
「でもさ、ウォーグル先輩からしたらオレがどんな奴かまだわかんないわけだし、怖いだろ。警戒すんのは当たり前じゃん。……ほら、群れのためにもさ」
「……なるほど」
……あなたもそうだったんですか?
家族だ、といって自分のテリトリーに入ってきた新しい異物を前にした時、あなたも怖かったんですか?
……なんて、そんなことを聞けるほどデリカシーが無いわけじゃない。
不意にヤシオは土産のウェルシュケーキを手に立ち上がると、無防備な足取りでウォーグルのいる梁の下あたりに向かっていった。
アオキのポケモンたちと交流していたプクリンとイエッサンがそれに気がついて、ヤシオとウォーグルの方へ意識を向ける。
イエッサンは何かあったらすぐにサイコパワーで主人を守れるよう手を空け、プクリンも普段の笑顔を潜めてじっとヤシオとウォーグルの方を見ていた。
「ウォーグル先輩」
そんな手持ちたちの不安を他所に、ヤシオは普段通りの声音で声をかけた。
ウォーグルは彼をじっと見つめながら、止まり木を数段降りてくる。距離としては2メートル弱くらいだろうか、声を張るほどでもない声音でヤシオは話しかける。
「あのさ、オレ、ガラル地方出身なんだけど、そこにワイルドエリアっていう自然区域があってさ、たまにウォーグルが飛んでるのが見えたんだよ」
ウォーグルはじっとヤシオを見ていた。そんなウォーグルに彼はアオキに話しかけていた時のようにごくフラットに、緊張している様子もなく声をかけている。
その様子を見たアオキは、もうどちらも大丈夫だなと思った。
「でもさ、飛んでるし、群れだしで近づけねえからさ、今日こんなに近くで姿が見れて、実は結構嬉しい」
ウォーグルが小さく鳴いて、ヤシオに近づこうと止まり木から足を離すとゆっくりと翼を開いて降りてくる。ヤシオもまた一歩近づいて、それから相好を崩した。
「やっぱ近くて見るとカッケェなあ、ウォーグル先輩」
コレお近づきの印、とウェルシュケーキを差し出すと、ウォーグルはヤシオの肩に止まって、警戒する様子もなくそれを食べた。
数口でさっさと食べてしまったウォーグルに、チルタリスが少し残念そうな顔をする。
それからウォーグルはヤシオの肩に乗ったまま、嘴で少年の髪を痛くないくらいの力加減で引っ張ったり梳いたりし始めた。
なかなかの重さのポケモンを肩に乗せたままのヤシオはされるがまま、けれど戸惑ったような顔でアオキへ視線を向ける。
「アオキさん」
「はい」
「……オレなにされてんの?」
「毛繕いです。たまに自分もされます」
「ああ、うん……まあ、嫌われてんじゃねえならいいか……」
そんな少年を見つめて、アオキはやはり思った。
「ヤシオ」
「あんだよ」
「さっきの話の続きをしましょうか」
「なに?晩飯の話?」
「それもしたいですが、ポケモン勝負の後にした、専門トレーナーの件です」
「ああ、そっちか」
ウォーグルを肩に乗せたまま、ヤシオがダイニングテーブルに戻ってくる。
アオキがウォーグルの目を見つめると、彼は少しバツの悪そうな顔でクルルルと喉を鳴らした。
この子とはヤシオがいない時に少し話をする必要がありそうだ。
子供相手に大人げないことをしたことへの叱りと、相手からの歩み寄りに応えたことへの褒め言葉を。
ヤシオはテーブルに頬杖をついたまま、上目遣いでアオキの発言を待っていた。応えるように口を開く。
「……ヤシオ、先程あなたとバトルをした時なんですが、」
「おう」
「自分はとても楽しかったんです」
「あ?なんかムカつく」
「いえ、皮肉とかではなく……。あなたには伸び代があるし、自分の頭で考える力も学ぶ意欲も……恐らく、才能と呼ばれるものもある」
「なんだよ急に……きっしょ……」
ぽつぽつとアオキが言葉を紡げば、ヤシオは眉間に皺を寄せて怒っているような照れているような顔をしながら話を聞いていた。
「見ている限り、あなたはノーマルタイプのポケモンと相性が良さそうです」
「プクリンとイエッサン連れてるだけだろ」
「自分の手持ちとも友好関係を構築できてます」
「ウォーグル先輩は?」
「すぐに仲直りしたでしょう」
「チルタリス先輩はノーマルタイプじゃねえよ」
「進化前はノーマルです」
「……なんかズルくね?」
「狡くないです。それにもしもあなたがトレーナーとして強くなりたいと思うのなら、なにか一本、腹に芯があった方がいい」
「だからノーマルタイプを専門にしろって?」
「いえ、しろとは言いません。最終的に決めるのはヤシオ自身なので。自分はあくまでも薦めるだけですよ」
「……意外とゆるいな」
「他人の人生に関わるので強くは言えません。責任取れないですから」
「…………アンタってちゃんとしてんのか、そうじゃねえのかわかんねえ人だな」
頬杖をついたまま、どこか呆れたような半目でこちらを見つめるヤシオに、アオキは否定も肯定もしないまま口を開いた。
「まあ、それはそれとして。ヤシオ、あなたはプクリンやイエッサンと仲良くなるのに何か苦労はありましたか?」
突然のアオキからの問いかけに、けれどヤシオは特に考えることもなく答えた。
「ねえよ」
「はい、自分も今の手持ちを育てるのに苦労したことはありません」
「……それがなんだよ」
「向いている、という話です。あなたはノーマルタイプを育てる適性がある。よく言うでしょう、好きなことよりも向いていることを仕事にした方がいい、と」
「向いてるからノーマルタイプの専門トレーナーになれって話ってことか」
「まあ、結論そうですね」
「ノーマルジムリーダーとかいって自分は飛行タイプ育ててるくせに」
「……それは別の業務の都合です」
「あっそ。つか話が長えわ。端っから結論だけ言えばいいじゃん」
「それであなたが納得するならそうしてたと思います」
「…………あ?今オレのせいにした?」
アオキが目を逸らすと、ヤシオは小さく「にゃろ……」と呟いた。
ポテポテとした足取りでプクリンがこちらにやってきた。途端にヤシオの隣の椅子に座っていたチルタリスが逃げるように飛び立つ。それをキョトンとした顔で見送ってから、プクリンはさっきまでチルタリスがいた椅子に腰掛けた。ヤシオはその頭を撫でる。それから口を開いた。
「で、本音は?」
「……なんのことですか」
「ダルい。そういうのいらねえから」
「…………」
「話せや、オラ」
少年の瞳に見つめられて、肩を落とす。
単純なのか、そうでもないのか、判別が難しい。
別に今までヤシオに言っていた話が嘘だというわけじゃない。敢えて自分に都合のいいことを口にしなかっただけだ。
けれど彼にバレてしまったのだから、それは隠しきれなかった自分の瑕疵だ。
何がなんでも隠さないといけないようなことでもなし、正直に答えるのがこれからの信頼関係という意味でも最善だろう。
溜息をひとつ吐いてからアオキは口を開いた。
「実は自分の本職はポケモンリーグの営業なんです」
「……え?なに、急に」
唐突なアオキの言葉をヤシオはキョトンと目を丸くした。
その反応を予測していたアオキは説明するように続ける。
「ジムリーダーは本職ではなく、兼業のほうです。副業と思ってもらっても構いません」
「……ジムリーダーなのに?」
「パルデアは専業ジムリーダーの方が少ないですよ。ガラルのようなリーグ制度もありませんし。……で、ぶっちゃけその副業のせいで本業に影響が出て困ってます」
「え?オレ今何の話を聞かされてんの?」
「ジムリーダーを辞めて本業に集中したい気持ちがままあります。ただでさえ履いている草鞋が多いので、脱げるものは脱いで他に専念したい。いや本当アカデミーの宝探し期間とかまともに営業に行けないですしそのくせタスクは溜まる一方ですしその月はノルマがいつもギリギリになるし数字だけ見られて成績が微妙とか文句言われますし……」
「オレがわからん話すな!結論から言え!」
「あなたがトレーナーとして実力をつけてジムリーダーになってくれたら自分が辞められるのではないかと思ってます」
アオキの言葉にヤシオは絶句した。それから叫ぶ。
「それが現役ジムリーダーの発言かよ!ってかオレへの勧誘全部下心じゃん!なんだよ才能あるとか適当なパチこきやがって!サイテー!弄ばれた!訴訟!」
「それは嘘じゃないです。信じて、自分の目を見てください」
「に、濁ってる……!」
ヤシオは椅子から立ち上がるとアオキを指差して喚いた。
「なんだかんだ言って結局全部アンタの都合じゃん!」
「はあ……まあ、そうですね。ヤシオのせいではありませんが、ぶっちゃけ自分も姉貴たちの思いつきに振り回されてあなたを預かってるので、多少は自分の利益を求めます」
「ダッ……!ぐっ………!いやまあそうだけど!そう言われたらなんも言えねえけど!」
「あなたも大人の勝手に巻き込まれた側ですから、自分自身の利益を望んでいいと思います。もちろん無理にとは言いませんが、もしも興味があるのなら自分はあなたを受け入れて、……そうですね、トレーナーとしての指導くらいならしますよ」
肩を怒らせてキャンキャンしているヤシオを前に、アオキはマイペースを崩さずに言葉を続ける。
するとヤシオはアオキの「指導をする」という言葉に揺らぐものがあったのか、突然「う……」と口籠った。
ヤシオは今日アオキと勝負をして、手加減された上でボコボコにされたし、考えていた戦略も全部バレていたという有様である。
ジムチャレンジをしていなかったとはいえ、ガラルでそれなりに経験を積んできたつもりだったヤシオとしては完全に鼻っ柱を折られたとしか言いようがない。
っていうかこのオッサンちゃんと強えし、なんか的確なアドバイスされたし、まあこの人にちょっと褒められて悪い気はしなかったっていうか……別に嬉しくはねえけど……と、反抗期の複雑な少年心だ。
それになにより、現状頼る人がいない彼にとっては──今のヤシオにとっては、故郷の実母さえも頼ったり助けを求めたりする対象にはなり得なかった──アオキがタクシーの中でなんともなしに言った「自分を頼っていい」という飾り気のない言葉はただの言葉以上の安堵を伴っていた。
……例えそれをアオキ自身は知らないとしても。
急に黙り込んだヤシオに、子供への伝え方を間違えたかと思ってアオキはフォローを入れるように口を開いた。
「……あ、いえ、別に今すぐ答えを出せとは、」
「それってさ、アンタがオレの師匠になる……ってこと?」
アオキの言葉はすぐに、少年の少し警戒するような、試すような、戸惑うような、……期待するような、そんな問いかけに遮られる。その少し揺らいだ瞳を見つめながらうなづいた。
「まあ、一般的にはそうなりますかね。自分が師匠で、あなたが弟子、と」
「……んむ………ううん、それは、わりと、いや待てよ、ちょっと待って」
「はい」
「作戦会議!プクリン!イエッサン!集合!」
号令をかけると、イエッサンがヤシオのそばにやってきて1人と2匹がぎゅっと集まる。
彼らは額がくっつくくらい顔を寄せ合って「どうする?」「ぷーぷくぷ」「んんきゅるる」「えーでも知らんオッサンだぜ?」「ぷぷ?」「きゅうきゅっ」「ほんとお?」と話し合いをし始めた。
……アオキの目の前で。
(……目の前だから全部聞こえてるし、知らんオッサンって言われた……)
表情にわかりづらいながらちょっとしゅんとしたアオキを、飛んできたオドリドリが応援し始めた。かわいいね。
1人と2匹はアオキを気にすることなく会議を続ける。
そしていくらかの問答の後、なにやらうなづきあって、ヤシオが立ち上がった。顔を上げたアオキと、仁王立ちするヤシオの目が合う。
それからヤシオはビッとアオキを指差して言った。
「師匠(仮)な!」
「はい?」
「だから師匠(仮)!オレ、アンタのことまだ全然知らねえし、会って数時間だし、つかそもそも信用してねえから!そんな奴まだ師匠とは呼べねえだろ!」
「はあ……」
「だからアンタはオレの師匠(仮)!」
そう言い切るヤシオの後ろでイエッサンがアオキに向かって両手を合わせて(うちの子が生意気でごめんね……)という顔をしている。プクリンはその隣でニコニコしていた。かわいいね。
ツンデレはともかくとして、ヤシオはアオキの誘いに承諾してくれた……とまではいかずとも、前向きに考えてくれている、と考えてよいのだろう。フンス!と腕を組んで仁王立ちをするヤシオに、アオキは普段通りのどこか気の抜けた表情で小さくうなづいた。
「……はあ、わかりました。ではヤシオは自分の弟子(仮)ということで……」
「おう!」
「よろしくお願いします」
「シャス!」
後ろのイエッサンがアオキへサムズアップしながら(ありがとね……)という顔をしていた。トレーナーの心情を察したプクリンは嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねている。
……と、そんなわけで、義理の兄弟である2人は同居初日に師弟関係(仮)となったのだった。